第77話:航空技術者は人が空を目指したがる事を理解しつつ滑空機に新鋭の翼型を採用する
「煙幕装置?」
「ああ。演習中の歩兵部隊に必要なんじゃないかと思ってな。火力支援だけが襲撃機の仕事ではないのではないかと思う。事実、この資料にはそれが記述されているようなんだ。第三帝国の言語はよくわからんが……そうだと部下が言う」
第二言語に疎い戦車部隊の隊長より見せられたのはBv141の資料だった。
「確かに書いてありますね」
「だ、だろう?」
この40代と見られる男は第三帝国の言語にまるで自信がないようだ。
本当に書いてはあるが、ここで俺が嘘をついて書いてないと言ったらどうなってたやら……
まあ俺にそんな気など毛頭ない。
第三帝国は航空機による煙幕装置に拘っていたのは事実。
Ju-87などにもそういう装備類はあったと聞く。
煙幕装置。
これを視界を塞ぐためだけのものだと思っているなら違う。
こいつの最大の運用法はNUPが示したように、対ヤクチアを意識した赤外線撹乱幕だ。
そのために煙幕装置は進化していくのだ。
誘導兵器が実用化すると歩兵部隊は常にその危険に晒されるようになった。
第二次大戦中に実用化された無反動砲、バズーカやRPG、パンツァーファウストといった類は対物ライフルの存在を過去のモノとしながら誘導する兵器へと変化する。
複合装甲などはそういったためにあるわけだが、装甲増加には限界がある。
そこで新たなチャフとは別な新たな試みが皇暦2650年代から行われるようになった。
こと対戦車ミサイルにおいては特にヤクチアが半世紀以上経ても赤外線誘導が用いられた事から、煙幕の中に粒子状のカーボングラファイトを混ぜ込み、ロックオンすら不能にさせるスモークジェネレーターを開発して投入したのだ。
粒子は他にも混ぜ込まれており、赤外線吸収を担うカーボングラファイトだけでなく、電波吸収も可能な金属粉も混ぜ込まれてミサイルへの脅威をある程度緩和できるようになった。
よく誘導兵器がある世界で二足歩行兵器が発達しないなどと、未来の現実主義者が語る事があるのだが……
そもそもが70年後の世界においては、二足歩行兵器だけでなくとも誘導兵器など脅威以外のなにものでもない。
ちゃんとそのための対策はあるわけだが、さほど注目されないのは戦場で対戦車ミサイルを撃たれるケースが全く無いため。
70年後ともなると敵の大半はテロリストなど武器に恵まれない者達。
よって対誘導兵器用の割と新鋭の部類の装備品は、全くもって注目されないどころか、煤煙が健康被害を生じる恐れのあるものであるため、マスク等が必要不可欠など使い勝手が悪く演習では使わない事から、そんな凄い装備が実在していることが認識されていなかった。
ただしこれは車両の話。
高速機動車とも言うべき散布専用の四輪車や、一部の軽戦車などが使うもの。
主力戦車は発煙弾を装備して使っている。
航空機で散布する利点はさほどないからとされているが、進軍、撤退に合わせて散布し、視界を塞ぎながら赤外線誘導も阻害させるため、軍対軍の小規模紛争においては大活躍。
特にクリミア半島の問題では航空機の登場が暗黙の了解によって自粛されたため、主力戦車対主力戦車となったが、塹壕戦のごとく戦線がこう着状態に陥る原因ともなった。
ゲリラ戦を仕掛けて携帯式の対戦車ミサイルを持ち運んでも、使い物にならないからである。
まあ追々これは開発しようとは思っていたが、今必要なのはそんな大層なものではなく、一般的な揮発油と金属化合物を化学反応させた白い煙幕だろうな。
当時……いや現在か。
急降下爆撃にご熱心な第三帝国は同じことをされる事を恐れ、地上部隊を守るための発煙装置を攻撃機などに相次いで採用。
地上部隊の真上にスモークを展開することで、敵の急降下爆撃を防ごうとした。
この試みは確かに成功。
ある程度までの効果は緒戦に出せたものの、次第に発達するレーダー技術と絨毯爆撃により、最終的には殆ど意味のないものとなってしまった。
撤退時などには有効だし、戦車自体を覆い隠すためにも有効なので発煙弾はWW2の時期から採用されるようになってくるが、航空機においてはCoin機が採用する程度で使われた事例は少ない。
