23.アメリアとテレーゼ(1)
今回から五話分はヴィヴィエラの母アメリアの話になります。一人称もアメリアです。
この部屋にはもうディアーナお姉様はいない。未だ私の腕をぎゅっと握る母。
「痛い、痛いわお母様」
もうお姉様を追いかけるのはやめているのに、母は放してくれない。
「お願いヴィヴィエラ。座って」
おとなしく母の隣に座る。力は緩めてくれたが私の腕を掴んだままの母。
「本当は貴女がもう少し大人に成ったら話そうと思っていたのだけれど…もう、理解は出来るわね」
母は私の目を見ながら昔話を始めた。
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私が十七歳の誕生日を少し過ぎた頃かしら。私の母国ハウディランド王国の国王が病で伏してしまったの。そうよ、ヴィヴィエラ。貴女のもう一人のお祖父様ね。
十五歳の時にはもう私は貴女のお父様と結婚することは決まっていたのだけれど、第一妃はケーリアン王国出身の方でないとダメなのですって。その時はまだ王太子殿下は結婚なさってなかったの。だからあと二年か三年か…私との結婚はもっとずっと後のはずだったわ。
けれどもハウディランドの王様が危篤状態になってしまって。お兄様…私の一番上のお兄様が早々にこの結婚話をまとめてしまって…。
「どうして!お兄様、お父様がご病気なのに私が輿入れするって!」
「すまない、アメリア。お前を守る為なんだ」
「守る為って…意味がわかりませんわ!」
兄の執務室に呼ばれた私は事の次第を聞かされて憤慨した。
背が高くてスタイルの良い兄ではあるが色白でひ弱に見える。事実、身体も丈夫な方ではなかった。その兄が私の怒りに触れ怯えたように肩を小さくする。
「お前はわかっているのだろう?」
チラッと兄が私の目を見る。それは…それは…。
「お父様のご回復は望めないという事ですか」
兄は返事の代わりに目を伏せた。知らぬ間に私の頬を涙が伝う。
私達は三人兄弟。兄二人に妹一人。三人共同じ父と母。だが、とうの昔に母は他界した。そのせいで元々あった派閥のいがみ合いが激化するようになった。
長兄は病弱、次兄は健康で武芸も達者。母の実家と対抗する一派が次兄を囲い込んでしまい、とうとうそこの娘と結婚してしまった。今では次兄とはほとんど顔を合わす機会もなくなった。
「退くのですか?」
国王の命の灯が危ういとなればいつ内紛が起こっても不思議ではない。その前に妹を安全なケーリアン王国にさっさと嫁がせようというわけだ。
「…どうだろうね…」
長兄の武器は長子だという事実しかない。前王の遺言で即位できたとしてもその後は茨の道。仮に次兄が王になっても長子の存在は邪魔だろう。
「お兄様…すみません…」
涙が止まらなくなってしまった私を、兄はそっと抱きしめてくれた。
あら、ごめんなさい。どこまで話したかしら?え?泣いてないわよ。何言ってるの。ああ、それで結婚が早まってしまったの。お祖父様の病気とどう関係があるのか…それはまた今度ね。
で、この国に来たのだけど、そのせいでテレーゼ様の結婚も早くなってしまって…そうよ、テレーゼ様はディアーナ殿下のお母様ね。
参加資格のないテレーゼ様と王太子様の結婚式に変装してコッソリ見に行ったの。とっても美しくて、大輪の白い花が静かに咲いているようだったわ。
フフッ。話が寄り道してるわね。
その一ヶ月後に私も式を挙げて、しばらくするとテレーゼ様の妊娠がわかったの。そう、赤ちゃんね。それから、えっと。私の妊娠はそれから半年後だったかしら。ふふ。貴女よ。
でも初めてだったから不安で、テレーゼ様にお話を聞きにいったの。そうしたらとても親切にしてくださって。
テレーゼ様の部屋は王太子の隣だった。王太子の正妃なのだから近い部屋で当たり前なのだけど、同じ王太子妃なのにその肩書きさえ許されない身の自分としては、彼女に嫌がらせをしても当然だと思えた。正妃以外の女は居ても居なくても同じなのだ。
ケーリアン王国は五国同盟を締結してから様々な法律や文化の変遷を繰り返しているが、宮殿の習わしだけは差ほど変わっていないと王太子に聞いた。結婚についても同盟国なら外国人でも了承するが側妃とする、という一文が追加されただけらしい。
身体の変調による気分の悪さも手伝って、一言テレーゼに文句を言っても罰は当たらない、何を言ってやろうかと考えながら王太子妃の部屋の前まで来た。
