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番外編8:親衛隊の統率者は謎のメモ紙に頭を悩ます

 それはまだ彼が地下塹壕にもぐる前の事。


 広々とした室内にこじんまりとした机をこさえた男の前に一人の眼鏡をかけた男性が現れる。


「ジーク・ハイル!」

「どうしたのかね。ワシは書類を片付けるのに忙しいのだが」

「どうか私に少々のお時間をいただきたく存じます。まずはこれを見ていただきたい」


 それはそっと置かねば崩れ去ってしまうほどに虫食い状態の紙切れではあったが、薄汚れてはいるものの辛うじて文字が読める状態となっている切り取られたメモ張の1ページであった。


「ツウゥーガー? なんだねこれは」

「ここ最近、ハンブルグ市内で出回っている紙切れです。今やベルリン周辺でも出回り始めるようになりました。回収しても回収しても大量に複製されるほどに出回っています」

「漢字なのかこれは」


 日頃総統と呼ばれ第三帝国の主導権を握る男は即座に"敦賀"と書かれた文字に反応を示す。

 この辺りでは見慣れない言語であったためである。


「ええ。解読させましたが東亜のものです。我々の母国語で記載されたメモもありますが、最も多く出回っているものをお見せしております。内容としては"この国は君達を守らない。死にたくなければ敦賀に行け"――とあります」

「ツルガとはなんだ」

「皇国の国際貿易港です」

「どこかで聞いたことがあるな……」


 特徴的な髭を生やした壮年の男はペンを置き、しばし考え込む。

 しかし答えは目の前の男性が用意してくれていた。


「閣下が以前、皇国の首相に対して外交ルートを通じて批判した際、外務大臣から報告があった地域です。エーストライヒ、ポルッカなどから逃走を企てたユダヤは統一民国を横断した後、上海か敦賀に向かう脱出ルートがあるのです」

「ああ、それか……今思い出した。しかし、なぜ突然そんなメモが流通するようになった」

「我が親衛隊の部下の話によりますと、先々週頃にハンブルグの公園でなにやら皇国の軍人が配っていたと」

「なぜその者を拘束しなかったのだ?」


 総統はそのメモ紙に対して特段興味は示さなかったが、親衛隊が拘束しなかった点については多少の憤りを垣間見せる。


 明らかに口調は荒くなった。


「その者は四名いる皇国の首相補佐官の一人です。あの西条がやたらかわいがっていると噂の航空エンジニアです。大した人間ではないともっぱら言われております。ブタペスト会議の写真でご覧になられた際に閣下も興味を示した人物です」

「ああ、あの男か。まあ随分と若すぎたのでな。私はてっきりあの男は宣伝相かなにかかと思っていたが、西条が同性愛者でなければ何者なのかさっぱりわからん。航空機好きの少年にしか見えんよ。だが、だとしても一時拘束ぐらい可能だったのでは?」

「あの者は正規の手続きを踏んで工場見学などに招かれた来賓。仮に拘束すれば外交問題になります。親衛隊とて馬鹿ではありません」

「来賓?」

「ええ。無論閣下が隠したい存在は覆い隠し、表向きの最新鋭機を見せてごまかしてやりました。何やら事前情報を得ていたようで、情報と変わらぬ性能だと通訳の男と会話をしておりましたが……我々の現在の技術力を過小評価して安心していた様子であります。随分な愚か者です。真打たる存在がいることにも気づかんとは……」

「当人は阿呆で何かの加護を受けた類の者ということか。稀にそういう人間はいる。どちらにせよ無能の証左だな。国家に対してどういう影響を与えるか考えておらん」


 シナノと呼ばれる男は現在、その若さ故にどういう人物なのかユーグ各国から詮索されてはいるのだが、ほぼ一致する見解は"政治家ではない"ということ。


 彼に対する評価は"ただのエンジニアの端くれ"であり、賢い人間とはみなされていなかった。


 しかしヤクチアなど一部の地域ではあえて愚か者を演じることで皇国の裏に潜む魔物を覆い隠しており、表向きはシナノがそうであるかのように見せかけるため、あえて中途半端な態度をみせているのではないかと予想している。


