第6話:航空技術者は600kmを命じられる
新年祝賀会が開催された立川では四菱や山崎、長島の技術者の多くが招待され、陸軍より酒や餅などが振舞われていた。
「おい信濃、長島の発動機部門が嘆いていたぞ。なぜハ25を新鋭戦闘機の心臓部から除外した。アレはいいものだぞ」
山崎に出張中だった中山も戻ってきたが、開口一番に主張したのは俺への批判であった。
長島の状況を知っているとはやるな中山。
メーカー同士である程度は意思疎通ができているようだ。
「西条閣下のおっしゃった通りだ。我々は重戦闘機の可能性を捨てていない。だとするとすでに四菱の工廠内で1200馬力を発揮しているハ33こそ未来がある。あれの方が耐久試験の結果はすさまじいものをたたき出した。ろくでもない潤滑油や燃料でも1000馬力だせるんだぞ」
「ハ25だって頑丈ではあったろうに。小型で軽いあちらの方ではダメなのか。やっこさん、今18気筒版で挽回しようと必死のようだぞ」
そんな事は知っている。
将来性がないだけでハ25は凄まじいエンジンだ。
わかっているんだそんなことは。
だが、駄目なんだ。
見限れない魅力が、我々の首を絞めた。
陸軍は何とか見限ることができたが、海軍は駄目だ。
ハ33、ハ43の可能性と将来性を見出し、早急に列強に並べれば、海軍がたとえハ25に一時陶酔しようとも目覚めさせることができる。
零を超えればいい。
航続距離以外の全てで零を超える……そうすれば海軍だってハ33を認めてくれる。
そしたらハ25を諦めるはず。
長島にはもっとすごいエンジンをこさえるだけの力がある……
……だから……
「競争は悪いことではない。我々は新鋭機においてハ25を除外しただけで、ハ33を超えうるものを用意してくるというなら排除はしない意向だ。閣下にもそう伝えている」
「ハ43はそんなによさそうなのか?」
「ああ。流体力学的な意見を彼らに述べておいたが、このペースでいけば早ければ桜が完全に散った頃には試製発動機が届く様子だ。無茶な設計をせずに1600馬力だぞ。どんなものが作れるやら」
「それで長島の胴体開発部門や四菱の連中が意気込んでいるのか。ハ43には海軍も目をかけていると聞いた」
「時代が変わるな……」
未来が変わる。
現時点でスピットファイアに完全に対抗できうる航空機が作れるというんだ。
これほど恐ろしいことはない。
我らが陸軍が諦めたくなかった重戦闘機を作るんだ。
疾風を超える疾風を作るんだ。
シーファイアと真正面から戦える機体が皇国に生まれたとき、たとえジェットエンジンが完成せずとも状況はひっくり返る。
星型エンジンに未来があるのは、奇しくもNUPが示した。
R-3350。
俺が知る限り、NUPが誇る大戦期最強の星型レシプロエンジン。
完成系たるハ43は唯一このエンジンに真正面から対抗できうる。
いや、できてたんだ……
一応は完成はしてたんだ……間に合わなかっただけだ。
今回はこれを間に合わせ、NUPが間に合わせられなかったA-1スカイレイダーや、奴らが誇る重戦闘機P-47などと並ぶ我が国史上最強の重戦闘機を作る。
それができるのは本来のハ43と、もう1つ存在するアイツだけ……
もう1つが完成する可能性は現状では皆無……
生み出すメーカーに大きな意識改革などが必要になる。
現状において期待できない。
ゆえに四菱のエンジンこそ救世主だ。
今の段階においては強く思う。
なので、やり直すにあたってはこのエンジンが完成するよう、段階を踏んでエンジンを誕生させてみよう。
まずは単純18気筒化。
次に本来のハ43の開発だ。
そのために俺が四菱へ助言したのは、前後のシリンダー間隔をある程度とってカウリング処理などで冷却面をサポートする方法。
18気筒化において最大の困難は2つ。
1つ、冷却面。
元来、冷却のためにボアシリーンダーの間に隙間を設け、例えば14気筒のハ33なら7×7という配置で並列エンジンを組むわけだが……
当然そこに2つずつ追加していけば隙間が減って冷却面に難を抱える。
この解消方法としてはエンジン外形を増大させることで隙間を増やすことができるのだが、四菱には冒険しないようにせよといいつつも、重量増加は徹底的に抑えるよう進言している。
