第76話:航空技術者は演習に参加する
「He178が確認できなかった……ですって?」
「ああ。第三帝国に送り込んだ諜報員はついにその存在を発見できなかった。名前も姿も確認できない」
「どうして……」
皇暦2599年9月7日。
西条に呼び出されて受けた報告によって体に電撃が走る思いだった。
それまで俺の予言はいくつか外れる事はあったものの、ここまで完全に外れるとなると流石に体中が凍りつく感覚に陥る。
本来ならば8月27日付けで試験飛行を行うはずだったHe178。
この日のために俺は設計図などのデータを西条に渡し、陸軍の諜報員を活用して状況を探ってもらっていた。
He178自体にさほど興味はない。
重要なのはHe178の外観、そして搭載するエンジンにある。
この時点でのHe178は主流とは程遠いエンジン。
実用化も程遠く、あくまで世界初のジェット機として初飛行しただけに過ぎない。
だがもし何らかの影響を受けて、もっと完成度の高い存在に昇華している危険性などを鑑み、とりあえず偵察活動は行っておく事にしてはいた。
「……勘付かれましたかね」
「どうかな。情報の断片も手に入らないというのはさすがにおかしい。消えたのだ……恐らく。その存在そのものがな。事実、諜報員は第三帝国でジェットエンジン開発の情報を掴んだ。お前が提供してくれた未来情報を基にして……He178は存在しなかったが、ヤンカースが開発中のジェットエンジンがある。これだ」
西条が見せてくれたのは"RTO"と名づけられた試作実証試験用エンジン。
俺がやり直す前の世界にも存在した軸流式ターボジェットエンジンである。
ヤンカースは当初より軸流に拘っており、開発に相当な苦労を重ねた末にJumo004を世に繰り出す。
これが世界初の実用型軍用ジェットエンジンだ。
その試作品たるRTOの存在をHe178関連の資料から見つけた諜報員は優秀で間違いないのだが、なぜこちらが存在してHe178は存在しなかったのだ。
まるでラジアルタービンでは話にならないとばかりに、計画を消滅させて軸流式にシフトしたように思える。
王国内に潜り込ませたスパイがCs-1の情報を掴んだからとか……そんな感じか?
とても不気味だ。
第三帝国のジェットエンジン開発はホイットルの影響が多分にあった。
彼が最優だと事実上の勘違いのようなものを起こしつつも、彼らに対抗するために軸流を目指して結果的に追い越す。
だが現時点で本来よりも大分早くホイットルは閑職に追いやられている。
王立国家にてスピットファイアを見学した際、俺は技術研究に関わらせてもらえていないホイットルの姿を見た。
王立国家は早くからジェンドラシクを召集したことで、軸流式にシフトしてしまったら、軍の大和主任設計者と同じような性格のホイットルに居場所はない。
彼もまた更迭された。
そもそもが西条と彼はとても仲が悪く、当初より俺が何か耳打ちなどせずとも排除する気満々であった。
西条は何気に近代化や新鋭技術を好む者で、楽観主義などと周囲から語られる事もあるが、航空本部長に携わって陸軍の航空機の開発に大きく貢献したのは本来の未来でも変わらぬのである。
だからこそ、この手の技術を退化させる人物に嫌悪感を抱き、新鋭技術を確立しようとした彼のライバル藤川技師を高く評価していたため、特にレールを敷く必要性はないと思っていた。
しかし驚くべきことに実際に彼を更迭したのは海軍だったのである。
西条は嘘を言わない男であるが、一切関わっていないと言っていた。
実際、彼が周囲に耳打ちしたという噂すら聞かなかった。
彼を更迭したのは宮本司令だった。
統合参謀本部設立にあたって宮本司令が造船部の意見を伺い、110号艦などを勝手に設計していた彼に引導を渡した形で排除したのである。
宮本司令はこれを"ケジメである"――と参謀本部会議にて述べていたが、海軍としてもくすぶっているモノがあったらしい。
俺は別に彼の意見など従う余地も無いし、大和など彼の設計した艦から先に沈んでいくのは目に見えていたので、新鋭艦の設計にこの者が関わらねばいいと思っていた。
しかしそれは海軍も承知だったわけだ。
