第54話:航空技術者は新たに増えた味方を歓迎する
皇暦2599年5月18日。
この日の統合参謀本部会議によって長島大臣が求めていた戦略爆撃機の開発が許可される。
海軍が開発中だった深山をベースとして作ることと表側は明記されていたが、実際には零こと十二試艦戦と同じでほぼ一からやり直すことになった。
まあ、翼などまだ組みあがった部品は一部であるので、やり直しは可能だった。
陸軍名としてはキ68と名づけられ、陸海双方が共同運用する戦略爆撃機を形作る。
俺は早速太田製作所の大型機開発メンバーを立川に呼び寄せ、詳細な基本設計図を描いて見せた上で協議を重ねた。
特に話し合われたのは通路である。
"こんなに狭い通路ならば排除してしまっていいのではないか"。
"B-17とほぼ同じ運用で良いのではないか"。
俺の基盤となる設計案を見た彼らは、胴体をより頑丈に、細くできる通路排除について提案した。
ただこれは運用面での問題が出てくるため、陸軍、海軍の将校らや現場で実際に運用する者たちの意見を聞かねばならない。
正直言って俺も通路は排除したいが、長距離爆撃機にはなんといっても休息が必要。
その休息などが行えるスペースは機体後部にしか確保できない。
重心の問題がある。
そのため、俺は機体の全長を伸ばしつつ、爆弾倉の全長を伸ばした分、積載力を確保する設計としている。
通路をなくせば積載力は増えずともさらに胴体は細くできるが、こうなってくるともはや中翼なのか低翼なのか高翼なのか、全くわからないような構造となってしまうのも空力的に怖い。
丁度立川にて完成したばかりのキ47の3号機で訓練を行っていた者たちに意見を聞くと、操縦席近辺に休憩室がないなら通路は欲しいとのことであった。
通路が多少狭くても休憩スペースに向かうことが出来るのは大きい。
ちなみに胴体直径は連山の正面機銃のあの細い部分程度しかない。
機内で立つなどおこがましいとばかりの狭さ。
移動は中腰か匍匐前進。
膝立ちで膝でもって歩く方が楽かもしれないほど。
まるで未来の宇宙船のようである。
今の皇国で戦略爆撃機を作るならここまで突き詰めるしかない。
連山では後部の偵察用の覗き窓がある区域などでは立って移動できたが、新たな深山にそんなものは作らない。
というか余裕がない。
機体を頑丈なものとしつつ軽量化するにはこれしか選択肢はないんだ。
これでもベッドは4人分作れる。
ベッドは電熱線で暖められる構造としており、機内が-30度でも羽毛布団との併用で布団の中は20度前後を保てる見込み。
一部の者達はその狭さにおののいていたものの、海軍の砲術仕官や陸軍の戦車乗りは、「むしろどうしてこれまでの航空機にそんなにスペースがあったのだ」――などと笑っていた。
確かにな。
以降の爆撃機はどんどん狭くなっていくが、この頃の爆撃機はゆとり仕様なんだよな。
"輸送機にもしたいから"――という甘えがそうした。
爆弾輸送ならこいつでも出来る。
爆弾程度しか輸送できないの間違いでもあるが……
それにしても太田の工場を見学して安心した。
本来の未来における情報どおりだった。
DC-4Eの解体や組み立てと深山の一部パーツの組み立てにより、彼らは大型機を十分作れる地盤は出来ていた。
DC-4Eはバラバラの状態で運ばれ、試験飛行のために組み立てが行われたのだが、その組み立てを行ったのも長島だ。
記録では羽田飛行場に搬入、組み立て、そこから太田まで1回は最低飛んだ。
だからこの手の技術はすでに構築されているようだ。
もし問題が生じた場合は……最悪は山崎、川東の2社も合流させる。
統合参謀本部はローマ~モスクワ間を往復して空爆可能というスペックに皇国の今後の戦略を左右しうるという判断を下し、その誕生は絶対でなければならないと決定されたためである。
要素を排除した影響で設計自体は楽だったので、詳細設計さえ上手くいけば皇暦2601年には初飛行、量産は皇暦2602年以降にズレ込むだろうか。
まあこれまでと違って無茶な設計を逆にしていないから、どうにかなるだろう。
◇
皇暦2599年5月23日。
アペニンと第三帝国の関係がほぼ破綻する見込みとなった。