代わりに前後のシリンダー間隔を増やし、外気を上手いこと流入できるようにすればどうにかなる。
四式では苦労の末に長島と何度も試行錯誤してその方法に辿りつき、我々陸軍は海軍が実質もてあましたエンジンを最も効率よく運用できた。
方法は2つ。
強制空冷ファンを用意するか、カウル形状で空気の流入を整えること。
だが、元より大型のハ43は現時点でパワーウェイトレシオこそ劣るが、ハ45よりもよっぽど楽に冷却面を解決できることぐらい、本来のハ43を搭載したキ83での試行錯誤を技研でやった経験からよくわかってる。
ハ43とは別にもっとコンパクトにまとめた本来のハ43の開発もさせているが、ハ43はハ33の特性をもったまま1.3倍のパワーを獲得することになるわけだ。
しかもそれはエンジン回転数を増大させないで繰り出す方法だ。
まだハ43には将来性があり、最大で1800馬力相当のエンジンにできうると見ている。
実際、すでにちょっとした実験的発動機をこさえて良好な結果を出したそうなので、ハ43はどうにかなりそうだ。
次に問題になるのはキャブレター。
こいつが案外厄介だ。
ハ25でよくあったのは不完全燃焼によるノッキングや噴射量の過大によるピストンの融解など。
気筒数を増やせば増やすほどキャブレター調整は難しくなる。
しかしここも元よりキャブレター径が大きいハ33は最初からこの部分をクリアしており……
ハ33から発展させたハ112-IIは絶対的信頼性こそなかったが、あそこまで限界性能を発揮させて1500馬力級にまでもっていってもなお、他の発動機より安定した稼動率を見せた。
ハ43の完成度によっては2000馬力級も夢ではないかもしれないな。
そんなことを考えつつも黙々とテーブルに広げられた料理を口にしているとメガネをかけた細身の小柄な男性が近寄ってくる。
これはこれは……四菱のエースではないか。
なんだ、まるで死にそうな顔をしているな。
そういえば今頃は海軍の無茶苦茶な要求に頭を悩ませて十二試艦上戦闘機をこさえている頃合か。
記憶が間違っていなければ2ヶ月ほど前に無茶苦茶な要求を海軍より突きつけられたばかりだ。
「信濃技官。陸軍は随分と大雑把な要求をされるようですね」
最初に口にした言葉は、陸軍を羨む率直な思い。
今彼のいる四菱では非常に自由自在に作れる百式司令部偵察機が開発中。
そればかりか、つい先日各メーカーに提示された新鋭戦闘機の内容も実に大雑把。
むちゃくちゃな要求は発動機でもって解決するとばかりに指定発動機を最初に提示したうえで、無茶しない設計に留めるよう求めている。
長島は正月返上で新たな姿を纏う一式を開発中だが、俺もここに参画している。
「海軍は相反する矛盾を突きつけてきて大変なようで。多少は話を伺っていますよ」
「信濃技官。金星……失礼。ハ33はそんなに優秀なものですか?」
彼の手記ではこの当時ハ33とハ25で葛藤している姿があったが、特にこの世界でも変わりはないようだ。
この男、性格など気に入らない部分は多々あるが……海軍が重用するだけにやはり放っておくことはできない。
ハ33についての利点は説明しておかねばならないと強く感じる。
「当然です。開発中のハ43はさほど大型化しない。ハ43の搭載を将来的に考えたらハ33の搭載以外はありえないと言える」
「ほう……」
「ハ25は小さすぎてまるで将来性がありません。ここだけの話、私は王立国家のモノに負けないエンジンを貴方がた四菱が作れると思っているんですよ。今陸軍ではハリケーンやスピットファイアに注目してましてね。あいつに負けない奴をこさえようというんだ。今回は九七戦闘機以上に自分が口出しをしていく所存です」
しまった。
思った以上に熱が入った。
ハ43の開発が順調すぎて調子に乗ってしまったが、こんなに熱弁を奮ってしまうと何か怪しまれやしないだろうか。
だが、一旦唾を飲み込み、冷静さを取り戻して顔を見上げてみると、彼はいつものどこか上の空といった何を考えているのかわからぬ曇った表情でもってこちらを見つめている。
どうやら俺の話のほとんどは左から右へ筒抜けだったようである。