真っ先に武蔵を建造中止した最大の理由は、この戦艦こそが最もこの主任設計者の影響を受けていたからである。
横須賀にて建設中の110号艦は今のところ再び30ノット級高速戦艦に戻り、大和で退化した技術全てを改める予定であるらしい。
無論それは最終的に改装空母に出来うる可能性もあるものであるわけだが、俺は海軍の艦隊が脆弱な原因はこの男にあると思っていて、同じ設計屋としてこの男は完全なる敵であるので、手を下さず更迭された事に内心ほっとしている。
俺のやり方は徹底的に信頼性を確保した上で新鋭技術を惜しみなく導入する。
そのための芽も摘み取らないし、育てようと努力する。
それは俺の考えだけでなく技研そのものの思想でもあった。
未来の知識があるため俺自身にはややズルい部分はあるが、だからといって本当に実現化するかどうかは未知数。
いかな流体力学的に優れた構造があったとて基礎技術が足りなければ、再現など出来ない。
しかしそれも可能にできる基盤が技研にはあり、後は誰かがその判断を下せばどうにかなるだけの状況が整っていたからこそ、俺は新鋭技術を百式シリーズに相次いで導入できたわけだ。
まだ傑作機なのか結果は出ていないが、現時点で600kmを越える戦闘機を開発できた。
別に自画自賛ではないが特に俺が気に入ってるのは風防。
これは本当に改善したかったんだ。
優れた視界を確保したことで非常に評判がいいバブルキャノピーだが、俺は戦中、戦後含めて航空機は視界が優れているものであるべきという信条があり、皇国にその技術がありながらやらなかった事を悔いていた。
だからこそ俺が設計に関与していない機体にまで影響しはじめた事は誇りに思う。
一方で大和の主任設計者ときたら、技術を全否定するばかりか研究すら阻害しようとした。
その研究を完全に阻害できなかったのはこの男が内心信用されていなかったからだ。
彼の上司などを含めた人間は新鋭技術を他国で導入していた事を知っていたから、戦後この男に対して責任論まで提起したほど。
技術は常に発展し、技術屋は常に自身を古い人間にしようとする向かい風と立ち向かわねばならない。
その風を追い風にして背を向ける人間が俺は嫌いだ。
そこは技研も同じ空気で、だからこそ技研は誘導兵器の開発にまで漕ぎ着けたわけだし、軍用レーションといった存在も実用化できたわけだ。
ホイットルはジェットエンジンという新鋭技術に手を出していながら、新鋭技術だからとその先の発展に否定的になり、すでに自身の開発したエンジンの方式が過去のものとなっているにも関わらず、遠心式に拘ったのが仇となった。
新鋭技術が数年で陳腐化するという事はありうるが、タービンで圧縮するという基礎理論までは正しくとも、自身が一番最初に考案した方式が最も正しいとした彼の未来は明るくなかった。
西条が言うように世においては誰かが見ているのだろう。
だから正しくない事をすれば最終的に追いやられる。
俺に仕事が来る間は俺が正しい事を出来ているからだろうが、戦中はまだしも戦後まで俺の理論が通じるかどうかは怪しい。
だからこそ彼らを反面教師にした上で、第三帝国を疑う。
第三帝国もまた早期に軸流式に転換したわけだが、ホイットルが閑職に追いやられた様子を確認し、早期にヤンカース方式こそ正しいと理解し方針転換した可能性がある。
特にHe178のエンジン開発者は第三帝国の現政権と一党独裁に批判的。
追い払われやすいポジションにいたからな……
だとすると開発が勢いづいて早い段階でMe262が出てくるかもしれない。
戦うならばCs-1の量産と開発を早めなければ駄目だ。
これを基盤にターボファンエンジンを作れないかとは考えている。
まずはキ78の開発を加速させるしかないか……
山崎の連中は全金属製の小型機はどうも苦手なようで、かなり苦戦しているけどな。
キ51こと襲撃機の並行生産を指示されたが、それも浮ついている。
溶接は問題ないがリベット処理などの精度が悪い。
二式双発戦闘機でも問題視された部分だな……
四菱のキャパシティから考えると彼らにもがんばってもらわねばならないんだが……
「――それで、どうなんだ信濃。何か思いあたる節などあるか?」
