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第5章 壊すべきもの 守るべきもの

 翌日の放課後、(そう)は現場である校舎裏、破壊された舗装コンクリートのそばにいた。彼だけではない。宗の前には、尚紀(なおき)知亜子(ちあこ)、そして、永島(ながしま)桜井(さくらい)の美術部員二名、さらには、主犯と目されているサッカー部所属の(まき)も姿を連ねていた。


「おい、いったい、何が始まるっていうんだ。桜井に呼び出されて来てみれば、威勢のいい新聞部のお嬢さんも一緒で」ここで牧は永島に目をやり、「そっちのは桜井の後輩だろ。で、向こうの二人は?」


 初対面となる宗と尚紀を見やった。温厚で芸術肌の桜井と違い、牧は制服の上からでも分かるサッカー部で鍛えられた筋肉質の体躯を持ち、言動にも荒いところが見受けられる。親友とはいえ、桜井とは正反対の人物のようだ。


「今から、この」と知亜子は宗を手で示して、「安堂(あんどう)宗が、今回起きた事件の真相を暴きます」

「何?」


 牧は鋭い視線を宗に向けた。思わず「あっ、はい」と背筋を伸ばした宗は、しかし、すぐに、


「牧先輩、桜井先輩、お二人の行動について、これから僕が推理を話します。聞いていただけるとありがたいのですが」


 冷静な表情と口調に変わった。


「これのことか」


 牧は、コンクリート片で埋まる地面を顎でしゃくる。


「推理も何も」牧は頭を掻いて、「先生にも、そこの新聞部のお嬢さんにも話したとおりだ。入学当時に埋めたタイムカプセルを掘り出したんだよ」


 同意を求める意味か、桜井に目配せをし、彼も黙って頷く。


「それは――」


 知亜子が反論しかけたが、手を挙げた宗がそれを制して、


「まず、犯行が行われた日の、早朝からのお二人の行動を追っていきたいと思います――」

「ちょっと待ってくれ」


 その宗を、今度は桜井が制した。宗が目を向けると、


「永島くんがこの場にいる意味はあるのか。今度のことは、彼には何も関係はないはずだ」


 美術部の後輩を見やった。永島も、慕っている先輩のことを心配そうに見返す。


「はい。俺は今回の事件には、永島くんも――彼自身が知らないうちに、密接な関係を持っていると推理していますから」


 宗は桜井の言葉を拒絶した。そのまま目を向けられた永島は表情を変えないまま俯く。桜井は牧と視線を交し、二人は諦めたように沈黙した。それを合図に、宗は、


「さて、先ほど言いかけたことですが、犯行が行われた日の早朝、牧先輩は、サッカー部の朝練習に参加するために、誰よりも早く登校していました。これはその日に限ったことではなく、毎日のことだそうですね。三年生で部活動は引退しているにも関わらず、後輩の面倒を見るためと、生活のリズムを保ち続けるために行っていることだそうですね。素直に凄いことだと思います」


 後輩から賞賛された牧は、横を向いて、ふん、と鼻を鳴らした。宗の話は続き、


「そこで、恐らく、ひとりで校舎の周囲をランニングでもしている最中、牧先輩は、ある異常を発見することになりました。その発見された異常というのが、今回の犯行の動機となったのです」


 そこまで聞くと、牧と桜井の表情が一変した。


「犯行の動機って……」と永島が、「桜井先輩と牧先輩が地面を掘った理由ってことですか?」

「永島くん、実は、そうじゃないんだ」

「えっ?」

「いや、そうじゃないというのは、お二人の目的が、地面を掘ることじゃなかったということなんだ」

「それは……どういう……」


 永島は戸惑いの表情を見せる。それは尚紀と知亜子も同じで、桜井と牧の両三年生だけが、互いに目配せをして、どこか達観しきったような顔をしていた。ばれてるぞ、とお互いに視線で会話を交しているようだった。そんな一同を見回してから、宗は、


「コンクリートを破壊すること。それ自体が二人の目的だったんです。タイムカプセル云々は、それを誤魔化すための後付けに過ぎません」


 永島、尚紀、知亜子の三人は、えっ? と叫び、三年生の二人は深くため息をついた。


「どういうことなんだ、宗」と尚紀が、「どうして二人は、そんなことを?」

「牧先輩が発見した〈異常〉を隠蔽するためだよ。牧先輩は、朝早くにランニングでこの場所を通ったとき、新しく打ち直されたばかりのコンクリートを覆っているシートが、めくれあがっているのを見たんだと思う。ああいった打ち込んだばかりのコンクリートというのは、完全に硬化するまでの間、上にシートを被せて保護しておくのが当たり前だからな。だが、どういうわけだか、そのシートがめくれていて、打ったばかりのコンクリート表面の一部が露わになった状態だった。牧先輩が発見した異常というのは、そこにあった」

