躁うつ病の日々
この部屋の窓は大きい。けれど窓にはいつもブラインドが下ろされている。
晴子はブラインドの向こうの今日の空を思い返した。真っ黒な雲が一面に広がっていて、あちらこちらで紫の稲光が走る。人口減少が叫ばれる地方都市のビル群に人通りはなく灰色の廃墟のようだ。遠くにはこの町を囲みこむ山々がそびえていて、まるで晴子を閉じ込める黒い壁のように見える。
そんなおどろおどろしい景色には興味がないのでブラインドがあるのはなかなかに快適だと言えた。座り心地のいいひじ掛け椅子に座って、適度な空調で夏の暑さから守られた静かな部屋で黙っていられるのは、晴子にとって価値のあることだった。ただ、目の前のカウンセラーが自分のことをじっと観察していることだけは不愉快極まりない。
「何か変わったことはありましたか?」
放っておくと晴子はカウンセリングの時間中ずっと黙り続けるとよく知っている初老の女性は、いつも通りの質問を投げかけた。
「べつに」
「気持ちは落ち着いている?」
「べつに」
「最近イライラはどう?」
「べつに」
「少しは眠れるようになった?」
「べつに」
何を聞いても晴子からは情報を引き出せない。それでもカウンセラーは人当たりの良い笑顔を浮かべている。心理学を学んでいる人というのはみんなこうなのだろうか。晴子はうんざりして、あからさまにため息をついてみせた。
カウンセラーはそんな晴子をじっと観察し続けて、晴子のすべてを丸裸にしようと虎視眈々と狙っている。弱いところも痛いところもなにもかも引きずり出して、それで晴子が泣いて泣いてすっきりしたら病気は良くなる。きっとそう思っているに違いない。そんなのはまっぴらごめんだった。
むっつりと黙ったまま目を合わせないように部屋の隅に目をやる。精神療法に使うのであろう積み木が打ち捨てられたように散らばっている。それを見つめ続けているうちに、カウンセリングの一時間は終わった。
カウンセリングルームを出て待合室に戻る。カウンセラーが今日のカウンセリングの内容を記入したカルテを精神科の主治医に渡す。それをもとに本日の診察を受けることになる。
その二段階のシステムも、まどろっこしくて嫌だった。晴子の病気、双極性障害、いわゆる躁鬱病には心理療法が必要だと言われるのだが、薬だけ処方してくれればいいと病院に通い始めた八年ほど前に何度かはっきりと言ったことがある。だが、口ひげを生やした主治医が笑顔を崩すことはなかった。
「なにごとも人生経験だよ」
その言われようにもカチンと来た。成人しているくせに人生経験のないダメな子どものように扱われたと感じた。その時に晴子は心理学者に意見を述べるのはやめようと心に誓ったのだった。
精神科からの帰り道は地獄のように暑かった。今にも雨が降りそうな真っ暗な空のせいで湿気がひどい。着ているTシャツがじっとりと肌に張り付いた。家に帰ったらシャワーを浴びよう。それだけを心の支えに晴子は家に戻った。
晴子は離れに住んでいる。
と言っても、晴子の家に母屋があるわけではない。古ぼけたビルの3DKが晴子たち一家の住まいだ。
玄関を入ってすぐ右側が母と、今はもう独り立ちした七歳年下の妹、朝子の同居部屋。廊下を真っ直ぐに進むとダイニングキッチン。
その右の部屋を父が使っている。廊下を進まず左へ折れるとトイレと風呂。その前を通って突き当りが晴子の部屋だ。畳敷きなのに何故か洋式のドアで鍵はついていない。
晴子が大学進学を控えていたころ、父が事業に失敗して引っ越しが決まった。このぼろビルに越してきた初日、すべての部屋の押し入れの襖は取り払われ、母の部屋の畳の上にまとめて積んであった。
どの襖がどの部屋のものか分かりやすいようにという配慮だろう、襖の裏に小さく薄く、クレヨンのようなもので部屋の名前が書いてあった。父が現在使っている部屋が『北部屋』。母と妹の部屋が『南部屋』。そして晴子の部屋の襖には『離れ』と書いてあった。
家族は腹を抱えて笑った。この狭い家に離れがあるという、そのちぐはぐさがおかしかったらしい。
父の事業の失敗、広い家を手放したこと、多額の借金、そんな事情のもとですっかり笑顔が消えた相良家に久々に訪れた笑いだった。
だが晴子はなぜか父の、母の、妹の笑顔に腹が立ってしかたなかった。まるで自分の失敗を笑われているような気分で、襖を全部めちゃくちゃに蹴破ってやりたかった。
「何がおかしいのよ!」
晴子が怒鳴ると家族の笑いが凍り付いた。目をカッと見開き口は曲がり歯をむき出しにした、まるで般若のような怒り顔。その怒鳴り声は、子どものころからの晴子の癇癪に慣れているはずの家族でさえ恐れおののかせる迫力だった。
