第67話:航空技術者はジェットエンジンの神様とすれ違いになる2
会議が終わった俺は加賀に戻るまでの間にユーグ全域をめぐる事になった。
最初に向かったのは王国のターボプロップエンジンをこさえたメーカー。
王国の美しい山並みを汽車の車窓から堪能しつつ、メーカーの工場へと向かう。
王国はすでに第三帝国と一定の距離をとる方針としているが、皇国とは協定仲間であるので俺はジェットエンジンの父よりも優れた男に会う事に。
その名はジョルジュ・ジェンドラシク。
学生時代に第三帝国内にてアインシュタインの講義を受け、アインシュタインの弟子を自称する男。
彼の理論は流体力学よりも単純物理学を中心としている。
本来の未来では王国を追われた後にその才能が見出され、王立国家航空研究所に併任で勤める事になる。
併任となったのはこの時彼がジェットエンジンメーカーに勤めていたからだ。
正確には"王立国家ガスタービン研究所"というのが正しいが……
表向きはメーカーの体裁を保っている。
こういう話を周囲にすれば未来の技術者なら気づくだろうな。
今の時代の人間は知らないが、ジェットエンジンの父は父ではあるものの、戦時中にその才能が尽きて枯れてしまい、没落していったのである。
ジェットエンジンの父は遠心型を筆頭とした非効率すぎる機構に拘りすぎたために閑職に追いやられたが、王立国家にはその代打となる男がいなかったのだ。
当時の主流はすでに軸流式タービン。
王立国家も戦時中から軸流式タービンに拘るようになるわけだが、上手く行かずに戦後へと向かう。
そして戦後の王立国家の背後にいた男こそジェンドラシクである。
歴史的背景として考えるなら彼の召集は必然。
戦後、王立国家はNUPとヤクチアに第三帝国の技術者を根こそぎ奪われ、独力での開発を求められた。
自国では遠心圧縮式が主流だが、戦時中の時点でエンジンの父が没落したように、遠心式は限界点がすでに見えており、可能性が希薄な代物であった。
軸流式の方がよほど可能性があることは諸外国が示していた。
そこで白羽の矢が立った男こそが彼だ。
一体誰がそれを伝えたのか、ジェットエンジンの父を超える人間がいると聞いた王立国家は、NUPの南側の大陸でノホホンとしていた所を突如として召集。
しかもその立場は当初ジェットエンジンの父の創業した会社の開発コンサルタントという事実上の"父の代理"である。
これは単純な代理ではなく、すぐさま、そこから王立国家航空研究所に向かわされる事になる。
なぜなら皇暦2604年でこの会社は"国営化"されているからだ。
そして、表向きこそ会社が存続しているが、抜け殻となっており、その実態は"王立国家航空研究所"の合併会社……通称"――王立国家ガスタービン研究所――"となっている。
共同出資企業という名の事実上の吸収合併である。
つまり王立国家航空研究所とこの会社は、裏で1つとなっているのだ。
この辺りの図式は大変ややこしいのだが、王立国家航空研究所が部門を買収し、合併会社として設立したことになっているように見えるものの、事実上"1つの部門しかない"ジェットエンジンの父の会社を吸収したため、彼のいる会社は中身がないペーパーカンパニーと化している。
どうしてそんな会社の開発コンサルタントにさせたのか。
それは立場的に彼が直接"所属している"とはできないからだ。
なぜなら彼は枢軸国の出身。
第三帝国に迎合したわけではないが、表向きそういう人間が開発に携わったとすると批判される。
NUPみたいな真似は王立国家には出来ない。
だからペーパーカンパニーの開発コンサルタントにした上で、王立国家研究所の職員に併任させ、王立国家ガスタービン研究所の主任開発顧問とした。
開発コンサルタントに呼んだとはつまり、王立国家の開発コンサルタントとして呼んだのと同義である。
つまり没落した父の代理はCs-1の開発者だったわけだ。
