第56話:航空技術者は気象レーダーの必要性を理解する1
皇暦2599年6月4日。
ついに1号電熱服が完成。
これにより高高度飛行試験が可能となり、キ47による最高高度評価試験が行われた。
皇国製の電熱服は首元までを保護し、腹部と背部両面から熱する。
電熱帽もあるため頭だけ冷えるという事もない。
NUPと同じく電熱グローブも完備。
これにより-30度以上の世界でも本人の体感温度は20度以上と寒いのは顔周辺だけとなった。
この当時の陸軍の電気ケーブル類は3種類のものが規格化されている。
そのうち3つ全てが必ずゴム皮膜で覆われているのが特徴だ。
よく皇国の航空機は"絶縁紙のみで絶縁していた"とは言うが……大嘘である。
そんな航空機がどうして雨や雲、そして高温多湿な地域を低空飛行しても問題なかったのか。
それは少なくとも陸軍の電線は全てゴム被膜がなされていたからだ。
大戦末期の航空機ですら陸軍は3つの規格を中心に採用しているが、バラせば皇国の電線技術が非常に優れていたことがわかる。
電気系統の故障が多発した深山については、むしろNUPのものをそのままリバースエンジニアリングで採用し、それが不具合を多発させたということを長島飛行機は後年回想しているが……
連山などの大型機はそういった問題が指摘されてないように、そもそもが皇国はNUPに対して多数の電化製品を輸出する立場にあり、世紀の発明家が認めた東洋の発明家などもいたりするわけで、電熱服についても新たな電線規格をこさえるだけでそう難しくなかった。
3種類の規格とはなにかというと、一番簡易のものが銀メッキ銅線の上にゴム皮膜を重ね、その上に絶縁紙、さらにその上にパラフィン紙を巻きつけたもの。
絶縁紙とパラフィン紙には耐水性のあるワックスを吸い込ませて耐水性を保たせてある。
勘違いされる最大の原因はこいつのせい。
ゴム皮膜が薄く、パラフィン紙を剥がすと中身がすぐ見えるからだ。
しかし実際にはゴムが融解しないよう3重仕様である。
この基本となる電線から電圧が上昇するに従い2つの規格が採用されている。
もう1つは標準規格電線。
先ほどと同じく銀メッキが施された鋼線の上に、合成樹脂、その上にゴム、さらにその上に木綿を巻きつけたもの。
より高い電圧に対応するための電線であり、もっとも耐水性が高く絶対に漏電を防ぎたい電子機器のために存在する。
皇国製のレーダーなどにも活用されているものである。
こいつは後の電線とほとんど仕組みが変わらない。
木綿を合成樹脂に替えれば現代の電線だ。
次がこの配線のコストが高かったのでコストダウンを試みたもの。
合成樹脂と木綿の間のゴムをワックスを染み込ませた絶縁紙に置き換えたものだ。
耐水性に劣るが、機内でも水滴などが触れない部分について採用。
ただ、この頃といえば4000mほどの上空を飛んでいれば内部の空気が冷やされて結露が生じ、それが天井を伝って機内のいたる所に水滴となって落ちていたので採用は局所的だったとされる。
エンジン周囲すら耐熱布代わりに木綿をぐるぐる巻きにした極めて断線に強い電線が使用されていたほどだ。
さて、では電熱服にはどういう電線を用いたかというと、ある存在を活用したものを用意してみた。
こいつは本来の未来にて存在していた電熱服とはまた別のアプローチによるものだ。
実は本来の未来に存在した一式戦"隼"にも当初より電熱装備というものはあった。
その誕生の背景にあるのがピトー管電熱線である。
飛行中にピトー管内に結露が生じると計器が誤作動を起こす。
冗談抜きで半世紀後すらそれで墜落、着陸ミスを起こした事故がある。
無論数々の飛行試験でそれがわかっていたので、零も隼にもきちんと装備されていた。
坂本貞次博士はそのピトー管電熱線に注目。
実は電熱服については隼、零と共に実用化されていたのだ。
……というか新世代を切り開くこの両機が途中の形式から採用していたもの。
ただ登場した記述は皇暦2603年以降であったため、初期型には搭載されていなかったと言われる。
俺は海軍のものには詳しくはないが、隼はハ115に換装された二型から搭載された事は知っていて、後の資料から零も三二型から間違いなく搭載されている事を知っている。
しかしこの電熱服は不具合が多発。
熱すぎたり冷たすぎたり、安定しないコンデンサーの影響できちんと性能を発揮しなかった。
未来におけるホットカーペットでも同じ弱設定で時間によって熱量が異なることがあるが、原因は接続したタップがたこ足配線で電圧が安定していなかったりなど、様々な理由がある。
これと同じ事が機内でも起きてしまっていた。
本来の未来に存在した電熱服は弱、中、強と電圧調整ができたものの……なかなか適温にすることができなかったのである。
これは現在においても変わらなかった。
