第69話:航空技術者は自動空戦フラップの存在に唸る
2日後。
今度はBf109の生産工場を見学させてもらう。
作業工程の多い工場の様子を見て頭が痛くなってきた。
製造中の機体は109E-4だな。
皇国に運ばれる予定の機種だ。
皇国はBf109のE-4を2機ほど手に入れることになるが、第三帝国はすでに皇国に向けて輸送したとのことなのでBf109から様々なフィードバックは得られそうで安心した。
第三帝国はまだ現時点で皇国を裏切る様子はないか。
まあ金がないからなここも……
自国でも配備が間に合わないのに各国にBf109を販売しているほどだ。
それほどこの国の経済状況は切迫している。
だとしてもBf109の軍用機としての生産効率の悪さはどうかと思うがな。
そこは本来の零にも通じる話だが、ことWW2の軍用機は3つの条件を満たして欲しい。
・必要な局面で数をきちんと揃えることが出来る生産性
・それでいて必要な性能を完全に満たしている信頼性
・拡張性が高く性能向上が見込める冗長性
俺がBf109最大の失敗だと思っている事は生産効率を除けばただ1つ。
軍自体が失敗と感じたことではあるが、ヤンカースJumo213を装備できる拡張性が無いこと。
Jumo213が装備できるだけの余裕ある構造だったならば、第三帝国と王立国家の戦況は変わっていた。
正直、Bf109に対する不安はさほどない。
むしろBf109の後継機が作られていた方がよほど不安だ。
それこそJumo213も装備できるようなより大型の戦闘機だ。
それほどまでにJumo213は傑作エンジンと思えたからな。
それでもこいつが傑作機であることに違いは無い。
傑作機というよりかは、誇りとプライドが進化させたと言える。
F型以降の美しい胴体のラインは正直言って好きだ。
余裕の無さを知恵と工夫によって攻略。
最終的にこいつはスピットファイアに最後まで食らいついて離れなかったのだ。
そんなこいつはFw190と並び、俺の中での戦闘機の考えに随分影響を与えた第三帝国の機体。
どちらも皇国に来て技研で研究がなされたが、両機には乗って試験飛行したことすらある。
技研の連中は乗らずに航空機を作る人間ではなく、大半の人間が設計しながら航空機に乗れるというFw190の設計者と同じような人間ばかりだからな。
まあ陸軍はそういう人間を求めていたという所もあるのだが……
本場のパイロットほどではないがそこそこは乗れる。
さすがに戦闘が出来るほどではないが。
乗ってまで確認したからこそP-51、Fw190、Bf109には大きく影響を受けた。
ことFw190は文字通りその設計思想がキ43に大きく影響している。
百式戦ことキ43はFw190の皇国版といって差支えが無い。
運動性は捨てない。
敵機が近づかれた際にブレイクを行い、その後巴戦に興じたとしても勝てる。
それが俺の基本コンセプト。
一撃離脱が基本であるべきだが一撃離脱だけしか取り柄のない機体とはしない。
それがWW2のレシプロ戦闘機の理想形だと考えている。
そのため、百式戦では700km台を考えていない。
エンジンがどんなにパワーアップしても600km台後半。
空力特性から考えて690kmとかそんな辺りが限界点。
翼や胴体を弄れば越えるがそれでは別機体と言える。
ハ43の限界出力が2200馬力と仮定して、その程度だ。
高速戦闘機にすれば700kmを出せる出力でその程度。
その分は運動性に割り振っているわけだ。
百式戦は400km未満でも圧倒的な運動性を誇る。
500km台からの急激な軌道はFw190以上。
陸軍のパイロットは高速飛行中の旋回Gに悩むほどだが、その凄まじい動きをしても機体は分解しない。
それなりに頑丈な翼の主桁がいい働きをするが、この辺りはやろうと思えばそんな動きができるP-51や疾風に通じる。
Fw190も後期型になるにつれそんな性能を獲得した。
そのP-51も700km台はギリギリ到達する程度。
Fw190も700kmはギリギリでない。
キ43も大体この性能に納まるがP-51やFw190よりよほど安定した急旋回が可能。
だからこそパイロットが失速ギリギリな機動を行えるわけだ。
白岩少尉だけでなく陸軍パイロットも割と失速ギリギリを維持しようとするのだが、この時代の戦闘機において普通はそんな事をやろうと思わない。
ふいに尾翼などが気流剥離を起こせばスピンして復帰できなくなる。
そういった不安がないような構造となっているわけだ。
未だに事故1つ起きていないのも、安定性を重視しているため。
陸軍のパイロットが口を揃えて言うのはとても操縦しやすく安定していて悪天候の雲の中も飛べ、どこまでも曲げていけそうなほど軽快だが……
いざ曲げると腰が砕けそうな重圧( G )がかかるということ。