彼は出自が出自で王立国家航空研究所において主導的立場ではなかったとされるが、そんなのはカバーストーリーに過ぎない。
実際、王立国家の当時の軸流式タービンエンジンの特許を見てみよう。
発明者の名前に必ず筆頭として彼の名前が連なる。
完全に嘘だそんなもの。
特許では彼をちゃんと評価しているわけだ。
どうせ特許なんて市民は見ないからと、影ながら永久管理とされる特許情報に彼の名前を刻み込んだのだ。
後の世にて栄誉を受けるべきと考えたのかもしれない。
それが紳士としての王立国家の彼への当時可能な敬意の表し方だったのである。
そんな彼は研究所にて奮闘。
後の世のジェットエンジンの基本となる圧縮機構の開発に成功する。
そのまま王立国家初の軸流式ターボジェットエンジンの開発に大いに関わり、圧縮機構においてはロンドンで特許を獲得し、ユーグの小型軽量ジェットエンジンの礎を築いた。
しかも彼が取った特許は、ターボファンやターボプロップなど、ありとあらゆるジェットエンジンに通じる基礎技術。(未来ではコア技術などと呼ばれる存在)
50年代中期から王立国家が一気に挽回する勢いを生み出したのである。
ターボプロップエンジンなどの相次ぐ開発成功の裏には彼がいた。
つまり、もう一人のジェットエンジンの父こそ彼である。
いや、王立国家においてはジェットエンジンの神様と言えなくもない。
後の世にて旅客機のエンジンメーカーとして一世を風靡するメーカーは、この時の基礎技術を基盤としており、その設計的特徴がよく現れているからな。
俺はCs-1を見たとき、未来のエンジンと誤認するほどだった。
はじめて見たソレは、冷静に考えれば基礎技術の塊。
汽車に向かう最中にそれを思い出して震えてきた。
Cs-1の時点で彼の理論は完成していたわけだな。
彼は表向き特許ライセンスを王立国家の民間のエンジンメーカーと結んでいただけだが、裏では主任顧問として直接メーカー指導に出向くこともし、研究所では主にコンプレッサー関係の開発を中心に行っていた。
いわば王立国家が大規模に支援して彼の才能を引き出していたようなもの。
王立国家のジェットエンジンが極めてコンプレッサーストールしにくいのも、彼による秀逸な設計が後のエンジンにも影響したからだといわれる。
こと王立国家のエンジンは圧縮機構がシンプルで効率がよく小型。
彼は死去する直前にそれを王立国家に残し、ロンドンにてこの世を去った。
いわば王立国家が果たしたかった軸流ジェットエンジンへの移行を成し遂げた上で、56年という、当時としてはやや短い生涯を閉じたのである。
実は当時の新聞を見ると、やや早い死去を憂う政府高官などの姿があったとされるが、彼は死ぬ直前までに全ての状況を整え、閑職に追いやられたジェットエンジンの父の代打を見事に果たした。
特に彼が拘っていたのは前面タービンによる圧縮機構であったのだが、これは後にターボファンとして活躍。
しかも70年後には彼の提案した最前面ファンによって推力を得る仕組みは、新世代の高バイパスターボファンエンジンとして華開くわけだが、記憶が間違ってなければこのエンジン技術の基礎技術として引用されたのが、彼が王立国家で残した圧縮機構その物。
つまり後10年ほど生きていたらジェットエンジンがどうなってたかわからないほどの結果を残しているという事。
高効率なターボファンが早期に登場し、ジェット戦闘機の性能が飛躍的に向上したのは言うまでもない。
長生きして欲しいが死因は病死なのでどうにもならないだろう。
だからこそ今会っておくべきだ。
そして俺は彼に伝えたい。
今からでもG.IのいるNUPか、ロンドンに向かうべきなのだと……
しかしすでに王立国家は手を打ったのだった。
◇
「えっ? ジェンドラシク氏が辞められた?」
「本年の2月で王立国家に引き抜かれて辞められました。タービン関係の技術も王立国家の航空エンジンメーカーが買収。技術者ごと全てヘッドハンティングされ、ここに残るのはディーゼルエンジンだけです。今我々はディーゼルエンジンの開発製造企業となっております」
