第82話:航空技術者は歴史的偉人の大集合を目にする1
轟音と土煙を撒き散らせ、巨大な鉄板に穴が空く。
九九式八糎高射砲の威力は想像以上であった。
現在、技研の新鋭重駆逐戦車開発班は九九式八糎高射砲の砲身を延長した、新型重駆逐戦車用の戦車砲を提案している。
しかしその提案は即座に却下された。
なぜなら、こちらが要望した砲身長のものがすでに存在したからだ。
俺は資料に残っていないとんでもない事実を今知った。
九九式八糎高射砲は二種類存在する。
56口径のものと44口径のものだ。
砲における口径とは口径長、つまり砲身の長さも現す。
一般的に知られている九九式八糎高射砲は44口径。
つまり3.98mのもの。
だが実際には陸軍が鹵獲してコピー生産したものはもう1種あった。
56口径……つまり4.85mのものだ。
俺は弾道学に詳しい人間に初速確保のための理想の砲身長について計算してもらったのだが、その長さは約4.9m前後だった。
これもある意味で物理学の不思議ではある。
一件すると摩擦などによってバレルの長さが長くなると初速が落ちてしまうように思える。
しかしそこにも流体力学の罠が存在するのだ。
世界には大気が存在する。
少なくとも地球上では。
この大気は速度が増せば増すほど抵抗力となる。
航空機やロケットにおいてはこれをいかに制すかが重要となってくる。
そのための安定翼が尾翼というわけだ。
しかしミサイルで無い限り基本的に弾丸に翼など装着していられない。
そもそも尾翼を装着したからといって真っ直ぐ進むものでもない。
尾翼側にエルロンやエレベーターを装着して初めて制御できるものだ。
弾丸の場合、これを高速回転させることによる遠心力によって、弾道を安定させるのである。
揚力という存在を加味せず、運動エネルギーのみで直進するというならば、重力という存在がある地球においてこれは最も効果的な方法。
だからこそライフリングを刻んで弾丸を回転させるわけだ。
しかしこの回転は砲筒から抜けた瞬間の空気の乱れにより、弾丸は射出された瞬間からしばらくは、中心点を境に斜めに回転する。
まるでボートを漕ぐオールのような動きとなる。
これは回転運動があるためにしばらくすると収まってくるのだが、回転力が足りないとこの時に大きくエネルギーを消耗し、初速のロスが極めて大きくなるのだ。
この手の砲の初速は音速の2倍超もあり、ヘタな動きは即時運動エネルギーのロスに繋がる。
だからこそ摩擦が生じても砲身を長くすれば、それだけ回転力が強まって砲筒から抜けてもすぐに安定軌道に入るため、その初速は大幅に向上するというわけである。
火薬量に合わせた摩擦とのバランスが最もいい数値を出すには、流体力学ではなく物理学の世界の計算が必要。
ここに弾道学が関与してくるわけだ。
さすがの俺もやや門外漢なのでそこは専門家に相談した。
その結果導き出された理想数値が4.9m前後という事なのだ。
そのため、野砲関係の装備を担当する者に4.9m前後の九九式八糎高射砲を用意してほしいと頼んだのだが、すでにあったという事だ。
確か記憶の片隅にある戦後の資料の中で、九九式八糎高射砲については、華僑で鹵獲した際に移動式野砲と固定式高射砲の2つのモデルがあって、移動式と固定式では砲身長が違うといった話があったような気はした。
だがそれは3.96mと3.98mの違いだと思っていたのだ。
砲身形状が違うからな。
しかし実際には移動式野砲として4.85mのものがあった。
そういえば、戦中B-29へ向けられた九九式八糎高射砲を見たとき、明らかにバレルが4m以上あったような気がしていた。
戦後の写真でも約4mどころではなく5m近くありそうな写真も見かけた。
当時は専門外で全く気にしていなかったが……そういう事だったのか……
当然搭載砲はこちらに見直す。
貫通力は現在榴弾砲などしかないためさっぱりわからないが、初速は明らかに速い。
計測上の数値は56口径のもので初速が秒速730m。
さすがB-29を落としたこともある戦友。
戦中何度も"当たらぬ"――と批判されたこいつは高度1万5000mまで届き、少なくない数の空の怪物を落とした。
やり直した今の皇国において今度お前が倒すのは虎と象だ。
周囲には対ヤクチアだといい続けているが、当然そんなわけがない。
チハをパンターやティーガーと戦わせられるものか。
「信濃中佐。高射砲を戦車砲に転用するのはとてもいいアイディアだが、88mmも必要なのか。過剰威力ではないのか」
防空を担当する高射師団長は、水平射撃のあまりの威力に顔がひきつっている。
標的用として置かれた鉄板は海軍より調達してきたもの。
軍艦用の100mmDS鋼である。
当然、皇国周囲のそこいらの戦車が装備していない装甲厚。
これを300mから普通に大穴を開けられる威力があった。
まあ正しい数値ではないだろうな。
榴弾の爆発力も影響しているし。
