第58話:航空技術者は改装空母に乗ってアドリア海へと航海に出る
皇暦2599年6月20日。
緊急召集を受けた俺は今、華僑西側の上空にいる。
本当は命令を拒否したかったが、"勅命"なる書まで頂いた上、千佳様などからも背中を押されて向かう他なかった。
電熱服を着させられた俺は海軍のキ47の試験飛行にも関わったパイロットと共に、キ47の2号機を新型の空力性能を高めた増槽フル装備の状態で追いかける事に。
向かうはインドラと呼ばれる周辺海域の西側に艦隊を展開している空母加賀である。
途中、燃料が足らないために重慶の近くにある陸軍駐屯基地で補給を済ませ、最大燃料積載状態の過積載に近い状態で華僑を横切って加賀へと向かった。
なるべく華僑やその周辺を警戒させないため、華僑にはあえて連絡せず、高空を飛んでキ47について正体が露見しないよう最大限に注意し、現地の部隊においても緘口令を敷いた上で重慶に到着。
ただ西条は信頼確保のためにどうやら新鋭機を飛ばしたということだけは伝えたらしい。
傍受した地上の無線では"何か飛んでいても気にするな"――と、集と統一民国軍に伝える内容が伝令されている。
あまり空を見るなといった話もされていた。
まぁ見た目が露見する程度なら仕方ないのだが、性能がわかる方がよほど怖い。
1万1000mを飛べる機体は現時点でNUPなど限られた国だけだ。
東亜で東亜のどこかに所属する機体が飛んだとなれば、ヤクチアを刺激するのは間違いない。
ただ、そんな不安を他所にキ47は安定した飛行を続け、いよいよ華僑の中でもっとも発展している工業都市重慶へと入る。
重慶付近には統一民国軍もいたものの、気にしないそぶりを見せてはいた。
こんな危険な真似をせざるを得なくなったのはカタパルトの設置方法や組立……そして整備などについて思うようにいかなかったから。
持ち込んだキ43とキ47はアグレッサー部隊としての運用を続けていたので、組み立て、分解、整備は十分に出来る環境にあったのだが、カタパルトという新鋭装置に現地の海軍技術者は白旗を挙げた。
そんな難しい機構はしていないが、彼らにとってオイルを駆使した流体力学というのは難しかったらしい。
一応、茅場と芝浦電気のメンバーも同行させたのだが、彼らの言葉を上手く理解できないらしく、俺が強く言い続けていた配管設置方法に異議を唱えたのである。
そんなものは司令部が押さえつけるべきだろう。
陸軍ならきちんとしているが……
どうしてこう、海軍の技術者というのは妙なプライドで妙な機構を導入したがるのか。
扶桑型が失敗した原因などはまさにそれであろうに。
8tの重さの物を140km以上で射出するための油圧なんて尋常じゃない。
きちんと組まねばカタパルトごと艦首が吹き飛ぶ可能性だってある。
結局双方の技術者が平行線を辿り、宮本司令が西条に泣きついたのである。
無論、俺はそれを許さないがな。
もし奴らが説得に応じないなら、その場で撃ち殺してでもこちらの言うことを聞いてもらう。
技研内では基本的に俺に対する意見が割と正論だったりするので、こういった摩擦は起きない。
俺も絶対ではないし、無敵でもない。
そもそもが技研は航空機のエキスパートばかりが集まっている。
俺の理論を飲み込んで己のものとし、さらに改良することだって出来る。
与えられた指示をそのまま鵜呑みになんてしない。
追試などを行ってもっといい案があると提案してくる事は日常的にある。
それだけ航空機に熱中している者達が集まってきている。
むしろ本来であれば俺がその立場だった。
常に天才達に囲まれ、苦労しながらも必死で食らいついて時に提案を受け入れられたときには、立川の食堂で一人祝杯をあげていたものだ。
メーカーとも勉強会を開いていたりするからこそ、キ51なんかは詳細設計をほぼブン投げてもカタログスペック通りになったんだ。
アレなんか俺が詳細設計に参加したのは胴体前部分のみ。
胴体後ろ半分は大まかな基本設計から、外観を完璧に再現するよう内部を詳細設計してほしいと頼んだら、見事に流体力学を意識した意匠としてくれた。