「コンクリートの表面の異常?」

「そうだ、尚紀。コンクリートというのは、流し込んでから硬化するまで、一般的には二十四時間程度の時間が必要だそうだ。まあ、それだけの時間が経っても、固くなるのは表面だけだから、その上を人が歩いたり車が走ったりするためには、さらに何日か期間が必要なんだけどな」

「で、何だったんだ、その異常って?」

「足跡だよ」

「足跡?」

「そうだ。コンクリートが打ち終えられたのは、その日の放課後だった。それから数時間後、まだ硬化していない、そのコンクリートの上を歩いてしまった何者かがいたんだよ。それも、端を踏んだだけといった僅かなものじゃない。一メートル四方のコンクリートを横断するほどの長い足跡をな。二人は、その事実を消し去るため、コンクリートの破壊に及んだんだ」

「だ、誰だよ?」

「誰、という言い方が正確かは分からないが、硬化しきっていないコンクリートの上を歩いて足跡をつけたのは……」ここで宗は永島を向き、「レーザークローだ」

「えっ?」永島は、この日一番大きな声を上げて、「で、でも、部室の窓はきちんと閉めていたはず……」

「永島くん、猫の力を甘く見ないほうがいいよ。成猫にとっては、爪を引っかけて掃き出し窓を開けるくらい、造作もないことなんだよ。クイーン――あ、うちで飼ってる猫の名前だけど――も、同じようなことをするからね。前脚さえ引っかけてしまえば、そのまま体重をかけて引き開けてしまえるから、後ろ脚の怪我は関係ないよ」

「そんなこと……」


 永島は助けを求めるような目で桜井を見る。その桜井は、宗を見て、


「安堂くん、面白い推理だと思うけれど、証拠はあるのかい?」

「ありませんよね。何せ、お二人はレーザークローの足跡が付いた部分を、特に入念に破壊したはずですから。このコンクリートの壊し方には、大まかに壊された部分と、入念に細かく壊された部分の二種類が混在しています。細かく壊された箇所は、新しく打ち直されたコンクリートの一部に集中しています。これは言うまでもなく、レーザークローの足跡が検出されないようにというための処置ですよね。せっかくコンクリートを壊しても、破片に猫の足跡が残されたものが見つかったら元も子もありませんから。かといって、足跡のついた部分だけをピンポイントで壊すことも躊躇われました。それだけで作業を終えてしまったら、新しいコンクリートだけが壊されていた、という部分に違和感を抱く人が出てきてしまう可能性がありますからね。そのカモフラージュのため、お二人はレーザークローの足跡が付いていない部分まで壊すことにしたのです。ですが、さすがに全ての部分を粉々にしてしまうのは難儀すぎます。コンクリートの壊し方にムラがあったのは、そういう理由によってです」


 証拠はないと宗の口から言われて安堵したのか、それともコンクリートの壊し方の意味を暴かれたことに焦ったのか、桜井は、そのどちらとも取れる微妙な笑みを浮かべた。宗は続ける。


「牧先輩は、桜井先輩から、部活の後輩が猫を部室に持ち込んでいることを聞かされていたんでしょう。その猫が、ある悪さをして部活顧問教師の怒りを買い、そして、また今度何かしでかしたら、校内はおろか、その後輩の両親にまで全てをつまびらかにすると脅されていたということも。だから、猫の足跡を発見した牧先輩は、それが後輩の猫の仕業だと気づき、すぐに桜井先輩に教えた。その第一発見者が牧先輩だったことは、本当に僥倖(ぎょうこう)でしたね。そのことが他の誰の耳に入ることもなく、さらに、足跡を隠蔽する工作を行える立場にいたのですから。

 二人は、とりあえずめくれていたシートを戻し、他の生徒や先生方が足跡に気付かないよう、休み時間ごとに〈現場〉を監視していました。そうしている間に、二人は計画を練ります。牧先輩がコンクリート破壊用の機械を用意する手筈を整え、桜井先輩のほうはトラックを乗り入れるため裏門の鍵を入手します。そしてその日の深夜、二人は現場に侵入し、レーザークローがつけた足跡を隠蔽するための作業――コンクリートの破壊を行ったのです。