晴子は離れの襖をまとめて担ぎあげると足音高く自分の部屋に入り、思いっきりドアを閉めた。それ以来、離れのドアは閉めきったままになっている。
翌朝、いつもながらの不眠のために泥のように重い体をなんとか伸ばした。
カーテンを開けても隣に建築中のマンションのせいで離れの中は薄暗かった。エアコンがない晴子の部屋は窓を開けていても汗がしたたるほどに暑い。ろくに眠れない理由が暑さからくる寝苦しさのせいなのか、長患いしている躁鬱病のせいなのかわからないが、晴子にとってはどちらでもいいことだ。
汗拭きシートで簡単に体を拭く。大学を中退したころには身づくろいすることさえ難しかったが、通院を初めてなんとか風呂にも入れるようになった。
だが、朝からシャワーを使っていると家族が起きてくる恐れがある。離れのドアを開けて、母が洗濯した衣服をドアの中に引っ張り込む。その中から適当にTシャツとジーンズを掴み出して細すぎる体を押し込むと足音を立てないように気配を消して家を出た。
ぼろビルのエントランスを出るとすぐに見える牛丼屋に向かう。
頼むのはいつも一番安い納豆朝食。ごはん、みそ汁、納豆、生卵、海苔と、なかなか健康的なメニューだ。値段も三百六十円と安い。嬉しいことだ。
慣れた足取りで店に一歩入った途端、空腹で軽かったはずの晴子の胃がどんよりと重くなった。また新人だ。ニキビ跡が赤い男子だ。高校生くらいに見える。
牛丼屋の店員は入れ替わりが激しい。やっと晴子の顔を覚えて注文する前から納豆朝食を目の前に置いてくれるようになったと思うと、もういなくなり新人に代わっている。
もしかしたら早朝は新人が働く時間で、慣れてきたら昼か夜に異動しているだけなのかもしれないが、そんな事情を汲むつもりは晴子にはない。
店員が代わるたびに注文のために口を開かなければならなくなるのは非常に億劫なのだ。ベテラン店員を呼び戻せとイライラ考えながら呟く。
「納豆朝食」
寝起きのまま水も飲まずに家を出てきた晴子の声は、かすれて聞き取りにくかったらしい。店員がとぼけた表情で聞き返してきた。
「納豆シラスですか?」
「朝食」と「シラス」の発音はちっとも似ていないではないかと思ってイラついたが、もう一度声を出すのが面倒くさくて晴子は黙って頷いた。
カウンターのいつもの席に座ってメニューを確かめると、納豆シラス定食は納豆朝食より百十円も高い。めまいがしそうだった。
注文を聞き間違えた店員を睨む。厨房にいるベテランらしい店員に注文を伝えると、そのまま何もせず突っ立っている。シャープな働きは出来ないタイプに見える。
いや、そうに違いない、失敗ばかりで店のお荷物扱いされているはずだ。そう決めつけて、歯ぎしりする。大人なら子どもの失敗の一つや二つ軽くゆるしてやるべきだと思うのだが、眼光をゆるめることが出来ない。
晴子は高校生男子より十歳近く年上だが、大人らしい対応はとても出来ないほど怒っていた。納豆シラス定食がやって来るまで店員を睨み続ける。
店員はそんな視線にも気づかなかったようで、ガチャンと音を立てて定食の盆を置いていった。それにもむかっ腹が立ったが、やって来た定食のシラスの量がほんのちょっぴりだったことに、より腹を立てた。メニューの写真と全然違う。
今すぐ叫んで立ち上り、プラスチックの盆をひっくり返してやりたかった。
だが、ギリギリのところで思いとどまった。
落ち着け。私は普通の大人の女だ。もう癇癪持ちは卒業したのだ。そう言い聞かせてもイライラはおさまらない。
気分を安定させる薬が効いているのか、最近はかなり癇癪を抑えられるようになったのだが、晴子自身はそのことを評価してはいない。いつも通り激しく不愉快なままでいるのだから病状が好転したとは言えないと思っている。
そんな効果のない薬に支払う薬価の高さをふと思い出して、さらに苛立つ。
それらすべての怒りをぶつけるように、ごはんに納豆もシラスも生卵も大根おろしもぶちまけて、仕上げにみそ汁をぶっかけてぐちゃぐちゃにして飲み込んだ。悔しいけれどシラスの塩気がきいて美味しかった。
黙ったまま値段通りの小銭をテーブルに叩きつけて店を出た。
店の前の歩道には通勤通学の人達が大勢行きかっていた。見上げると雲一つない青空。今日も朝から暑い。
食後で体温が上がった晴子の体から汗が吹き出す。気持ちが悪い。会社まで二十分、眉間に深いしわを寄せたまま歩く。
