第70話:航空技術者は皇国に人間工学を駆使したみやげ物を持ち帰る
Bf109の工場見学が終わって数日後。
俺はまだ第三帝国内にいた。
理由は皇国が全く意識していなかった陸上機動兵器の購入のためである。
すでに四井物産を通してそいつの購入とライセンス契約を結ぶことは決定していたのだが、皇国に運ばれる直前の完成したばかりの試作機を確認できるとのことなのでハンブルク港に訪れている。
本来はこの時期に第三帝国に来るなど考えていなかったので、これは偶然の出会いと言えるな。
でも運ばれる前にどうしても見ておきたかったので数日ほど滞在したのだ。
俺はこいつを山崎に量産してもらおうか迷っているが、"山崎か……"――なんて感じに改悪されても困るんだよな。
でも現状でこのジャンルに手を出しそうなメーカーが山崎しかいない。
遠心クラッチの技術もあることからこのメーカーしかないか。
◇
一人静かな港へと移動すると、そこには一部のパーツに銀メッキが施された一台の輝く二輪車があった。
ZDB125である。
普通の人間ならこう思う事だろう。
なぜR75ではなくこれを購入したのか。
DB601エンジン開発メーカーの子会社が世に出したR75の方が優れているのではないかと。
アレは皇暦2601年に誕生するが、俺は手に入れる気なんて毛頭無い。
ZDB125を選んだのは生産性という意味合いもあるが、理由は簡単。
このバイクこそ後の皇国に最も影響を与えた大衆二輪車の父親であり、そしてこのバイクこそが後の全ての二輪車のデファクトスタンダードだからだ。
ZDB125。
来年販売されるこいつは皇暦2599年の車の祭典に試作機が公表される。
そして7月上旬現在、すでに公表されて発売直前という状態にある。
第三帝国の大衆車として発表されたこいつは125ccで100km巡航が可能。
というか100km巡航は当然アウトバーンでの利用を考えての事。
100km巡航は全ての大衆車の絶対条件だったわけだが、排気量に対するパワーも高く、かなり高性能な部類のバイクだった。
何よりも最大の特徴は道を選ばない走破能力と、極めて頑丈かつシンプルな構造のフレームとエンジンと、どんな劣悪なエンジンオイルでも動くという耐久性等、後に皇国に登場するカブに似ている。
というよりも、カブを作る際の参考車両がこいつの息子である、戦後に販売された名車FOX125なのだ。
ZDB125はその父親なのだが、FOX125とZDB125は殆ど差異がない。
何が違うかというとフレーム。
FOX125こそかの有名なカブの原案ともいうべきバイクであるが、ZDBの頃は溶接パイプ形式のシングルクレードルフレームだったものをFOX125ではプレス成型バックボーンフレームとしたのである。
性能の差よりも生産性を重視しての改良で、名前こそ変わったがマイナーチェンジと言ったほうがいい。
圧倒的生産性の高さからFOXの方が手に入れたい代物であるが、残念ながら登場は皇暦2609年。
今はその父親であり、シングルクレードルフレームを採用するZDB125しか手に入らない。
こいつだって試作機だから半年近くの前倒しの入手。
現時点ですでに完成していたりするが……な。
10台ばかり手に入れたこいつを何に使うかというと、二輪を用いた機動歩兵部隊を組織するためなのと、大衆文化に二輪を持ち込みたいという思惑の2つ。
特に後者はインフラ整備に関わるから割と重要。
皇国では本来の未来においても郵便配達などに二輪が使われ始めているが、統一された二輪車種が存在しない。
俺はそこに一石を投じて各種インフラに影響を与えたいわけだ。
それだけの性能と生産効率の高さがこいつにはある。
歩兵部隊も重要だが、歩兵部隊は別に乗り物という存在を一切用いないわけではない。
機動歩兵部隊。
それは東亜においては凄まじい戦果をあげ、華僑を含めて東亜における戦争のあり方を証明してみせた存在。