彼らの仕事は完璧だった。
ただ、作ってる最中で彼らもメタライトの存在に気づき、俺も彼らの話を聞いて後ろの部分について見直そうと思っただけで、1号機の状態でいいとは思ってる。
というか正式採用するならそれでいいんだ。
上層部も百式襲については現時点でそれでいいと認めてる。
だからこそ、メタライトについても構造部材の特性や耐久性を説明した上で基本設計と技研でこさえたグライダーを見せて、後は任せたといって任せてるんだ。
最近は仕事が増えて一人では処理しきれなかったから、百式襲については四菱に任せきりなのだが……彼らならきちんと二型も作れる。
俺にはその確信がある。
そういう話はキ43の開発を担当した長島にもある。
本来の未来でも、現在においても、そういう関係を構築できている。
この辺りについては疾風の開発秘話なんかで技研のメンバーが本を書き下ろしているほどだが、東亜決戦機たる疾風は決して長島だけで作った機体ではない。
そういう意味では四菱や長島は見事としか言いようがない。
現時点で不安があるのは我の強い山崎だな。
まあ、そこは俺が山崎との関係が薄いというのも大いに関係しているが……
それでも、メーカーと研究者による意思疎通は陸軍ではきちんとできている。
しかし海軍ではそうじゃない。
常に圧力をかけられて最終的にメーカーに押し切られる。
瑞雲といったような機体もあるが、600km台の高速機は結局自力では作れなかった。
高性能機は腕を上げたメーカーの言いなりになっていた。
それが本来の未来。
現時点では、まだ頭の硬い連中がいるらしい。
カタパルトによる射出訓練をアドリア海で絶対にやりたい連合艦隊司令部にとって、これが上手くいかないとなると何のためにアドリア海まで出たのかわからない。
それこそ艦隊派は"わはははは。我が国の勇姿をユーグに見せ付けてやったわ!"――などと土産話にするのだろうが、現実主義者で固められた宮本五十六ら司令部がそんな程度で終わらせる気がないのは当然。
俺もそれがよく理解できるからこそ、それだけ強い覚悟をもって挑む。
彼らが本気だからこそこんな無茶な作戦に乗ったのだ。
体中から赤い炎が湧きあがるようだが、残念ながら吐いた息が一瞬で凍りつくような環境に今はいる。
とても寒い。
キ47が5000km以上の航続距離を誇ることを知っていたので重慶で1度着陸すればどうにかなると、無茶振りの要求を受け入れたはいいが……
まあ、なんというか……電熱服が無かったら普通に死んでるなこれは。
寝たら死ぬ。間違いない。
そんな俺をよそ目に元気よく声をかけるのが若松貞明准尉。
後の海軍のエース。
海軍の生え抜きの中でも極めて空母の着艦、発艦訓練を多く受けていた彼は、キ47の1号機とキ43の2号機による着艦訓練も普通に行っていた。
両者の着艦フック装着は容易だったので横須賀にて四菱と長島のメーカーがこさえたものだったが、それによる最高速度の低下は1km程度に留まっている。
むしろキ47は最高速が低下しなかった。
なぜ634km以上でないんだこいつは……
……2号機には当初は着艦フックが無かったものの、カタパルト射出試験のために空母運用のための改修が施されていた。
翼を折りたためない以外はどうにかなるのだ。
このおかげで加賀まで飛んでいくことは出来るといえば出来る。
過積載の緩和のため、2号機の機銃などはすべて取り外した。
敵機などいないはずだが、正体不明の航空機と遭遇したら速度を活かして逃げる予定だ。
まあ遭遇する機体なぞP-38かB-17といったNUPの機体ぐらいしかないが。
にしても、2号機に乗って飛んでいてわかるが、若松准尉の操縦は見事である。
やはり思うのは腕の立つパイロットほど離着陸が丁寧だということ。
航空機に必要以上の負担をかけない。
さすが厳田サーカスで鍛えられた男だ。
「少佐殿! ハンドル式の操縦桿はとにかく疲れませんね!」
「超長距離を飛ぶならやはりこの型式でありませんと。 准尉は最大で何時間ほど連続して1回の飛行で飛びました?」