こう暑くてはスーツなど着ていられない。学生時代と変わらない格好で出勤できる会社に就職できたのは幸いだった。社風のせいというより晴子が契約社員であるおかげなのだが、スーツを着なければならない立場だったら就職初日だけで辞めていただろう。
学生時代から晴子の服装はいつも同じだ。Tシャツとジーンズに、履き古して底が抜けそうなスニーカー。手入れなどしたこともない髪は伸び放題で、適当にゴムでくくって背骨が浮いて見える背中に垂らしている。
職場まで続くアスファルトを踏むとクッションのきかない靴底から、じかに地面の熱が伝わってくる気がする。夜の間に冷えることもなく朝からむしむしして陽炎が立つのではないかと思うほどだ。
晴子の眉間のしわが蒸し暑さのせいでさらに深くなる。出来ることならクーラーがガンガン効いたタクシーで通いたい。そんなことを夢想するが晴子の薄っぺらな財布からは一回分のタクシー料金も出てくることはない。
晴子は、家の借金返済とは無関係であるにもかかわらず貧乏だった。通勤の道中にある牛丼屋で朝食をとるのも、いくら安いと言えど毎日積み重なると苦しい。時給八百円で働き、ボーナスも昇給もない晴子の財政事情では非常な贅沢なのだ。
だが、昼は一番安いコンビニ弁当、夜は立ち食いそばかジャンクフードという食事だけでは体を壊すのは遠い未来のことではないと思われた。それをできるだけ先延ばしにするための納豆朝食なので、店に通うのをやめることはできないのだった。
朝からイライラしたせいで仕事にまったく集中できない。普段ならこの職場は晴子にとって天国のようなところだ。冷暖房完備はもちろん、一日中閉まったままのブラインドのおかげで季節の変化などに心惑わされることもない。
仕事はパソコンとにらめっこして、画面の右からやって来る様々なデータを左の自社システムに入力していくだけの単純作業の繰り返し。数値や文字や記号や、その他どんな情報もその意味を捉えて理解する必要はない。
コミュニケーションなどいらないし、特別な知識を身につける必要もない。年中無休のシフト制なので、平日に休みをとれば土日に家にいて家族と顔を合わせることもない。
一言もしゃべらずに一日を終えることも多く、口を開かなければならない煩わしさもなく安らかでいられる。だが今日は天国にいても心穏やかにはなれなかった。
パソコンと向き合ってキーボードに怒りをぶつけるようにガッチャガッチャとタイピングしていると、後ろから声をかけられた。
「相良さん、どうかしましたか?」
深く響く俳優のもののような声。その渋い声を聞けば振り向かなくてもわかる。竹田桃比呂だ。
くすぶったままの怒りにさらにイライラが重なった。会話をしなければならない。椅子を回して振り返り桃比呂に向けた晴子の視線はかなりきついものだったのだが、桃比呂は何を考えているのか分からない細い目を晴子に向け続ける。
晴子は面倒くさいと伝えるためにこれ見よがしにため息を吐いた。
「べつに」
「そうですか」
直属の上司として注意をしには来たが、晴子には真面目に対応する価値もないと思っているのだろう。桃比呂はたいした興味もなさそうに自分のデスクに戻っていく。
晴子は自分より年下の上司からなんの期待もされていないということに少しほっとした。期待されて応えられるようなものを自分はなにも持ってはいないのだ。
「相良さん、大丈夫?」
隣のデスクの平田琴美がキャスター付きの椅子をコロコロと転がして寄って来た。琴美に向けた晴子の視線もまた、かなりきついものだったのだが、琴美は慣れっこになっているようで、心配げな顔を晴子に向けつづけた。
なんの効果も生まないと分かっていたが、晴子はまたこれ見よがしにため息を吐いた。
「なにかあったんだったら聞くわよ。話すだけでも気が楽になるかもしれないから」
「べつに」
晴子は仏頂面で適当に答えてパソコンのモニターに目を戻す。琴美は心配げな表情を崩さずにデスクに戻った。
琴美は晴子と同期入社だが、年齢は一回り上だ。契約社員である晴子たちの中に新卒入社はほとんどいない。学生のアルバイトや定年退職後の再就職者も多い。
晴子は同じ職場の人間に興味がないので誰が誰やら把握していないが、琴美が勝手に話しかけてきては社員の名前を教えた。その他にもいろいろな情報を授けようと話し続ける。
だが、有給休暇の申請の仕方や希望シフトを通しやすくする裏技などを聞いても晴子は頑なに無視し続けた。せっかく教えてもらっても興味がなく、有給休暇を一度も申請したことがない。
琴美はそれでも嫌な顔一つせず晴子に知識を与え続けた。