彼らは九七戦による200km台の格闘戦ばかりしてきているため、自分達が400kmで同じような動きをしている事に気づいていないようだ。
400kmオーバーで急旋回などしたら最大6G程度かかる。
自分の体重が6倍になっているのと同じ計算。
一撃離脱戦法では最大8Gほどが数秒程度発生するが、400kmオーバーで連続空中機動を行えば6Gが数十秒以上続くわけだから負荷がかかって当然。
彼らは自分が未熟だからと体を鍛えているが違う。そうじゃない。
なるべくGをかけずに戦う戦法が必要なのだ。
その辺りは技研のパイロットが研究しているが空中機動は連続して行うものじゃない。
今後高速戦闘機を開発したら8G以上になる。
700km台での空中機動はもはや気を失う。
俺は疾風のようにあえて操縦桿を重くはしていない。
零と同じく速度に合わせてある程度操縦桿に荷重がかかるようにはしているが、根性ブレーキで自然とそれをやめる方が合理的と考えたからだ。
でも700km台に乗る機体を作る際は考えねばならんな。
そんな百式戦の性能的特徴が本当に正しいバランスであるかはわからない。
いまだ1度も戦闘に興じていないから。
ただ、同じくFw190を意識して誕生したP-51に試験がてら乗ったからこそ言えることがある。
陸軍戦闘機の理想はアイツなのだと。
この辺りは大空の侍などとほぼ同意見だ。
ならP-51の皇国版ではないかと言われればそうじゃない。
Fw190の方が特性は近いのだ。
現状のキ43はP-51と比較して高空性能がチト足りないが排気タービンを装備できる空間はある。
いずれ必要を求められたらそうするだろうが俺としては高空戦闘は高空専用機が必須だと思っているため、キ43こと百式戦とは別の機体を思案中だ。
ただあまりに高空専用としすぎると百式攻より性能が低いなんてことになりかねない。
単発機はこれが怖いんだ。
なので重戦闘機開発は一旦中断している。
仕事が多すぎるというのもあるが、キ43がハ43を搭載したことで"キ43に排気タービンを搭載しておくべきだった"――などと言われかねない機体になる不安があるからな。
現状のハ43でもって重戦闘機を開発すると疾風よりやや性能が低く、二式より高性能な百式戦でもカバーリングできそうな機体にしかならない。
例えば運動性を全て捨てて一撃離脱に徹する機体にすれば700km台も目指せなくもないが、出来ればいきなり疾風のような機体を出したいわけだ。
となるとハ43の強化か新たなエンジンが必要となる。
現状はそれを百式攻ことキ47に担わせて、その間に現場と上層部が求める機体を作るほうが賢明だな。
各国の機体が発展すればいずれ百式攻は攻撃機に徹するようになるだろうし、皇国においては割けるリソースが少ないから無茶はしない。
特に高空迎撃は痩せ細った雷電が開発中なため、重戦闘機を作ると競合しかねない。
今は待つ。
戦闘機は百式戦だけでも緒戦~中期まで間違いなく乗り切れる。
速度的優位性は若干低くとも皇国の者達が求める飛行中の安定性と抜群の運動性は担保している。
それが確実に戦う事になるであろうFw190に極めて近い特性なわけだ。
アレよりも洗練されているからループ機動でも簡単に失速しない。
この辺りの特性はスピットファイアに近いがスピットファイアは運動性よりも最高速度に比重を置いている。
百式戦はスピットファイアほど失速しないのが強み。
そのスピットファイアは700km台に乗っかるが700km台は皇国の重戦闘機が担う。
今回の未来で何よりも怖いのは高速戦闘機が渦巻くユーグでの参戦となりそうなこと。
なので、いずれ700km台に到達する機体は必要となる。
まあ対スピットファイアなら皇国の運動性抜群の機体でどうにかなるんだが相手はFw190だ。
あいつら最後は700km付近まで出す。
87オクタンで……だ。
もし裏でNUPが100オクタン燃料を供給すればA-5の時点でいきなり700km近く出す。
そうなったらキ47は高空にいない限り普通に落とされる。
つまり今俺がやるべきことは……
目の前で工場見学の案内役を務めている軍上層部の将校にBf109は良いものだと嘯いてFw190から少しでも目線を逸らさせることだな。
◇
工場見学は続く。
やはり目を引くのはBf109が導入している先進的な機器。
特に自動前縁スラットなどはこの時点では革命的な存在と思える。
ただこれな、現場のパイロットが使い方をよくわかってないんだ。
Bf109のエースパイロットは総じて皆こう言う。
"Bf109は低速に入ってスラットが出るまでに撃墜されなければスピットファイアに絶対に負けない運動性をもつ"――と。
300km未満になるに従い展開されるこいつは抜群の運動性をBf109に与えている。
