34.黒と赤
なんだか眠れなかった。
昨夜のクリスティーナの口調はいつもの軽口とは違った気がした。
『ヴィヴィエラ殿下がディアーナ殿下のお気持ちがお分かりにならないというのは…』
クリスティーナが言わんとしていることは分かる。貴族の私達が分かるのに、その主の王女の私が分からないとは何事だ?と言う事だと。
「でも、そういう派閥や誰かの思惑とかって、本当に大人に成ってからでいい…」
私は枕を抱きしめながら呟いた。
クリスティーナは忘れているのかもしれないが、貴族間の私の評判はまだまだ低くて悪い。そもそもベースが外国人の妃の娘。保守派から良く見られるはずがない。
それに実際の問題は別として、王太子である父の取り巻きとは仲良くしたくないし、出来ない。だからと言ってその取り巻きの子どもまで仲良くしたくないとは思っていない。
「だって、その子も私と同じかもしれないじゃない」
自分の父親が苦手な子もいるかもしれない。そんな子と友達になれないなんて決めつけたくない。
「…わかってるわ…」
こんな風に考えるのはクリスティーナとリサが居たから。二人が居なかったら、私の中身はディアーナお姉様だけで満たして満足してしまうところだった。感謝する気持ちがあるのだが、腑に落ちないところもあって少しイライラした。
寝不足でぼうっとしていた。朝、パメラとジェニーにお久しぶりねと挨拶したきり記憶があいまいだ。気が付けば授業が終わっていて、教室に一人だった。クリスティーナの声がしたと思ったのだが、彼女の姿も既になかった。教室に居た生徒達はもう教養時間に行ったようだ。
『授業が終わったら生徒会室に来てね』
朝にディアーナお姉様から言われた言葉を思い出す。先程のクリスティーナもそのようなことを言っていた。騎士団準備室に先に行って私が遅れる理由を伝えると。
ノロノロと教室を出て廊下を歩きだす。生徒会室も別棟だったか。温室の隣の二階建ての建物に入っていく。一階はホールになっていて、その隣の部屋は厨房だった。誰も居ないし、それだけだったので階段を探して二階に行く。生徒会室と書かれた扉を見つけてノックした。
「どうぞ」
女性の声がした。ドアを開けると少し広めの部屋に大きな机に椅子がズラッと並べられたその奥の、窓辺にもたれかかっているその人がいた。
「ヴィヴィエラ殿下。ごきげん麗しゅうございます」
その人はゆったりとその場でお辞儀をする。窓の外の木漏れ日がその人にチラチラと当たっている。揺れる光はその黒髪をキラキラと輝かせた。
「あ、あの…」
「お一人?まあ、お迎えに上がった方が宜しかったわね」
その人は軽やかに私の方へ歩み寄る。恭しく手を差し伸べられると自然と私も手を預けた。
「私は四年生でオルガ・ノースと申します。父の爵位は男爵です。生徒会を任されていますわ。以後よろしくお願いいたします」
オルガの笑顔に私も微笑んだ。どうやら緊張していたようだ。
「会長様なのですか?」
「ええ。最上級生が一人も居ないので…と言っても同学年も私一人なんですけど」
近くの椅子に私を座らせるとオルガは部屋の隅に置かれたティーセットの方へ歩んでいった。
「他の…方々は?」
約束したディアーナお姉様も居ない。早く来過ぎてしまったか。でも既に教養時間は始まっているし。
「ああ、申し訳ありません。恐らく二年生以上はまだ授業だと思います」
「え?」
一年生は何かと授業や時間が短縮されるのが多いのは分かっていたが、それならオルガは…?
「私の事ですか?」
私の方に振り向いたオルガはニコッと笑った。
「自主的に授業を終了したのです」
それはいけないことなのではないのか?
