番外編5:立川の日常2
技研の胴体設計室に向かうと、朝から何やらサッサとフリーハンドで製図する信濃の姿がある。
奴の描く航空機は本当に骨格形状などが味気ないのだが、一方で完成品は美しい。
設計図からは判らない美しさがある。
基礎設計には航研の影響が多分にあるというが、アイツがほぼ完全に1から作ったキ47は本当に美しいと思う。
航研機よりもさらに形が整っている。
アイツは634kmより速度が出ないことに不満があったようだが、現時点ではそれでいいんじゃないか。
650kmを近く出せるようにしたいそうだが、発動機のパワーアップが無ければ無理だろう。
皇国の諸外国への出遅れの危機感を払拭したキ47については、NUPから少しずつ情報が入ってくるP-38とやらと比較して明らかに高性能であることから、東亜標準機として持ち上げられ、活躍が期待されている。
俺はこのまま双胴機が増えていくのかと思えば、奴は襲撃機などは単発機とし、さらに真打たる重戦闘機も単発機とし、キ47の後継機たる機体は単発となる予定らしい。
1つの軍用機にかける思いは人一倍強く、メーカーとはとにかく話し合って設計的妥協点を探ったり、逆にメーカーの提案を受けて機体を強化したり、最初こそ振り回されていたメーカーだが……
長島、四菱はキ43とキ47の経験から、段々と信濃による先鋭的な航空技術に対応できるようになってきた。
信濃は長島の可能な限り外注を駆使して品質の良い製品を採用する姿勢を高く評価し、四菱にも自社製作に拘り過ぎないようにと伝えていたが、四菱はキ47でかなりの自信を付け、こと航空力学に疎い海軍には強くモノを言うようになってきた。
要撃機が必要だと主張した海軍に対しては、一切の介入を許さずに新型機をこさえてるとのことだ。
信濃はそれを"なんだか痩せたな"――だとかよくわからんことを呟いていたが、基本設計図を見せて貰ったら信濃の影響が多分に見られた。
アレだけ十二試艦戦で構造部材が多かったのに対し、キ47ばりに徹底的に構造部材や鋲の数を減らしたのは、キ47の成功を足がかりに何かを掴んだのだろう。
成長する長島と四菱に対し、山崎が不安を抱える理由はそれだ。
だからこそ、山崎の技師は信濃と組んで戦闘機が作りたかったのだ。
キ57は、確かに優秀な輸送機だ。
陸軍はこいつを簡易爆撃機としたり、なにやら大砲類を空中投下することも考えている。
だが、なんというかキ57はキ47ほど冒険していないんだよな。
四菱にあんな冒険したキ51を作らせながらキ57を山崎に回すというのは、俺としても気になる。
それでいてキ68は長島に作らせるわけだろう?
信濃は山崎のメンバーが嫌いではないのは、潜水艦建造などで山崎の者達を真っ先に召集したからこそわかる。
しかも潜水艦建造メンバーと話し合い、航空機部門と共同で与圧室をこさえようとしているぐらいで、山崎を見捨ててはいないのだと思う。
そういった態度から、山崎の技師は強くものを言えず、なんともいえない気分が不満を蓄積させているようだ。
俺はハッキリと戦闘機が作りたいと言えと伝えたが、そういうのが出来ないのが皇国人らしい。
信濃にも一応何度も伝えてあるが、本人の口から聞くと一言で片付けられた。
甘い覚悟である所を見透かして待っているのかもな。
今度そう伝えておくか。
今日の俺の仕事は開発中のキ57のレポートをまとめて技研に提出するだけ。
つまり暇だ。
俺の仕事はほとんどがメーカーとの協議で、いまや同期なのに先輩というか上司に感じる信濃とは別の立場で橋渡し役となっている。
信濃は大忙しだけどな。
外にメーカーの者達が乗った車が現れるとすぐさま設計図室から飛び出し、入り口でしゃっきりとした声で挨拶。
外からも奴の声が聞こえる。
その後は、発動機部門の者達なら実験室に移動したり、胴体設計部門の者達なら会議室で協議したりしている。
最近はハ43の直噴化をやりたいらしく、メーカーにハ43の直噴化改良版について話し合っている。
排気タービンとキャブレターでは相性が悪いらしいんだ。
直噴についてはメーカー側も前向きで、冷却性能低下や重量増加を抑えるために信濃と協議をしていることがここ最近は多い。
特に四菱はハ43を大量生産することになり、工場すら拡張することになって大きな利益を計上しているため、信濃の意見には真剣に耳を傾けているが……