むしろ地上支援を呼びかけるためにグレネードの方が欲しいぐらいだ。
色つきの。
ただ、ようは考え方次第。
レーダーが発達しても車両による散布は生き残った。
低空を飛行して地上支援を行うCoin機も装備している。
だとすれば襲撃機が保有しててもいいのかもしれない。
そんなに難しい技術ではないからな。
「大佐。外付けでよければ襲撃機の装備とすることは出来ます。ただ、内蔵となりますと話が変わってきますね」
「どちらでもいい。キ47のような警戒機から目を眩ませたいだけなのだ。進軍だけが戦争ではないからな。撤退時の運用も視野に入れる」
「であれば第三研究所にその旨を伝え、大至急試作品を用意します。2月ほどお待ちいただければ」
「頼む。それと信濃技官。キ57がいよいよ今月末にロールアウトするそうだな。演習予定に空挺降下なるものが増えていたが貴様もその時の演習を見に来るのか」
「時間があれば」
「無理にとは言わんが、出来るだけ見て欲しい。技研は我々現場の声をよく聞いてくれてはいるのだが、新鋭装備の使い方を必ずしも心得ていない指揮官がいる。この私のようにな。兵器はどんな人間でも扱えることが理想だが、今の陸軍には急速な近代化に追いつけぬ愚か者が少なからずいる。部下の方がよほど詳しいが、佐官となるとなかなかに直接声をあげられん。代弁するにも立川に自由に向かえる程の立場でもない。ここだけが全てなんだ」
「承知致しました。演習場にはなるべく来られるよう調整してみます」
互いに敬礼しつつ、俺はその場を後にする。
確かにな……
あの大佐のように今40代の者達は航空機すら存在しない時代に生まれた。
わずか30年で時代は様変わってしまった。
騎兵隊が軍刀を持って突撃する時代から、戦車や装甲車で突撃する時代へ。
そしてさらに空を飛ぶ魔物が頭上を飛び交う時代へ。
俺もコンピューターの登場には苦労したが、彼らなんて戦国の世から銃がパワーアップしただけのような古き戦をしていた時代から、一気に現代へと駆け上がったわけだから、今の状況への対応に苦慮して当然。
マニュアル本の徹底、軍教育の徹底だけでなく、使いやすさ自体をもっと追求せねばならんか。
ま、とりあえずは煙幕装置からだな。
第三研究所ではすでに発煙装置についてはある程度の技術が確立できている。
400kg未満の200L~300L入り外付け発煙装置を翼の左右に装着させ、それを用いて煙幕を張らせるか。
◇
立川に戻った俺は技研の第三研究所にすぐさま発煙装置の開発を依頼しつつ、自らは設計室に閉じこもって溜まっていた仕事を片付ける。
深山などすでに基本設計を終了していたものも、詳細設計のチェックが入っていたため、それらをすぐさま処理。
一連の仕事が片付くといよいよ本腰を入れて開発を行うモノに手を出した。
滑空機である。
それも兵員輸送用の中型滑空機だ。
大型滑空機はこいつの完成後に開発するか決める事になった。
理由としては技術的にそれが可能だが、皇国で運用するには発着場所が限られるため。
前向きだった西条に待ったをかけたのは陸軍参謀本部の将官達。
欲しい事は欲しいが、もてあます代物ではよろしくないと制止したのである。
航続距離との兼ね合いを考えるとギガントの3分の2の大きさですら皇国には許容しがたいものだった。
特に皇国ではまだ深山が完成しておらず大型機が作れるのかという話もあった。
九二式重爆撃機でG.38をライセンス生産した皇国であったが、アレ以降大型機といえば深山ぐらい。
深山はそれなりの性能だがさておき、性能諸元のサイズがまんまアレに近かったため、15t級中戦車を運べるだけの九二式重爆撃機というイメージが付いたのがよくなかった。
あれももてあましたからな……
牽引必須な九二式重爆撃機となればさらにイメージは悪くなったことだろう。
戦車1台を運ぶのに巨大機を用意する必要性に迫られていない。
大砲類はバラバラの状態で空中投下可能なキ57がロールアウト直前。
陸軍参謀本部は超大型モーターグライダーよりも、この時代にしては非常に高性能な輸送機の方を選んだ。
