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番外編7:ある上級将校の苦慮

「なんなのだ! 一体これはなんなのだ!」

「はあ……」


 また始まった。


 ブタペスト会議が終わってからというものの、元帥はずっとこの調子だ。


 新聞を読んでは怒り狂い、時には拳銃を乱射して暴れまわる。


 元帥は各国にいるコミンテルン所属の者達から資料を取り寄せているようだが、その中にはこういった新聞や雑誌類もあるのだが……


 ここのところもたらされる情報は我らがヤクチアにとって元帥にとって思わしくないものばかりのようだ。


「ムッソリーニめ! ムッソリーニめ! ムッソリーニめえええ! あの豚、あの白豚……あの……あのユーグの悪魔め! あんな方法でNUPの支援を取り付けるなどやってくれる!!!」


 ワナワナと震えながらバサバサと新聞を揺らして怒り狂う姿は、まるで頑固親父のようである。

 ここのところのユーグの新聞と言えばムッソリーニ一色だ。


 NUPの事実上の支援政策の表明が響き、大恐慌での失敗を見事に挽回しつつある男を持ち上げていた。


 元帥はさぞこれが気に入らぬのだろう。

 だが新聞を揺らす前にやめてほしいことがある。


「同志スターリン……どうか銃はしまっていただけないでしょうか。そんなに泥酔した状態で銃を片手に歩き回られると身の危険を感じます」

「すでに弾は撃ちつくした! 見ろっ」

「あわっ!」


 自らの眉間に銃口を押し当てた元帥は何度も撃鉄を起こして引き金を引く。


 パチンパチンとむなしく音が響き渡るが、いつもと違い、ここ最近は銃に弾丸を込めているそうなので弾数を数えていなければ大変なことになっていたであろう。


「まさか弱小国がモンロー主義を掲げる大国を経済的に揺さぶる方法があったとはな! 私は外交的対話だけが唯一NUPの力を得る方法だと考えていた。忌々しい。羨ましい。我が祖国の経済学者はこの方法を考案できなかっただと!」


 ああ……最近相次いで経済学者が殺されたらしいが、これによる癇癪の影響か。


 今日も3人死んだ。


 私はその3人に打ち込まれた弾丸によって弾切れを起こしただけの、拳銃に辛うじて生かされているだけに過ぎない。


「アペニンには帰還を果たしたバルボもおります。彼の帰国は我々にとって最大の想定外であったかと……」

「そうだ! 今ムッソリーニを殺してもバルボがトップに立つだけだ。そうすればNUPは全力でアペニンと手を結ぶ。最悪のシナリオだ。わかっているのだムッソリーニは。そうすることで自分の座席が危うくなっても私に殺されなくなるとな!」

「暗殺部隊は送り込まんのですか? バルボごとやれば……」

「バルボが殺せるならとっくにやっている。奴にはすでに50人差し向けた。しかし奴によって40人が懐柔されて私を殺しに戻ってきた。残る10人はバルボの手下にすらなった。50人全てが私を裏切った。全てだ、全てだぞ! あのカリスマは簡単に殺せん。最後にバルボに刺客を送り込んだ後にNUPから警告を受けてしまった。奴はそうやって私の首元を掴んだのだ! そしてムッソリーニは奴を近くに置くことで自らの命を紡いだ。自分が死ねばもっと我々にとって恐ろしい人間が後釜になる。第三帝国に勝たんがために平然と冷徹に冷静にそれをやった!」


 40人戻ってきて誰一人暗殺を果たせなかったというのも驚きだが、元帥スターリンを裏切らせるほどとは……


 バルボは今後の脅威かもしれない。

 今、ユーグではこの男に並ぶ人材は早々いないだろう。


「ところで同志スターリン。例の男についてはどうなんですか」

「あの首相補佐官とかいう若者か? 奴は政治に何も関わっとらん。どう見ても見せかけだけの人形だ。各国の反応も皆同じ。あんな20代過ぎの若者が裏で実権を握っているわけが無い。実際、同志達による決死の情報収集では、奴は航空機について多少知見があるようだが……それ以上の活動はまるでないと報告があがっている。奴の生み出す航空機は優秀だというが、それも眉唾だ。ただ、その見せ掛けの人形すら簡単に殺させなかった。20人差し向けたが全滅。ふん、西条は優秀な男だな。あんなよくわからん若者ですら我々の忍び寄る手を払いのけるとは」

「それは逆に本当に裏で実権を握っているという可能性は?」

「無いな。コミンテルンの情報ではヤマトなる本命がいて、その者が皇国の裏で皇帝にも告げ口している者らしい。シナノはそれを隠すための囮である一方、囮としてはとても優秀でコミンテルンの刺客を倒せる人間とのことだ」

「実際に倒されたのですか?」

「ここ最近は音信不通になる者が多いのでわからん。いるかもしれんがいないとも言える。ただ、尾行を撒くのがすさまじく上手く、コミンテルンの同志達の話では工作員ではないかとの事だ。我々を欺くための工作員だとするなら全てにおいて合点がいく」