そのあたりはE-4を購入した技研でも評価試験にて指摘していて、いわばBf109とは"スラットが出るまで祈る"機体なのだ。
そういえば俺が年をくった頃にヤクチアが出したWW2の戦闘機のゲームではスラットが出るまで祈っている第三帝国のパイロットがムービーで描写されていたのだが、スラットが出てスピットファイアと応戦するというのは多くのエースが語っていた事実。
本当に祈ってたとは思わないが技研のパイロットもBf109は速度が落ちるまで耐え忍ぶ機体だとは言っていた。
後にこのシステムは皇国の自動空戦フラップの開発契機となったが、皇国は当然"手動でも開く"ようにしていた。
まあその前に手動で操作する空戦フラップをこさえていたわけだしな。
運用上効率が悪くなるような機構とは出来ない。
空戦フラップの概念を真っ先に導入したのは陸軍。
それも本来の未来でのキ43。
零よりも先駆けて導入し、一郎がその案をキ43から頂いたのが始まり。
キ43は案外早期から試作機が完成していたのだが、この時点で九七式戦に負けないために空戦フラップを搭載している。
まあ空戦フラップとはいうが、フラップ展開角度を調整できるようにしただけのただのフラップだ。
元々、長島のメンバーは現場のパイロットの意見や試験飛行、模擬空戦映像をよく見たりして研究していた。
そこで模擬空戦時にフラップを展開し、凄まじいマニューバを見せるパイロットがいたことに気づく。
現場のパイロットも戦闘中に使うと意見をし、ここからヒントを得て戦闘時に必要と思われる15度程度の展開を手動で出来るようにした。
これによって皇国の戦闘機は比類なき運動性を獲得し、後の諸外国の戦闘機もその姿を見て空戦フラップを導入。
しかしその前の段階でBf109は自動式のものを開発していた。
自動可変ピッチプロペラといい、第三帝国はこの手の技術で先行してたわけである。
Bf109を入手した皇国はすぐさま自動化に乗り出す。
そして強風にて試作品が完成して実用化。
これが案外門外漢な技術のせいで俺はキ43にもキ47にも導入できていない。
マノメーターならすぐ作れたんだが……
どうも俺は非常に小さな精密機器には弱いな。
E-4が皇国に渡ったら即開発するよう促す予定だが、現時点では入手手段すら無い。
ただ、何も手を打たなかったわけではない。
強風ではフラップの展開試験が行われていたが、俺は計算だけで最適なフラップ角度を見出せるのでつまみを動かして速度帯に会わせた角度に出来るようにしている。
フラップ角度は50km単位で調節が可能。
10度~20度まで段階的に調節できる。
時計のごとく速度帯を刻んであるのでそこに合わせればいい。
これが戦闘時にどれほど有効かはわからないが、現場のパイロットの意見も参考に即座に調整できる位置にレバーを配置しておいた。
白岩少尉などは見事に使いこなしていたが、同様の機構は試作4号機にも導入したため、稲本准尉なども積極的に活用していたのはこの間の模擬空戦で確認できている。
エース格なら有効性を理解して即活用できるようだ。
その映像フィルムが手に入ったのは大きな収穫。
Bf109を手に入れたら比較用映像でも撮影して第三帝国との戦いに備えなければ。
――などと考えながら歩いていると翼を製造する区画にいつの間にか到着していた。
目の前では出来上がった翼の最終調整を行う作業員の姿が見える。
しかしこの前縁スラットの形状はいつ見ても見事だ。
改めて思うことは前縁スラットやフラップの形状を見たとき、多少物理学を理解する者なら誰しもがこう考えるのではないかということ。
戦闘時に使おうものなら却って気流が剥離して失速しないのかと。
ここに流体力学の罠がある。
実は流体力学の世界においては翼やプロペラに穴を開け、その中に胃袋のような形状の空洞を作っても大した抵抗の増加とならない。
これを一般的にスリットなどと呼び、今より70年後の未来世界における最新鋭の蒸気タービンのタービンブレードに盛んに用いられている。
蒸気タービンの場合なまじ超高速回転するため、ひとたび乱流が発生すると発生した乱流が他のタービンブレードにも影響を及ぼす。
最終的には発生した空気の渦がブレード表面で転がり続け、まるで傘回しでボールを回転するような状況となり、タービンブレード破損の原因となる。
一見するとどう考えても抵抗にしか見えない穴は超高速回転することで乱流を破壊する役目を持ち、スリット穴内部では空気の渦が発生して一時的に滞留する。
気圧差によって徐々にその渦の一部が後方に流れるようにすれば、加速した清流はブレード表面において風を押し流す働きを示し、極めて高効率な蒸気タービンとできるというわけだ。
これぞCs-1の逆流式燃焼室の応用である。