「なんですと……」
通訳を伴って王国のメーカーに訪れると、先手を打ったのは何と王立国家である。
こちらの見学に応接間で対応してくれたのは部長クラスの人間であった。
「どうして王立国家が呼びかけたかご存知です?」
「何でも最初はNUPの企業が買収しようとしていたらしいのですが、王立国家が先手を打ったようで、彼もNUPのG.Iはライバル視していたので、ユーグの人間として王立国家に向かってしまいました。まあ王国はジェットエンジンについて理解が薄かったので、彼としても本心としては新たな環境を求めていたようです。私にはよくわかりませんが、東亜の島国にて開発中だったCs-1を完成させた者達がおり、NUPはどうしてもCs-1が欲しかったらしいのですが、その姿勢をNUP経由で王立国家が情報を掴んでいて先回りしたようです。聞き耳を立てたわけではないですが、彼から事情を伺う機会がありました。交渉人が説得交渉の材料としてそんな話をしておったらしいのです」
やられた。
MI6か……
彼らは掴んだのだ。
Cs-1の可能性を。
たかが1000馬力級でしかないが、今ホイットルが開発しているエンジンの3分の2の重量。
しかもニッケルはまるで使わない超未来的エンジン。
アレを効率的に大型化できれば非常に強力なターボジェットエンジンが作れる。
王立国家は主導権を得た上でNUPとライセンスを結び、NUPからライセンス料を徴収したいのだろう。
それはジェンドラシク氏からすれば何よりも誉れであろうことは間違いない。
まあ第三帝国に渡るよりかはマシか…マシ……なのか?
ってことは少なくとも王立国家は、第三帝国と並ぶ超スーパーすげえどすばいな技術者を技術ごと手に入れたわけか。
ああ怖い怖い。
敵対してたら大変なことになっていた。
しかも未だにCs-1について交渉しようとするウィルソンCEOの姿勢から、まだライセンス契約などの締結は行ってないな?
王立国家はこの時点で軸流式の利点に気づいているが、Cs-1を土台にエイヴォンをこさえる気だ。
そのエイヴォンの主任開発顧問が彼。
エイヴォン自体がすぐ完成しないとしても、第三帝国に対して優位なエンジンを作る土台を整えた。
西条の不安が見事的中したことになる。
動いた歴史は皇国だけではなかったのだ。
まだこれが味方だからいいが……つまりは敵にも同様の動きもあるということだ。
早いうちに確認しよう。
残念ながらディーゼルエンジンしかないので、俺が興味を引くようなものはなかった。
ある程度会話に興じた後でその企業から静かに立ち去ったが、王の即位に関しては山側の地域の都市に展開するこの企業でも盛り上がりを見せていた。
やはり空位の王よりも実在する王の方が気持ちがいいだろう。
王政だが王がいないという違和感が払拭されたことで、彼らは国民意識が前向きとなってきている。
今後、王は各地を転々として民衆に王位を宣言するわけだが、近くこの地にも訪れるとのこと。
街も工場のある企業も今からどう出迎えるかようかと期待感に溢れていた。
だとすると王国は勿体無いことを……
上手くすればユーグのジェットエンジンを一手に担う、ジェットエンジンで経済を成り立たせる経済基盤の構築もできたのに。
ユーグは半世紀後に分野別で各国が連携して航空機を作る事になるわけだが、エンジンは王立国家が主導権を握っていた。
その主導権を渡さなければかなりの工業国家になりえたはず。
まあもう遅いか……
俺は駅まで「ああ勿体無い。勿体無い……」――と何度も頭の中で唱えつつも、今後旅行以外で足を運ぶ事は無い国に名残惜しみながら再び汽車に乗り、ユーグ全域からは危険地域とみなされながらも、アペニンと並んで唯一自由に出入りできる立場を利用して第三帝国へと向かう。
スパイというわけではないが、現状の第三帝国の様子の確認も俺の仕事の1つ。
彼らは現状の皇国人をどうもてなすのか……