第59話:航空技術者は加賀の風紀の乱れを正そうとする
翌朝。
汗が染み付いたシャツを海水で洗い、加賀の船員に混じって朝の体操。
正直俺は加賀に乗船したくはなかった。
改装空母加賀と言えば、全空母の中で最も風紀が乱れた空母ではないか。
当時の記録を見る限り、ろくでもない話ばかり綴られている。
開戦直前までには改善されたというが、まさに現状の加賀と言えば迷路のような艦内も相まって下士官と一兵卒の間ではリンチやイジメが横行し、艦内は凄惨な状況だったとされる。
まあ内部の状況を見れば雰囲気の悪さがすぐわかる。
目つきが悪い。
自分達が正しいことをしていない奴らがこちらに対して警戒する目だ。
お前らが何かを感じ取って警戒しているのは、ただ陸軍だからというだけではあるまい。
イタズラをした犬や猫がする目と似ている。
動物も人も基本は変わらん。
やましいことをやろうとする者は顔に出る。
90年生きれば見分けがつく。
彼らからすればこんな若者がなぜ上級士官なのだと思うことだろう。
俺なんか本来の立場であれば下級士官。
その立場で乗船してたらどうなってたかわからんね。
技術少佐とはいえ、上級士官で助かった。
食堂すら士官とそれ以下で分けられているが、兵卒用の食堂などどうなっているやら……
まあ茅場や芝浦電気の技師と、乗船する海軍の技師との衝突はその辺にあるのかもな。
体操ついでに食事までの間に甲板を確認してみたが……
加賀だけ唯一特殊な甲板を海軍の空母の中では保有していることを思い出した。
甲板が前方に8mほど延長されているんだ。
そして何よりも俺が気に入らないことが1つある。
司令は確か間に合わせると言ったよな。
甲板には溝しかない。
何も手を入れていない。
海軍内で、加賀の乗員との間で何があったかは知らないが……呼び出された理由はこれか。
今日は6月22日。
予定される射出試験まで後10日ほどしかないんだが。
構造的に考えると、設置場所がないだとかなんとか、きっとそんな下らない理由で揉めたに違いない。
なんだか段々と目元が細くなってきた気がする。
やる以外に方法はないのにやらなかったことが気に入らなかったみたいだ。
自分でも久々に檄を飛ばす気分になっていることがわかる。
まずはメーカーの者達から話を聞こう。
そう思いながら彼らがいるという艦内区画を目指すと朝から嫌なものを見せ付けられる。
忌まわしき海軍の伝統バッターだ。
下級士官が一兵卒、それも新兵と見られる相手にたこ殴り。
何が精神注入だ。
暴力による上下関係を正当化して何になる。
気に入らないな。
あまりに風紀が乱れるなら加賀の環境を現陸軍式に全面的に改めねばならん。
新兵には申し訳ないが、嫌な予感がしたのでその場は声をかけずに立ち去る。
◇
「首尾はどんな感じです?」
顔にアザがいくつもある茅場の技術者を見た段階で、俺は海軍の管理体制を疑った。
よく陸軍の管理体制について口をするような本が後年でてくるのだが、俺は陸軍に問題があったとは思っていない。
陸軍は芸者と遊んだり、このような理不尽な暴力は振るわん。
陸軍においては暴力事件はある年より大幅に改善されるが、そもそもが上に立つ者が弱きものを嬲るというのは武士の心得の否定に繋がると元より一部を除いて否定的だ。
完全に制御されたわけではない。
階級社会と集団生活においては絶対にそういうものは避けて通れない。
だが、海軍と異なり陸軍でこの手のエピソードが全くないのは、元より品格が重要視されていたからだ。
特高や憲兵達と混同されたのだと思われるその話を聞くたびに虫唾が走ったが、ガキじゃねえんだから暴力で反抗するなと。
「見てのとおりです。いうことをまるで聞きません。加賀には艦隊派が多く乗船しており、甲板の真下に制御機器は載せられないと言ってまるでこちらの話を聞くそぶりすら見せません」
なるほど。
航空機不要論者のサボタージュってやつか。
