番外編4:航空技術者は空挺降下の夢を見る
長島大臣と太田まで移動する間、ここ最近の疲れによってか俺は話の途中で意識を失ってしまった。
そして久々に懐かしい思いを抱く夢を見る。
目を開くと俺は映画館にいた。
目の前には大きなスクリーンがあり、白黒映画が映し出されている。
この映画は……見たことがある。
いやな思い出が詰まった映画だな。
皇暦2605年4月。
もはや空母も無く、大和すら沈んだ状況で公開された映画があった。
技研での努力もむなしく、本土決戦も間近。
俺は特別攻撃に志願するも、決戦機たる疾風の量産のために動員され、華々しく散ることすら許されず、立川市内を歩けば特別攻撃で子を失って精神を病んだ母親から、"人殺し"などと石をぶつけられるような日常を送っていた。
憲兵の見えない所では案外そういう事件が少なくない。
こと航空エンジニアにおいては、一部の人間から人間ミサイルを作っているように思われていたからな。
物資不足で組み立てが出来ずその日は休暇となり、一面焼け野原となった東京においてぶつけられた頭部をさすりながら唯一生き残った武蔵野の映画館にてそれを見た。
内容は海軍のプロパガンダ。
東亜に佇むとある諸島の1つが、鬼という名のNUP人に占領され、それを奪い返すという内容。
本編後半からは空挺降下と必死の突撃が描かれる。
その時空挺降下に使われていたのは九六式陸上攻撃機。
後半を見ていた俺はひたすらに空しくなった。
この映画が描く空挺降下の内容は、皇暦2601年の緒戦の頃の活躍を描いたもの。
劇中、桃太郎は空挺降下と包囲殲滅陣によって敵を見事粉砕する。
だが現実においては九六式陸上攻撃機など、もはやハエと同じく対空機銃に撃ち落される程度の機体。
華々しく空に舞う零と九六式陸上攻撃機による離陸シーンは、過去の栄光も甚だしいとばかりに空しさだけが募った。
それから70年近くが経過し、世にはコンピューターと電子ネットワークで世界が繋がるようになると、ヤクチアの占領下となった皇国では、まるでこの映画を模したような作品が大量に作品化された。
漫画、小説、ありとあらゆるモノにおいて、かつて皇国と呼ばれた地を捨てて別の世界に移動したり、死して特別な力を手に入れて別の世界に移動したり、とにかく皇国地域を捨てた後にどこかで軍師として活躍する作品が人気を博した。
いつの間にか一連の作品には"~太郎"なんて名づけられるようになったが、俺はその元祖こそ、この桃太郎に他ならないと考えている。
むしろそれを知ってそう名づけたのではないかとすら思える。
知らないうちにミームの遺伝によって頭の奥深くにその単語が眠っていたのが呼び起こされたのだろう。
皇暦2605年に空挺部隊を出したところで何になる。
そこまで向かうための燃料、航空機、武器、何もかもなかった。
キ105の製作を手伝っていた俺は、技研のメンバーが「飛ばしても意味が無い」――と呟いたのを覚えている。
キ105が行おうとした任務を思えば、まさしく作るのは無駄と言えたほどだ。
向かった先に石油はあっても味方はいない。
おまけに周辺海域も敵だらけ。
それが本来の未来の皇暦2605年。
ところがその作品は皇暦2605年あたりを時代背景にしているというのだ。
きっと大和が果たしたかったマリアナの小さな島を再占領することを題材にしていたのだろうと思われる。
現実とのギャップから映画館で一人空しさから泣いたことを覚えているが、きっと後々に生まれた世代の深層心理内に遺伝的情報として、内在的に眠っているのだろう。
黄色と黒の危険色を危険と感じるのと同じようなものだ。
俺がやり直す直前においては若者がそんな作品ばかり好んでいて、ブームにすらなっていたのだが、共通しているのは皇国を捨てることだ。
もはや夢も希望も無いとばかりに自殺すると、本来は活躍すべき秘めた能力があったとばかりに別の世界に招待されるのだ。
無いなら何らかの特殊な力すら与えられる。
生まれてから敗戦者のレッテルを貼られ、戦いもしなかった者たちからも見下され、罵倒され、夢も希望もないとばかりに大人たちから絶望を押し付けられた皇国の若い世代は、新たな世界へ旅立とうとする。