あの燃焼室自体が超未来的な存在なわけだ。
航空機においても採用例はある。
マッハ3を越えた航空機の場合、同様のスリットが翼に設けられた。
衝撃波はマッハ2級までならどうにかできる。
この辺りまではある程度は翼のデザインに余地があるほどだ。
しかしマッハ3を越えてくると話は変わる。
マッハ1.6を越えたあたりから、一般的な翼だと翼前面で発生した衝撃波によって気流は大きく翼の翼厚よりはるか上に駆け上る。
それこそやろうと思えば翼に磁石で人形を置いても何も動かないほどだ。
宇宙ロケットの打ち上げを見たことがある人間ならわかりやすいだろうが、例えばサターンV打ち上げ時の映像では、あの細長い針のような部分から大きく傘のような雲が発生していただろう。
脱出用ロケットの正面にある針はかなり細い形状となっているが、実はアレは計算された形状だったりする。
あの大きさで打ち上げると指令船の直径より大きな抵抗となり、指令船への負荷を最小限と出来るのだ。
ソユーズなんかはあえて針状の中央部分に傘のような形状を設けたりしているほどだが、どう見ても抵抗にしか見えないアレは、あの部分で抵抗とさせることでその後方のロケットを守るためにある。
航空機の場合も超音速になるに従いアレと同様の現象が発生するのでそれと戦わねばならないわけだが、ことマッハ3級となるとスリットのような機構が必要不可欠となるわけだ。
スリットがあることで空気を吸い込み、気流剥離が広がるのを防いで翼に風を纏わりつかせるわけだ。
ちなみにそれが有効なことに気づいたのは超音速飛行中にミスってスラットを出したらなぜか機体が安定して飛行した事に気づいてだといわれている。
本当かどうかは知らないが、実は超音速機にはコニカルキャンバーと呼ばれる常時スラットを出している構造の戦闘機が実在するため、割と信憑性のある話だ。
ただし、理論としては皇暦2607年に発表されるNUPの後退翼の検証データですでにわかってはいた。
エリアルールを発見したNUPの航空諮問委員会の天才が見つけたのだ。
彼の理論を後に知った俺は眼から鱗が落ちたね。
はっきりと落ちた鱗が見えた。
その理論を簡単に説明すると、後退角を付けた翼は極めて気流剥離しやすいが、その剥離をどうにかするために翼の表面をねじり下げ構造とすると翼表面の気流の乱れが抑制され、逆に抵抗が減るということ。
ただしそれは時速800km以上の世界の話。
マッハ2級のデルタ翼機がこぞってコニカルキャンバーを搭載しているのは、実はああ見えて抵抗が減っているからだ。
普通に考えて抵抗が増えるならあんな構造は採用しないし、そもそもがちょっとしたアンテナ1つでマッハ2なんて出せなくなるので。あんな翼で出せているということは抵抗が減っている証拠だ。
コニカルキャンバーはよく翼端失速のためとか説明されているが、翼端失速というか単純な気流剥離の問題である。
低速時の揚力増加にも使われるが超音速飛行のためでもあるのだ。
それについては皇暦2607年の技術報告書にちゃんと記載されている。
翼型のデータと共に。
そもそも主翼中心部に設けられた構造でどうして翼端の抵抗を制御できるのか。
それが出来ないからクリップドデルタ翼が生まれたのではないか。
それが簡単ではないからストレーキなどが生まれたわけではないか。
まあそんなのはどうでもいいんだが……Bf109の前縁スラットもきちんと気流制御を考えた構造となっている。
スラットの内側は逆キャンバーの構造。
ここに空気の渦が滞留するようにしている。
だから凄まじい迎角をとっても失速しないわけ。
揚力比を上げるだけじゃない。
主翼上部の気流剥離も防いでいたので、スラットが出ずに迎角をとると最悪失速して墜落する。
いわばBf109の場合、こいつを手動でも出せるようにすれば普通にスピットファイアに肉薄できたわけだ。
博士にはその事について教えたくなるが、量産された零と戦えばいずれ気づくかもしれない。
零は手動、自動じゃない。
空戦フラップとは別に前縁スラットも動かせる。
本来の未来における21型の零と同じレベルの運動性を誇りながら時速600km出せる零にするためには、ああする他なかった。
一部のパイロットは離陸のためだけの構造と思っているが……違うんだ。
准尉が示したように空中機動のためのものでもある。
零は祈らなくていい。
350km未満となったらつまみを捻ればいい。
キ43でなければ真後ろにつけるはずさ。
◇
――ふむ。
ざっと一帯を見て回ったが工場内を見る限りはBf109も変化無し。
開発が始まったF型も特に変化が無い。
ただ、俺達に隠して裏で開発している可能性もあるわけだし、見ただけで信じるのはやめておく。
常に想定はしておく。
それが勝つための第一歩なのだから。