第4章 コンクリートの謎
「安堂くん、桜井先輩から事件のことを全然訊かなかったじゃない」
玄関へ向かう廊下で、知亜子は不満そうな声を出した。
「猫の話しかしてなかったな、結局」
尚紀も言うと、
「いや、訊いたところで何も話してくれなかっただろうな。あの調子じゃ」
難しい顔をして宗は、二人に挟まれる形で歩いている。
「で」と知亜子は宗の横顔を見て、「それでも何か掴めたことはある? 桜井先輩と話した中で」
「何も……いや、ちょっと引っかかったことはあったかな」
「え? なになに?」知亜子は興味津々の笑顔になって、「教えてよ」
宗の正面に回り込んだ。急に真正面に来られて立ち止まった宗は、
「駄目。漠然としすぎてて、まだ俺自身も今回のことと関係があるのかどうか分からないから」
「なにそれ!」知亜子は眉根を寄せて表情を豹変させると、「名探偵の常套句じゃん! もったいぶって人を焦らして。あーあ、安堂くんもそういうこと言うんだね」
その場で半回転した知亜子は、ひとり先行して廊下を数歩あるき、
「お姉さんの影響?」
立ち止まって振り返ると、前屈みになって宗の顔を見上げた。
「関係ないから」
「やっぱり、お姉さんも探偵するときは、『まだ話せる段階じゃありません』とか言って推理を聞かせるのを引き延ばして、そうしてるうちに容疑者がどんどん殺されていっちゃったりしてるの?」
「そんなわけあるか!」
宗は知亜子を睨む。
「ふふ、ごめん」知亜子は真っ直ぐに立って微笑むと、「怒った?」
「怒ってないし。もう帰ろうぜ、続きは明日」
宗は知亜子を追い越したが、
「あ、待って。帰るなら、現場を見てからにしようよ。まだ明るいし」
玄関を出た三人は、校舎裏の〈現場〉に来た。そこは二メートル四方程度の面積にコンクリート舗装が砕かれており、それを囲むように、四隅にロープで繋がれた三角コーンが立てられていた。
「確かに」宗はコンクリートの下に掘られた穴を覗き込んで、「三十センチくらいの深さにしか掘られていないな」
「でしょ」と知亜子も同じように穴を見て、「完全に入れ替えられた土しか掘ってないよ」
「タイムカプセルを掘り出したんじゃないとしたら、いったい何がしたかったんだ? 先輩たちは……」
「この土自体を持ち帰るのが目的だったのかな? 元々ここにあった土じゃない、この改良用の土を。この土の出所に事件の背景があるとか?」
「だったら、土を採取できる分くらいの、もっと小さな面積を壊すだけで済ませたはずだ。こんなに広い範囲を破壊する必要はない。深夜で、周囲に民家はないとはいえ、騒音や振動を出す時間はなるべく短くしたかったはずだからな。それに、だったら、どうしてタイムカプセルを掘り出した、なんて嘘をついたんだ?」
「それもそうか」
「加えて、どうして卒業間近というこの時期になって、そんなことをしたのか……」
「なあ、宗」と、屈み込んでいた尚紀が、「この破壊されたコンクリート、色が違う部分があるぞ」
「なに?」
宗も隣にしゃがむと、見ろ、と尚紀は十センチ四方程度のコンクリート片を指さし、
「ここ、まるで何かの境界みたいに色が変わってるだろ」
「本当だ」
尚紀が示したコンクリートは、ほぼ中央にまっすぐ線を引いたように、左右で色味が違っていた。
「ああ、それ」と二人の後ろから覗き込んだ知亜子は、「色の薄いほうは、ちょっと前に新しく打ち直したコンクリートだよ」
「どういうことだ?」
しゃがんだまま宗は知亜子を振り仰ぐ。
「ここって、もともと地盤が緩かったって話をしたじゃない」
「ああ、だから土の入れ替えが必要だったんだろ」
「うん。でもね、やっぱり、そのさらに下の地盤の緩さがそもそも影響してたみたいで、舗装したあとでも一部だけがゆっくりと沈下していってたんだって。で、とうとう亀裂が入っちゃって、生徒が歩いていて足を取られると危ないってんで、そこの一部分だけ舗装を切り取って、新しくコンクリートを打ち直す補修工事をしたのよ」
「それが、この部分?」