昼休み、休憩室で晴子が人の輪から離れて一人でコンビニ弁当を食べていると琴美が隣にやって来た。いつも昼休みを一緒に過ごしているおしゃべり仲間たちはシフト休が重なったのだろう、全員休みのようだった。
晴子は迷惑だという気持ちをわざと大げさに表情に出してみせたが琴美は気にも留めない。
「相良さんはコンビニのお弁当なのね。美味しそう」
「はあ」
「私もたまには買って食べたいんだけど、お金がかかっちゃうから」
「はあ」
ちらりと琴美の自作弁当を覗いてみると、ご飯の白、海苔の黒、卵焼きの黄色、プチトマトの赤、ブロッコリーの緑と色とりどりで、いかにも健康に良さそうだった。
ひるがえって晴子は自分のコンビニ弁当を見た。ご飯の白、コロッケの茶色、から揚げの茶色、焼きそばの茶色、茶色、茶色、茶色のオンパレードだ。
途端に食欲がなくなった。半分も食べていない弁当の残りをコンビニのビニール袋に突っ込み、席を立つ。
「あら、食欲ないの?」
「はあ」
「これ、あげるわ」
琴美がカバンから小さな袋入りのチョコ菓子を出して晴子に押し付けた。断るのも面倒くさくて黙って受け取った。
弁当のごみを捨てに給湯室に向かう途中でチョコ菓子を開けたが、これも茶色。げんなりした。だが、そのまま捨てるわけにもいかないと思い一粒口に放り込むと甘さがじわりと広がって、少しだけ気分が落ち着いた。
けれどなんだか、人の情けというものに負けたような気がした。
憐れまれた自分がみじめで、残りのチョコ菓子はざらざらと口に流し込み、よく噛みもせずに飲み込んでしまった。
翌日の昼休み、晴子は休憩室に行かなかった。
他で食事できるところを探したが、この会社は情報を売り買いしているせいかセキュリティーに厳しく、業務に関係ない私物の持ち込みも、自分のデスクで食事をすることも禁止されている。
社内をうろうろして座れる場所を探したが休憩室以外に弁当を広げられそうな場所はエントランスの受付嬢の前に置いてあるソファくらいだ。
まさか来客用のソファを占領するわけにもいかず、トイレで便座に座ってコンビニの茶色の弁当を開いた。個室内に食べ物の臭いがこもる。もしかして外まで臭っているのではないか、便所飯がばれるのではないかと不安になってろくに食べた気がしなかった。
それでもまた翌日も休憩室には行かなかった。だが、ひやひやしながら便所飯を続けるほど無神経でもない。コンビニで弁当を買った帰り道、いつも会社の窓から見下ろしている公園に初めて足を踏み入れてみた。
炎天下、公園には誰もいない。いかにもオフィス街の公園らしくベンチが何台かとゴミ箱と、形が整いすぎた落葉樹があるだけで、遊具も広場もない。子どもが公園で遊ぶことは考えられていないようだ。
無邪気な子どもが楽しそうに大騒ぎして遊んでいるところを見なくてすむのは、子ども嫌いな晴子にとって嬉しいことだった。
刺すような日差しに辟易して、少しでも涼しいところを探す。
石畳風のタイルが敷き詰められた歩道も、やや伸びすぎている芝生も、みんなよく日にあたっていて今にも焦げ付きそうだ。
ぐるりと公園を見渡すと、ひとつだけ木陰になっているベンチがある。移動してみると風も通り、他よりずいぶん涼しく感じられた。
腰かけてビニール袋から弁当を取り出す。今日はいつもの安い茶色ばかりの弁当が売り切れていたため、『彩り野菜の夏カレー』というものにしてみた。茶色弁当より二百四十円も高い。
誰に見せるわけでもないのに見栄を張ったような気分になって悔しくて歯ぎしりする。この値段で美味しくなかったら地獄の底まで道連れにしてやると言わんばかりの迫力で、晴子はカレーを睨みつけた。
プラスチックのスプーンを勢いよく突き立ててカレーをご飯にまぶし、大きく開けた口に放り込む。美味しい。あまり辛くはないがコクがあって家で作ったカレーのようだ。二口、三口と食べすすめるうちに、最後にカレーを食べたのは何年前だったろうかとふと思った。
毎日コンビニ弁当という今の食生活を始めたのはまだ二十代前半のころだった。大学を中退してから鬱症状の一つである疲労感が酷かったため家に引きこもっていた晴子が、まともに体を動かせるようになって初めて働いたバイト先で身についた習慣だった。
父の事業が順調だったときに付き合いがあった会社に口をきいてもらって入った。そこは測量会社で、とても辺鄙な場所にあった。駅から遠く、周囲は田んぼばかりで飲食店はない。一番近いコンビニまで往復四十分かかるのに、晴子は毎日歩いて通った。