「小休止入れて9時間ほどは! 任せてください。海の上に着水する事はありません。これだけ高いと真下に地図が広がっているようだ。こんなに面白い経験はまだしてませんで、楽しくて仕方がありません!」
彼は地図を見ながら高空を飛んでいるが、高空だと地図と同じ形の地形が眼下に広がるため、合流は容易だとハキハキした口調で伝えてくる。
電熱服は陸軍版しかまだ出来ていないために俺も彼も陸軍式の飛行服を身につけているが、1号電熱服はすでに両軍別々の外観のものが量産体制に入っており、海軍もしばらくしたら高空飛行試験が行えるだろう。
彼はいきなり試験飛行で高度1万1000mを飛んでいるがな。
彼の話じゃ気合で1万mまで飛び上がるのが海軍のテストパイロット内で横行したらしい。
つまり今日が初めてではない様子だ。
そういうチキンレースで意識を失って墜落したらどうするんだか。
海軍はそういう所に躊躇がないとは聞いていたが本当だった。
飛行の最中、彼はとても楽に飛べる事を高く評価していたが、一方で2号機の運動性の低下をやや気にしている。
まあもともと偵察用と爆撃用で攻撃機でないしそこは仕方ない。
そんな彼はとにかくテンションが高い理由は、少し未来が変わったというのも影響しているのだろうか。
本来であれば航空機不要論から鈴鹿の地に飛ばされるはずだったものの、統合参謀本部が設置されたことで横須賀に呼び戻され、アグレッサー部隊の一角を担っていた。
また、本来ならば彼も加賀に同乗して地中海へと向かう予定であったのだが、出航直前に体調を崩して乗艦できなかったのだ。
そのため、この話が出てきた際には真っ先に手を挙げ、体調を崩したのはこの日のためとばかりに"天命を受けた"――と上層部に直談判し、見事その任務を割り当てられたのである。
まあ命令権を持つのが厳田実少佐だから彼になるのは必然みたいなものか。
どうも彼は何よりも射出発艦訓練に参加したがっていたらしく、すでに8時間近く空の上にいるにも関わらず、一向に黙る気配が無い。
准尉ってこんなにおしゃべりな性格だったかな。
記録ではそういう話はあまり聞かなかったが……
心から楽しんでいるのかもしれない。
ああ……本当は307に乗って優雅な空の旅だったのに、まさか自分が設計を担当した機体でこんなクソ寒い高空を延々と10時間近く飛行する事になるとは……
これも因果というものなのだろうか。
まるでキ47とパイロット達の念によって復讐された気分だ。
「よくもこんな寒い環境に長時間置かれるような高空を飛ぶ航空機を作ってくれたなあ」――という声がどこからともなく聞こえる。
可能ならばキ47に与圧室を付けたくなるほどだ。
残念ながら難しいが……
◇
2時間後。
燃料が残り4分の1となった所で連合艦隊を発見。
先陣を切るのは長門。
赤城、加賀は後方の位置についていた。
ビシッと綺麗に並んだ艦隊の姿には感嘆する。
ここは海軍らしく引き締めている。
准尉は艦隊との連絡を怠らずに風向きを読み、増槽を装着したままの状態で見事に着艦。
キ47はその意匠から、正直着艦は難しい。
離着陸も後部に車輪がないため、機首を急激に上げると後部が地面と接触する。
しかし将来のエース候補である彼はそれを見事に成し遂げた。
着陸すると加賀の艦長小久保大佐から「もう便意はないのか」――などとからかわれていたが、周囲の笑いを他所にビシッとした海軍式敬礼で任務完了の報告を行う。
当然こちらは陸軍式敬礼。
「信濃少佐。急な召集ご苦労だった。大変申し訳ない。長旅の疲れもあるだろうから、今日はゆっくりしていってくれ。司令長官からも明日でいいと命令を受けている」
すでに日がかげり始めていたため、キ47の2号機の整備などは四菱のエンジニアと海軍の整備要員に任せ、俺は揺れる上に今度は灼熱とも言える艦内の暑さに汗を流しながら食堂へと向かい、出された食事を採って用意された個室で眠りにつこうとするも……
暑さには慣れているが……本当に暑いぞ!!!
真夏の世の熱帯夜のごとく艦内は暑く、甲板で寝たくなるほどであり、中々寝付けなかった……