「Cs-1でしょうね。この間ご説明したようにジョルジュ・ジェンドラシクが大幅に早く王立国家に渡った影響かと。加賀より戻って報告したようにホイットルは事実上の更迭。第三帝国はそれを確認してHe178への興味を失った……」
「確かに筋は通る」
「首相。さらに何か隠していないか探ってくださいますか。私はどうもHe178が消えた要因がそれだけではないと思えてなりません」
「ああ、私も同じ考えだ。すでに指示は出してある。いいか信濃。第三帝国がジェットエンジン実用化を前倒ししてくるならば、その対抗策となるものは用意しといてくれよ。この方面において我々はお前だけが頼りだ。方法は問わない。大敗するような事にならなければいい」
「はっ! 承知いたしました」
Cs-1の量産化については少しずつ目処がついてきている。
問題点はCs-1そのものの信頼性と精度の確保。
液冷エンジンよりよほど可能性が高いが、大量生産できうるモノになるかどうかは難しい。
ただ少数生産なら皇暦2602年までにケリがつきそうだ。
徹底的に精度を求めた選りすぐりのパーツで作ればいいわけだからな。
アレがアルミ合金で作られているのは本当に奇跡のようなものだよ。
その前の段階でMe262が出てくるというなら……
キ47をベースとした超高速双発機で勝負を仕掛けるしかない。
方法はある。
キ47こと百式攻から運動性を捨てる。
後はエンジンをカリカリにまでセッティングすれば700台を軽く超える速度を出せる。
対ジェット機は様々な腹案もあるが現時点ではそれを妥協案として頭に入れておこう。
俺は詳細は伝えずとも西条は理解していると考え、そのまま敬礼して参謀総長室より立ち去った。
◇
皇暦2599年9月10日。
早朝より中央線に乗って山梨方面へと移動。
そこから軍が用意したトラックにて道志村から富士へと向かう予定だ。
この日は陸軍による近代化部隊による演習が行われ、まだ試作段階の百式襲撃機がついに訓練デビューする事になっている。
俺は技術顧問として招かれていた。
汽車内で見ているのはここ最近の皇国の新聞。
情報は常に頭の中に入れておいて損はない。
そんな俺が今まさに座席に座りながら広げてみているのは、ブタペスト会議の際の陛下のお写真である。
それは皇国の国旗がたてられた307から多くの貴族に出迎えられて外に出られたお姿。
陛下の背後には美しい銀色のボディの4発大型旅客機。
新聞は綺麗に白黒でその姿を表現できていた。
雑誌の写真もとても綺麗だ。
やはり307は絵になる。
307がお召し飛行機などに使われたのはこれが初。
聞いた話では陛下が使われて以降、各国の貴族が相次いで注文をしたという。
この機体が"299"と呼ばれるB-17の改良発展型旅客機だと知ってる貴族は果たしてどれだけいるのだろう。
まあ世には爆撃機そのものに無理やり座席を設置したような機体も多くあり、それらを貴族が自家用機としているわけだから、その辺はあまり関係ないのか。
しかし新聞を見たところ皇国航空は追加で6機も307を購入してしまったのか。
夏の五輪に合わせてユーグやNUPの資産家を皇国内に呼び込むための、フラッグシップ旅客機として採用するつもりらしい。
メーカー側がバリュー価格を提示してきたためにそこまで高額ではなかったとの事だが、バリュー価格提示は陛下による予想以上の反響あっての事らしい。
はからずして307のいい宣伝になってしまったな。
追加6機となると合計8機か。
白岩少尉はすでに退役して皇国航空に就職したそうだが、彼は果たして307に乗れるのだろうか。
◇
陽がある程度上った段階で演習が開始された。
歩兵部隊の装備はM1921に九九式短小銃というかなりの重装備。
しかもサブウェポンはモ式拳銃である。
演習は紅白に分かれて行われた。
この演習には演習用の実弾も使われる。
白組が襲撃機と機動歩兵部隊。
分隊支援火器などを装備した重装歩兵部隊であり、野砲なども装備している。
キ51こと百式襲撃機の役目は彼らの援護。
彼らの指示に従い標的を攻撃するのだ。
声を出さずに伏せながらゆっくりと展開する歩兵部隊に対峙するのは赤組。
戦車を中心とした第三帝国やヤクチアを意識した戦車部隊。