あまりに熱心に通うのでコンビニで働いている誰かに片思いでもしているのではないかと噂されているのを知った時には、見当はずれの噂のタネにされて恥ずかしくてしょうがなかったのだがコンビニ通いはやめなかった。同僚と肩を並べて仲良くランチするなどといったことは恐怖以外のなにものでもなかったから、他の人が昼食をとる時間ずらすためにちょうどよかったのだ。
晴子が担当していた仕事は、測量が終わって印刷されてきた青写真の線を色分けするというものだった。真っ青な線だけで描かれた地図を、川の線は水色、山の際は茶色、畑の外周は緑と、色鉛筆で線を上書きしていく。
黙々と線を引き続ける作業は、砂絵を描くチベットの修行僧になったかのようで、心がしんと静まった。
ただ、隣のデスクで同じ仕事をしている女の子がひっきりなしに話しかけてくるのが煩わしくて仕方なかった。話しかけられるたびに、無我の境地から現実世界へ呼び戻されることは、涙が出そうになるほど悲しかった。
あの頃はまだ鬱の症状が重かったんだな、と躁鬱病の薬が効いている今の晴子は理由のない後悔に襲われることもなく以前のことを思い出すことが出来るようになった。
青写真に涙を落とさないように必死に唇を噛んでいた頃には食べることも寝ることも座っていることさえ辛く苦しいことだった。
その頃は、今でさえこれほど苦しいのに、これから何十年も人生が続いていくなど信じられない地獄だと思っていた。いつも絶望のなか、のろのろと足を引きずって歩いていたのだ。それでも腹は減った。
あの当時も現在も、晴子が人生に期待することはなにもない。けれど晴子は空腹に背中を押されコンビニに通うことで生きることを続けた。
無我の境地にあそび、ただ歩き、腹を満たす。その生活が晴子に観念するということを教えてくれたように思う。
世の中に満ちた悲しみから隠れ逃れるために、ただ静かに息をするのだ。そうやって時を過ごしていたあのころの思い出は晴子に静謐をもたらしてくれる。
その代わりにひどい鬱の時期から脱した現在の自分に意識が戻るとイライラすることだらけだ。歩きタバコの男も、歩道の真ん中で立ち話する女たちも、大きなクラクションを鳴らす車も、何もかもが晴子をイラつかせる。
そんな時は、世界中の人間がみんな消えてしまって晴子一人だけになるという妄想に浸るようにしている。
うっとりするくらい素敵な妄想だ。
ある日突然、地球上から誰もいなくなるのだ。家にも町にも世界中のどこにも。テレビもラジオも何も伝えず、水も電気もガスもすぐに止まってしまう。
そんなからっぽの世界で晴子は一人きりでのびのびと両手を広げる。何にも心乱されることがない。生活だって不安はない。スーパーに行けば缶詰がごまんとあるのだし、人がいなくなれば川も海もすぐにきれいになるだろう。
缶詰の消費期限が切れるまでに釣りを覚えればいい。自転車に乗って海まで行くのもいい。山に行けば山菜も取れるし、晴子が大好きなアケビだって取り放題だ。
小さい頃に家族で登山した時に見たアケビの群生地を今でも覚えている。目を閉じればすぐそこに、手を伸ばせば届くかのように思い出せる。
アケビのさっぱりした甘さを妄想して、スプーンを動かす手が止まる。
だが、どんなに考えても世界から人間が消えることはないし、あの山は宅地造成のせいでなくなってしまった。アケビはもう二度と味わえないのだ。
晴子は一人きりになどなれない。ただひとつ、一人きりになる方法は離れにこもること以外にない。いつまでも離れに引きこもってどろどろに溶けて消えてしまえたらどれだけ楽になるだろうか。
晴子はいつも夢想する。
中空を見つめてぼーっとしていると、それだけで汗が噴きだし、Tシャツが湿っていく。その不快さで素敵な妄想に浸り続けることが出来なくなった。
カレーの器をベンチに置いて、ポケットからハンカチを取り出し、汗をぬぐう。拭いても拭いても汗は流れる。しまいには腹が立ってきて、カレーを地面にぶちまけようとしたとき、声をかけられた。
「暑くないですか」
その渋い声を聞けば振り向かなくてもわかる。竹田桃比呂だ。
年下だとは言え、一応、上司だ。カレーをぶちまける姿を見せるのはちょっとまずいぞと、癇癪を爆発させる一歩手前で晴子の理性がささやいた。
「暑い」
同期で年下で周囲の人間から「桃ちゃん」と呼ばれている男に敬語を使う気にはなれず、晴子はぶっきらぼうに答えた。そもそも晴子は男が嫌いだ。生まれてこの方、男を好きだと思ったことがない。
それどころか、わけもなく憎いとすら思う。
思いっきり睨みつけてやったが、桃比呂は不機嫌な晴子の態度は微塵も気にしない様子で飄々としている。
「ベンチのこっち側、借りてもいいですか」