本来ならば鋼鉄協約とよばれる、我が国が王立国家と結んだような内容の協定を結ぶ予定だった所、ムッソリーニはそれを拒否。
第三帝国は完全に宙に浮いた。
この鋼鉄協約は元々皇国とも結びたかったものでもあるが、ヤクチアとの関係を深める第三帝国を怪しんでいた皇国は第三帝国に疑惑の視点を持つようになり、加えて第三帝国の外務大臣が皇国へ積極的姿勢を見せなかったため、結ばれなかった。
皇国は後の三国同盟への勢いが増す一方、さらなる孤立感を深める状況となるというのが本来の未来である。
しかしすでに東亜三国と王立国家、そしてアペニンの5ヵ国と手を結ぶ皇国にとっては、第三帝国と手を結ぶ利点などなかった。
むしろ五ヵ国が手を結びたい国家がもう1つある。
ヤクチアをけん制できる反共主義国家でありながら、現実主義に生き、現時点での工業生産力がアペニンを上回り、そして何よりもジェットエンジンの生みの親とされる人物よりも優秀なジェットエンジンに関する技術者がいる王国だ。
これまでの王国の動きは不透明だった。
NUPと背後で繋がっているのは間違いない。
王国は海軍の軍人が摂政となって事実上の君主国家として動いているわけだが、実は摂政がいる最大の理由は、王国の領土を奪い、現在は単なる自治区と化した国家による圧力が背景にあった。
この圧力は領土をミュンヘン会談によって割譲された以降も続き、その隙を利用されて最終的に彼らは枢軸三国同盟と手を結ばざるを得なくなり、最終的にヤクチアの手に落ちる。
しかし逆を言えば、この摂政や国民の多くが望む王の即位を認めさせることを条件に味方に付けられるのではないか。
そんな話を外務大臣の保垣もしており、積極的に交流を深めていたのだが、ここにきてアペニンと王立国家による新たな動きが生まれた。
ムッソリーニにより手紙が送られてきたのだ。
"近くブタペストで会談を開き、彼らの頭痛の種となっている問題を解消する。つまりは王を即位させたいということである。機会とするには今しかないが、あの国の民族運動を沈静化できるのは私だけだ。今後、多少の混乱が発生しようとも王国の身の上は我々が保障する。王国は我々の味方となるだろう。後はサルビアとロマリアを第三帝国から守れば、オリンポスの神々の導きによって我々はヤクチアへの攻勢を強められ、より強固な同盟を築くことが出来る。王立国家のチェンバレンは貴国の皇帝をブタペストまでお連れしてほしいとのことだ。即位式には我が王と並び、王立国家の王、そして貴国の皇帝陛下が祝辞を述べられることになる。この即位式は世界を揺るがす一大イベントとなり、NUPは我らが同盟関係の者達に関心を示すことになるだろう――"
「ムッソリーニめ、やりおる。アペニンは領土拡大を諦めたのか。黒海までにおける地域において防衛線を構築するほうがヤクチアとの戦いも乗り切れるわけだし、戦略としては正しいとは言える」
「陛下はこの話に前向きであることでしょう。ただ、王立国家の王と陛下が並ばれるということは、我々の雪解けをヤクチアと第三帝国に察されることになるかもしれませんね」
恐らくムッソリーニは自身がファシストであるからこそ、同じく運動が広がりを見せる国においては、その者たちを鎮めさせることができると考えたのだろう。
そのカリスマ性に影響され、王国などでは民族主義を掲げて解放運動が起きている。
この運動による混乱がヤクチアの侵攻を強めたともっぱら言われるわけだが、アペニンが領土拡大を停止し、民族運動の方向性を愛国へと導き、王を王として敬意を持つよう論することができれば、王国はユーグの最前線に立って反共主義の防波堤となるのは間違いない。
彼らはヤクチアとまともに戦える数少ない軍勢を持つ国家。
この周辺からオリンポスの神々がいるとされる地域までを、王立国家とアペニンの両国による反共主義同盟として地盤を固めたら、第三帝国は早期に潰れるのではないか。
それを可能とさせるのはチャーチルすら好いたカリスマ性をもつムッソリーニしかいない。
おそらくユーグにおいては決して侮れない力を持つ男だ。
本来はまやかしの戦争といわれ、その間に一連の地域は蹂躙されるが、もしここで"攻めて来ないだろう"という先入観を叩き潰し、東亜三国が彼らの代わりに前線に立ったら……どうなる?