 何しろ、シナノは政治に積極的に関わる様子はなく首相補佐官といっても首相のすぐ近くで黙り込んでいるだけで、お飾りにしては過ぎた人物であった。


 唯一の謎は皇国陸軍の者が誰一人としてこのコネだけで居座る人物を否定しないことである。


 そこにシナノの妙な魅力があったのだが、各国の者達はそれが"西条のカリスマ性"によるものだと考えていた。


 ここに大きな落とし穴があることに誰一人として気づかず、信濃忠清は自覚無しに自身の身の安全が保障されていたのである。


 もし仮に彼がもっと表立って活動していたならば、即座に出る杭を打つがごとく始末されていたであろう。


「ヤクチアではアレを工作員とみなしているようですが、アレで工作員だというならヤクチアの情報収集能力は大したことがありません。ただ、民衆を扇動する力はあったようです。ここ最近ハンブルグからは敦賀に向かう難民船が多く出港しており、すでに数千名単位で皇国に向かいました」

「何か問題が? 我々が手を下さずとも移住するならば我が第三帝国は浄化される。この地域が浄化されることが君の望みでもあったはずだが」

「メモ書きは切っ掛けにすぎません。このメモ書きが広まることで危機意識が植え付けられ、クーデターが起きる可能性があります。表向き、防共協定を結ぶ友好国の軍人がこのような事をしたというのはユダヤの連中ならばすぐさまその裏の意図を意識することでしょう。過剰なまでの被害妄想は彼らを団結させ、武器を取って抗う可能性がある。これまでベルリンにいる7万のユダヤは、まだ自分達がこの場所で生きることを許されているのだと考えております。我々が心から排除したいということを理解できていない。しかしこのメモで我々の意識以上に捻じ曲がった被害妄想を抱き、武器を取られるとなると……」

「下らん」


 聞いていた時間が無駄だったとばかりに大きく息を吐く。


 総統の思考力の速さによって、すでにその対抗策は頭に練り上げられていた。


「ならば話は簡単だ。親衛隊に命じておけ。そのメモ書きの通りに移動する方が賢明だと伝えてハンブルグの港を開け」

「よろしいんですか?」

「皇国は防共協定締結国。渡航許可など不要だ。自由に渡航許可を出せ。そんなメモで同調意識を持つ可能性があるというなら、その方向性を移住に向けるように調節すればいい。大量の難民をもてあますのは皇国だ。人道的見地に基づいて保護すると宣言した西条には、その宣言の重みを肌で感じ取ってもらおうではないか。ベルリンに7万。ハンブルグに2万。皇国にそれだけの人数を抱擁できるというならやってみるがいい。この際だ、皇国にのみ渡航許可を許し、従わぬ者に罰金を処すというのはどうだ? きっと他の者も賛同するぞ」

「はあ……」

「約9万のユダヤをこれで楽に処理できる。エーストライヒを除いた我が国が浄化されるのだぞ。早くしろ」

「はっ! ただちに!」


 ばたばたと部屋の外へと駆け出す男を見送ると総統はすぐさま仕事に戻る。

 しかし、しばし書類にサインをしたところでペンを動かす手が止まった。


 机に残されたメモ書きに総統にも読める文字で不思議な文面が書かれている事に気づいたのだ。


「国籍の剥奪は生命を不保証とする……か。面白い事を書く奴だ。親衛隊のトップは愚か者と揶揄したが、教養が無いわけではなさそうだ。皇国の若者に教育が行き届いているという話は嘘ではないようだな」


 あまりにそのフレーズが気に入った総統はもっと上質な紙に全ての内容を完璧に書き写して胸ポケットに入れた。


 後で個人的に解析させて他にも面白いフレーズが無いか探ろう。

 そう頭に描きながら再び自らの業務をこなす。


 帝国の総統は暇つぶしの手段の1つを見つけると、バリバリと全盛期の姿のまま一人広い部屋でペンを振り回した。

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