27.アメリアとテレーゼ(5)
「きゃああああー!!!」
翌朝、メイドのつんざくような悲鳴で目覚めた。
部屋の床に酒瓶が転がり、誕生祝いの花が入っていた花瓶の幾つかが無残に割られ、絨毯は酒がしっかり染み込んでいる。ベッドの中に酒臭い布団と共にシーツと夜着を真っ赤に染めた私が居た。
メイドは私が死んだと思ったらしい。慌てふためいて誰かを呼びに行った。
私自身も死んだと思っていた。
白い空間にぼうっと父と母が浮かんでいた。哀しそうな顔をして。
お父様、お母様。会いたかった!お願い…動けないの…迎えに来て…。
その後ろにもう一人、金髪の女性が背中を向けて立っていた。
テレーゼ様?テレーゼ様でしょう?ご無事だったのね!
三人の側に行きたいのに、身体が重い。
…どうしてお父様達とテレーゼ様が一緒にいるの?
ああ、そうね。夢かしら。私の夢ね…。夢なら何したっていいわよね。
待って、そこへ行くわ。
お父様とお母様を抱きしめるわ。
テレーゼ様の手を取って瞳を見て話したいわ。王太子の悪口を言っても良いわよね。ダメ?だって貴女にしか言えないんだもの。
歩きたいのに一歩も動かない足。いつまで待っても近づいてきてくれない両親。テレーゼと何回も叫んだが彼女は振り返ってくれない。
全て夢だった。
下腹部の痛みが激しく呻いていた。はずなのに朝までの記憶が無い。
もう、身動き一つ声も出せない。
動けないのに涙だけが溢れてくる。
死んだ方がマシだったかもしれない。
王太子は既に隣にいなかった。
彼の国も兄弟も遠く、父母も亡く、頼みの綱の夫もこの有様で、それに何よりこの宮殿でこの国でお手本と成すテレーゼがいない。
テレーゼがいない。
何処にもいない。
宮殿には沢山人が住んでいるし出入りも激しい。なのに、テレーゼがいないだけでこんなにも孤独を感じる。自分の中でテレーゼの存在が大きかったことに愕然とした.。
開けっ放しのドアの廊下から赤ん坊の泣き声が響いている。私の子だ。私を呼んでいる。
ごめんなさい。身体が動かない。情けない母様を許して…。
「良かった。出血は止まっているようですね」
息せき切って駆けつけた医師から一カ月絶対安静を告げられた。
国王夫妻から土下座せんばかりの勢いで謝罪された。それもそうだろう、一週間の内に二人の妃が儚くなりそうだったのだ。醜聞どころの騒ぎではない。いくら酩酊状態とはいえ殺人未遂だ。
国王からは王太子と離縁しても身分と生活の保証はすると言われた。
通常は離縁すれば母国に帰るのだろうが、次兄が治める国は私にとっては針の筵。
とても有難いお話。何もなければそうしたい。出来るわけがない。娘と離れたくない。
可哀想な私の娘は国王にヴィヴィエラと名付けられた。国王も王妃も足繁くヴィヴィエラに会いに来るのでそれだけが救い。
王太子はそれから三カ月間、私にもヴィヴィエラにも会いに来なかった。その代わりなのか詫びのつもりなのか毎日花や贈り物が届く。それらは全て私宛てで、ヴィヴィエラにはオムツの一枚もなかった。
私はいい。王太子の顔など見たくない。きっと恐怖で叫んでしまう。
でもヴィヴィエラには会ってほしかった。自分の娘なのに、何が気に入らないのか。私と同じ髪の色か。
それから半年経って王太子が私に会いに来るようになった。
「もうあんなことは二度とないよ」
あの日の事が夢幻だったかのように私にとても気遣う。ある時など王太子自ら庭の花を摘んで持ってきた事もあった。
だが王太子は頑なにヴィヴィエラには会おうとはしなかった。
「ヴィヴィエラが可愛いと思わないんですか?」
「どうでもいい。そんな話はやめろ。私を怒らせるな」
ヴィヴィエラの話になると決まって不機嫌になった。その理由すら話してくれない。
次第に私はヴィヴィエラの一切を無視する王太子と夜を過ごすのが苦痛になってきた。思い切って、もう妊娠出産は難しいから新しい正妃を娶れと薦めた。
黙れの一言で却下された。
何故と聞くことすら許されなかった。
結局、私も王太子も男女の愛情は芽生えなかった。私はテレーゼを介してしか王太子を見なかったし、あの日王太子が私の事を人形呼びしたのは本心だろう。
わかっている。全て世継ぎの為だ。そのためだけに人形ごっこを止めないのだ。
『男の子を産んでくださいね』
王太子と居るとテレーゼの声が聞こえる気がする。
『でも、もしかしたらディアーナが先に宮殿に帰るかもしれないわ』
『その時は頼まれてくれないかしら』
ヴィヴィエラに触れているとテレーゼの言葉が頭をよぎる。
宮殿に居ないディアーナを、どうするというのか。
テレーゼの遺言が、この八方塞がりな状況が、その先十年も私を苛むとは思いもしなかった。
************
「お母様、お姉様、おやすみなさい」
「いやだわ…私眠れないわ」
お母様を挟んで私とディアーナお姉様と私のベッドで眠る。お姉様の言うとおり、ドキドキして落ち着かない。
「目を瞑っていれば、すぐ眠れるわ。おやすみなさい」
お母様の腕に擦り寄る。
こんなふうにずっと毎日一緒に居たい。