ノックをすると取次の女官がオロオロしながら出てきた。
「どうかしたの?」
「アメリア様…あ、は、いえ、あの、妃殿下は今具合が…」
「え!具合がお悪いの?大変!」
私は女官を押しのけて中に入った。
「テレーゼ様!ご気分が悪いのですか?何かしてほしいことはございますか!」
ソファーにもたれて微睡んでいたらしいテレーゼが私の大声にビックリして身を起こした。
「貴女は…アメリア様?」
「あ!ごめんなさい!お休み中でしたか!出直しますから、そのままお休みになって!」
「いいんですよ。少し休んでいたので良くなりました。よろしければお話していきませんこと?」
私が返事をする前に女官達がお茶の準備を始めてしまった。テレーゼ付きの女官達には側妃の自分は疎まれていると思っていたが違うのだろうか。
整えられたソファーに促されるまま座る。
「少し目立ってきましたか?」
テレーゼ様が私のお腹を見つめる。妊婦用のドレスに変えたのはつい最近だ。
「本当に少しだけです」
私もテレーゼ様のお腹を見つめる。産み月までまだまだ先だが起き上がって体勢を変えるのも辛そうだ。
「この宮殿には慣れました?」
無難な会話のきっかけ、なのだが私は驚いた。たいてい『この国には慣れましたか?』と訊いてくる。金髪の多いこの国では私の赤茶色の髪が珍しい。遠目からでも隣国の姫だとわかってしまう。ほぼ毎日誰かからこの質問を受けていた。
「はい、慣れましたが、私の国の城より多くの人が宮殿にはいらっしゃるので、顔を覚えるのが大変です」
「まあ、そうなんですね。確かにこの宮殿は住んでいる人も出入りも激しいですわね。私もこの体で人と面会するのが辛い時がありますわ」
困り顔で笑うテレーゼにつられて私も笑う。そう、私は国に慣れるよりこの宮殿のあるがままを覚える方が先決なのである。母国とは慣習や決まりが似ているようで少し違う。やはりこの国の貴族と言えど宮殿はまた別格なのだとテレーゼを通して思う。
「…正妃がテレーゼ様で良かったですわ。他の方だとケンカしていたところでしたわ」
生まれは違えど私達は同じ状況だと暗に伝えてくれる。
「あら…やはり苦情を言いにいらしたんですね」
「く、苦情とか、そ、そんな事は…少しやっかみを言いに来ただけですわ」
「フフッ。アメリア様は正直ですのね」
優しく微笑むテレーゼはまぶしかった。彼女を包む空気が穏やかで柔らかい。なるほど、これが王太子が好まれる理由か。私など敵うべくもない。そもそも私は政略結婚で、テレーゼは相思相愛。お邪魔虫は私の方…ただそれを自分で認めたくなかったんだとテレーゼに会って思い知らされた。
王太子との仲を良くしようとか、この国の妃らしく振る舞わなくてはとか、考えていたのが急に馬鹿らしくなった。
「テレーゼ様には敵いません。見透かされていたのですね…でもご安心ください。テレーゼ様にお会いしてすっかり気が晴れてしまいました」
「そうなの?」
「ええ、憂慮すべきことは他に沢山有りますもの」
私はハウディランドのことを思い出していた。私と王太子の結婚式はテレーゼ様の時と同じく宮殿から少し離れた大聖堂で行われたのだが、ハウディランド側の参列者は結局のところ大使夫妻のみだった。王族の一人も来れない程にハウディランドの内政は混沌としているのだろう。
「私もご回復をお祈りいたしますわ」
テレーゼが両手の指を胸の前で組んだ。私の暗い表情で父の事だと察したのだろう。父さえ元気であれば私はこの国で肩身の狭い思いをしないで済んだし、テレーゼももう少しやりたい事をやれただろう。テレーゼのやりたい事とは何か、は一切知らないのだけれど。
改めてテレーゼを観察した。王太子と同じ二十二歳。二十歳から交際を始め大恋愛の末めでたく王太子妃に納まる。懐妊もされて幸せの絶頂…でも出産の不安からなのか時々困ったように笑う。
「…そろそろ戻りますわ」
私は腰を上げた。自分のメイドに何も告げずに出てきてしまった事を思い出した。変に騒がれる前に部屋に戻らなければ。
「もう?もう少しお話ししたかったのに…また来ていただけます?」
「宜しいのですか?」
「はい。お待ちしております」
立って見送ろうとしたテレーゼを制して部屋を出た。
テレーゼの笑顔は社交辞令とも思えず、それから度々彼女の部屋を訪問した。