「信濃技官。正直言ってキ43やキ47をここに載せるべきではなかったと思っています。彼らは新しいおもちゃか何かとしか思っておらず、座席に座って遊んだり写真撮影をしたりしている。何か壊れないかと不安です」
壊したいんだよ。
故障をメーカーの不具合にし、キ43、キ47の評価を下げたいわけだ。
扱い方の問題だったことを覆い隠してな。
そういうことがあるから、誉の稼働率で陸軍と海軍では顕著な差が生まれた。
海軍の独立性は保つなんて陛下に述べたのは俺だが、内心ではそういうことがあるから根底から組織改革をしたかったというのが本音。
統合参謀本部が出来ても、すぐには直せない。
その腐った根性をどうにかせねば。
「そういうのは撃ち殺して構いませんよ」
「ええっ!?」
「今そいつらキ47の近辺にいます?」
「いるんじゃないかと……芝浦電気の者達と分担して四菱の技術者と24時間体制で見張ってはおりますが」
「なら話が早い」
階級の無い者を兵と同じ扱いにする時点で、彼らの程度が知れる。
この者達は客だというのにな……
立ち上がった俺は彼らの肩をやさしく叩きつつ、ゆっくりと彼らの相部屋を後にする。
「あっ、信濃技官! 案内します!」
後ろから勇気付けられた茅場の技術者が追いかけてきて前に出た。
大体の位置はわかっているが、詳細な艦内の状況はわからないのでありがたい。
まぁ日がな一日中設計ばかりやっているが、体を鍛えていないわけじゃない。
俺には解放運動の最中、何度も暗殺されそうになって凌いできた経験がある。
今のほうがよほど上手く体が動きそうだ。
まずは皇国の未来をまるで理解していない不届き者に対し、それをわからせてやらねばな。
◇
茅場の技術者の案内により、二段式格納庫の二段目に案内される。
そこには笑い合いながらこちらがこさえた未来を切り開く航空機で遊ぶ者達がいた。
おそらく艦隊派の者が下士官に命じ、上手い具合に兵卒を扇動したのだろう。
周囲には顔を腫らした四菱の技術者や芝浦電気の技術者がいる。
降参といった様子を示していた。
まあその程度で壊れるほど脆くはない。
零じゃないからな。
だが、近くにある96艦戦で遊んでればいいものを……百式はお前らが遊んでいい代物じゃない。
まるで我が娘を強姦されているような気分だ。
即座に近づき、そして遊んでいる者達を片っ端から床に叩きつける。
お前らはこの現代格闘術……未来格闘術を知らんだろう。
対抗できるというならしてみるがいい。
俺も敵の格闘術を使いたくはないが、生きるために体が覚えていてね。
ヤクチアにも俺を支える数少ない者達がいて教えてくれたのさ。
半世紀後に生まれた現代格闘術をなっ。
「な、なんだそりゃあ! 陸軍式柔術か!」
「アドリア海にゃ遊びで行くわけじゃねんだ。45口径を食らいたくなかったらとっとと失せろ。それと艦長を呼べ。俺が単なる上級士官だと思っているなら大間違いだと伝えろ」
「なっ……きっさまぁ!」
突撃してくる階級すら不明の丸坊主の男は、あまりにもまっすぐな正拳ゆえに簡単に見切られ、そして再び床に叩きつけられる。
「ぐっはァッ」
「二度……言わすな」
「ひっ、あひっ」
すばやく抜いたモ式を口の中に突っ込む。
80代になってもろくに鍛えぬ若者には負けなかった。
伊達に90年生きた身ではない。
記憶は受け継いでいる。
染み付いた記憶が体を動かす。
……おかしいな。
今のほうが動きに鋭さがないとすら感じる。
やはり身のこなしというのは体に覚えさせないとダメなのか。
「す、すんませんした」
「ほんとうにすんません! た、ただの出来心で」
「じょ、上官殿から許可をいただいたので……」
「少しばかり新鋭機に触れてみたかっただけなのであります! だからどうか! この通り!」
何名かが頭を下げて謝罪の意を示す。
だがそんなものどうでもいい。
