第51話:航空技術者は滑空機の翼設計に困る
皇暦2599年5月16日。
皇国はこの日、改めて札幌と東京五輪、そして万博の開催を予定通り執り行うことを決定。
俺の知る未来では幻とされた駒沢がメイン会場となる。
五輪については本来皇暦2598年に中止宣言がなされる予定であった。
しかし西条が首相となった結果宣言はされず、そのまま工事を進めてはいたのだが……
期間内に間に合わせんがために工期が短縮されることとなった。
これにかこつけて皇国は各国からの資金援助を要請。
協賛スポンサーを募る傍ら、国家間においても支援金の募集を開始する。
皇国の要請にすぐさま応えたのがG.Iとユニヴァーサルオイル。
そしてロイヤルクラウンなどといった外資企業。
皇国を支えたのは列強の資本主義国家達の大黒柱というべき組織なのであった。
おかげで開催資金の不足についてはどうにかなりそうな上、支援金を用いて俺がやりたかった主要国道の全舗装化も可能となる公算である。
舗装技術に関しては皇国式は案外効率的で優秀であったものの……
国内における道路において舗装された箇所は皇暦2595年時点で1割程度だった。
戦後国外の技術者によって一時コンクリート舗装が導入されるも、震災大国である皇国は数時間で舗装が可能なアスファルトの方が相性が良く、長期的に見たコストでアスファルトの方が劣っているにも関わらず、すばやく舗装箇所を増やせるという理由だけで皇暦2588年に実用化されたワービット工法を母体に進化した。
戦後は東西に分断された第三帝国のうち、東側から主にアウトバーンの建造に関わった技術者を召喚し、彼らから技術指導を受けつつ皇国に合わせた舗装方法が見出されていく。
ただ、工法は同じでも施工方法などは国外の手法を吸収。
この時点よりも非常に効率的な方法を見出し、国内での主要幹線道路は舗装化される。
西条が首相となった際、俺はこの舗装化について早期に手を出して皇国の輸送インフラを整えるべきだとは主張していた。
彼もまた輸送効率の向上が経済活性化に繋がることを理解し、第三帝国から技術者を呼ぶなどして舗装化の推進は行っていた。
ただ皇国の工業生産能力の限界からこの計画は6ヵ年計画とし、現在までに国家全体で3割ほど舗装化を達成したものの、未達成エリアは多くあり、計画では皇暦2603年までに8割ほど完了する見込みであったのだが……
急遽首都圏を中心に大急ぎで舗装化に取り組むこととなった。
人手が足りない分は国外から作業員を募り、五輪までに間に合わせる事になる。
支援金の使途をこういった抜本的な部分に投入できる理由としては、かねてよりコスト削減のため、一連の五輪競技大会については既存の施設を流用する事としていた。
例えば札幌五輪における市立総合運動場などは、すでに東亜初となるスピードスケートの国際大会が開催されていたし、既存の施設の改修と、それに伴うインフラ強化を行うことで、当時の皇国の体力でも十二分に開催可能としていた。
未来の皇国民はまるで知らない。
この時の俺たちは、東亜初となる世界大会に熱狂していたのだと。
この当時、東亜の人間というのは黒人より少しマシという程度の立ち位置。
それこそ、すでにこの世から去った卯の言葉を借りるならば、皇国が抗ったからこそ、東亜人というものは国際的な地位を手にしたのだ。
その証として受け取った五輪は本来返上する予定であった。
皇暦2598年に軍部が中止を要求。
御前会議にて陛下も渋々ながら同意する。
しかし歴史は変わった。
俺は別に中止を宣言せずとも、皇暦2600年頃には世界が混乱に満ちてIOCから中止が勧告すると思っていた。
ところが未来が変わり、皇国国民の夢が、東亜の人間の夢が実現化しようとしている。
宥和政策を行うチェンバレンは、現段階において5ヵ国が生き残る未来としては、アペニンと統一民国の早急な軍拡の達成にあると主張。
そのためには何としてでも大戦を後1年は遅らせなければならないと主張したが、それで東亜人の国際的地位が向上するなら望ましいことではある。
そもそも、統一民国はさておき、実際アペニンは兵がいても武器がない状態だったのでこの意見は正しい。
アペニンなど小銃が2人に対し1挺しかないというお粗末さ。
……それは当初のヤクチアもそうだったりするのだが、分母がまるで違う。
歩兵が持つ携行兵器については、むしろ華僑の方が広く行き渡っていたといえる。
彼らが足りなかったのは航空機や戦車などであったのだ。