晴子はあからさまに嫌そうな顔をしてみせたがこれにも桃比呂は反応せず、いつも通りの感情があるのかないのかわからない細い目で、ベンチに置かれた彩り野菜の夏カレーを眺めている。
同期の中で飛びぬけて仕事ができて正社員に取り立てられた桃比呂だが、コミュニケーション能力に長けてはいないようだった。質問をしたきり、ぴたりと動かなくなってしまった。
「べつに」
晴子はイラつきながらも諦めて、カレーの器を自分の膝に戻し、桃比呂に場所を空けてやった。
こくりと頷くような会釈をしてみせて桃比呂はベンチに腰かけコンビニの袋からおにぎりを取り出した。
ゆっくりと丁寧にフィルムを剥いで両手で大事そうに抱えておにぎりをかじる姿は、他のことには心とらわれない無心の芸術家のようにも見えて、晴子はほんの少し落ち着いた。
男が嫌いな晴子だが、桃比呂の覇気のない姿や小さな声は晴子が思う男らしさという概念からかけ離れていて安心していられる。制服のようにいつも濃紺のスーツ姿でビジネスライクなところは上司としては最適だと思えた。
席をゆずってやるくらいの親切はしてもいいだろう、それくらいで態度が変わる人物には見えない。
思った通り、ぼんやりと地面に目を落としておにぎりを噛みしめている桃比呂は晴子と晴子の食事に関心を持つことはなさそうだった。安心して桃比呂から意識を遠ざけてカレーの味に集中することが出来た。大ぶりに切られたオクラも素揚げのナスも美味しかった。
一言もしゃべらず晴子はカレーを、桃比呂はおにぎりを食べ終えた。ガサガサとコンビニ袋を鳴らして、二人そろって後始末をする。午後の始業まであと二十分。まさか炎天下で残りの時間を過ごすという自殺行為はするまいと晴子は立ち上がった。
桃比呂もつられたように立ち上がって晴子に話しかけた。
「相良さんは毎日公園で食べているんですか?」
話しかけられるまで晴子はほとんど桃比呂のことを忘れていた。忘れていたというよりは並んでいることに違和感がなかったと言った方がしっくりくる。
他人と肩を並べて息苦しさを感じなかったことに心底驚いて、晴子はすぐに返事をすることが出来なかった。
桃比呂はじっと返事を待っていた。「待て」と命じられた忠犬のようでどこか愛嬌がある。なにか話しかけてやった方がいいような気がしたがなにも思いつかず、気の抜けた返事をしておくことにした。
「はあ」
「暑くないですか」
「まあ」
同じベンチで並んで座っていたのだから、聞かずともわかっているだろうにと思ったが晴子は素直に答えた。
桃比呂は何か考えているようで、ちょっと首をかしげた。いつだったか大昔に目にした何かの看板の、蓄音機の前で小首をかしげる犬の絵に似ていた。
「雨の日はどうするんですか? 傘をさして?」
馬鹿にされているのかと、ムッとした晴子の声が尖る。
「便所飯に……」
決まっていると言おうとして、晴子はあわてて両手で口を押えた。つい白状してしまった言葉をなんとか口の中に戻せないかと鼻から深く息を吸ったが、残念ながらそれは桃比呂の耳に、もう届いていた。
「便所飯。なるほど、その手があったか」
「へ?」
馬鹿なことをしていると笑われるか、マナーが悪いと叱られるかと身構えていた晴子は拍子抜けして間抜けな声をあげた。桃比呂はごく真面目に頷いている。
「ありがとう、とても参考になりました」
「するの、便所飯」
「はい。すごくいい手だと思うし」
「なんで」
「一人になれる場所って、あまりないじゃないですか。休憩室だと話しかけられるでしょう。人と一緒に食事するのは苦手なんです」
そうは言ってもいくらなんでも便所飯はやりすぎだと、晴子は自分のことを棚に上げて桃比呂の無謀なチャレンジを止めようとした。
「今、ここで食べた」
「ああ、そうですね、並んで食べた。でも一緒に食べたわけじゃないし」
それはそうだ。だが二人で並んで食べたことは事実だし、その事実は晴子にとって嫌なことではなかった。
「あの」
「はい」
「休憩室で……、並んで……」
晴子のコマ切れの言葉でも言いたいことを汲み取ってくれたようで、桃比呂の頬が少しだけ動いた。笑ったのかなと思った時には、もうその動きは消えていた。
「その手があったか。いい考えですね。二人で並んでいたら誰も話しかけてこないでしょう」
それだけ言うと桃比呂はさっさと会社へ向かって歩きだした。晴子もゴミの入った袋をぶらぶら揺らしながらのんびりと桃比呂の後について歩く。
そういえば今日は言葉がするすると出たな、暑すぎたせいかな、などと思いながら。