ただ兵員輸送に関しては間違いなく必要と判断され、まずはその完成度から状況を見定めてからとなったのである。
キ57は約30人の歩兵を乗せることが出来、それで4000km以上移動できるわけだが、キ57とその滑空機で70人近い歩兵を前線に運びたいとのことだった。
滑空機か……
夕方の立川においても名も無き小型の滑空機で実験が行われているが、たかだか数十年前まではこの滑空すら難しい時代があったのだよな。
今では世界一周すら不可能じゃない。
陸と陸の間まで間違いなく飛んでいける。
後にソレが当たり前になるまで、滑空機だけが空の全てだった。
空は人の全ての夢だ。
だから皇国においても民間でも簡単に手が出せるからと、滑空機の開発はとても盛んに行われ、大学の研究のため、あるいは航空機開発参画を狙った中小企業による挑戦のため、様々な方向性から空に挑む者達が現在の皇国にいる。
俺が好きな写真が1つある。
立川にも持ち込まれたク1の試験飛行前を収めた写真だ。
この世界においてク1は別の機体に名づけられそうな感じではあるのだが、目をつぶるとぱっと浮かんでくる。
背後には何も無い山と茅葺屋根の民間の航空研究所。
そこにポツンと割と現代的な空力的に優れた大型の滑空機が鎮座されているのだ。
正面から見るとプロペラの無いセスナのように見える大型のソレは、とてもアンバランスで当時の皇国を全てあらわすかのような写真だった。
滑空機が飛び立つ滑走路は立川よりも酷い。
広がるばかりの芝生の上を払い下げされた複葉機が牽引して離陸して飛ぶ。
こういった滑空機は主にコストとの兼ね合いから、都市部ではなく山間部で積極的に開発され、そして人を乗せて飛んだ。
当時の滑空機は大きく分けて3種類存在した。
プライマリー、セカンダリー、ソアラーの三種。
プライマリーというのは翼だけで飛ぶような一人乗り用のもの。
当時は椅子が装着された翼と例えた方が早いような、何もかもむき出しの骨組みに翼だけ装着されたグライダーをこう呼称した。
高翼配置で翼の下に椅子を吊り下げてそこに乗っかっているような、ライトプレーンより遥かにライトなグライダーである。
正直俺は絶対に乗りたくないタイプ。
その上たるセカンダリーからはまともな胴体を保有するようになる。
半胴型もここに含まれるわけだが、それでもまともな胴体を保有するものだ。
俺が立川でメタライトの試験用に作った名も無きグライダーは、勝手に信濃式1型だとか当時らしい名前を付けられているが、このセカンダリーに属する存在。
というか、技研では練習機としてプライマリを作った事がある程度で、セカンダリー未満は殆ど開発していない。
当然俺もプライマリのように自動車で引っ張って遊ぶような、学生が研究のために作るような代物を技研の立場で作るわけにはいかず、こさえたソレはセカンダリ以上、ソアラー未満の代物ではあった。
ではソアラーとは何かと言うと基本は半胴式ではないものを指し、プロペラの無い航空機のようなタイプまでを言う。
そして自力離陸は出来ないが長距離滑空できるモーターグライダーもここに含まれる。
特にソアラーに多かったのがポリカーボネートといった樹脂素材の多用。
軽量化のためもあるが見栄えのためでもあった。
未来の鳥人間コンテストなどで出てくるような透明の翼のグライダーは、皇暦2595年頃からソアラータイプが採用するようになり、後にセカンダリータイプも採用するようになる。
皆が良く知るグライダーの姿はこの時点で完成されていた。
俺が好きなグライダーはグリコ号だ。
スポンサーがスポンサーだけにそんな名前が付いたが、ク1の設計者がスポンサーを募って作ったもの。
いわゆるクラウドファウンディングというものに近い。
技研が彼に目をつけるきっかけとなった機体こそ、グリコ号なのだ。
こいつの特徴は2つある。
1つはプレキシガラスを用いた二対一組の風防。
俺が衝撃を受けたと同時に技研で必死に採用を検討するよう主張したものだな。