「その……よろしければ西条閣下に進言してはもらえないだろうか」
いったいなんだ突然。
何に興味を抱いた。
「何をです?」
「開発予定の単発重戦闘機を私に任せてもらえないかと」
ああ見える……烈風の姿がチラつく。
現時点で1600馬力相当のエンジンが完成できれば、この堀井一郎は間違いなく、己が理想の航空機を作りたいと考えるのは当然であったが……
それは間違いなく烈風だ。
しかも陸軍が提示したのは試製20mm機関砲×2を装弾数250~350×2とするもの。
翼内に12.7mmを搭載しないことで、一郎が作りたい航空機に最も近づくのは海軍が求める存在ではなく我々が求める存在となっていたようだ。
残念だが一郎、その提案は却下させてもらう。
「堀井さん。基本的に我々は設計主任を指定することはしない。それは四菱に願い出るべき事柄だ。我々が欲しいのは航空機そのもの。だれそれに任せるなどという危険極まりない真似はしない。その者がたとえ信頼における者であったとしても、その者だけに集中させれば製造開発が滞るなど諸所の問題がある。今貴方は海軍が要求する新鋭機の開発で手一杯。その上さらに重戦闘機を作りたいといとおっしゃるのか」
「信濃技師。ここだけの話……海軍の要求性能を満たすためには極限までの軽量化が必要です。それでは軍用機とは言えない。最初のうちは戦えるでしょうが、その後はどうなるかわからない。今の私の理想は、陸軍が提示した重戦闘機だ」
あれだけ陰で零を褒めていた男だが、この時点では先行き不透明なために不安で一杯というわけか。
航空技術者なら矛盾した要求だというのは誰もがわかる。
ただな、その話……ハ33を改良した先には可能なんだがな。
お前は最後にハ25を見限り、ハ33の改良型を零に搭載する。
零式艦上戦闘機五四型と六四型だ。
航続距離を半分にし、全ての意味で完成した究極の零を作るんだ。
ハ33はそれを可能とするだけのエンジン。
早めに気づかせたいのだが、それよりも目先の陸軍の提案に目が行ってしまったか……
俺は悲しいぞ一郎。
嫉妬するほど遠くにいた人物が情けなく見えてくる。
悪いが個人的な感情も2割ほど混ざっていて申し訳ない部分もあるとはいえ……厳しい態度で臨ませてもらう。
「格闘性能を保持するために逆ガルの仕様にするならば採用はされませんよ。美しさは重要だが、整備性と製造性を担保できなければ。九六艦戦で学んできたことだとは思いますが、貴方にそれができると?」
「それは……やってみなければわかりません」
「まあ四菱の方々には多少声はかけておきますが、期待はせんでください。それよりもハ33を海軍戦闘機に搭載することも検討されてはどうです。発動機選定はそちらが行えるはず。海軍の連中は発動機に関してはまるで知識がないから口出しせんでしょう?」
「考えておきます……」
言うだけのことを言ったらそのまま立ち去っていくのか。
相変わらずの変わり者だ。
これだから嫌なんだ。
この男を陸軍があまり信用してないのは、夢や浪漫ばかり追いかけすぎて軍用機らしからぬ航空機を作るきらいがあるから。
烈風などいらない。
奴が試作機をこさえるというならば、よほど川東がメーカーとして参画してほしいぐらいだ。
ハ43を搭載した紫電の方が可能性があるじゃないか。
正月の祝賀に呼ばれてすらいないメーカーだが、西条に今のうちに声をかけ、彼らにも次世代戦闘機開発に参入するよう嘆願しておくことも検討しよう。
◇
三が日を終え、いよいよここからの2年間は正念場となるため、朝より地元の神社にて初詣がてら必勝祈願を行う。
そんなある日のこと。
俺は西条に突然呼び出され、海軍並みに無茶苦茶な要求を突きつけられることとなった。
立川に訪れた西条はすぐさま俺を誘い、応接室に呼び出す。
「閣下、どうされました?」
「信濃、とり急ぎ試製機を開発してもらうことになった。ハ33の採用に長島の連中が抗議したらしく、次世代機においてはハ25と競合させろという者が上層部から出てきた」
「はあ……やられましたね」
長島の発動機部門め……
表向きはエンジン開発に必死だが、こうも足を引っ張るか。
ハ25は駄目なんだと言っているのに!