そしてその東亜における戦争において活躍したのが、皇国の二輪車達であった。
戦後ヤクチアは二輪に興味を示さなかったため、ヤクチアに蹂躙された皇国と言えば二輪車開発ぐらいしかやる事がなかった。
だが皇国には王立国家や第三帝国の二輪車が多数輸入されており、進駐軍も二輪を用いていたために修理やその他を代行していたメーカーを中心に、ポツポツと国産メーカーが現れて最終的に四社のメーカーが台頭する。
その中の1つに山崎もいるのだが、山崎はまあ……当時は正直なんとも言えない二輪屋で、もっぱら二輪と言えば技研工業と発動機という会社名の二社が牽引していた。
これは後に逆転するのだが、70年後の未来においては最も品質が高い二輪を繰り出すのは山崎。
世界のバイクを牽引する圧倒的品質を誇るようになる。
まあそれはどうでもいいんだが……
その技研工業が世に繰り出す大ヒットバイクはプレス成型バックボーンフレームを多用していたが、参考とされたバイクこそがZDB125の息子であるFOX125など。
当時の舗装路もまともにない皇国においては、FOXの魅力は凄まじかった。
走破性もさることながら、何よりも最大の特徴は操作性。
この世において、"左手クラッチレバー"、"左足シフトペダル"、"右足ブレーキペダル"、"右手ブレーキレバー"を最初に採用したバイクこそZDB125で、その改良版たるFOXも同方式を踏襲していた。
このバイクを製造していたメーカーは元々二輪レースで名を馳せていた。
自動車分野でも当時はトップクラスの生産能力を誇っていたが、王立国家やNUPと熾烈な二輪競争も繰り広げていたのである。
そこで彼らが着目したのは二輪の危険性。
こと当時の二輪はレースに出れば死傷者続出。
それだけでなく大衆車も乗り手のケガが多く、"危険を顧みずに乗る四輪の妥協の産物"――などとみなされていた。
未来でもそうじゃないかっていう人間もいるだろうが、そんなレベルじゃなかったんだ。
はっきり言って乗り物と言えるようなものではなかった。
しかし四輪など簡単に購入できるわけではなかった時代。
だからより安くて気軽に乗れる二輪が注目され、やはり若者などを中心に遠くに行きたいと志す者達から渇望されたのだ。
アペニンなどがスクーターなどを開発しようとする傍ら、第三帝国のメーカーは"二輪をまともに乗れるようにする"ことを掲げ、皇暦2600年までにそれを世に送り出すことを考え始める。
そこで着目したのは、どういう時に人は転倒するかということ。
彼らは当時戦闘機の分野でも研究が盛んであった人間工学に着目し、それを二輪に適用させようとしていた。
この当時の人間工学というのは、ある動作をした時に人は連動してどういう動きを示すのかといったもの。
例えば車で言えば、アクセルの位置は右の方がいいのか左の方がいいのか……そもそも足である方がいいのか手の方がいいのか。
そんなことを第三帝国を含めた各国は真面目に研究していた。
何しろ特許化したら莫大なライセンス料が徴収できるんで、デファクトスタンダード化はより飛躍するための足がかりとなる。
だからどこも"基本操作方法"というものを構造的に生み出そうと躍起になった。
それは軍事においても言える。
皇国も航空機分野で言えば射撃用のトリガースイッチの配置や、各種レバー類の配置にはかなり拘っており、技研では日夜研究が繰り広げられている。
大事なのは瞬間的に人間が示す反射的な行動。
これが生死を左右する。
つまり瞬間的に人が示す動きに連動した操作方法とすれば、より安全ないしより高性能な操縦システムとなるということだ。
ZDB125を開発したメーカーは何度も試験をしたり、事故の実況検分に立ち会ったりしてみたところある事に気づく。
当時のレース中、あるいは公道走行中の事故の大半が、その当時では当たり前だったレバー式シフトレバーの操作に起因するものだった。