まあ結局当時はその意見に耳は傾けられず、まるで復讐のごとくやり直して採用したわけだが、当時こんな斬新なキャノピーを採用して用いたのはこのグライダーの設計者しかいない。
前田健三。
前田航研という独自の航空研究所を持つ所長。
彼の翼と胴体構造への理解に対し、陸軍が興味を示すのは皇暦2600年代に入ってから。
特に翼型に関してはグリコ号では後のスーパークリティカル翼に通じる物を開発。
以降の彼の翼型の特徴となった。
彼の研究論文を見て衝撃を受けた一文がある。
グライダーでは前進角や後退角を翼についつけたくなるが、そんなことをやればやるほど滑空能力は得ても安定性が悪くなるだけ。
だからこそ翼を直線翼としても安定飛行可能で空力的に洗練されたものを作るのだと。
グリコ号の翼型は、まるで刃物のようだ。
ボウイナイフの刃を天井に向けた状態にしたような形状。
その刃先が翼の後部。
後部で一旦盛り上がった後、鋭く"くの字"に折れ曲がっている。
こうする事で翼の後部の翼端の先で乱流が発生。
剥離し辛いだけでなく機体の安定性を損なわないような気流の流れとなる。
スーパークリティカル翼ほど洗練されてはいない。
そこまでの速度は出ない。
だが、陸軍が着目するだけの技術がそこにあった。
彼の開発するグライダーはとにかく安定性の高さにおいて定評があったが、谷先生と並び、彼の航空機に対する思想は俺に大きな影響を与え、やり直した未来における皇国陸軍機の特徴にまで至っている。
空を楽しむグライダーにおいては有視界が優れてなければならない。
軍用機もそれと同じ。
そう言って一人乗り用は二対一組のプレキシガラス風防に拘ったわけだが、当時ク10などに乗る機会があったからこそ今の俺があるわけだな。
だから当然、今回の未来においても協力を仰ぐ予定である。
その前に設計を片付けねばならない。
現在所長はクラウドファウンディングのようにスポンサーを集め、自身の能力を証明せんがためにグライダーを製作しているが、前田航研には兵員輸送用のク1の開発に参入してもらう。
すでに基本設計はある程度決まっている。
本当は双胴型など採用したくもないのだが、大型グライダーで軽量化と安定性を目指すと自然とこうなってしまう。
ソレはキ57とキ47を足して割ったようなデザインとなっているが、エンジンは1000馬力級のハ25である。
こいつを2機装備し、牽引してもらって300km程度で飛行。
双方共に3000km以上移動できるようにする。
翼型はやはり将来性を考えてスーパークリティカル翼を採用してみたい所だが、こんなの工作精度が未熟な皇国ではまだ無理だ。
だからここでは新たな翼型を提案する事にした。
その形状は未来のグライダーで世界記録を達成している者達が使う翼型。
研究者ごとに名前が付いているためこれだというものはないのだが、それはまるで毛根と毛髪のような形状。
すこしばかり弧を描いた毛髪。
そんな形状の翼だ。
スーパークリティカル翼との違いはまあ見ただけでわかる。
やや捻り下げ気味の翼前部に対し、後部に向かってすっと細く長く下部が逆キャンバー状に厚さが狭まってくる。
この翼は只管滑空することだけを考えて運動性を全て捨てたもの。
刀剣のような反りが若干あるものの、一定以上の迎え角を取ったら凄まじい失速を起こす。
だが水平飛行しながらゆっくり降下するだけなら極めて高効率。
グライダーとはそういうものでいい。
そこはこれからこの開発に携わってもらう前田所長も理解されていて、俺も変な方向へ設計の追及をすることなどしない。
むしろそういうものだからこそ、時速300km以上で長時間飛んでも、牽引機の負担とならない滑空機になるのだ。
全長は21m。
全幅は34m。
乾燥重量6.2t。
最大定員40名。
それは殆どキ105を洗練させたものに過ぎないが、滑空機としてあるべき能力を付与させることで全体的な性能は向上。
メタライト採用により大幅に重量軽減が出来た。
これを前田所長を呼び寄せて作ろう。
ところで発動機がついているのになぜ西条はクに拘っているのだろう。
俺はキにしたかったのに結局ク1になってしまった。
……まあいいか。