 元帥もおっしゃる通りシナノに裏などないのだろう。


 私も知り合いの将校から聞いた話だが、シナノは皇国で工作員の教育を受けた人物であり、あるように見せかけた諜報員といった程度だとのことだ。


 その将校からは実際の皇国には影に本物の技術者がいると聞いた。

 割と確かな情報筋からの信頼のおける情報らしい。 


 その者は名前すら明かさず皇国の背後で行動し、皇国の技術の飛躍などに深く関与しているとのこと。


 ブタペスト会議に現れたあの若者は各国もデコイと見ているようだが、20代の男など人生経験も少ない。


 政治的な立場も弱い。


 あくまでこの男は己がそうであると見せ付けるためだけの立場なのだろう。

 殺したとて似たような男が次々に登場するだけか。


「ヤマトについては顔写真なども入手できている。奴らがシナノなどというふざけた若者を持ち上げている間に我々は本命を先に倒し、皇国の勢いを封じ込めてやろうではないか」


 机に無造作に投げられた写真には、いかにも優秀そうな皇国陸軍の軍服を身に着けた男の姿があった。


 シナノなどという、自国の礼服なのにも関わらず挙動不審で明らかに年齢相応に緊張していた者とは纏うオーラが違う。


 写真で見ればそれが囮だとすぐさまわかった。


 皇族の少女の方が年齢不相応に落ち着いていたが、ヤマトとは彼女が惚れ込む男でもあるらしい。


 どんなに訓練されたとて、未熟さは隠せないということか。


「ではあの首相補佐官は放置するのですか」

「同志グルーゼンベルグ。そう簡単に言ってくれるでない。皇国にわずか10人送り込むのに数千人単位の人間が必要となる。簡単に始末できるほど列強国はどこも甘くないわけだ。何よりも西条の目は鋭い。あの男は未来を先読みしているのではないかと思えるほどだ。いまや東の島国の同志達は全滅し、外部から送り込む他なくなった。それも全て西条によるものだそうだ。蒋懐石に並ぶ男が皇国の首相になるのを止められなかったのは失態だ。あの頃はまだ皇国に大量の同志達がいた。それが今や一人もおらん。まるで情報が入らん。シェレンコフによる対策も相まってアペニンに送り込むより難しい。亡命させるぐらいならもう少しだけあの男には優しくしておくべきだった」


 シェレンコフ元大将もなんだかんだいってまだ生きている。


 彼にも大量の暗殺者を送り込んだそうだが、逆に6名もの刺客を送り込まれた。


 彼らは元帥にラブレターだけ渡して消え去ったというが、後一歩で元帥は殺されそうになっていた。


 シェレンコフ大将は"次に送り込めば貴様の命は無い、今日生かしておいたのはヤクチアの未来のためだ"――と元帥が震え上がるメッセージを送ったそうだが……


 噂じゃ失禁したと言われている。


 何しろ元帥が一人だけで就寝していた無防備な状況に6名は突如として現れ、元帥を縛り上げた挙句、後1歩で殺せる状況にまで至り、それで殺さなかったのだから。


 元大将がなぜ生かしたかはわからない。

 正直、そこで殺すべきだったのではないかと思っている。


 あの日からだ。

 元帥がまるで鋼鉄の金庫のような寝室をこさえたのは。


 窓やドア、壁などを鉄板で覆っただけでは意味なかった。


 彼らはさも当たり前のごとく寝室に忍び込み、元帥はラブレターを置かれた状態で翌日ベッドに縛られた状態で発見されたらしい。


 元帥は私以外に対してシェレンコフ大将は影の味方だと言い、皇国に送り込んだスパイだった事に気づかされた……などとうそぶいている。


 実際は大嘘。

 次が怖くて手を出せなくなった。


 私はそこで初めて元帥もまた人間であるのだと理解できたが、元大将は中央機構ならびに中央委員に所属。


 元より内なる味方がヤクチア内にいるのは彼の方だ。


 元帥がそれに気づいたのはまさに死の恐怖を味わったその日。

 彼は当初シェレンコフ大将が送り込んだ人材を楽観視していた。


 奴が送り込んだ人材には我々の同志達がいて、彼らの裏切りによって暗殺は失敗する……そう笑って話してくれた。


 だが実際には送り込んだ同志達は全滅していたようだ。

 何者かすらわからぬ工作員がそのまま元帥の目の前にまで現れた。

 それは普通に考えれば千載一遇のチャンス。


 だが元大将はそれではヤクチアは変わらんとばかりに、元帥を生かした。


 あまりの恐怖に元帥は工作員を探し出すことすらできなかったというが、生かす必要などないはずだ。


 殺した上で貴方が元帥になればよかったはず。


 彼の行動原理はわからない。


 私としてはできれば早く元帥との関係を終わらせたい。

 それも私が生きる方向性で……だ。


 シェレンコフ元大将が手を貸してほしいというならばやぶさかではない。

 何よりも元大将に対して今のもの言いは気に入らない。


 一体どれだけの人間を抹殺しておいて失態だったなど……

 