ティーカップを私の前に置きながら彼女はこう言った。
「だって。ヴィヴィエラ殿下に早くお会いしたかったんですもの」
黒髪と黒い瞳の持ち主のオルガ。背はスラっと高く見るからに才女と評してもおかしくない。その賢そうな佇まいの中で良くも悪くも唇だけが妖艶で目立っていた。
父親がナジェ王国出身で侯爵令嬢の母親と大恋愛の末結婚したらしい。そういえばこの間出会ったサイモンの母親もナジェ王国出身だったか。
「入学式のスピーチ、とっても素敵でしたわ。あれを聞いて早くお話ししたくなってしまいました」
「…ありがとうございます」
「でも…もっと前から個人的にお会いしたくてたまらなかったんです」
「え?」
「とても小さい時…確か私が七歳の時…ですから殿下は四歳かしら?お茶会が宮廷で開かれたでしょう?」
私はドキリとした。私の四歳時のお茶会と言うと…。
「シャーロット伯母様の主催の…?」
「そうだったかしら?あの時ディアーナ殿下がヴィヴィエラ殿下をかばわれたでしょう?」
嫌な汗が額から垂れる。やはりそうだ。あの日あの場所にオルガも居たのか。大好きなディアーナお姉様に大火傷を負わせたあの日の。
「…どうなさいました?あ、私失礼なことを申し上げたかしら」
「あ、いいえ。大丈夫…」
「とにかくその時、感動してしまいまして」
「は?」
突拍子もない声が私の身体のどこかから出た。
「まだ五歳の幼くも美しいディアーナ殿下が身を挺してお守りになったお可愛らしいヴィヴィエラ殿下。もちろんびっくりしましたけれど、尊いものを感じてしまいまして」
「はあ…」
「あの後、何度かシャーロット様や他の公爵家主催のお茶会に伺いましたが、ヴィヴィエラ殿下はお見えにならないので寂しく思っていたんですよ」
あの日を最後にお茶会は参加するのをやめた。ディアーナお姉様が誘ってきても絶対行かなかった。犬猿の仲の従兄のハワードが居るからって事もあるけれど、お姉様にまた迷惑が掛かると思ってしまって体が動かなかったのだ。
「そうですね。ディアーナお姉様は私の自慢の姉です」
お姉様を褒めてくれるのは悪い気がしない。たとえ比較対象がヴィヴィエラだとしても。
「ええ、それはこの国中の人たちが認めている事ですわね。でも…」
オルガは私に向き直って真っ直ぐに見つめてきた。
「そんなディアーナ殿下がヴィヴィエラ殿下をとても大事にしていらっしゃるのは、国中の人たちが全く知らない事だと思います」
しなやかなオルガの指が私の赤茶色の髪に触れる。
「完璧なケーリアン王国特有の容姿を持つディアーナ殿下が」
大事な宝物のように髪の感触を慈しむ様に一撫で二撫でする。
「この国では異質な髪色を持つヴィヴィエラ殿下にご執心なんて」
オルガは私の髪を一房取ると、静かに唇に押し当てた。
「とても素晴らしいことだと思いますわ」
微笑むオルガに、何も言えずピクリとも動けなかった。
すぐ側にあるオルガの顔。吸い込まれそうな黒い瞳を見つめていると、息をすることさえ忘れそうだ。
「殿下?」
髪を触っていたオルガの右手が私の左頬に触れた。何かの果物っぽい香りと少し冷たい指先が、私に動くことを思い出させた。
「はぅっ!」
今度は身体の奥底から声が出たようだった。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫…です…」
慌ててテーブルの正面になるように体勢を戻した。体中の血が物凄い速さで巡っているような感覚を覚える。
「あ!お許しもないのに触れてしまいました!申し訳ございません!」
急に立ち上がったかと思うと、深々と頭を垂れ謝罪するオルガ。
「いえ…いいの…いいのよ…」
どう言えばいいのか、何をすればいいのか、全く私の頭は働いてくれない。
「許してくださるの…?」
オルガの両手が私の左手を取る。
「ありがとうございます」
冷たい手に包まれた私の手。余計に私自身の熱を感じさせていた。
「そ、そもそも」
私の声が私が発しているようには聞こえない。こんな裏返ったままの声は、本当に私の声なのか。
「ここは、学院の、中なので…学年の…差はあっても…爵位の差は…ない、ので…」
そうだ。彼女は男爵令嬢で在りながら生徒会長なのだ。身分を言うなら、そこから既におかしいではないか。
「ありがとうございます」
オルガはもう一度にこやかにそう言った。
「私を生徒会長に指名なさったのはクライド殿下でした。せめて学院内では好きなことを好きなようにやりたいと」
…と、いうことは、これも大人に成ったら云々の話だろうか。
改めてオルガを見る。黒い髪、黒い瞳の男爵令嬢。金髪蒼い瞳の上位貴族の男性が牛耳るケーリアン王国の貴族社会では、彼女が政治家として生きることは格段に難しいが、学院の中だけの生徒会会長ならば反発はあるだろうが問題は何もない。
「クライド殿下のお考えは本当に素晴らしいと思いまして、引き受けさせていただきました」
「そうだったんですか」
あの優しいクライドも色々考えているらしい。私と五歳も離れてるともう大人にしか思えない。
「でもね、それは建前で」
オルガは私の耳に唇を近づけて囁いた。
「ヴィヴィエラ殿下にお会いできると思って、お引き受けしたのです」
吐息が耳にかかったからなのか、言葉によるものなのか。
私の顔は多分赤かったに違いない。
更にニッコリ笑ったオルガに質問しようと口を開いたが、ドアをノックする音が室内に響いた。
ハワードの姿が目に入った途端、質問内容が瞬く間に消えていった。
久しぶり過ぎて申し訳ありません。この分だと終わりそうにないので、今後の物語の配分を変えていこうかと思っています。気長にお付き合いお願いします。