翌日、晴子は休憩室の椅子を二つ確保した。ひとつには晴子が座り、隣の椅子にはクーラー除けのために着ていたカーディガンをかけておく。
今日は琴美はいつものランチ仲間と座っているから側に寄ってくることはないだろう。安心してコンビニ弁当を開いた。
茶色の弁当を半分ほど食べすすんだころ、桃比呂が休憩室に入ってきた。晴子がカーディガンをどけて椅子を空けてやると、やはりこくりと頷くような会釈を見せて何も言わずに座り、コンビニの袋からおにぎりを取り出した。
周囲からチラチラと視線がそそがれていることに晴子は気づいたが、桃比呂は気づいているのかいないのか、黙然とおにぎりを頬張っている。
長身な桃比呂が大きな両手で大切そうに小さなおにぎりを握っている姿は観察に値する。晴子は時おり隣の席に目を向けた。
一口かじって十回咀嚼、飲み込む。
一口かじって十回咀嚼、飲み込む。
桃比呂は律儀にそれを繰り返した。晴子は頬張ったご飯をろくに噛みもせず飲み込んでいたのだが、ちょっと顔を上げて考えると十回噛んでみた。ご飯が柔らかく甘くなったような気もしたが、生来のせっかちさが顔を出して結局また丸飲みに戻った。
それから毎日、二人は隣り合って座り黙々とご飯を食べた。晴子はコンビニで一番安い弁当、桃比呂はいつもオカカとサケのおにぎりをひとつずつ。二人とも判で押したように毎日毎日同じものを食べ続けた。
みんな気を利かせているのだろう、昼休みには二人に近づいてくる人間は誰もいない。だが、午後三時の休憩時間に晴子が給茶機で麦茶を汲んでいると必ず誰かが話しかけてきた。
とくにしつこいのが井上順子という五十年配の女性だった。
琴美がランチタイムを一緒に過ごしているグループのリーダー格で、琴美が言うには社内のことは何でも知っている事情通だという話だった。
生まれてこの方、人のうわさに興味がない晴子は琴美から聞いた井上順子情報そのものを忘れていたのだが、三度も話しかけられたころにはすっかり思い出した。
しつこくしつこく話しかけられ続けるうちに事情通になるには精力的に人に干渉していく必要があるのだということを嫌々ながら晴子は学んだ。
「ねえ、相良さん。いい加減に教えてよ。いつから桃ちゃんと付き合ってるの」
「べつに」
「全然気づかなかったわよお。不思議な組み合わせだわ」
「べつに」
何を聞かれても「べつに」としか答えない晴子のことが気にならない様子の順子は毎日毎日、同じことを尋ねつづけた。
きっとそのしつこさで今までどんな人間からも情報を引き出したという実績があるのだろう。晴子がマグカップを抱えて給湯室を出ても、順子は後ろからついてきて熱心に話しかけつづける。とうとう晴子の我慢の限界がきた。
「相良さん……」
「うるさい!」
思いっきり怒鳴って振り返ると、そこに立っていたのは順子ではなく永井恒夫だった。
桃比呂のさらに上の上司を怒鳴りつけた晴子はさすがに固まった。永井の薄くなった頭髪越しにこちらの様子を興味津々で見つめている順子の姿が見えて、晴子は順子を睨みつけた。
永井はちらりと振り返ってキューピー人形のような丸い目で順子の姿を確認すると、小さくため息を吐いて同情の目を晴子に向けた。
「すいませんね、今日もうるさく言いに来ましたよ。相良さん、有給どうするの。たまりにたまってるんだけど」
有給という言葉にもさっぱり興味がない晴子は面倒くさそうに「はあ」と呟いた。
「はあ、じゃなくてさ。取るの、取らないの」
「じゃあ、取ります」
「あっそ。休暇取得の届け書を出しておいてよ。どうせならドーンと十日くらい休んだっていいんだよ」
晴子がいなくても会社は回るのだと暗に言われたのだが、そのことに腹は立たなかった。自分がこの世の中に何かの影響を与えることが出来るのだなどと夢見たことはない。
世界は晴子にとって息苦しく自分を縛る場所、一人静かに消えていくことすら許してくれない場所だった。自分のせいでなにかが変わってしまうなんて恐ろしくて仕方ない。
自分が関わったら、ろくなことにならない。
きっとなにもかも、もっとひどい有様になるのは目に見えている。
晴子はいてもいなくてもいい存在だと認定されていることを知ってほっとした。有休をとったら十日間は順子にあれこれ話しかけられることがない、少しは息も吸いやすくなるだろうと思って心が浮きたつような気がした。
有給休暇の申請のために届出に必要な書類を取りに事務室に向かう。最新の機器を使って最新のデータを収集しているというのに、もろもろの手続きはアナログだ。晴子にとってはどちらでもいいことだが、同じ書類をとって行った若い男性が舌打ちしたいたところを見ると、ほかの人には不評なのだろう。
