第65話:航空技術者は王の存在感に震える
皇暦2599年7月7日。
即位式が行われた。
場所が場所ゆえ、参加者は皆自国の民族衣装を纏うわけだが、唯一の東亜地域の国ゆえ、和服はとにかく目立つ。
しかし、ユーグにとっては大政奉還の1週間前に行われた万博などから、和服などの文化はユーグに十分に伝わっているため特に批判などされる事はない。
千佳様からは堂々としていろと言われたものの、着慣れないモノゆえ動きづらくて困る。
正装としての和服など七五三以来ではないだろうか。
この頃はもう結婚式ですら和服を着ない者が出てきていた。
葬式でですら洋服が許される時代。
俺のような洋物かぶれなどは、皇国に生まれながら和服などほとんど身に着ける機会などなかった。
同じく和服を好まなかったのが西条。
彼もそわそわしているが西条の着物姿なんて後の世に写真1枚しか残っていないほどで、未来が変わっても今回の即位式を合わせて2枚になるだけだな。
まあ10年もしないうちに和服などの一連の文化自体が消滅することになるのだが。
皇国に残るのは言葉だけだ。
言葉以外全て死んだと言える。
神社も寺も全て燃やされたし、城も残っていない。
徹底的に全てが破壊、蹂躙されてしまった。
だからこそなのだろう……
幻とも言える民族衣装に違和感を感じるのは……
皆が落ち着いている様子に違和感を感じるのは、俺もヤクチアに汚染されたからなのだろう。
周囲を見回すと王国の陣営は喜びを隠せずにいるな。
王国にとってそれは我々と手を結ぶ理由ともなるほどの重要なもの。
WW1が始まる前の動乱などによって揺れ動いたこの地域は、WW1以降の混乱も相まって長い間、王という存在がいなかった。
執政はいて、王国であるのに王がいないのだ。
今回の王の即位に関しては様々な国や人による狙いが透けて見える。
王国自体の狙いは、エーストライヒを併合しての帝国の復活もあるのかもしれないが、王国が王国たらん絶対的存在となり独立することにある。
WW1以降に生まれた体制からの脱却が狙いだ。
一方で本日王となる、とても名前が長い新たなる王は何よりもエーストライヒの第三帝国による併合を恐れていた。
自らが防波堤となることで第三帝国のエーストライヒ併合の大義名分を削ぐことが彼本人の狙いだ。
何しろ彼は王国の新たなる王であるのだが、同時にエーストライヒに対しても王位を請求できる立場にある。
つまりエーストライヒを強引に併合し、このまま文化の統一を図ろうとすれば同君連合であるという大義名分から王国は参戦することが出来、それを理由に併合の正当性は薄れる。
本来の未来における空位となった状態とでは天と地。
その辺はユーグ諸国の王族や政治家がよく理解している。
バルカン半島含めた周辺国がここに賛同を示す最大の理由は、WW1ではある意味で彼の血縁に翻弄されたこともあったが……
一方でアペニンを含めた全域をかつては領土とした王の血筋でもあり、第三帝国とヤクチアの攻勢を政治的に弱める狙いがあると思われる。
ユーグは現在、それだけ切迫しているということである。
王立国家が賛同を示したのは、帝国であった頃のエーストライヒと同盟国だったからだ。
事実上の復活はチャーチルもチェンバレンも願っており、ユーグの東側を安定化させられるのは帝国時代のエーストライヒだと考えていた。
だから逆らう理由がない。
それは王立国家の王族も同意見であるのだ。
王立国家にとっては二大大国としてユーグでの発言力を高めたいのである。
ただ、現在第三帝国勢力下で州の1つとなったエーストライヒにとって彼は王位請求権を持つ人間であるだけで王ではない。
王位請求権を持つ要因は彼が第三帝国に対してもそう言えるからなのだが、残念ながらエーストライヒ人達は今回の王位即位にも反対の立場。
エーストライヒがそこに賛同すると第三帝国は鎮圧するだろうし、まるで意味が無く大量の血を流すような真似は出来ない。
それは仕方ないとは言える。
そこが第三帝国に与えた唯一の隙であり、あと1年早ければと思わざるを得ないユーグ全体の後悔の念へと繋がっている。
王国の王座に座ったとて併合を退けられるとは思えない。