「中将。時に第三帝国は我々も知る88mmFLAK18を戦車に搭載するそうです。この砲は量産化がそこまで難しくなくヤクチアがライセンス生産しているやもしれません。砲だけではありません。第三帝国が100mm以上の装甲を付与し、40km以上の速度で走る重戦車を開発中だそうですが、この間、華僑北部にて撃墜したYP-38のように輸出されたものが万が一共産党軍や蒙古の勢力に渡りますとチハでは勝負になりません。第三帝国にその意思がなくとも、起こりえる状況にあるのです」
数日前。
届いたYP-38は多少形は変わっていたが、効率化できたのは尾翼部分ぐらいで性能の大幅な向上は無かった。
分解して調査してみたがちょっと運動性が向上した程度。
あの整備の難しいハリソンエンジンを普通に装備していた。
P-38においては開発途中にマーリンが伝来し、国内においてマーリンへの転換も考慮されていたのだが、結局信頼性より馬力とばかりにハリソンを選択。
だが戦場ではその信頼性の無さに何度も泣かされ、数の暴力で強引な解決こそしたものの、前線部隊からは何度も何度も何度もマーリンへの転換を迫られた。
特にP-51が成功した頃にはマーリンのほうが馬力では上回り、さらに二段二速のスーパーチャージャーにより高空性能が大幅に向上。
それでも当時のNUP陸軍はこういった仕様変更に及び腰で、特に戦車分野においては上層部の人間がB-17に誤爆されて死亡という、明らかに暗殺されたと思わしき悲劇を起こしている。
P-51のエンジン転換はP-51の信頼性がP-38より絶望的だったからと言われるが、なまじP-38は少しだけP-51より信頼性があったばかりに、最後までハリソンを装着して戦う事になったわけだ。
そのP-38の先行量産機は今華僑にあることがわかった。
YP-38を撃墜したすぐ後、西条はチェンバレンに事の次第を報告。
すぐさま王立国家はMI6を利用して流通ルートを調べ上げたのだが、大統領令によって先行量産機は全て共産党軍に引き渡されていたのだ。
恐らく整備要員もいるな。
初期のP-38に搭載されたハリソンエンジンなんて俺でも整備できると思えないほど酷い出来だぞ。
飛行中に故障しないことを祈らなければいけなかったほどだ。
つまり間接的とはいえ、既にNUPと東亜三国は戦争に近い状態にあるわけだ。
随分と早い代理戦争だな。
おかげでキ43に排気タービンを搭載したモデルを準備せざるを得なくなった。
海軍はこういった事案を予測して一郎に雷電を作らせたようだが、性能によっては陸軍でも雷電を採用する。
航空機主兵論に転換した海軍もなんだかんだしっかりと考えるようになっていた。
こういう状況があった場合、前線の海軍基地が狙われる事もあるわけだから高速要撃機は必要だったんだ。
P-38は今後も裏ルートでの輸出が続くというなら、雷電開発理由の正当性はある。
これまでなぜ開発していたかわからなかったが、愚か者は俺の方だった。
まあ雷電開発には俺もかなりの面で意見を出していて、誕生する機体自体はかなり優秀なものだから、あっても困らないとは思っていたが……
なんにせよ、しばらくの間は戦車を中心に活動せざるを得ない。
焼け焦げたDS鋼を見る限り、九九式八糎高射砲の威力はよくわかった。
対戦車用の徹甲弾もあったコイツは北海道での本土決戦でも奮闘。
最後まで皇国陸軍にとっての戦友であり続けたからこそ、あえて17ポンド砲ではなく俺はこれに賭けたい。
皇国が唯一自国で作れ、現時点で最強格の野砲だからだ。
「どういうものかまるで想像できんな……我々は九五式で重戦車は失敗した。例の設計図を見る限り、君が作ろうとするのはアレより大きくアレの1.5倍の重量がある。私からすると履帯を身に付けただけの陸を走る軍艦だよ」
「地中海協定の影響によって様々な兵器のデータが入手可能になりました。 上層部が私に依頼した最低限の性能は最高速度40kmで、かつ17ポンド砲に十分耐えられる装甲を有する事。王立国家と戦うわけではありませんが、17ポンド砲の領域が今後の戦車の基準となります――」
戦車を設計する上で重要なのは砲の威力。
自国が開発して搭載できる砲の中で最大威力を誇るものを撃ち込まれても、耐えられるように設計するというのが割と定石な設計手法。
現段階では17ポンド砲とFLAK18をチハが食らったとしよう。
中にいる人間は一瞬で焼いていないハンバーグになり、エンジンが発火して焦げたハンバーグになる。
航空機だけに任せて地上部隊で対抗するといってもいくらなんでも限度がある。
だからこそ、連携して戦うために繋ぎとして投入する戦車を今作っているというわけだ。
「海は大艦巨砲主義が崩壊したというのに、地上は逆に重戦巨砲主義となるか。 面白いものだ……海軍の砲術士は陸軍に転任すべきなのかもな」
やや皮肉の入り混じった感情を吐露しながらも、師団長は空を見上げながら二度目の大戦が一度目より悲惨な戦場になることを想像していたようだった。