今回の演習では白組は軽装甲車までで、百式攻ことキ47と百式襲撃機がサポートする。
一方の赤組は航空機は一切無い。
制空権を獲得した上で重戦車部隊に遭遇した場合を想定した火力演習である。
戦車側には10m近く後方に標的掲げた付随車が接続され、キ51はここを打ち抜く予定だ。
――こちら第8歩兵連隊マツイ8番! 上空に展開するイカズチへ。前方の状況について知らせたし!――
歩兵部隊が展開する場所が丘となっているためなのか、歩兵部隊はモールス信号の通信と合わせて地面に寝そべりながら旗信号でキ47と交信を試みている。
今回の演習で百式攻はイカズチと呼ばれているのか。
本来なら部隊名だけでなく数字も付与されるはずなんだが、今回参加したのは二号機1機だからそれでいいのか……
――こちらイカズチ。前方2000mほど先に敵戦車部隊発見。探知機に反応アリ。繰り返す――
高度500m程度で上空を旋回しているキ47は、レーダーと有視界を駆使して、地上に展開する歩兵部隊へ注意を促した。
まるで現代戦だな。
見学席には拡声器で拡大されたモールス信号の音が空しく響くが、無線機器の改良はまだ当分先になる。
まだ音声通信は互いにできる時代ではない。
それでもモールス信号と手旗信号でかなりの動きを見せてはいるが。
――こちらマツイ8番。こちらマツイ8番。 敵の戦力をおしえられたし。敵の戦力はいかほどか? 敵の戦力をおしえられたし――
――イカズチよりマツイ8番へ。敵戦車は3。繰り返す。敵戦車は3――
遠くより履帯が地面をえぐる音が聞こえ始めた。
歩兵部隊が身を潜める丘の先にチハが12両いる。
チハの後方には標的が引きずられていた。
――こちらマツイ8番から司令室へ。我歩兵部隊につき殲滅不可能。撤退指示または地上火力支援を乞う。司令室へ。撤退指示または地上火力支援を乞う――
――こちら司令部。撤退は許可できない――
――マツイ8番より司令室へ。地上火力支援を乞う――
――こちら司令部。地上火力支援要請を受諾した。これより空域に襲撃機が向かう。――
司令部の通信が終わると、俺の真後ろから低空を高速で飛行して頭上を飛び越えたキ51の姿。
この百式襲撃機は試作1号機である。
――ゴウリキよりマツイ8番に連絡。これより地上火力支援に入る。機銃掃射後、速やかに突撃セヨ。繰り返す――
襲撃機より通信が入ると、キ51は軸線を合わせて旋回。
付近ではサイレンが鳴らされ、赤組の歩兵部隊へ撤退を促す。
軟鉄の演習弾とはいえ、当たれば命に関わるためである。
チハから多数の兵員がすぐさま脱出すると、周囲に展開していた赤組歩兵部隊も攻撃範囲外へと急いで逃れていった。
キ51はそのまま高速で戦車の真上を通り過ぎながら見事に3つの標的全てを打ち抜く。
――マツイ8番へ。状況終了。敵戦車部隊沈黙。速やかに突撃し、敵戦車部隊を制圧せよ――
――こちらマツイ8番。支援に感謝す――
マツイ8番とされる歩兵連隊は通信を終えるとすぐさま大声をあげながら突撃。
赤組の部隊が撤退前に配置していた人型の標的にM1921などを掃射しながら一気に近づき、そしてついに制圧を完了した。
チハに白旗が立てられると演習終了。
本当はここにロケット弾などがあるといいのだが、それでも地上火力支援など、未来の情報を頼りに、西条を中心とした上層部が考案した突撃戦法は見事に近代化されていた。
本来の未来ではこの時点だと単なる突撃でしかなく、分隊支援火器を用いた突撃で根性論で戦車を倒す展開になっているが、キ51とキ47の連携により、それから遥か未来の戦闘方法に変化していた。
なんというか……ここに戦闘ヘリが欲しくなるな。
実戦でこれが本当に出来るかは不透明だが、こういった演習を全部隊で繰り返す事で陸軍の戦法は様変わりしつつある。
やはり問題は通信機器だな。
有線式のモールスでは駄目だ。
望むべきではないが、レンドリース法が施行されたら真っ先に手に入れるべきはSCR-536。
こればかりは皇国内には日本支社があるだけで国内で製造していないメーカーが作っていてどうにもならない。
音声通信の方が失敗が少なくもっと早く動けるようになる。
それともラジオ通信関係に手を出してみるか?