当時のバイクでは、シフトレバーに対し、各国によって全く統一されないクラッチ操作となっている。
真っ先にクラッチレバーをハンドルに移植したのは王立国家。
しかしその王立国家もシフトレバーは手で操作するもの。車と同じほうが混乱しないと思われたのでそうしていた。
NUPなんかは完全に車と同じ足での操作となっていたが、王立国家がハンドル側に移植するとそれを真似しだした。
しかしZDB125のメーカーは気づく。
このシフトレバーを操作するとき、バイクは最も不安定になるのだと。
そもそもがこの時代のクラッチはまだ発展途上。
ギアチェンジするだけでギクシャクするのは当たり前。
その状態でハンドルから片手を離し、しかも右手ないし左手をバイク中央側に運んでシフトレバーを操作する。
そうなるとどうなるか。
体の重心は左右どちらかにズレる。
この状態でふいに左右にバランスを崩したら復帰できない。
二輪はハンドルを握った状態で初めてバランスを確保できるのだ。
未来の二輪ライダーならこう言うだろう。
"当たり前だろ"――と。
しかしその当たり前になかなか気づかないものなのだ。
そこに一番最初に気づいたメーカーこそZDB125のメーカー。
そのため、ZDB125を作る前の段階にて皇暦2593年に、レース用として史上初めてシフトチェンジペダルを採用した二輪を出してみた。
これが大成功。
以降すぐさま王立国家が模倣するほどの成績をレースで収め、二輪の理想系が見え始める。
そこでこのメーカーは民衆の希望に応えて、皇暦2604年にシフトチェンジペダルを採用した排気量別に三種のバイクを出した。
351、501、601と呼ばれるシリーズだ。
しかしそのバイクを世に出したところ再び事故が多発。
あまりに危険すぎて新聞で批判されるほどだった。
メーカーはそんなつもりがなかったのにだ。
ZDB125のメーカーは頭を悩ませた。
自社のバイクで既存の形式より事故が多発したことで、自分達は間違っていたのかと苦悩する。
そして事故の調査重ねる上でようやく気づいた。
事故は全てギアチェンジの際に発生していたということを。
ギアチェンジの危険性を解消しようとしたシステムが却って事故を多発させたのだ。
原因はすぐさま判明する。
それは人間はパニックになる、もしくは止まろうとすると、両手を掴みつつ 足で踏ん張ろうとするのである。
この時の足は主に利き足を踏み込むのだ。
これが70年後の未来で社会問題になる、アクセルとブレーキの踏み間違えの原因。
俺が思うに車ってペダルを放すと加速するようにした方がいいんじゃないかと思う。
そういう車が実際にいくつかのメーカーから出てくるんだが、あの操作方法は実に人間工学的に正しい。
ようは351、501、601シリーズは正しくなかったのである。
351、501、601シリーズは右足シフトペダル。
危ないと思って踏み込むとクラッチを切った状態でギアチェンジする事になり、そのまま惰性でバランスを崩すか、慌てて右足か手を離してエンストして体制を崩す。
これが事故の原因だった。
レーサー達は操作に慣れていたが大衆ではそうではないのだ。
メーカーはそこでついに気づいたのである。
"第三帝国の人間は8割以上が右足が利き足なのだから、右足にシフトペダルを配置すべきではない"――と。
そして、"両手を握りこむ癖があるならクラッチレバーの位置は間違っていないが、利き腕が右腕の人間ほど左手を内側に引こうとする"――ことに気づき。
ハンドルをなるべく真っ直ぐに保つには、右手ハンドブレーキ、左手クラッチレバーこそが最適解であると理解するに至る。
そう、航空機のスロットルレバーが左にあり、引けばエンジン出力が下がるのはこの人間工学に基づいてのものであるし、ラダーペダルを踏み込むと両輪ブレーキまたはエアブレーキとなるのもこのため。