残った休憩時間に書類を書き上げようと休憩室に行くと、桃比呂がいつもの席に座っていた。普段はずっと机の前から動かないのに珍しいことだ。
晴子はなんとなくいつも通り桃比呂の隣の席に座る。
手許を覗くと桃比呂も何かの届け書を書いていた。
晴子はカーディガンのポケットからボールペンを取り出して用紙に記入していく。名前と社員番号、希望日数は十日、理由を何と書こうかと迷って目を上げると、桃比呂が晴子の手許を見つめていた。
そういえば、桃比呂には言っておいた方がいいのではないかと、晴子は休みをとることを伝えようとした。
「十日間、来ない」
「あ、うん」
桃比呂は心ここにあらずといった様子で、やはり晴子の手許を見つめている。
「聞いてる?」
「うん」
返事はあるが聞いていないことは明らかだった。しばらく観察して、どうも桃比呂の関心は届け書ではなく晴子のボールペンにあるようだと気づいた。
オランダ村のゆるキャラ、ちゅーりっぷるの、やや大きめのぬいぐるみがぶら下がったボールペン。琴美が旅行に行ったお土産にくれたものだ。
「ちゅーりっぷる好き?」
「うん。え、いや、特別好きなわけじゃないんだけど」
「ゆるキャラ好き?」
「結構……」
なぜか申し訳なさそうに俯いた桃比呂の鼻先に、晴子はボールペンを突き出した。
「あげる」
「え?」
「あげる」
「え、そんな悪いから……」
そう言いながらも桃比呂はちらちらと、ボールペンにぶら下がっている、ちゅーりっぷるを見ている。どうやら目が離せないようだ。
「ぬいぐるみ邪魔だから」
桃比呂の表情がぱっと明るくなった。
「それじゃあ、僕のボールペンと交換しましょう」
桃比呂は握っていたボールペンを晴子に差し出した。ひと目で高級だとわかるボールペンだ。
ボディ部分の光沢は黒曜石のようで、ペン先やクリップの銀色部分には曇りひとつない。桃比呂の手で隠れてチラリとしか見えないが、どうやら名入れもされているようだ。
さすがの晴子もこれには怯んだ。
「いや、悪いから」
「どうしても駄目ですか」
悲しそうな目で晴子をまっすぐ見つめる桃比呂はおやつを目の前にして「待て」と言われた忠犬の姿を思わせる。晴子はおかしくなってニヤリと笑った。
「べつに」
晴子がボールペンを差し出すと、桃比呂はちゅーりっぷるのぬいぐるみを両手で包み込んで胸に抱きしめた。
「ありがとう!」
とっておきのご褒美をもらったかのような桃比呂の喜びようが面白く、晴子はニヤニヤと笑い続けた。
桃比呂が交換にと渡してくれた高級ボールペンにはやはり名入れがしてあったが、印字されていたのは『MOMOKO』という名前で、これも誰かと交換したものなのかと晴子は首をひねった。
晴子は仕事が終わるとさっさと家に帰る。なににも興味が持てない晴子に寄り道する場所などない。
人がいない隙を見計らってぼろビルの古くてギイギイと嫌な音がするエレベーターに乗る。
自宅の玄関ドアに耳を押し付けて様子を探る。物音はしていないようだ。
平日の夕方、両親は仕事でまだ帰っていない時間だ。
けれど用心に越したことはない。
音を立てないように注意して鍵を鍵穴にさしこみ、ゆっくりと回す。回り切る最後のところで急に手ごたえが軽くなるため、内部のシリンダーが音を立てないようにするのにコツがいる。
このコツを体得した時はニヤリと笑みが浮かぶほどに嬉しかったものだ。全く音を立てずに鍵を開け、そっとドアノブを回した。
「お帰り、お姉ちゃん」
玄関の上り口に妹が座って本を読んでいた。あまりに驚いた晴子は思わず息を飲んだ。妹はそんなことを気にもしない様子で淡々と姉に話しかける。
「お姉ちゃん、空き巣みたいだね。鍵が開いたのに全然気づかなかったよ」
「あんた、何して……」
「読書してるの」
「なんでいる」
「帰ってきたから。それより、お姉ちゃん。『あんた』なんて言ってたら、お母さんに叱られるよ」
確かに『あんた』呼ばわりは失礼だと晴子だって思う。
けれど、妹が家を出てからまる四年、それ以前も晴子が離れに籠っていたために、めったに顔を合わせなかった。
あまりに久しぶりすぎて妹の、朝子という名前がとっさには出てこなかったのだ。
「私、しばらく家にいるからね」
「なんで」
朝子は専門学校時代から独り暮らしを始めて最近は家から遠く離れた町で保育士として働いているはずだった。
「花嫁修業するから」
「あ、そ」
晴子は靴を脱ぐと朝子の足をまたいで離れに向かった。
「お姉ちゃんも結婚式に出てよ」
朝子の言葉に返事もせず、晴子は離れのドアを閉めた。