「何時俺が謝れと言った? 風紀の乱れはお前らよりも上に原因があるんだ。責任者が責任を取る。さっさと艦長含めて上級士官を呼べ」
「陸軍の青二才がぁあああ、天誅ぅぅッ!」
こちらのCQBによって周囲は静まり返っていたものの、その様子をしばらく前まで光悦な表情でもって見守っていた下士官は、部下の敵とばかりに闘魂注入などと書かれた棒でもって殴りかかってくる。
しかし棒術の心得もない者に未来の格闘術が負けるはずがなく、くるりとまわした手で棒にそっと触れて軌道を俺の体より若干逸らし、勢いを殺さずに棒を床に叩き付けた様子を見て、すぐさまその隙を見逃さなかった俺は、足でもって棒を勢いよく踏んづけてへし折る。
相手はまるで自然に棒がこちらを避けたように感じるだろうが、正面から受け止めないのがこの格闘術の基本。
だから強い。
相手の力をそのままに利用するからこそ、この格闘術は力無き者もより格上の体格を持つ者に対抗できるのだ。
相手が追撃とばかりにさらに前に向かってくる勢いを利用し、膝の裏を蹴り上げつつ、張り手を顎にかまして、鋼鉄の床に叩きつける。
そしてモ式を相手の眉間に押し付けた。
「尻を叩くことしか出来ぬような人間が、本気で対人格闘術の心得のある軍人に敵うと思うなよ。そんなに死にたいなら甲板から今すぐ飛び降りろ」
「うっ……あっ……降参、降参でふっ……」
「どうした? 何をぼけっと突っ立ってる。早くしろ」
「は、はははははいっ、今すぐに!」
足で歯向かってきた目の前の者の首を押さえつけ、改めてモ式を向けて兵卒に命令する。
こんな下らない真似をさせやがって……
どちらかと言えば俺はこの時点では現場で日々戦う作業員の一人であり、肉体派なんだ。
重い鋼板を背負って走り回る日常は今もそう変わらん。
毎日毎日暇さえあれば体力づくりに励んでいる。
それが長寿の秘訣でもあるからな。
◇
「信濃少佐。一体何事かね。私の部下が不届きな真似をしてしまって申し訳ないが、君も随分な暴力を働いて――」
すぐさま大勢の上級士官を伴って現れた艦長は、明らかに状況について理解した上で問いかけていた。
さすがにその態度に対して我慢ならず俺も声を荒げる。
「大佐。あらかじめこちらの立場について言っておきますよ。私は首相補佐官であり、連合艦隊司令長官からの直接命令を受けてこの場にいる。貴方の意思など心底どうでもいい。私の言葉は宮本司令の言葉と同じであり、統合参謀本部総長である西条大将の言葉でもあり、内閣総理大臣の言葉でもある。加賀の風紀の乱れについては知っていた。出来ればキ47は貴方方には預けたくはなかった。横須賀には理解ある者達が多く、キ47は仮想敵機にされど、とても丁寧に扱われていた。若松准尉もその着陸は丁寧。補給を受けたキ47を手荒に扱う真似はしない。だがこの場にいる者達はどうだ? 先ほど私が制裁を加えた者達は航空士ではない。これは新鋭機だぞ」
「貴様! 上官に!」
「黙れッ! 元はと言えば貴様らの管理不行き届きだろうが。 言っておくが、こちらはこの日のために連合艦隊司令長官から、カタパルト射出訓練達成のためならばいかなる方法を駆使してもよい旨を通告されている。お前らのサボタージュなどお見通しだ」
懐よりバッと見せたのは、万が一があった場合に備えてと宮本司令らが事前に用意していた、艦隊派の上層部の名前と拇印すら押された命令書。
しかもそこには"勅命"とすら書かれ、菊の紋章だけでなく陛下の拇印すらある。
印籠などよりよほど効果のある代物であった。
宮本司令ら、複数人による直筆の書は海軍上層部の者であればあるほど、その真性に疑いようのないような出来となっているのだ。
そこには"如何ナル方法デ以ッテモ達成ス"――と書かかれている。
正直こんなものを使わなければならない時点で、現時点での海軍の底が知れるというもの。
海軍自体のこういった風紀の乱れなどはこれから2年かけて直していくわけだ。