ただ俺ではどうしようもない分野だ……
◇
演習が終わると正午となった。
富士では昼食会が開かれたが、兵員と共に食べるのは百式携帯軍用食1型として採用予定の試供品。
これの製造は現在大変な事になっている。
海軍はフリーズドライ製品を軍食に吹き荒れた神風であるとし、現時点での力任せな大量生産を考案して提案。
陸軍もその提案に乗っかってしまった。
立川にある食品工場を買い受けた統合参謀本部は、そこに技研の第七研究所と海軍の兵食関係の研究部門の人材を集め、真空管の製造機器、つまり1度に精々30食分程度しか作れない機器を用いて、数の暴力でもって量産し始めたのだ。
すなわち大量の人を動員しての大量生産である。
俺がもっと効率的な製造機器を作る前に待ちきれんとばかりにそんなことを……
統合参謀本部は皇国ホテルや赤坂の料亭の料理人などを呼びつけると、四郎博士の指導の下で多種多様なメニューを作り、標準メニューの策定をしつつも、とにかく大量のバリエーションを用意し、兵士の意見を伺って決定することにしたのである。
統合参謀本部の決定により、試供品を提供された兵士はアンケートに絶対回答する事が義務付けられたが、これは四郎博士がこれまで60万人にアンケートを渡しながら、回答者が3万人しかいなかった事を伝えていたためで、未来の軍用食のためにはより多くのデータを欲しいと懇願したための処置であった。
海軍は調子に乗って新鋭軍用食のポスターまで作成。
"お湯をかければアラ不思議!"――などと、失笑を禁じえないキャッチフレーズのものを配布していた。
この勢いとゴリ押し、まさしく松根油。
嫌な思い出がフラッシュバックする。
製造には周辺地域の手すきの農家の女性まで動員されているが、液体窒素の扱いに注意を払っている様子があるとはいえ事故が起こらねばいいが……
まあ彼らが本気になる理由はある。
試供品は海軍の軍用食の研究部門にも提供されたのだが、そこでの成分分析で栄養素が崩壊していない事が確認されたからだ。
俺はそれを知ってるが、改めてそれが証明されたことが機運となった。
ようは航海において一番大切なビタミン類の源を、長期保存可能かつスペースを全く取らないフリーズドライ製品に置き換えられるというのは、彼らにとって革命的すぎるのだ。
その分のスペースを水を貯蓄するタンクにすればいいわけだから。
特に冷蔵庫がない小型艦の乗組員にとっては、これほど素晴らしい存在も無かった。
まあ、水が限られる海軍にとって新たな問題も生まれたけどな。
一番重要な水をどう確保するかだ。
フリーズドライは結局水で戻さねばならないが、海水では塩分が強すぎて問題がある。
そのため、従来は潜水艦専用とされていた蒸留機器の導入を検討しはじめた。
加賀艦内でも飲み水には苦労したが、フリーズドライ最大の弱点はそこだ。
作れるようになってしまったほうがいいだろう事は間違いない。
――などと考えながら周囲の状況を見ていると、やはりフリーズドライ製品は歩兵部隊の兵員にとってもとても美味しいようだ。
バクバクと勢い良く食しているばかりかおかわりまでしている者達もいる。
残念ながら歩兵部隊向けの戦場における軍用食は正直粗食に近かった。
パイロットや戦車乗りなどが優先されたためだ。
それでも梅干至上主義ではなかったが、乾パンなどが彼ら向けのレーションだったのだ。
乾パンは俺は嫌いではないが、正直飽きる。
そういう意味ではこの動きは正しいのかもしれない。
白組と赤組の兵員達は"歯ごたえがあれば最高なのだが"――などと、食感が不足している現在の百式携帯軍用食唯一の欠点の改善を望んでいた。