第56話:航空技術者は気象レーダーの必要性を理解する2
長かったために分割
皇暦2599年6月9日。
この日、キ47の高高度飛行試験が行われた。
パイロットは藤井少佐。
長時間飛行となることから長時間飛行のスペシャリストに頼んだ。
彼はテスト飛行以外は普段、航空学校の教官を勤めているがパイロットであることに拘りを見せ、兼任してテスト飛行も行っている。
そのテスト飛行は未来の操縦者達も見学に訪れるほどであり、キ47の2号機を使う場合は後部座席に乗せているほどだった。
無論、軍はこれを許可している。
知る限りそういうことは航空学校にて"よくやってた"。
まれに生徒と詐称して上級将校が乗るケースもあったほどだ。
そんなことを認めさせるだけの力が少佐にはある。
彼の偵察理論は大変重要であり、本来の未来においても彼が残した偵察論はそのまま踏襲されて早期警戒網の構築などに役立った。
現在の彼はもっぱらキ47の2号機を愛機とばかりに搭乗しているが、西条を通して無茶はしないでほしいとは言ってある。
絶対に失えない人材だからだ。
そんな彼はその日、キ47の3号機を用いて東京飛行場から高空へと舞い上がった。
当日はかなり分厚い曇に覆われたくもりの天気であったものの、レーダーもあり、極めて航続距離の長いキ47なら問題ないということで敢行された。
上空に到達した藤井少佐は電熱服が正常に稼動していてとても暖かい事と、気流が多少乱れているが特に安定性を損なうことはないこと、そして何よりも"孫悟空になった気分だ"――と言っている。
西遊記の孫悟空は、釈迦の手のひらよりも超えて飛べれば、天界を譲るという約束されて飛び出すわけだが、雲の上がまるで海のようであったとされる孫悟空と同じ気分らしい。
高度4000mも飛べば雲は下にあるが、高度1万m以上となると、もはや雲と地上はそう変わらない位置にあるように錯覚してしまうものだ。
上下を雲に挟まれた世界はまさに別世界。
藤井少佐曰く、富士山頂が見えるとのことだったが、彼が見える世界はきっと白い海の中にポツンと1つの島のごとく山頂が佇むのだ。
俺も何度も旅客機に乗って似たような空を見たことがある。
4000mから見ると雲も幾分被って景色はよくないが、1万mとなるとよほどの事がない限り雲は周辺にはない。
天地がひっくり返って感覚が狂うことすらある。
1回目の高高度飛行試験は見事に成功。
4時間にも及ぶ長時間飛行を自動操縦を併用して高度約1万1500mを飛んだキ47は、東京飛行場に戻ってきた。
藤井少佐は"やはり地球は丸かった"と周囲の笑いを誘ったが、高度1万1000mとなると宇宙とそう変わらぬ景色が見えてくる。
これまでは1万m付近までの上昇は一瞬ですぐ降下したため、これほどの長時間飛行は藤井少佐が初となる。
彼は上空で何枚もの写真を撮影してきていたが、技研のメンバーも陸軍将校も現像を楽しみにしていた。
戦争でなければ人々の心を洗い流すような景色を旅客機で見せてやれるのだがな……
しかしそんな高空でレーダーを使っていたところ、藤井少佐が気づいたことがあったらしい。
それを俺に伝えてきてくれたのだった。
「信濃技官。キ47のレーダーは風を読めるのですか?」
「なんですと?」
「いえね、雲の位置がわかるんですよ。全ての雲ではないんです。ですが、一部の雲の形がクッキリとレーダーに映るんです。そこで近づいてみたらその周辺は雨が降っていた。マイクロ波レーダーは雨を捉えられるなら、そこから風の動きや雲の動きを判断できるのでは?」
ああ……気づいてしまったか。
マイクロ波レーダーは天気予報に使える。
それはいわば、悪天候を逆に利用してレーダー網を突破できうるという事でもある。
気象に弱いレーダーを逆に気象予報に使うというマイクロ波レーダーの民生利用はそこから始まるのだ。
「ええ、王立国家などではすでに発見されていることではあるらしいのですが……使えますね。雨雲など一部の雲にしかつかえませんが、雲の移動位置を地上と空から観測すれば、明日の大体の天気ぐらいは予想ができるようになる」