「同志スターリン。後悔するなどらしくないです。貴方は後悔してなど駄目だ。未来は常に変えられるのであれば後で後悔しない方向に事をすすめるべきなのです」

「面白いことを言うなグルーゼンベルグ。ヤクチアの指導者は後悔してはならんのか」

「ヤクチアの指導者は絶対がモットーですので。元帥の行動は全てが最善の行動、元帥の行動は全てが成功なのです。失敗などあるわけがありません。失敗などという言葉は貴方の身を削ります」

「忠告として受け取っておこう同志グルーゼンベルグ。だが私も人間だ。後悔の1つや2つあるに決まっている。こと今の国際情勢はまるで読めん。どうして我々は常に先手を打たれるのか。皇国だけでなく世界の裏に何か潜むようにすら感じる。ムッソリーニの背後にも何かいるのではないのか。バルボなどとは別の存在が」

「私はそうは思いません」

「ほう?」


 冗談半分で話を聞きたいのか、元帥は手に持ったワインのビンが空になるまで飲み干した。


 普段は他人にやらせることを今は自分でやっている。

 飲まねばやってられないとばかりに。


「ムッソリーニが今の状況に舵を切ったのは第三帝国の総統のせいです。彼は欲を出しすぎた。自分達が強者だと圧力をかけすぎた。エーストライヒ併合を含めてムッソリーニに高圧的な態度を取り続けた事でムッソリーニがチェンバレンに近づくのは必然であった。チェンバレンとムッソリーニは相性が悪いように見えて、ムッソリーニが掌で転がすような状態となれば両国の関係は上手く行く」

「確かに、ここのところチェンバレンはムッソリーニに転がされるのを望んでいるようにすら思える」

「その方が王立国家に優位な話をもってきてくれるからです。思想はまるで違う二人ですが、チェンバレンの温和な対応が却って功を奏したのでしょう。ムッソリーニもある程度の配慮を見せつつ、世界全域において影響力を持つ自身の立場に満足し、あえて横暴なことをしなくなっている……これが歯車がかみ合った状態となり、彼らが共通の思考である反共主義という刃が我々に向けられた。この間の会議などはファシズムの勝利といって過言ではなかったはず」

「あれはもはやファシズムではない。奴が目指すファシズムの進化を垣間見た。民族主義の先にあるのは民族団結主義なのやもしれん。たしかに地中海中央銀行やらなにやらの一連の政策は奴のファシズムたる思想で成り立ってるやもしれん。社会主義的な側面もある一致団結でもあった。だが、共産主義でもなければ社会主義でもない。資本を活用した国家と国家の協力体制。これを説明付ける言葉などない。それでも私は挑む。まだ負けではない。奴らが多少軍拡を果たしたところでNUPのさらなる支援が無い限りやつらに勝ち筋などないのだからな!」


 テーブルを叩く音は勇ましいが、なぜだか私には元帥の言葉が希望的観測に感じられた。


 東亜三国体制が構築されてから、ヤクチアにとってよろしくない流動が起きている。

 まるでそれを望んだように。


 ムッソリーニは時代という流れに乗っただけで、その強大な流れを生み出した人間がいるのではないだろうか。


 それがヤマト?


 いや、皇国の人間はさすがにそこまでの者ではない。


 西条はそれなりに優秀な指導者であるようだが、ムッソリーニなどには劣る。


 東亜三国はブタペスト会議で目立つ行動は示さなかった。


 人間性は評価されたようだが……皇国の皇帝には劣るように思える。


 ユーグの会議だからということもあるが、あの程度の男がこの状況を作り出したとは言えない。

 しかし誰かが流れを変えたとは思う。


 その流れに便乗しやすい環境もその者がこさえたのだとも思える。


 私はNUPにそのような人間がいるのではないかと思う。


 商売人達の連携と動き方が怪しい。

 奴らが手を組んだ企業連合体の裏に何者かがいる。


 その者こそ世界の裏に潜む魔王だ。

 だが元帥には口が裂けてもNUPの裏にいるなどとは言えん。


 NUPの大統領とは仲が良く、言えば私は即シベリア送りだろう。

 最近体調が悪いあの大統領の次の代になれば全てがわかるかもしれないな。


「ふふふ。まだいい。まだ大丈夫だ……兵力ならヤクチアの方が上だ。我らは負けん……負けんのだ」

「それでは私はこれで」

「ははははは。はーーーーはっはっはっはっ」


 完全に酔って錯乱している元帥から離れ、一人で屋敷から離れる。

 あそこまで酔うとさすがにこういう失礼な行動も許される。


 酔った後で自己嫌悪するのが元帥という男だ。


 なるべく早く、ヤクチアが生まれ変わってくれ……

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