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番外編6:ある上級将校の苦悩

「良く来たな。同志グルーゼンベルグ!」


 ああ……今日もまた元帥は酔われていない。


 元帥は我々が酔いつぶれたのを確かめるため、酔ったフリをすることはよくある。


 だがいつものパーティに招かれて正気を保った様子を見せるということは、今日もなにやら問いかけがあるようだ。


 しかも今日は私一人……最悪だ。


「同志グルーゼンベルグ。君は国家の首脳の背後に魔物が潜むなどと考えたことはあるか?」

「……同志スターリン。それは貴方の背後に貴方を操る人間がいるという意味ですか」

「無論。私も含めてだ。私はウラジミール・スターリンという役割を命じられているだけの中年男で、本物のウラジミールがいたとしたらどう思う?」


 今日はそこまで機嫌が悪くないのか、ワインの栓を開けた彼はまずは自分に注ぎ、その上で私のためのグラスと思われるもう1つのグラスに注ぐ。


 このやり方は元帥なりの敬意の表し方を示している。

 こうすることで毒など入っていないということを証明したいというわけだ。


 元帥は普段より、"先に部下に飲ますような酒を抱える指導者は無能である"――と言うが、真の指導者とは毒を盛ることすら恐れを抱く絶対強者なのだという。


 だから彼に毒見役などいない。


 これはすばらしい事だ。


 元帥は食事で体調を崩されたことはないのだから、指導者として認められるだけの力があるのだと言えよう。


 もっとも、毒を盛るというのは彼の役目。

 彼からプレゼントされたワインを飲んで次の日目覚めなかったという話は聞く。


 つまりは、最も安全なワインとは自分が飲むものだけであり、自分が飲むワインを相手に提供することが最大限の元帥の配慮であるということなのだ。


 日ごろ元帥は気に入った者にほどプレゼントを渡さないが、それはウラジミール・スターリンにとってプレゼントとは"決別"を意味しているからなのだろう。


 これは母親の影響なのだろうか……


「飲みたまえよ」

「はっ」


 先に口にしたワインを確認してから飲む。

 それは元帥の地元産のものであった。


「同志グルーゼンベルグ。先ほどの話だが、君は今の話を本気に思うか?」

「いえ、思いません」

「なぜだ。理由はあるのかね」

「人を操ることが容易でないからこそ、元帥は粛清されたのです。もしそのような事が可能であるなら、元帥は粛清などしません。全てのツワモノは元帥の言葉通りに働き、元帥を裏切ることなく、我が祖国を導くために働くことでしょう。元帥に背こうとする者がいるということは、元帥は元帥がただ一人しかいないという証明であると思うのです」

「ふむ……及第点としておくか。実はウラジミール・スターリンとは二人いるのだよ」

「なんですって?!」


 いくら影武者説が出ていたとしても初耳だ。

 二人……双子でもいたというのか?

 そんな馬鹿な。


「表向きには一人しかおらんがね……確かに二人いる。私の中には最高指導者としてのウラジミールがいる。その者は私よりも勤勉で、私よりも高貴で、私よりも実直で、私よりも閃きが鋭く、全てにおいて完璧であり、誰からも好かれる男だ。私には常に隣にこのもう一人のウラジミールが見える。私はあくまで、もう一人のウラジミールを演じているに過ぎない」


 王立国家でいう"インスピレーション"の一種というものだろうか。

 天才というものは天才を演じていると言われる。


 天才には本物の天才の姿が見え、その姿を模倣することで周囲から天才と呼ばれ、己の言動を理論化できないといわれる。


 いわば真の天才とは理論化できる者だと言われるわけだが、我が元帥はそういうタイプの天才ではないと認めておられるわけか。


「同志グルーゼンベルグ。もう一人のウラジミールはな、決してミスを犯さない。手紙を書く最中にペンを落とすのは、私が真のウラジミールではないからだ」

「はあ……」


 さすがにどう反応すればいいのかわからん。


 このままいつもの演説に持ち込んで適当にご機嫌を取るか?