総統は絶対に併合を諦めないし、すでに駐留軍すらいるのだ。
今回王位に就くのはNUPといった国々、いわば国際社会への正当性の主張を強めるためで、対ヤクチアなどを念頭に入れたものでしかない。
いわば民主政治国家に対しての圧力を高めたいという事。
なんだかんだユーグは王政国家だ。
つまり、現在ユーグでは唯一エーストライヒが孤立しているわけである。
前首相は併合に賛成でもあったのがよくなかった……
首相は第三帝国との併合を行ったうえで彼を王とし、総統を首相としようと考えていたようだが……
新たなる王にとってそれは何よりも屈辱。
しかも彼の目論見は見事に外れて最悪の状況に陥った。
そこを打破するにはまずは王位に就くしかないとは言える。
今後は王国の王として圧力をかけられることになるだろう。
ムッソリーニはまさにそこに目をつけたのだ。
当初こそ併合において中立の立場を保っていたムッソリーニだが、やはり彼にとって第三帝国による併合は許容しがたかったのだろう。
しかし今の彼は第三帝国に代わってエーストライヒを併合する夢は捨てたようだ。
この辺りの心境の変化は本来の未来と変わらんな。
今のムッソリーニの狙いは最終的に国王の親族の娘とアペニンの王族が結ばれ、アペニンの王家の正当性を高めたいのである。
新たなる王に対しては総統も目をかけて何度も接触を試みてはいた。
残念ながら敵愾心を抱かれたので次第に対立していったわけだが。
第三帝国にとっても彼は王となりうる者だけに、敵ではあるが暗殺などできよう者ではなく、総統は彼の処遇に"相当"頭を悩ませたとされる。
仮に彼が第三帝国の手によって殺害されたとすれば、ユーグ全域が一瞬のうちに第三帝国を滅ぼす。
WW1のようなことになりかねない。
総統はその恐ろしさを十分に理解されているし第三帝国自体も承知だ。
新たなる王はムッソリーニとも度々接触していたわけだが最終的に彼はムッソリーニの話に乗ったということになる。
ブタペストで売られている新聞や雑誌ではムッソリーニに関する憶測ばかり流れている。
ムッソリーニは拡大路線を止める代わりにアペニンを不動の国家としたいわけだ。
その話にアペニンの国王が乗らぬわけがない。
皇国はこの流れに便乗しただけ。
何しろ皇国は東亜唯一の皇帝がいる国家。
陛下は本日即位する新たなる王と唯一対等であらせられるのだ。
血筋的には本当にそうなのである。
ムッソリーニはそこにも目をつけたが、周囲に道化にされてでも皇国のためにブタペストに向かうと語った陛下は、背後にムッソリーニの意図が多分にある即位式とわかっていてもユーグの安定化に寄与できるならばと考えたに違いない。
やはり政治家としての能力は総統よりムッソリーニの方が上だと思う。
少ない手札を大きくするためには、政治的に大義名分を作り、そのための地盤をこさえる。
単なるファシストで片付けられないカリスマというものを感じる。
アペニンの敗因とムッソリーニの敗因についてはチャーチルが後年よく語っていた。
金と武器と機会を見切れなかった。
その3つがあったならば奴はもっと上手く立ち回ったと。
まさに俺はその瞬間を見ているのかもしれない。
ただ政治家として優秀でも戦争に勝てるわけじゃないのだから……
政治家としてはビスマルク並とわかっても、果たして奴はビスマルクを越えられるか……見ものだ。
◇
即位式は続く。
各々の国王が祝辞を述べ、ついに我が皇国の陛下の出番となった。
俺はそこで俺が震え上がるような内容を聞かされてしまう。
ようやく、中佐となった理由をここにきて理解させられた。
――本日は栄誉ある即位式にお招きいただき大変嬉しく思います。私はこの地に新たなる王が誕生されることを喜ばしく思います。これは私事ではありますが、来年は皇暦2600年。我が皇国が誕生してから2600年となる年であり、とても名誉ある記念日を来年に控えております――