「たとえば台風の進路が読めるようになるとか」
「できます」
藤井少佐はかねてより進軍は天候に左右されると主張し、偵察においてはまず風と天気を読むべしと論じていた人物。
台風なんて来ようものなら進軍は間違いなく中断されるが、台風後の風に流されて航空機の飛来位置が変わるのではないかと、皇暦2590年代後半に論文を残しているほどだ。
この論文を書いた理由は、皇暦2590年から始まった航空気象業務開始が関係していた。
皇暦2580年代に入って航空機の性能が向上すると空港は世界の新たな国家の玄関口となって各地で開港されていき、国外からの航空機の往来も盛んとなる。
しかし当時……いや未来においても気象状況は離着陸に大きく影響するため、各国では国の総力を挙げて空港周辺の気象状況を確認するようになった。
これが航空気象業務であり、未来の皇国においても引き続き観測機器を用いて行われているものだ。
航空管制において非常に重要な要素を担うものであり、風の強さによって離着陸の判断が変わってくるので観測ミスは許されない。
旅客業務は突然発達していったわけでなく、こういう民生利用においては国家が縁の下の力持ちとなって円滑な運行ができるよう支えていたわけだ。
藤井少佐はそういった気象データを集めるうちに、近海周辺の風の流れによって航路が大きく変わっていることを掴んでいた。
いわば気流に流されて補正するという当時の航空広報を見ていて、管制誘導がない軍事進行の場合、当日の天気は進軍に大きく影響するのではないかと考えたのである。
これは実際に九州での空襲阻止にも大いに活用されたわけだが、彼は航空機による高空気象観測にも意欲を見せていた。
もし今後も存命であるならば戦後の就職先が決まったようなものだな。
戦後の気象観測には当然航空機が使われたが、レーダーの発達や気象衛星が登場しても尚、航空機による命がけの気象観測は続けられている。
俺のやり直す直後においてですら、何らかの原因で航空機が全く飛ばなくなったら気象予報は外ればかりになるといわれるほどだ。
民間の旅客機は実は自動で観測しながら周辺の気象データを送信していて、それも気象予報に役立てているということはあまり知られていない。
他方、気象観測を目的に飛ぶ例も当然にして存在し続けている。
特に台風の気圧データなどを観測するのはすぐ近くまで飛んでいくのがもっとも適しており、NUPではハリケーンハンターと呼ばれているのだが、かつて皇国と呼ばれた地域でも俺がやり直す直前から導入するようになった。
どんなに衛星やレーダーが強化されても、その台風の規模、そして周囲の風まで読めないのだ。
最後は危険を冒して近づく他ない。
それを現時点で必要だと訴えているのは彼なのである。
彼の長時間飛行に対する論文の多くは、航空機にほとんど乗る事がない上層部すら衝撃的な内容が多々ある。
何よりも長時間飛行するにあたって危険なのは乱気流であるわけだが、気流は雲などがあると、空を飛ぶ者ならある程度予想できるのだという。
それは視覚を含めた五感にも頼ったもので人間はある程度の気圧変化を体感できるわけだが、飛行中の気圧変化などを理解できれば、雨雲が近づいているのかそうでないのかぐらいはわかるそうだ。
例えば未来の世界のバイク乗りは車乗りと比較してやたらと天候を読む者が多いとされるが、地上にいても気圧変化などは肌で感じられるので何年もバイクで旅行しているような者も同様のことが可能だ。
「高空と中空ではずいぶんと風の流れが違いました。私は偏西風に逆らって飛んでいたのですが、より高空の方が風が強かった。でもさほど気流は乱れていなかったんです。乱れていたのは雲がかかっている場所で、この辺りは低気圧と高気圧がぶつかりあっていたものかと」
「写真撮られました?」
「ええ」
「恐らく気象学に詳しい者なら理解できると思いますよ。その低気圧と高気圧がぶつかり合う部分で雨が降っていたのかと」