「だがな同志よ。どうも皇国には影の支配者がいるのではないかと思う。それか、皇国にはもう1つの皇国がある。最近はコミンテルンの排除が強まり、東の島国の同志は少なくなった。情報も僅かにしか届かぬが、明らかに皇国には自らを真っ直ぐに超大国へと差し向けんがために耳打ちする、もう1つの皇国の姿がある。皇帝すらもそのもう1つの何かにすがっている様子だ」

「それは人なのですか?」

「人を超越しているだろう……あの外交下手の国家が、いまやユーグで主導権を得ようとしているのだぞ。なんだあの即位式とやらは!」


 先日の即位式の発表は我々にとっても衝撃的であった。


 まるでユーグが民族主義で一致団結したと、元帥は足でもってユーグの職人がこさえた高価な机を怒りにまかせて破壊したらしい。


 そこに一枚噛んだ皇国が特に気に入らない様子だ。


「ムッソリーニめ……我々を出し抜いたつもりか! 奴の民族主義は今やユーグで一定の地位を築きつつある。今の皇国ならその波に乗るぐらい容易だ! 皇国の裏に潜むもう1つの存在は東亜の治安状況も変えたに違いない! そればかりか今度はユーグまでも……総統はこの状況に開戦を遅らせる決断をせねばならなくなった。 互いに交わした約束通りに進軍し、今ポルッカを攻め込み、我々がガルフ三国を攻めたとしよう。ユーグはチェンバレン、ムッソリーニを筆頭に、中立を宣言する国家が全て中立の立場を捨て、ユーグとして第三帝国と我々を滅ぼしにくる。ムッソリーニすら想定外の民族主義の成長だ。互いの民族が自己を尊重した上で手を結ぶ最悪の結果となる。第三帝国はまだ戦力が整っていない……1年で戦争が終わる。帝国主義は民族主義が成長することで負けるのだ! 何の成果も得られずに、ユーグには平和と汚辱と絶望に塗れた資本主義が謳歌することになる」


 元帥の狙いは領土拡大よりも共産主義圏の拡大にある。


 そのために第三帝国と一時的に手を結んでまでユーグの一部地域を割譲し、ガルフ三国などを手に入れ、未来のユーグ統一を目指そうというわけだが……


 その前に先手を打ってきたのはムッソリーニであった。


 あの男は元帥も目をかけていたとはいえ、我々の手が届かない方法でユーグを揺さぶった。


 それも武力を用いた揺さぶりではなく、彼なりのナショナリズムを利用した……民族に対する問いかけだ。


 元帥から言わせればそれがユーグに、連合体を形成する恐れがあるのが嫌で嫌で仕方ないのだろう。


 我々は孤立するわけにはいかない。


 せめて東亜に同志たる国が生まれればよかったのだが、蒙古だけでは弱く、そして脆い……


「……我々に手立てはないのでしょうか」

「……私は前任者と共にヤクチアで革命を起こした後、皇帝陛下を皆殺しにする命を許した件について深く後悔しつつある。ここだけはテロ賛美と合わせてトロツキーと同意見だった。前任者につれて帰ってくるよう伝えるべきだったのだ。即位式に参加すればNUPを出し抜けたものを……同じ立場となってしまった」

「皇帝が今生きていらっしゃったとして、参列できたでしょうか」

「出来たさ。出来た。革命を起こしても王の血筋は絶やすべきではなかった。今王位に君臨せずとも、生きておられたら参列できたことだろう。私は革命によって民衆が実権を握ることを望んだ一人だが、王族まで否定する立場にあるわけではない。表向き革命への貢献として士気高揚を謳うが、本心ではない。王と民衆は分けて考えねばならん……踏み入れない領域だからこそ、ムッソリーニにしてやられたのだ。かつての大帝国を築いた王の末裔2名と東亜の数少ない皇帝の参加。即位式はさぞ盛り上がることだろう……そして王国は我々と戦うことになればスプーンやフォークを持ち、老人から女子供まで死ぬまで戦うぞ。正しき王は政治家を上回る。正しき王という存在が長く続かぬからこそ王政は崩壊したに過ぎん。我々は長く続く新たな政治形態を模索しただけで、絶対君主の存在が強固な結束を生むぐらいわかっている……」


 正しき王。

 正しき政治。


 そんなのはまやかしだからこそ、立憲君主国家が相次いで立ち上がったわけだ。

 三国において王とは象徴的な存在に近い。


 皇国はやや異なるようであるが、それでも政治活動は限定的。


 だが捨てなかったからこそ、滅ぼさなかったからこそ、かの国らは強く結束しているようには思える。


 いわばこれを民主主義の1つの形態だというのだとすれば、王を捨てた我々に生き残る道はないのだろうか。


「ならば同志スターリン。貴方が王を超える存在にならねばなりません。ヤクチアの明日を担う立場となる偶像となって、死した後の世にも影響を及ぼし続けるのです」

「同志グルーゼンベルグ。私よりもムッソリーニや蒋懐石の方が適任だとは思わんか。あのカリスマ性は私にも、もう一人の私にもない……ましてやもう1つの皇国のような何かのようなものも私にはない」