 翌朝、早々に二人が自首したのは、事件の複雑化を避けるためです。変に犯人不明のまま、生徒や教師が現場の調査をしないとも限りませんし、学校側が事件性ありと判断すれば、最悪警察の捜査が入ることになってしまいます。そうなったら、いくら入念に粉々にしたとはいえ、微細な破片の一部から猫の足跡が検出されてしまいかねませんから。加えて、お二人は三年生で、牧先輩のほうは家業の建設会社に就職することがもう決まっています。ここで何か問題を起こしたとて何も怖くはないということです。牧先輩が主犯側となるようにしたのも、進学を控えた桜井先輩に出来るだけ負担をかけないようにという考えからのものだったのでしょう」


 一気に喋り終えた宗は深呼吸をした。


「おい、探偵」と、しばし流れた沈黙を牧が破り、「そこまでするか?」

「どういうことですか」

「猫の足跡を消すためという目的だけで、そこまでするかって言ってんだよ。百歩譲って、お前の推理どおりだったとしようぜ。俺はランニング中に、打設されたばかりのコンクリート上に猫の足跡を発見したんだとしよう。だが、そんなの、すっとぼければいいじゃねえか。どこかの野良猫が入り込んだと言えば、それこそ証拠はねえから、絶対にしらばっくれることは可能だ。時間からして、コンクリートはある程度硬化していたはずだから、人間の指紋みたいに、猫の特定がされるほどの、足裏の細かい模様や毛の生え具合までスタンプされてはいなかったと断言できるぜ」

「そうだったかもしれません。足跡のスタンプだけからでは、それが確実に永島くんの猫、レーザークローのものだとは証明は出来なかった可能性が高いでしょうね」

「そうだろうが。タイムカプセルだよ、タイムカプセル。俺と桜井がそれを掘り出すためにやったんだって。そういうこと――」

「問題は」だが、宗の言葉はそこで終わらず、「足跡そのものにあるのではありません。足跡のスタンプが多少ぼやけていたとしても、それがレーザークローのものであるとは、かなりの高確率で断定されてしまうんです。牧先輩、桜井先輩も、それに気付いていたからこそ、今回の行動に及んだんです」

「あっ!」


 声を発して宗を見たのは永島だった。その表情からして、宗の言いたいことに完全に気が付いたらしい。宗も永島の目を見返して、小さく頷くと、


「そうなんだ。問題は足跡単体にあるわけじゃない。その足跡の付き方にある。一メートルもの長さを歩けば、足跡の付き方から、必ず歩幅などの歩き方も情報として残ってしまう。レーザークローの歩き方には、他の猫には滅多に見ない特徴があるじゃないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。レーザークローがまた何か悪さをして、それが露見したら、刈川先生に知られることとなったら……。それを阻止するために……」

「……」無言のまま永島は桜井を、そして牧を見て、「桜井先輩、牧先輩、二人は、それであんなことを……レーザークローを守ってくれるために……」


 その両目に涙が浮かんだ。


「泣くな一年」と牧は横を向いたまま、「別に、おめえや猫のためにやったわけじゃねぇ。桜井に頼まれて嫌とは言えなかっただけだ。本当はやりたくなかったんだぜ、あんなこと」


 だが、彼を見る桜井の目と笑顔が、牧の言葉が真実ではないと教えていた。


「あ、ありがとうございました。桜井先輩、牧先輩……」


 最後は涙声になりながら、永島は二人に頭を下げた。


「永島くん」と彼が頭を上げるのを待ってから、宗が、「今回のことが起きてしまったのには、永島くんにも責任の一端があることは分かってるよね。理由や、その後の向こうの態度はどうあれ、レーザークローが美術室をめちゃめちゃにしたり、刈川先生の大切な画集を破ってしまったことは事実だ」


 永島は、しゃくり上げながら何度も頷いていた。その隣に桜井が立ち、


「永島くん。レーザークローのこと、もっと早く俺に相談してほしかったな。そうすれば、もっと違ったやり方だって示せていたはずだ。君は、もっと周りの人たちを頼ってもいい。何でもひとりで抱え込もうとするな。美術部のみんなだって、刈川先生だって、最初に事情を話していれば、レーザークローとは友好な関係を築けていたはずだよ」


 永島の肩にやさしく手を置いた。


「すみませんでした……」


 制服の袖で涙を拭く永島の前で、


「あーっ!」


 尚紀が彼の背後を指さし、皆が一斉に向く。十メートルほど先にある美術室の掃き出し窓が、いつの間にか十センチ程度開いていた。そして、屋内から若干白毛混じりの茶色猫が、今まさに、のそりとその体を滑り出させようとしている最中だった。

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