――皇国は現在、とても活気だっておるわけですが、私は皇暦2599年となった現在、この歳になってはじめて気づかされることがありました。それは我が師である聖将のお言葉、国とは人であり、人とは国であり、朕は国であるの真意です。幼き頃、自責の念により自ら命を絶たれた皇国人が私の教育者でした。これまで私は彼が残した言葉を理解できずこの歳まで生きてまいりました。本日王になられた新たなる王に対してお伝えしたいのは、その真意の一端を理解できたことへのご報告です――
――私は生まれて物心がついた頃から、私こそが国家であると強く訴えられて育てられました。宮殿にいる者達は口を揃えてそう言うよう伝えてきます。朕は国家である、そういわねばならない。その意味を考え続けていた矢先に出会った教育者は、日ごろ国家とは人であり、王は王であると私に教えておりましたが、つい先日、私は国家とは人であるの意味について知りました――
――東亜の秩序を守りたい。皇国の今後の存続と繁栄を守りたい。東亜において確固とした独立国としての立場を守り、今後も皇国の人間が笑顔であるようにしたい――
――私が愚かであったのは、その日まで私だけでどうにかしなければならないと考えていたこと。皇国には私よりも皇国を愛す若者がいたことにすら気づかなかったのです。華僑の事変を納めることは何よりも私の希望ではありましたが、それは私の希望であって私が達成したものではない。そこに気づくことができたのです――
――なれば朕は国家とは何か。それはすなわち、皇国のために命を燃やす者達のため、皇帝たる私は、彼らのために誰よりも前に出て歩み、時に彼らの盾となり、時に彼らを導き、時に彼らに手を差し伸べる。それこそが朕は国家であるの意味の一端を成すのだと思います――
――国家は人です。疑いようもありません。聖将は正しかった。ユーグ全域は現在、未曾有の危機に晒されております。それはきっと、本日の即位式に参加された者が誰一人否定することはないでしょう――
――だからこそ申し上げたいのは、ユーグ全域の王として君臨し得る貴方だけが、ユーグにてこれを体現できるのだということなのです。私は皇国の皇帝であってそれ以上ではありません。ですが本日王に即位された陛下は異なる。それはユーグを真の意味で安定化させうる王であることを意味しております――
――例えどんな苦境においても国民と目を合わせてください。国民と語り合ってください。未来を諦めない王の前に国家は存続し、そこに国民の姿もあることでしょう。以上をもって祝辞の言葉と致します――
――お集まりの皆様。長い間お聞きいただきどうもありがとうございました――
深々とお辞儀した我れらが皇帝陛下に対し、頭を上げたところで惜しみない拍手が送られた。
震えが止まらない。
確かに陛下は"若者"と述べた。
それがかような一航空技術者を指すのだとしたら、大変なことだ。
そんなことをしたつもりはないが、こちらの必死な思いは陛下の心を揺り動かしてしまったのだろうか……
そんなつもりはなかった。ただ俺は、皇国を守りたかっただけなのに……
もし陛下の耳にもカタパルトの件などが届いているなら、俺の昇進を誰よりも望んだのは陛下だということになる。
西条の言葉の意味はそれか……
そこまでの思いと重圧を背負っていけるのだろうか……
いや、この祝辞の言葉とはまさしく皇国を救うのだというならば、皇国の一端を背負ってみせろという激励なのかもしれない。
技術者として、国民として。
俺は王ではない。
確かに武士の家系ではあるが、そこまでの血縁はないとされる。
これまで国政に関わった先祖がいると聞いた事もない。
どこまで行っても国民だ。
だから国民として、エンジニアとして皇国を牽引せよと命じられるならば、その通りにやってみせよう……
東亜の島国の皇帝は、その名に恥じぬ存在感を即位式にて現し、東亜に2600年の歴史をもつ皇国ありということを見せ付けた。
鳴り止まぬ拍手がその証拠。
目を潤ませるチェンバレンの姿を見たとき彼の言葉を理解できた。
東亜にも王はいる。
我が国には王がいる。
たとえ後に象徴的な存在としかならなくなってしまったとしても王は王。
誇れる存在がいるのといないのでは違う。
自ら王を否定した者達に負けるわけにはいかない。
民主主義が根付いて皇国が立憲君主制になったとしてもいい。
皇国に王がいる限り、俺は皇国のために戦う。