そこで稼いだ資金を地盤にハ43をベースにもっとすごい18気筒発動機を作る気らしい。
一方で量産が間に合わないために長島でもハ43を作っているが、そこで得た技術で今ハ44という発動機を作り、風のうわさでは実証実験用のモノが完成したって話だ。
しかもソイツ、信濃曰く2000馬力級だって話だ。
現時点で間違いなく2000出るモノが出来たら革命だろ。
まあ、いろいろ安定性に欠くそうで、今必死で改良している最中らしいがな。
ただ、信濃は多少過熱気味の発動機でも強制空冷ファンが実用化できたので、強制空冷ファンである程度は乗り切ると言っている。
あいつが作る航空機は本気で発動機の故障が少ない。
それまで技研を中心にメーカーに作らせた航空機といえば、試験飛行で発動機が不具合を起こして試験中止となることが4回に1回ぐらいの比率であった。
それがキ43やキ47なんかは限界耐久試験が行えるほどで、ハ33やハ43がすごすぎるのか飛ぶのが当たり前となってきているんだ。
一部の航空士は逆にこれが怖いと言うほどだ。
壊れないことに慣れるといざ故障した時に慌てるってな。
実戦ではそこまで信頼性は確保できないだろうが、現時点での軍用機としての完成度はきわめて高いと言える。
将校達はメーカーの者を見つけると、"いつ量産できる"、"早くしてくれ。待ちきれん"、"一番先に我が隊に配備されるよう取り計らってくれ"――などと、キ43とキ47の奪い合いのようなことをやっているらしい。
九七式戦も悪くないだろうに……
……たった3年で600km台に乗る戦闘機が出来ればそうなるか。
おや?
暇を潰しつつ椅子で寛いでいたら正午の鐘が鳴っちまった。
そんなに時間が経過してしまうほど考え事をしていたか。
信濃もメーカーの者達と食堂に現れるだろうな。
◇
食堂に現れた信濃は昼食も同じメニューだ。
ハムと目玉焼き2つ。
今時期は6月まで収穫されるキャベツの千切りが同じ皿に大盛りにて盛り付けられる。
そして青菜といった他の野菜類。
豆腐1丁と汁物。
醤油をぶっかけた目玉焼きとキャベツをかき混ぜて一気に食べるのが、この時期の信濃の昼食の過ごし方。
飯物はやはり玄米と他の穀物を合わせたモノ。
昼食については季節野菜を取り入れる影響で6月頃まではキャベツだが、以降は三菜に変化したりと様変わりする。
大盛りの飯物を豊富なおかずでペロリと平らげるが、メーカーの者達が話し合いながらゆっくりと食す間、奴はスケッチボードを持ち込んで彼らと協議しながら製図するというのが日常風景。
メーカーの者達が来ない日はそそくさと食堂を後にするが、彼らと話し合った後に歯を磨きに行く。
なんなのだろうなこの動きは。
まるでそう何かから命じられているように機械的だ。
全くもって発動機のように動く人間だ。
歯を磨いた後はそのまま入れ替わり立ち代りで様々なメーカーと協議しつつ、ここ最近はカタパルトなどの開発に精を出している。
これの開発には随分苦労している様子だが、九七式戦を大量に集めて連続射出させた試験は陸軍将校の一部が"時代が変わった"――と呆然とするほどの光景だった。
200mの離陸距離が5分の1以下だもんな。
連続射出試験では射出よりも着陸の方が苦労していたぐらいだ。
間隔は2分に1回ペース。
飛び上がった航空機は立川の空を所狭しと編隊飛行したが、試験に関わった航空士は特に背中が張るような批判をする事もなく、加速で射出時は怖いが、気づくと飛び上がっていると主張していた。
信濃は西条本部長から陸軍用途として、トラックに積み込んで持ち運べるタイプを作ってくれと頼まれているが、防空を考えたら絶対必要だとは技研でも一致していて、アイツはあまり乗り気じゃないが俺らも作れとは言ってる。
あの試験には海軍も来ていたが、近く空母に搭載したい意向であると風の噂で聞いた。
何しろ、通常の滑走方法よりよほど早く大量の航空機を空に上げられる。
射出試験では3機のカタパルトを使い、立川の滑走路から連続射出を試みたわけだが、100機の航空機をただ滑走させるよりもよほどはやく打ち上げられたのだ。
例えば滑走路の形状を変更したりしてみて大量のカタパルトを横に並べ、そこから1機ずつ連続射出したら、通常の滑走路は戦闘機だと2機が限度なところ、5機、10機と、本来では出来ないことが可能となる。
横並びに次々に射出された姿を見た将校が信濃に目の色を変えて実用化を求める理由も、試験を見てみればすぐにわかる。
