最終章 そこに猫がいるだけで
宗たちの眼前で現行犯逃亡をしたレーザークローを捕まえるため、すぐに六人は手分けして周囲を捜索したが、何のことはない、レーザークローはリハビリがてらの散歩程度のつもりだったらしく、十分としないうちに部室に戻り、いつものバスケットの中に丸くなって、寝息を立てた。硬化していないコンクリートの上に足跡をつけた夜も、今日と同じような散歩に出ただけだったのだろう。
桜井と牧は、改めて宗の推理が正しかったことを認めた。早朝のランニング中に猫の足跡をみつけ、その付き具合から、足跡の主が桜井から聞いていた「三本脚のレーザークロー」だと確信した牧は、すぐに彼に連絡を取り、美術室に向かった。案の定、校舎裏に出る掃き出し窓は十センチ程度開いており、中では猫がバスケットに収まって気持ちよさそうに寝ていたという。重しを載せてあったはずのコンクリートを覆うシートがめくれ上がっていたのは、風の影響か、はたまた興味本位でレーザークロー自身がやってしまったのだろう。
自分たちの教室に戻った宗、尚紀、知亜子の三人は、改めて帰り支度をしていた。
「いやー。お見事だったよ、安堂くん。さすが、名探偵の弟だね」
「その言い方、やめろって」
知亜子に言われて宗は教室を見回す。彼ら三人以外に生徒は誰もいなかった。
「でもよ、宗、どの辺りで気付いたわけ?」
尚紀に訊かれた宗は、
「最初に、あれ? って思ったのは、美術室で桜井先輩に話を聞いたときだったな」
「ん? 先輩、何か変なこと言ってたか?」
「ああ。永島くんが、『桜井先輩があんなことするわけないって思った』と言ったとき、桜井先輩は、永島くんが言った『あんなこと』に対して『コンクリートを壊したこと』って返してたんだ。でも、それって変だろ。表向き二人があんなことをした理由は、タイムカプセルを掘り出したからってことになってるんだからな。だから本来、桜井先輩は、自分たちがしたことを『タイムカプセルを掘り出したこと』って言わなきゃいけないはずだったんだ」
「そうか、桜井先輩は思わず、本来の目的であった『コンクリートを壊す』って口にしてしまったんだな」
「そういうこと」
「さっすがだねー」と、そのやり取りを聞いていた知亜子は嬉しそうに、「そういう、容疑者のちょっとした失言を見逃さないって、いかにも名探偵っぽいわ」
「だから、よせって」
「宗、もう唐橋は放っておいて、帰ろうぜ」
帰り支度を整えた尚紀が鞄を肩に担いだが、
「いや、ちょっと待ってくれ。そろそろだと思うんだけど……」
宗は黒板の上を見上げた。そこには校内放送用のスピーカーが備え付けられている。
「何か――」
尚紀が言い掛けた、そのタイミングで、スピーカーからチャイムが鳴り、
『一年三組の安堂宗くん。校内に残っていましたら、応接室まで来て下さい。お客様がお待ちです。繰り返します……』
放課後当番の放送委員の声が響いた。それを聞いた宗は、「来たな」と笑みを浮かべ、きょとんとした尚紀、知亜子を伴って応接室に向かった。
「……お前ら」
「あ」
「ど、ども」
応接室の前で、宗たちは刈川と鉢合わせた。淡泊な反応を返した知亜子、尚紀と違い、宗は、
「刈川先生、一緒に入りましょう」
「な、何だ? 俺は、客が待ってるからって言われて……」
「俺たちもです」宗は何かを企んでいるような笑みを浮かべながら、「ささ」
刈川の背中を押し、四人で応接室になだれ込んだ」
入室するなり、知亜子は「あっ」と言ったまま絶句し、刈川は呆然として立ち尽くしていた。上座のソファには女性が座っていた。その女性が立ち上がり、四人に向かって会釈をすると、
「おお……小瀬飛鳥……先生?」
知亜子が来客の名前を叫び、「こんにちは」と、それに答えて小瀬飛鳥は、にこりと微笑んだ。
昨夜、姉である理真の新刊を手に取った宗は、見返しの次のページに、つい最近、と言うよりも、その時点では、つい数時間前に知った人物の名前を見つけた。〈カバー装画:小瀬飛鳥〉これを見た宗は、直前に飼い猫クイーンの足跡を見たことで閃いた推理の火花を落ち着かせてから、姉に連絡を取り、小瀬飛鳥を学校に呼べないかと頼み込んだのだった。二人は、理真の先輩作家である不破ひよりに紹介されたことがきっかけで、知り合いから友人になった仲で、新刊の装画も理真のほうから飛鳥に依頼して実現する運びとなったものだった。