何よりも一番重要なのは、プロペラの回転方向。
Bf109やFw190などでは多少右側にラダー操作しないと安定しなかったが、これも緊急時に右に踏み込みすぎてスピンするのを防ぐため。
そのためにプロペラの回転方向を反時計回りとすることで、左側にあえて流れやすくしていた。
大半の人間が本能的に生命の危機に陥ると右足を踏み込みやすいからだ。
航空機の分野ではこういった人間の反応には早く気づいていたし、戦術論にすら取り入れられたりしたが、いかんせん大衆文化の自動車分野なので独力で気づくしかなく、彼らは皇暦2597年になってようやくそれに気がつき、そして満を持して登場させた存在がZDB125というわけだ。
これが大成功。
大戦期においてこのバイクは枢軸国どころかNUPや王立国家にまで輸出。
信じられないと思うが王立国家が機動歩兵部隊に使っていた。
敵性国家の二輪を輸入して自国で使うほどの性能があったからだ。
実際に写真もある。
R75を繰り出す第三帝国の機動歩兵部隊と戦った王立国家の軍人は、自国のメーカーの二輪と共にこいつに乗っていた。
そしてその結果驚くべきことに、皇暦2606年にはすぐさまこのメーカーは生産再開を許される。
戦後の第三帝国において真っ先に生産活動の許諾を許されたメーカーの1つなのだ。
R75のメーカーがその3年後なのを考えたら早すぎる。
理由はバイクが優秀だったからというのもあるが、このメーカーが総統閣下が大嫌いで、総統閣下はこのメーカーが好きだけど軍事と遠ざけていて、各国もこのメーカーを高く評価していて……
……と、様々な理由が重なったからなのだが、やはり一番大きな理由は軍事や警察、消防と、ありとあらゆる分野で使える走破性が評価されてのこと。
戦後ヤクチアに占領された皇国にすらこいつは輸入されてきているし、そもそも戦中にも少数ながら輸入されてきていた。
とにかくこいつが示したのは、二輪とはこういうものなのだということ。
王立国家、NUPの両国は最終的に特許を購入してまで同じ操作法とするわけだが、真っ先にそれをやったのが皇国。
皇国がそれをやって世界の二輪レースで勝利すると、当初こそ同じくシフトチェンジレバーやシフトチェンジペダルだった王立国家は、あえてこのメーカーと真逆の配置にして特許紛争にならないよう調整したが、しばらくするとさすがに諦めた。
以降、世界の二輪は全てこの構造となり世に広まっていく。
挑戦的な構造とする意味がないほどに……
それだけこの構造による走行時の安全性が立証されていた。
そしてその影響を多分に受けて誕生した皇国の二輪は、とある東亜の国における戦争で互いに争う事になる。
カンプー王国とNUPが史上初めて敗戦した東亜社会主義共和国との戦争でである。
未来の東亜社会主義共和国ではとても嫌われる存在がある。
オフロードバイクである。
一方で未来のカンプー王国では乗り回すだけで老人達から崇められる存在がある。
オフロードバイクである。
カンプー王国には法律で国民一人が一台以上の二輪を保有することが義務付けられているが、この最大の理由はNUPに勝利した東亜社会主義共和国に、二輪によるゲリラ戦を仕掛けて負けなかったからだ。
乗っていたのは皇国で誕生したオフロードバイク達。
密林を高速で走破するこいつに東亜社会主義共和国は大苦戦。何しろ密林を100km近くの速度で走り回るのだ。
どう考えたって戦力差がある戦いだったにも関わらず、カンプー王国は負けなかった。
最終的に和平条約を結ぶことになるが、当初東亜社会主義共和国はこの戦いに勝てると踏んでいた。
何しろ経験、戦力、ありとあらゆる分野で勝っていたし、相手は戦車すらまともに保有しない国家。
負ける気がしなかった。
しかしそれを打ち砕いたのがオフロードバイク。
密林の王者であった。