俺はアイツが最近ご熱心なレーダーよりよほどすごいと思ったぞ。
後片付けはめちゃくちゃに大変だったけどな。
汚れたオイルの処理、カタパルトの解体清掃。
すさまじい性能に対しての代償は大きかった。
あまりに大変なのを見かねた将校達が、軍服を真っ黒に染めながら手伝うほどだ。
だが手伝いたくなるほどの装置ではあった。
ある将校はピストンシリンダーを見て"蒸気に置き換えてはどうか"――と提案していたが、信濃もシーリングが難しいが将来的にそうしたいと言っていたな。
大体こういう試験は昼にやるので、陸軍の上級士官は適当な理由をつけては立川に足を運んできている様子だ。
上層部ではサボタージュだぞと警告はしていたものの、進化著しい皇国の技術に興味を抱かないわけがなく、もうすぐロールアウトするキ51については戦車乗りの砲術連隊の隊長が駆けつけたほど。
彼らはどうも"空飛ぶ戦車"の異名から本当に戦車が飛ぶようになって、いよいよ自分らも航空機乗りに転換せねばならないのかと不安交じりに訪れたが、実物の図案を見て首をかしげていた。
ただ、信濃から"エンジン周囲の鋼板は13mmほどあります"――と言われ、"確かにそれは戦車だ"――と納得してはいたが。
しかもアイツ、"ガンポッド方式で大口径砲を翼にブラ下げる"とか言い出して、戦車乗りの隊長が、"もう履帯は不要の時代となったのか?"――と青ざめるほど。
信濃は戦車は70mm以上の砲塔を装備するが、航空機は出来て40mm程度と言ってた。
だがよ、40mmって今の対戦車砲と同口径じゃないか。
重戦車が皇国で作れなかったらキ51が戦車の代わりになることに気づけよ。
なんだかたまに抜けている所があって人間味があるが、そこが上級将校達に可愛いがられる要因なのだろう。
最近は技研のエースともっぱら言われるようになり、風の魔術師とか言われるようになってきたが、あいつが操ってるのは風だけとは思えんがな。
おっと、外に向かったということはカタパルトの調整か。
茅場とアイツの大好きな芝浦電気の技師が到着したようだな。
これから夕方までずっと付きっきりだぞ。
◇
5時の鐘が鳴ると茅場と芝浦電気の技師は去っていく。
信濃はこれから6時頃まで設計室に篭り、夕食を食べて再び設計室に篭って1日を終える。
あいつが唯一自由に食すのは夕食だけ。
夕食の時ばかりは無礼講とばかりに、その日食べたいモノを口にするのだ。
朝食と昼食が固定だからこそ、夕食がもっとも楽しめるのだという。
◇
何やら喉が渇いたので給湯室に俺が向かうと、麦茶を作る信濃の姿があった。
あいつは本当に麦茶中毒だな。
脚気にならんといっていっつも自作してはやかんに入れ、そのやかんを持ち運んで飲んでいる。
緑茶は眠れなくなるだとか言って、麦茶しか作らないんだ。
歯にも色が変わってよくないだとかなんとか。
よくわからん。
健康志向については四郎博士以上かもしれんな。
栄養学の博士すら信濃には興味を抱くほどだ。
稀に技研で開発した試作品を提供している姿を見る。
それを夕食の際にのみ食す姿も見る。
信濃は"俺は90まで生きるから"というが、そうしないと90まで生きられぬというなら俺は70まで生きられればいい。
四郎博士は100まで生きるというが、あの二人は本当に生きそうだ。
◇
レポートを所長に提出すると午後7時。
食堂に向かうと信濃の姿。
今日は航空士と同じ揚げ物を食べているようだった。
こいつすぐ近くに住んでいるというが、いつ寝ていつ起きているんだろうな。
寝るのはもっとも重要だと言って時には昼寝すらしているが、家に帰ってやることはないのか。
ああ今日も1日が終わる。
出来ればこの平和な毎日がずっと半世紀ぐらい続いて欲しい。
俺は航空機を作る夢もあるが、のんびりと進化する航空機を眺めながら仕事がしたいんだ。
技研に入った理由もそのためだ。
将校の中には現実主義者も多く、近く大戦が起きて皇国も再び巻き込まれるというが、出来るだけ遠くで本土より外だけでやってくれ。
皇国を巻き込まないでくれ。
ユーグの一部の国家のように皇国も中立でありたい。
首相の東亜維持姿勢においてヤクチアが恐れを抱き、三国がいまの体制のまま100年、200年、1000年と向かって欲しい。
少なくても俺の息子が生まれて、孫が生まれても、せめて孫が戦闘機に乗るようなことにはないように……