「そう。今回は小規模の工事で一日だけで終わったから、安堂くんみたいに工事があったこと自体知らない生徒もいたみたいだね。面積的には、この中の一メートル四方くらいだけらしいけど。桜井先輩も牧先輩も、どうせならコンクリートを打ち直す前に舗装を壊せばよかったのにね。それだったら、壊す手間が省けたって、むしろ感謝されてたかも」
知亜子は笑った。
「先輩たちが壊した範囲に、新しく打ち直したコンクリートが含まれていた……。唐橋、その補修工事がされたのは、いつだ?」
「三日前。確か、昼から工事の人が三人くらい来て、その日の放課後には終わってたよ。私、そこのところに」と知亜子はコンクリートの破片が広がる現場を指さして、「青いシートが被せられてるのを見たもの……あ、そうそう」
「どうした?」
「ひとつ、言い忘れてた情報があった。あのね、二日前に桜井先輩と牧先輩の二人が、工事が終わったこの場所を休み時間ごとに見に来てたって目撃証言があるの」
「どういうことだ?」
「二人が犯行に及んだのは、その日の深夜からだから、現場の事前確認でもしてたんじゃないかな。私も、施工業者に地盤改良の話を聞くまでは、自分たちが埋めたタイムカプセルの場所を思い出そうとして見に来てたのかな、って思ってたんだけど」
「その線は、ほぼあり得ないことが分かったわけだからな……犯行の直前に、ここを頻繁に見に来ていた、か」
「それにさ」と尚紀はさらに、「このコンクリート、壊し方に随分とムラがあるみたいに思わないか?」
「ムラ?」と宗も改めてコンクリート片に埋め尽くされた現場を見て、「……確かに、大雑把に壊した箇所と、入念に粉々にした箇所が混在しているな」
「だろ」
尚紀の指摘どおり、一概にコンクリートが破壊されているとはいっても、その壊し方には二種類のものがあった。破片の大きさを比べればそれは一目瞭然で、十センチから二十センチ近くの塊で破壊しているところもあれば、石に近い大きさにまで細かくコンクリートを破壊し尽くしているところもある。そして、その細かく破壊された箇所は、主に新しく打ち直されたコンクリートの一部に集中していた。
「……何だこれ? 何か意味があるのか?」
宗は顔を上げて周囲を見回した。十メートルほど向こうに、先ほどまでいた美術部室の掃き出し窓が見えた。
帰宅して夕食を食べ終えた宗は、居間でこたつに脚を突っ込み、ぼんやりとテレビを眺めていたが、
「あ、なにこれ」
部屋の隅に置かれている数冊の本に気付き、こたつから出ないで済むよう、腕を極限まで伸ばして一番上の一冊を手に取った。
「理真の新刊よ。何冊か持って来てくれたの、サインを入れてあるから、知り合いに配ってくれって」
ダイニングキッチンで洗いものをしている彼の母親の声が答えた。
「姉ちゃんの本か、どれどれ……」宗は表紙を見て、「『明日、彼氏に振られます』変なタイトル。ネタバレじゃん」
呟きながら、ハードカバーの表紙、直筆サインが入った見返し、扉、とめくっていき、
「……あれ?」
目次手前のページに差し掛かると手を止めた。と、そこに、
「にゃー」
鳴き声をあげながら、こたつの中から一匹の三毛猫が顔を出した。安堂家の飼い猫、その名前をクイーンと言い、安堂家の人たちに可愛がられている。こたつの中で気持ちよく寝ていたのだが、宗が本に手を伸ばしたときに彼の脚がこたつの中でぶつかり、目を覚ましたものと思われる。そのままクイーンは、宗の横を通り抜け、キッチンに立つお母さんのところへ向かうらしい。クイーンは宗のお母さんのことが大好きなのだ。
とことことクイーンは、敷かれた厚手のカーペットの上を歩いていく。クイーンが脚を踏み出す度、新調したばかりのふかふかのカーペットは猫の足跡の形にへこむ。
「……」
本を手にしたままの宗は、次々にスタンプされていくクイーンの足跡を凝視すると、何かを考え込むように沈黙する。数十秒ほどそうしていた宗は、携帯電話を取りだしてダイヤルすると、
「……あ、姉ちゃん。あのさ、ちょっと、お願いが……」