「加賀の様子がおかしいことぐらい、横須賀に停泊させていた時点で司令は大変よく存じていた。それでも尚、赤城ではなく加賀としたのは加賀に対する並ならぬ思いがあってのこと」
「信濃少佐。君が怒るのも無理はない。だが、この場は納めてくれんかね。私も後でキツく――」
「ダメだ。その言葉には従えません。その言葉は何よりも陸軍にとって、皇国にとって許しがたい行為に繋がる。確かに我々にも"切磋琢磨"という言葉がある。非礼を働いた者などに切磋琢磨せよと上官が命じることはある。だが、それは同格同士、つまり同階級同士の話だ。より上に立つ者が私的に暴力で階級のありようを示すものではない。鉄拳制裁、私的制裁は組織の腐敗に繋がる」
陸軍がよくやるのは銃を床に撃つ、軍刀をモノに叩きつける、何らかの物を投げて壊すといった程度の脅し。
テーブルをドンと拳で叩く事も多いが、この威圧までが常識の範囲内での限界だろうという風潮が根付いている。
いわば基本は新兵に対しても竹刀を床に叩きつけて檄を飛ばす程度であり、世に言う陸軍の暴力というのはそのほとんどが特高や憲兵と混同されたモノに過ぎない。
一方の海軍においては、カッターと呼ばれる船のオールを部下に叩きつけたり、根性注入棒やら精神注入棒なる棍棒でもって殴打するのが日常的に行われた。
それが唯一無いのが狭い潜水艦だけだと言われるほどだが、命令を従わせるために鉄拳制裁も多く、時には軍刀で切りつける事すらあったという。
陸軍には海軍のような殴り合いで作戦内容を変更するといった話はない。
なぜなら血気盛んな陸軍兵士は怒りが頂点に達するとこいつらの言う精神注入などとは別のベクトルで暴力による制裁が行われる。
すなわち、問答無用の殺害に至るのだ。
二・二六事件など数々の事件は銃、爆弾などで気に入らない者をその命ごと吹き飛ばしてきたわけだが、身内よりも外に向きやすい気質があった。
それだけ身内に怨恨を抱える事が少ない環境がある。
特に陸軍では本年でおきた事故により通達が出されて大きく状況が変わる。
これは未来の皇国地域内でも語られることのあるとても有名なエピソードである。
皇歴2600年に卒業予定のある皇族が現在訓練学校にいるが、その皇族が上級士官に敬礼しなかったことを同卒の人間が許せず、鉄拳制裁を加え、文字通り切磋琢磨と言われる殴り合いに発展した。
この話が陛下の耳に入ってしまうわけだ。
一方の海軍では、南郷が生んだ習慣が戦後まで根付く。
当時の王立国家海軍にはもはやそんな風習がなかったものの、南郷本人は英国の学校にてそのような風習を目撃し、また自らもその風習の被害者および加害者ともなり、海軍にはこれが有効だと見出してしまう。
彼が王立国家で学んだ事の多く文化は海軍に導入されていくわけだが、南郷は優秀な指揮官であった一方、悪しき習慣の多くを海軍に根付かせてしまった。
後年による海軍大将南郷の評価において賛否両論となっている部分があるのは、こういった一連の古臭いしきたりを残してしまった事による要因が大きい。
問題は彼がそのしきたりを残そうとしてしまったことにある。
長門に乗船した宮本司令はその状況を多少は変えようとしていたようだが、結局最後までその体制が変わることは無かった。
長門に乗艦した兵卒の日記を見ても、宮本の前ではこびへつらってる下士官の様子が描写されている。
少しばかり風紀の乱れが改善したに過ぎなかった。
未来憧れて航空士を目指した人間は、陸軍に行けば手厚く歓迎され、海軍に行けば航空機と関係ない仕事を押し付けられ、"やりがいがある"だのなんだのふざけた言葉に乗せられ、本当にそれが正しいのかと疑問を抱きつつも耐える事になる。
俺はそれを許さない。