味方は少しでも増やす。
何よりも俺はCs-1の開発者に会いたい。
早期にジェットエンジンを作るためには協力が必要だと思うからだ。
「首相。どうされます?」
「きっとムッソリーニもチェンバレンも9月頃の状況が見えているのだ。そのためには王国の力が必要なのは言うまでも無い。第三帝国を揺さぶるためには、早期に王国が我々の味方となる事が必要だ。私が考えるに、NUPはあくまで枢軸三国を焦点に、第三帝国などと協力するなと彼らに伝え、その代わりに何らかの協定を結んだのではないだろうか。妄想の域を出ないが、今この話が出るということは、王国もまた自国の存続を模索していると思われる」
「そうでしょうね」
「陛下は皇国とユーグの平和のためなら命を顧みずにブタペストに向かうことだろう。丁度7月上旬に購入が決定された307が1機受け渡される予定だ。すでに70席の座席設置が終わったそうだ。皇国製の旅客機でないのが残念なところではあるが、陛下のお召し飛行機としよう。特別機としての設備は十分に備わっている」
307の皇国初運用がお召し飛行機とは。
NUPの製造メーカーもさぞかし鼻が高いことだろうな。
陛下が訪れた写真の背後にあの特徴的な丸っこい307がいたら、NUPのメーカーは他にも製品を譲ってくれたりはしないだろうか。
B-29は無理としても、王の即位にはNUPも前向きだったからな。
……そうかわかったぞ。
これを画策してムッソリーニは事実上の自治区としたわけか。
こうすることで初めて王の即位に対して誰も批判できなくなる。
ミュンヘン会談の時点でそれがわかっていた。
だから第三帝国の駐留大使は、ミュンヘン会談は第三帝国の事実上の敗北と主張していたんだ。
あんな全域に渡って割譲を受けても、そこに槍の一刺しを加えていた……
つまりムッソリーニは影でチェンバレンとあの時点で手を結ばずとも、その後の展開を見越した選択を……さすがといわざるを得ない。
ファシストは好きになれないが、噂程度の話として後の未来において語られていることがある。
チャーチルは第三帝国を生贄に、大戦末期に同じようなことをさせようとしたとされる。
あくまで巷説程度でしかないが、その話に多少の信憑性と少しばかりの証拠がある事から、ムッソリーニにはそれが可能であったことを示すわけだ。
今まさにチェンバレンとやろうとしていることがソレだ。
大戦前。
彼は自らの野望である領土拡大を生贄に、己のカリスマ性でもって各国を説得し、二大大国である第三帝国とヤクチアに対し政治的な戦いを挑むわけだ。
ヤクチアの外務大臣と第三帝国の外務大臣がこれを知ったら、今後の外交について大きな戦略の見直しを迫られる事になるだろうな。
望んだ形で地図上の勢力図を表す色が変わらないのだから。
もしこれで大戦を乗り切ったら、総統閣下が負けた理由はムッソリーニと手をつながず、王立国家との雪解けを果たしたことによるものとなる。
……どうなることやら。
◇
皇暦2599年5月23日。
久々の三勇士による会合となった。
議題は当然、即位の件である。
「西条。陛下にこっそりと手紙を見せたが、陛下は前向きであるぞ。今の時期ならまだ数日程度外遊するぐらい可能だと陛下も考えておられる。むしろ陛下が移動するにも関わらず、今のユーグの各地に陛下の乗る航空機を撃ち落す勇気などあるまい」
「千佳様。陛下のご意向は大変理解できます。ただ、今後の情勢が不透明となるので、議会ならびに統合参謀本部は慎重なのです」
「西条。アペニンの王家と王立国家の王と我らが陛下が一同に集まるのだぞ。この光景を見た世界はどう思うか。王国の新たなる王の即位を見守りながら世界へ向けて平和を問いかける。その場で平和の祭典についても触れてみてはどうか。陛下はその計画があることを我に話したぞ。王立国家やアペニンが望む、開戦を皇暦2600年9月以降まで遅らせるという事が可能ではないか?」
千佳様のおっしゃる通り。
きっと俺らの知らぬところでムッソリーニとチェンバレンは、本気で大戦を遅らせるために知恵を絞らせ、舞台を整えた。
そこに皇国が参入したとて、王の即位に関しては第三帝国も中立な姿勢であるが故、ここで認めて6ヵ国同盟と出来れば心強い。