「もう1つの皇国とやらは何なのでしょう。どうして皇国はかようにも変わってしまったのでしょうか」

「……グルーゼンベルグ。君は例えば、単なる一介の技術者に過ぎないような人間が、国を変えられると思うか?」

「はい? 技術者とはどのような?」

「何でもいい。その技術に精通する超越者スペシャリストだ」


 技術者は所詮技術者のはず。

 例えば世界を滅ぼす兵器でも作れるならば……


「例えば、国1つを一撃の下に破壊しうる爆弾。それを無人の航空機でもって運び込めるというならば、それを作りし者は可能でしょう」

「はっはっはっはっ。そんなものが生まれようとも、そのような技術者が欲を見せればすぐさま殺される事だろう。違うなグルーゼンベルグ。違うのだ。大した破壊力を持たぬモノを作り出しつつ希望を与えられるような人間の方が適任だ。凶悪な破壊をもたらす兵器は夢を与えん。恐怖を与えるだけの兵器を作りし者は排除される。人に国を完全破壊する勇気などない……それは国家の役目だ。だから植民地など生まれるのだ。民族大粛清が出来るなどあるわけがない。事実、第三帝国の反ユダヤ運動は失敗だ。一体どれほどの人間が我が国土を通過して華僑に移動しているやら。何やら我が同志の一部は不遜な態度で彼らに接しているようだが、それも一部に過ぎない。徹底的な殺戮など不可能。それを可能とした時には世界に人種など消えている」


 元帥が酒を口にする頻度が増える。


 酔っているのか顔も赤くなりつつあった。

 ほろ酔いといった状態が一番饒舌になる。

 とにかく演説が長くなる。


 長い演説によって疲れれば帰れる。

 このままのペースを維持しよう……


 ただ、その彼のロジックにおける話は大変興味深い。

 やはりウラジミール・スターリンとは勤勉な男であるのだ。

 精神論から紐解いた国家の理論は聞いていて飽きない。


「では航空技師のような者なのでしょうか?」

「あるいは自動車技師なのかもしれぬな……皇国でも最近、大衆用の自動車が必要ではないかとささやかれている様だ。だとして、君はそれが皇帝を動かすに足りる人物になると思うか? 例えば全ての未来を知っていたとか、万物を見通せるだとして、一切表に出ることなく影の英雄に徹する? そんなことが可能だと思うか? 私は思わん。これまでの皇国の動きからして今の皇国を成立させたのは一人の所業ではないはずだ。だがソレは皇国の皇帝の心すら揺り動かし、導いていて、だからこそこのような結果を生んでいる。まさしく国を扇動できうる者なのだ。だからそれは人であって人ではない……人ではない何かだ。ガリラヤの湖を歩くよりももっと効率的に、人の心を掴んで導く……そんな存在があの小さな島国にある。モノなのか……あるいはなんなのか……ともかくいるのだ。いるとは思わんか?」

「魔物ですか?」

「そうだ。魔物だ」

「武力に頼らず人を導けるなら、粛清など不要です。そんな無敵の人がいたら、歴史に名を刻むのでは?」

「なぜか表に出てこないのだ。それが正しいとばかりにな。そして出てこないことを周囲も疑わん。占い師の類なのやもしれんが、コミンテルンは技術者だと主張する。技術者が国を導く? あるわけがなかろうに! 私を馬鹿にしているのか! そんな与太話を信じてどう戦略を立てろと!」


 愛銃を取り出した元帥は床にそれを叩きつける。

 暴発しないか正直ヒヤヒヤしたが、どうも弾丸が入っていない様子だ。


 これも私に対する敬意の表れなのだろうか。


 本当に信頼できる者と話す際はそうすると聞いている。


 万が一引き金を引いても弾が出ず、その結果自分の暴走を食い止めてその場で冷静に戻れるからと。


「同志グルーゼンベルグ。これまでの理論にない存在が国の背後にいる場合、指導者はどうあるべきだと思う? 君の率直な意見が聞きたい」

「それは簡単ですよ。理論化してしまえばいいのです。我が同志にはそれが得意な者達がいる。理論化してしまい、新たな理論として次の動きを読む。さすれば皇国と言えども明日を見失うことでしょう」

「なるほどな……そうか……そういう手があったか。確かに、人は理解から一歩を踏み出すものだ。 理解なくして明日などない。やはり君は賢い人間だな。シベリアのような地域に視察に向かうことがあったとしても、特上の暖房器具に囲まれた環境を用意することを約束しよう。今日はもうよい。下がれ」


 次第に落ち着きを取り戻す元帥は何やら閃き、やらねばならぬ事ができたらしく、こちらは煙たがわれて退散することとなった。


 ああ……今日も生きられた。

 一体私は……何時までこのようなことを続ければいいのだろうか……

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