密林に苦戦する戦車をゲリラ戦法で粉砕してNUPに勝った東亜社会主義王国は、密林をものともしないオフロードバイクに実質的に負けた。
これに対抗するために東亜社会主義共和国が用いたのが、これまた皇国のバイク。
カブなどである。
それでもオフロードバイクは圧倒的な性能を示し、凄まじいトラウマを負った東亜社会主義共和国においてはオフロードバイク=テロリストまたは敵軍というイメージがあり、今から半世紀後ぐらいの間においては、乗っていると朝に破壊されていると言われるほど嫌悪感をもたれた。
さすがに今から70年が過ぎると当時の事を知らぬ者達が増えてきたのでそういうことはなくなったのだが、あの国がスクーター大好きでありながら、オフロードバイクに憎悪すら抱いているのは徹底的なまでに叩きのめされたからである。
一方のカンプー王国。
彼らにとってオフロードバイクは救世主。
このバイクに乗っているだけで住民が食事をご馳走してくれるなど、70年後の未来においても若者の憧れであり、老人達の夢と希望であり、軍人達の信頼できるパートナーであり続ける。
国境を隔てて移動するだけで嫌な顔をされるが、両国で全く違う温度差が生じるほど活躍したわけだ。
そしてこの二輪という存在は、華僑、そしてヤクチアも注目する。
すこし大通りから離れるだけでまともな道などない両国においては、二輪を活用した機動歩兵部隊が存在し、そして国境紛争などでも活躍。
カンプー王国などが示した機動兵器としての二輪が高く評価される。
つまりは、皇国にも華僑にもこの機動歩兵部隊がなければ、皇国が国境紛争などでヤクチアに対抗していく上で有利とならない。
だから必要なのだ。
どんな道も走破できるバイクが。
しかも基本コンポーネントが現時点で出来上がったバイクが。
後の皇国にも二輪による陸上機動歩兵部隊は生まれる。
少し郊外から離れれば山だらけの皇国においても、二輪による機動歩兵部隊は重要だった。
本来の未来ではそれに気づかぬまま皇暦2605年以降まで時が過ぎる。
だが俺はそんな事はさせない。
ZDB125は王立国家で機動兵器として芽が開くが、悪いけど大衆車としてだけではなく皇国陸軍の足としても活躍してもらう予定だ。
排気量を落とした大衆車だけに設計はそう難しくない。
山崎に……正直作らせたくないな。
この時期の山崎だと絶対まともなバイクにならないぞ。
俺が直接指導しようにもエンジン周りへの口出しは難しい。
出来なくは無いが、それでどうにかなると思えない。
排気系含めてありとあらゆる部分に独自の改悪をしそうなんだ。
皇暦2606年に誕生するもう1つの技研に作らせたいが、この技研の創業者は皇国が赤化しないと二輪に目覚めてくれない。
だがあの男だからこそカブを作れた。
いや待てよ……長島のエンジン開発にあの男は関わっていたはず。
そこにかこつけてこいつを持っていこう。
山崎にも作らせはするが、やはりあの男でないと駄目だ。
機動歩兵部隊にはまともな性能のライセンス生産されたZDB125が必要なのだ。
あの男は自動車用のターボチャージャーを自作してレースにすら出場したのだが、B-2排気タービンを1個勝手に持ち出した疑いをかけられている。
そこを揺さぶるか?
あの男は絶対に持っていった。
長島飛行機に試験用にと渡したB-2排気タービンに興味がないわけがない。
長島大臣は"あの男は浜松の天才で事実だったとしてもどうか黙認して欲しい"――と言われて黙っているが、今の段階であの男に排気タービンの改良は無理だと思う。
結局F1レース用も芝浦タービンに作らせたものを使っていたしな。
だがこいつなら現段階で作れるんじゃないか?
長島の陣営に協力してもらってクラッチ類を作ってもらって、彼にエンジンを作ってもらおう。
そうしよう。
皇暦2600年頃に6年前倒しでもう1つの技研を作ってもらおう。
そうしよう。