王国はきっと、最後まで戦ってくれる運命共同体となるはずだ。
「首相。私も賛同です。首相が陛下に向けて人一倍強いお気持ちを抱かれるのと同じく、王国には王の即位を心から待ち望む者たちがいます。元来彼らは心半ばで第三帝国とヤクチアに蹂躙され、最終的にあの地域も赤く染められる。もしここで彼らに、守るべき王という存在を見出せれば、彼らは最後まで徹底抗戦する心構えが出来るやもしれません」
「うぅむ……保垣も稲垣大将も前向きだが、これでユーグが混沌とせねばいいのだが」
西条は不安の様子を隠さないが、俺はそれが泥舟だとは思わない。
何よりもそれは皇国民の姿を見ればわかる。
陛下が一度姿を現すだけで、多くの皇国民が歓声を挙げて出迎える。
たとえ陛下が象徴でしかない存在だったとしても変わらぬ事だろう。
国の象徴でしかない立憲君主制国家においても、王は王なのだ。
「……わかった。統合参謀本部では陸軍はその意向だと伝えよう。海軍で批判を展開する者たちはもっぱら艦隊派だというが、軍縮が行われるわけではないからな」
◇
三勇士の会合によって決定されたことで統合参謀本部内においても西条が説得し、宮本や井下など元より賛成派であった者たちは海軍の反対勢力を説得することで陛下の即位式の参加を認めることとなった。
最終的に日程調整が行われた結果、即位式はあちらの日付で7月7日。
どうも皇国というのは七夕に縁があるようだ。
当初は三国の王のみ即位式に参加されるとのことであったが、きたる皇暦6月3日。
王立国家とアペニンを交えた首脳会談が上手く行ったらしく、王国が7月7日に即位式を行うことを表明し、次いで翌々日。
届いた吉報をもとに、皇国、王立国家、アペニンの三国が共同で参加するという宣言を行う。
ユーグ地域全域における君主国家の王たちも相次いで参加を表明。
王国はこれを歓迎した。
王国が最も果たしたかった王の即位に、列強三国が背中を持つことで、ユーグ地域の全域が揺れる。
シェレンコフ大将曰く、ウラジミールは「くそっやられた!」――とばかりに頭を抱え、1日中手の震えが止まらなかったという。
例え資本主義国家や共産主義国家が民主主義というような形で台頭してきた世においても、王とは絶対なのだ。
もしここに水を差すような真似をすれば世界から孤立する。
NUPと共和国も即位を歓迎し、賛同する意向を表明し、第三帝国も動きを止められた。
陛下は千佳様を含めた皇族らに向けて「平和のためならば道化にだってなる所存」――と強い覚悟を滲ませ、少なくとも7月7日の開戦は回避される。
未来が変わったことで戦乱の火蓋が前倒しになる可能性が消滅した。
第三帝国は間違いなくポルッカ侵攻作戦の見直しを行わねばならなくなった。
歓喜の渦巻く王国のすぐ北で火事を起こした場合のリスクは大きい。
何よりもこの動きに対して先手を打ったのは皇国。
皇国海軍は即位式にかこつけてアドリア海に艦隊を出撃させることとなった。
当然これは陛下が監禁などされぬようけん制する目的があったが、王立国家までアドリア海に戦艦を出すということで、ウラジミールには同盟の影がチラついたことだろう。
ムッソリーニは表向き「祝辞であるから仁義としてこれを認める"と、即位に対する一時的な和解のためだ」――と主張していたが、ウラジミールがそれを信じるわけが無い。
それでも彼は、本当にアペニンが王立国家と手をつないでいるのか、気になって気になって探ろうとするだろう。
存分に混乱してくれる事を望む。
また、王の即位と前後して首脳会談も開かれることになった。
表向きは意見交換の場としているが、実際は秘密協定に王国が参加を表明するための会議の場である。
東亜三国からも首脳会談に合わせ、蒋懐石らが参加する時点でそれは明白だ。
王国の摂政は協定参加に前向きであったが、その参加条件が王の即位であった模様だ。
一見すれば非常に難易度が高い王の即位。
だがムッソリーニというカリスマ性溢れるアペニンの首相は、見事これを実現してみせたのであった。
その間に皇国は未来を切り開くために前を進む。
俺は再び海軍に呼び出され、新鋭潜水艦についての意見を述べることになった。
何かあったのだろうか。