そこではあの2605年の皇国と同じような状況となっている国があっても、特殊な力で乗り切ってしまう。
現実逃避といえば話は早いが、俺はそれは皇国民が持つ夢だと思っている。
本当に現実逃避だというなら、もっと違うことを考えるのではないか。
戦わずして相手が頭を下げてすべてを譲り、思うがままの世界を縦横無尽に暴れまわる。
そんな作品は皆無。
勝利の余韻がほしいとばかりに大群相手に少数で勝つような作品ばかりである。
もしこの世に輪廻転生なる存在が実在したとするなら、皇国民は何度も何度もやり直したところで絶望の未来が広がっていて、深層心理内にやりなおす前の記憶が刻まれているからこそ、別の世界へと旅立つ夢を抱いているのではないかと思う。
そんなことを考えながら映画を見ているとふと気づいた事があった。
内容が変わっている。
着陸したのは零ではない。
まるでこれまで見た事が無い、NUPのE-1に類似するかのような大型偵察機だ。
いや、あれより一回り以上に機体規模が大きい。
双発式で、巨大な円盤を背負っている。
尾翼が不思議な形状をしているし、プロペラも最新のターボプロップ機用のような静音性と効率を重視したもので、プロペラの枚数も多ければ形状も船のスクリューのよう。
そもそも外観からしてレシプロではない。
ターボプロップ機のようなではなくターボプロップ機そのものなのではないか。
台詞も変わっている。
時速700km以上に到達せし我が海軍の新鋭偵察機には、たとえ鬼共の迎撃機が快速を発揮したとて追いつけるはずもない?
随分と高性能になったな彩雲。
グラマンどころではないではないか。
見れば見るほど内容が異なっている。
カタパルトから発進する皇国の謎の戦闘機群。
そしてキ47もいる。
大群を率いてやってきた爆撃機に向かって飛び立つのは、新しい雷電と似ている何か。
これは予言なのだろうか。
あの作品で空母が描写されなかった最大の原因は、空母がなかったからだという。
1作目では空母から発艦していたのに、2作目で空母がいなかったのは空母が全滅していたからだ。
それでも包囲殲滅陣と空挺降下で戦おうというのだ。
あの場には一切の迎撃機は出てこないが、現実でそれをやっても迎撃機が無くともVT信管などによって、海から叩き落されていた可能性が高いがな。
しかし内容の変わったこの作品では、空母がいた。
見事にデカい空母から飛び立つ、これまでに見たことが無い航空機。
その中には明らかに未来から持ち込んできた現代戦闘機のような外観のジェット機すら混じっている。
飛行中には"敵影補足!"――といってレーダーを確認する描写まである。
空挺降下にはキ57にそっくりな機体が後部ハッチを開き、野砲、対戦車砲などを空挺降下しつつ、巨大な滑空機が地上スレスレを低空飛行しながら戦車まで降下させていた。
これが本当の空挺降下作戦だと言わんばかりの大規模作戦だ。
降下した部隊の武装も随分重装備になっている。
俺の知っている作品では小銃しか保有していなかったのに、短機関銃などぶら下げながら、人によっては突撃銃のようなものを連射しているではないか。
一体どこを占領するのにここまでの戦力が必要なのかわからない。
ただ1つわかったことがある。
鬼の姿が俺の知っている者達と違っていたことだ。
戦う相手はNUPではないということだ。
映画が終わると一人劇場内で拍手を送っていた。
いささかプロパガンダが過ぎるがいい映画じゃないか。
これが本当の無双もとい夢想という奴か。
俺は桃太郎にはなれないが、この映画に出てくる桃太郎が登場できるような戦力を皇国に与えられるかもしれない。
もしこのまま時代が進んだ先の若者の好む作品が、ラブコメディやギャグ、バラエティばかりになり、この映画が実際に未来に登場して、戦時中の皇国をコミカルに描写した"世紀の駄作"と言われるのなら、俺がやり直した意味はあったと言える。
足音が響き渡る映画館から出るとそこで目が覚めた。
周囲の風景は古きよき皇国といった、山に囲まれた地域となっていた。