弟の頼みを姉は快諾し、すぐに東京に住む飛鳥に連絡を取った。「他ならぬ理真の頼み」と、飛鳥もこれを快諾し、翌日の新幹線で急遽、新潟に来県し、こうして宗の通う大鳥高校を訪れたのだった。
飛鳥は、宗が自分の友達の弟であることを簡単に告げると、
「宗くんの通っている学校の美術の先生に、私の大ファンの方がいらっしゃると聞いて……」終始崩さない柔らかな笑みを浮かべたまま、「これを……」
と、鞄から一冊の大判の本を取り出してテーブルの上に載せた。
「こっ……これは……」
その表紙を見て体を震わせたのは「大ファン」である刈川だった。飛鳥が出した本は、彼女の画集の、しかも初版本だった。
「めくってみて下さい」
何故か宗に言われるがまま、刈川は震える手で厚い表紙をめくる。そこには、小瀬飛鳥の直筆サインが書かれており、〈刈川さんへ〉と宛名も入れられていた。
その後、永島は、レーザークローを美術部部室で飼育させてもらえるよう、美術部員と教師たちの説得に当たった。卒業間近の最後の仕事とばかりに桜井と、そして、美術部臨時顧問、刈川教諭もその助力を担い、晴れてレーザークローは美術部の一員として迎え入れられた。
またぞろ猫が暴れて備品を傷物にしてしまうのではないか? という懸念がなくはなかったが、レーザークロー対策として整理整頓された部室を視察した校長の、むしろそのほうが部屋がきれいになってよいのではないか、との発言でそれは不問とされた。とはいえ、レーザークローに人と一緒に暮らすことのルールを守らせることは必須事項であり、それは永島が責任を持って担当することとなった。
部員の誰もが、「永島は変わった」と口にするようになった。以前のおどおどとした態度は若干なりを潜め、誰とでも自然に接することができるようになったという。
人が、いや、猫が変わったのはレーザークローも同じだった。永島の粘り強いしつけと愛情が功を奏したのか、本能の赴くまま暴れ回るようなことは、もうなくなっており、三本脚のこの猫は美術部員以外にも大いに可愛がられ、「名誉美術部長」の肩書きを与えられるまでになった。
今日もレーザークローは、部員や自身のファンからのカンパで購入してもらったキャットタワーの最上階に、その白混じりの茶色い体を丸めて寝そべっている。その多きな丸い目には、牧建設の施工により完璧に打ち直された、まっさらな白いコンクリート舗装が映り込んでいた。
お楽しみいただけたでしょうか。
私も昔、本作のレーザークローのように、事故で右後ろ脚を半分程度失った猫を飼っていたことがありました。
そのときに思ったのが、呆れるほどの猫の自然体さ加減です。
どういうことかというと、人間からすれば、片脚を失った猫というものはどうしても悲観的に見てしまいがちですが、当人(当猫)にとっては、全然そんなことはなくて、習慣、生活態度など、片脚を失う前と一切変化はしていないということです(動物なので当たり前ですが)。
猫は「何か問題ある?」とでも言っているような相変わらずの飄々とした佇まいで、片後ろ脚だけの跳躍でも、両後ろ脚がそろっていた頃と遜色ないほどの高さにまで跳び上がります。残った三本の脚だけで器用に、これも五体満足だった頃とほとんど変わらない速度で走ったりもしていました。少し大げさかもしれませんが、私はそこに「生命の強さ」というものをひしひしと感じました。猫、素直にかっこいいです。
ミステリとしての本作は、「日常の謎」の難しさを再確認することになりました。不可解な現象を考えついたとしても、ミステリとして成立させるには当然それだけでは駄目で、どうしてそれが行われて、かつ「謎」として成り立つのか。周辺状況の構築に頭を悩ませる時間のほうがずっと長かったです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。