「そうです! そうなんですよ」
藤井少佐は気象学にも詳しい。
後の天気予報の必要性を防空の面から訴えていた男。
恐らく梅雨前線の合間を飛んでいたんだ。
もうしばらくすると梅雨の時期だが、南下してきた梅雨前線の低気圧と高気圧がぶつかりあった地点を目にしたのだろう。
その雨雲をレーダーが捉えたのだ。
「風は大変重要なものです。現在の航空機は風に大きく左右されます。進軍する際は風の流れに乗る事になり、よほど高性能なエンジンを積まない限りは大体の位置の予測ができます。気象を予測できるとは、すなわち敵機の飛来を予測できることだと思うんです。それは航空機だけでなく海においても言えることです。レーダーで天候が予測できるなら、活用したほうがいいのではないかと」
「でしょうね。私も発想としては考えています」
「例えば気象観測と早期警戒を同時に行える航空偵察機。こんなものがあってもよいのかな……なんて思いました」
「それには大型機が必要になると思うんです。キ68については存じております?」
「海軍名深山でしたっけ」
「私はアレから爆弾を取り払い、レーダーを装備した機体を作れないかと思案中ではあったりします」
「大型の早期警戒機ですか?」
「ええ、超長距離を当たり前に飛べるようになるなら、海上のレーダー網は小型船舶と併用した航空機による方法しかありません。防空意識は技研や陸軍上層部にもあり、提案は何度か受けていますよ……作る事になったら藤井少佐に乗っていただくかもしれませんね」
「キ47の2号機はその役目をある程度果たせるやもしれません。直接協同偵察機(キ36)よりも高く飛べるこの機体の重要性が見えてきました。上層部に近く提案しようかと」
「私も上に話をつけておきます」
「よろしくお願いします」
彼の防空意識はすさまじいな。
きっと彼は台風の進路すら読みたいと考えるようになるだろう。
災害国家である皇国にとって台風の被害は洒落にならないんだ。
今のところ西条には大きな被害を出す台風について予言してあるが、その台風の動きをある程度予測すれば一般市民も避難したりしてくれるだろうか。
それはこの時代、いまだに残っていた祈祷といった文化的なスピリチュアルな存在を排除し、天候を科学して合理的な避難活動を促すもの。
祈れば風の流れが変わるなどあるものかとばかりに気象予報を行うようになるのは、皇暦2610年代に入ってからだ。
ここにも流体力学が大きく関与している。
機械的な気象予報については、王立国家の人間が皇暦2582年に大気力学と平行して流体力学を用いて計算できれば未来の天気予報が可能だと主張したのが始まり。
当時は"計算式が複雑すぎてできるかそんなもん!"――などと言われたが、未来の我々はこの時に彼が編み出した理論を基盤に、超高性能なコンピューターを併用して計算している。
観測データが正確であれば正確であるほど的中確率は高まるが、気象衛星の高性能化に伴ってもはや"天候を操っている"とばかりに気象予報というのは的中確率が高まってくるのが70年後。
こんなところでも活躍できるのが流体力学であるわけだが、人海戦術による計算が用いられての天気予報研究が加速するのは本年に発見されるロスビー波による所が大きい。
ここから皇暦2607年頃になると温帯低気圧の力学理論が提唱され、気象力学として発達していく。
オイラーの定理から始まった数値計算による気象予報には俺が航空機を飛ばすための流体力学が活用されているわけだが、気象予報による大気圧の法則性などは再び流体力学として還元され、未来の航空機をより進化させた。
これが気象予報の歴史の一部である。
一連の気象力学の発展についてはハリケーンに悩まされるNUPを中心に発展していくわけだが、防災意識の構築は平和になった皇国に必要になってくるものだ。
同じく台風には悩まされる。
うーむ気象観測レーダーか……
西条に提案してみるか。
そうなると富士山にレーダーを作りたくなってくるが、まだヘリコプターはないのだよなあ……