「小久保大佐。10日後までにすべての状況が整わねば、文字通りの意味で貴方の首は飛ぶ。こちらには小型無線機を通じていつでも連合艦隊司令部とやり取りできる。貴方がこちらの言葉全てに従わぬなら、宮本司令かその側近が加賀の艦長代理となるだけだ。大佐。私は別に貴方の首など惜しくは無いが、貴方の経歴に傷がつかぬよう心配して申し上げている。私はキ47で飛ぶ前より暗号通信方法を授かった。このすぐに届く暗号通信を長門に送れば、1刻も経たぬうちに加賀に乗員する士官の大半は即時退艦することになる。それがお望みだというなら構まいませんよ」
人間というのは面白いな。
結局こういう組織では、より上に立つ者を制御できる人間が勝つ。
たとえそれが兵卒だったとしても司令官クラスの者と親しいなら、閑職に追いやることは容易。
いわば組織において立場が逆転する瞬間とは、このように一番上の者を盾に自分より上に立つ者の首根っこを掴むしかない。
未だ見せ付ける書は真性の直筆。
さすがに周囲にいる上級士官、そして目の前にいる加賀の艦長も青ざめてきた。
いや、もしやこれは宮本司令の言う、何かが漂っている状態……なのかもしれないな。
「信濃少佐。君はどうしたいのだ!」
ある上級士官が喉から声を絞り出して訴えかける。
ここでようやく気づいた。
加賀に乗船する上級士官において俺より階級が上の者は数名しかいない。
声をかけた者は俺と同じ階級だ。
だからこそこんな緊迫した状況となっているのだな。
しかも俺の背後には中将、大将クラスが名を連ねている。
艦隊派の全員が全員大艦巨砲主義者ではない。
航空機について認める者達も多く、何よりもキ47によって考えを改める者が出てきた。
改めない者も未だにいることもよくわかったが、俺の目の黒いうちは好き勝手などさせん。
「どうしたいも何もあるか。艦内の規律の乱れを正し、加賀の船員全てを動員して地中海上でのカタパルト射出訓練を成功させる。今この場にいる士官級に残された選択は2つ。私と協力して栄誉を頂くか、加賀より退くかだ。たった2つしかない」
「もう間に合わんぞ!」
「間に合わんじゃない、間に合わせるのだ。言ったはずだ。全ての人間を動員すると。航海に関わる者以外全てがこの作業に従事する。異論があるというなら今すぐ辞表を提出しろ。元よりこちらはそれだけの覚悟があるからこそ、キ47に乗って遥々東京からここまで来たのだ」
「くっ……」
俺は一歩たりとも引く様子は見せない。
同階級の将校らには毅然とした態度で挑む。
少しずつだが格納庫内の雰囲気が変わってくる。
これまで暴力で支配されていた者達から向けられた視線は、エールを送ってくる視線である。
開放されたいと思う気持ちがそうさせたのだろう。
その中にはさきほどからコソコソと近づき、技術者の手当てを行っている若松准尉の姿もあり、小久保大佐もそれに気づきかけていた。
「信濃君。どうすればいいというのかね」
「まずは下士官全員が、今すぐあのふざけた棒をこの場にもってくることです。無論、艦内に存在するもの全てです。以降は私的制裁の禁止をルールとする。私の目が黒いうちは何人たりとも私的制裁は許しません。私は南郷大将は嫌いではないが、悪しき伝統はこの場で断ち切ってもらう」
「なにぃ!?」
「黙らんか!」
下士官の一言を黙らせたのは別の上級士官であった。
その上級士官は日ごろこの習慣に疑問を抱いていたのか、こちらの言葉にキリリと表情が引き締まっている。
目に宿っているのは炎であるが、それはこちらに向けたモノではなく、ましてやドス黒く、濁りきったものでもない。
俺の言葉にようやく目覚めて正気を取り戻した。
そんな表情であった。
そんな男の一括に下士官は従う他ない。
「ははっ!」
「……その後は?」
「カタパルト設置に関する加賀に乗船する技師を全て集めることです。計画はこちらで話し合いますが、それも全てこちらに従って貰う。月を跨いだ頃には、連合艦隊旗艦(長門)に向けて"準備完了"の通信を送る。そうなるためにすべき事を全てやるだけです」
しばらく沈黙していた小久保大佐ではあったが、俺の言葉に加賀の艦長は静かに首を項垂れたのだった……