「信濃。まだ道が閉ざされたわけではない。私がその案を一蹴したところ、ならば高度3000m未満でいいので600kmを発揮させる航空機をハ33で作れるなら、今後は口出ししないと言ってきたのだよ。奴ら、空冷星型の発動機では液冷と異なって600kmなど土台不可能だと踏んでいる。仮にソレが可能でも双発機であって単発機では不可能だと思い込み、そのような要求を突きつけてきた」
あの将来性のないエンジンは完成度こそ高けれど拘る意味がないと散々西条には口をすっぱくして主張していたが、それが理解できない連中がまだいるらしい。
無駄な時間を浪費させる気か……
WW2の諸外国を見ればわかるさ。
拡張性のあるベース機をこさえ、それを改良していくことこそ理想なのだ。
隼がそうだったようにな。
そのためにはハ33でなければダメなのに。
仕方ない。
ここは技研の技術を見せ付けるいい機会。
それに、奴にもハ33の性能について理解してもらうことになる。
陸軍とのコネクション構築から後のことを考え、ここは一郎を呼び出すか。
あんな態度をとった手前、やや口惜しいが……
一郎はそういうのは気にしない性格な上、俺の話なんてほとんど聞いてないだろうから無問題だろう。
「閣下。その機体、軍用機然とした姿でなければ私の設計で可能です」
「現用の技術力でもか? お前の話について他の技師にも相談してみても、まるで理解を示さん。あまりにも先の技術すぎる。それを現段階で発揮できると?」
さすが戦術家。
西条が技研の者達とよく会話している姿を目にしたが、日頃から彼らから知識を蓄えていたか。
まあ彼の力あって整備体制が整い、疾風が飛べたわけだし、本土決戦でも当初こそ優位には立てたわけだしな……
やはりこの男は侮れん。
なればこそ、俺ができることで支えねばならぬ。
「できます。ハ33による600km超え、承りました。海軍すら震える機体をこさえてみせましょう」
「信濃、どのメーカーで作らせる? 四菱か長島かどちらでも良いと他の技師も言ってきているが……」
「丁度良い人材が1名おります。彼にはハ33の性能を理解してもらいたいと思っておりましたので……」
「誰だそれは」
「四菱の堀井一郎です」
「あの逆ガルの男か?」
「ええ。彼は速度狂なのでこういった試験にはお誂え向きです。事実速度だけでしたら九六の試製機体もすばらしかったという話は耳にしているかと」
「よし、ならば頼んだぞ信濃! これが上手くいけば私の株が上がる。航空機運用については他の奴らに物を言わさぬ断固とした立場となれるからな!」
カッカッカッと上機嫌で部屋を後にした西条を見送った後、すぐさま堀井を呼び出して試製機体について話し合うことにした。
本当は今とても忙しい四菱の胴体部門の連中や、一郎とはあまり手を組みたくないのだが……
長島の発動機の連中には裏切ればどうなるかを教えてやらねばならんようだ。
ハ25など採用させてたまるか!