原因はコンデンサー側ではなく、素材にあったのだ。
当初、坂本博士は後に登場する電熱服と同じ、鋼線+銀メッキを用いた電熱服を開発していた。
しかし、これでは前述するように電圧調整が難しく、コンデンサーがいくら優秀な芝浦電気製でもどうにもならない事が早々に判明。
そこで思い切って電線素材を変更したのである。
この時点で使われていたのはニッケルとクロムの合金線であったのだが……
坂本貞次博士はNUPなどの技術資料を見て、軍の希望に叶う素材を見つけ出したのだ。
それは皇国では本来の未来にて後にカンタル線という名称で広く流通する事になる、鉄、クロム、アルミの合金線である。
熱伝導率だけでいえばニッケルクロムの鋼線を上回りながらもニッケルを一切使わない。
後のアイロンなどに使われる一般的な素材である。
極めて高熱に強い一方、熱量を上げれば上げるほど金属特性が変化し、硬く、そして脆くなってしまう。
ただ、電熱服で使う温度など最大50度~60度前後。
耐久性が変動する数値までの電流は流れない。
坂本貞次博士はこれをコイル状に巻き、その上に絶縁を施し、ステンレスに近い特性を持つカンタル線による電熱服を開発することに成功したのだ。
このカンタル線は熱伝導率が高いために発熱しやすいのでコンデンサーの制御が重要となるのだが、必要な電流に対しての発熱量はニクロムより高く、なによりも"ニッケルを使わない"という、軍がともかく評価できるポイントを備えている。
こいつは本来であれば戦後にならなければ皇国地域内で製造されないものだった。
だが、この電熱線を戦後に実用化するにあたって力を発揮したのは他でもない、坂本貞次博士だったのである。
なんと日本の電線の父と呼ばれる男は、10年近くとなる技術の前倒しを豊富な研究予算を活用して実用化したのだ。
開発費と開発環境の2つを与えたことで見事にそれを成し遂げたのである。
素材の調整により、スプリングのようにしなるカンタル線は電熱服がゴワゴワしてしまう原因ではあったものの、優れた性能を発揮。
俺は別に電熱服にニクロムを使うことについては仕方ないと思っていたのだが、博士本人たっての思いがあって、電線素材の見直しの時点でニッケル排除は心に決めていたらしい。
国外ではすでに暖房器具として実用化されている電熱ヒーターだが、暖房器具だけでなく電熱調理器具にも使えるものである。
何しろ電圧を高めれば最大1300度程度まで熱することができるのだ。
そこで俺は博士に新たな品を作ってもらうことにした。
電熱調理器具である。
カンタル線の特性を見たら作ってもらいたくなった。
真冬の華僑、そして極東など、これらの地域で皇国は従来ふつうに火を起こして調理をしていた。
もしくはガスバーナーによる調理器具である。
しかし大戦末期ともなると調理するための薪などの調達に手間取り、ガスなどの入手も難しく、食事には大変苦労したとされる。
やむなくガソリンを燃やしたという例もある。
しかしである。
電気はこの時、普通に通電されていた。
野戦などフィールド上では意味ないのだが、基地内部でガソリンを調理のために消費するぐらいならば、石炭発電といった方法で電気はいくらでも作れるので、それを活用した電熱調理器具を作って欲しいのだ。
軍食は何よりも士気、兵員の健康に大きく関わる。
特に-30度以下となるような地域では、ただそこに食事があればいいということはない。
ガスバーナーなどはこういった地域では使い物にならず、ガソリンすら凍りかねない。
そういう地域で使える調理器具は絶対に必要だ。
電熱調理器具についてはModel 307が装備しているので近く皇国にもその技術が届くことになるのだが、博士にはそれも見てもらい輸送機内などで暖かい食事が提供できるようにすることも検討する。
それだけの力がカンタル線にはあるが、この年代にNUPや王立国家の電熱線を手に入れたのはちょっとした革命だぞ。
本人はよくわかってない様子だが……
それが手に入らなくて皇国は洗濯物を乾かすのも苦労したんだ。
博士にはありとあらゆる電化製品に革命を起こしうる電線だと伝えたが、すでにNUPや王立国家ではアイロン等で大活躍している。
その活躍を聞きつけて開発に前向きになるのだ。
彼がこのカンタル線に再び熱を入れるのは大戦後。
貧しく苦労した国民のためにと少ない予算で実用化を目指し、そしてアイロンやヒーター、電熱調理器具へと発展するものを作るわけだ。
カンタル線は公開技術ではあるが、特性が特性なので酸化処理などを行わないと破断したりしてしまうところ、見事にその処理などもきちんと施されたモノが誕生していた。
開発費と開発環境というのは技術の進歩を停滞させうる。
技術者として忘れてはならないことを思い出させてくれる技術躍進を体感させてもらったことに敬意を評したい。