統一民国の場合はヤクチアと王立国家……そしてNUPの三方と共和国など、多数の国から様々な兵器を輸入してきていたのだが、特にM1891/30や漢陽88式小銃ことGew88などの生産施設などをこさえて弾丸ごと大量生産していた点においては特筆に価する。
上記ボルトアクション銃は民国軍が用いたことで皇国が九九式短小銃などを開発する契機となっている。
実は統一民国の技師は熱力学や弾道学にはそれなりに詳しく、小銃など小型火器類だけでなく、大砲その他の生産にもそれなりに長けていた。
いわばこれがほとんど活躍しなかったチハのライセンス生産すら可能としていたわけだが……
国境線の共同防衛にあたり、蒋懐石は皇国軍駐留部隊や集の陸軍の者達に対し、いざという時のため、M1891/30や漢陽88式小銃の共用ができるようにと十分な数の銃と弾丸を供給していた。
おかげで量産化に遅れをとっていた九九式短小銃に代わり、三八式歩兵銃の代替となる存在を陸軍は手にすることができた。
代わりに西条が供給したのは無線機といった、統一民国が不得意とする電化製品系統。
また対戦車砲なども提供している。
なんだかんだで漢字を通して三国は意思疎通が出来るなど、現地ではほどほどに上手くやれている様子だったが……
M1891/30や漢陽88式小銃の性能は非常に高く、それを理由に開発された九九式短小銃だったものの、現地の陸軍兵士はとりわけM1891/30を好んでいる節があった。
命中精度が段違いらしいのである。
狩猟用などと称して陸軍将校の一部が統一民国から個人輸入してくるほどで、海軍の将校すらその噂を聞きつけて購入する者が出てくるほどだった。
現地生産されたバレルでも十分な命中率を誇るM1891/30は、皇国から持ち込まれた倍率の高く精度のいいスコープが取り付けられ、国境警備にて活躍。
しかし統一民国軍は今後自動小銃が台頭してくると考え、特に皇国陸軍が最近注目しつつある武器を大量生産していた。
短機関銃である。
皇暦2590年。
華僑における混乱において皇国陸軍へ対抗しようとした華僑の軍閥の一部は、完成したばかりなれどなかなか評価されないM1921(のちのM1の原型)に目をつける。
彼らは欧州などに売り込みをかけていたメーカーに熱烈なラブコールを送り、ついにライセンス供与を受けることに成功。
以降、皇暦2587年より、この短機関銃は山西にある太原兵工廠にてコピー生産が開始。
だが当時は工業技術への理解不足によって年100挺程度だった。
皇暦2595年頃からは華僑全域にて三箇所の拠点で大量生産されていたものの、華僑の事変が早急に片付いてしまったために活躍の機会を失った。
しかし性能の高さを理解する蒋懐石は、シェレンコフ大将などを招いてライセンス生産を行っているM1921について意見を求める。
M1921の性能を垣間見たシェレンコフ大将は、"現在のヤクチアは短機関銃に疎いが、率直に申し上げてM1921を私は脅威と見ている"――と彼に賛同的であった。
以降大量生産が続けられている漢陽21式短機関銃は、皇国陸軍にも自動小銃部隊を作るべきだと考えた統一民国により、順次駐留軍に供与されつつあった。
そればかりかアペニンにも供与するだけの生産力すらあった。
無論これは華僑の事変が早期に片付いた影響で生産力が鈍らなかったことが大きく関係しているが、この生産力こそ重兵器の乏しい華僑の軍勢の底力となっており、ウラジミールすら警戒した粘り強さの根幹を成すものである。
華僑よりもたらされたM1921の性能を目の当たりにした陸軍は仰天する。
これだけの生産性とコストパフォーマンスを誇りながらも、非常に優秀な歩兵火器としてM1921は完成していた。
なによりも本国のものと大差がない品質に特に驚きを隠せなかった。
皇国ではかねてより自動小銃の開発が滞っていたため、ユーグを中心に様々な短機関銃を購入しては分解し、自国流でこさえようとしていたものの……
蒋懐石から"そのまま作ったほうが早いぞ"――とアドバイスを受け、現在ライセンス契約交渉中である。
入手自体は統一民国からも可能であったために当面の間はそうする事としたが、生産量には限りがあるので自国生産を目指した。
特に蒋懐石はなるべく多くのM1921をアペニン……
そして王立国家に供与してこれまで受けた恩を返したかった様子もあったので、皇国も自らのプライドもあって工作機械を取り寄せて生産しようと試みている。
M1921は大戦期にならないと注目されないため売り上げが現時点では乏しく、必死にセールスをかけていたので契約締結は秒読みとなっていた。
俺は西条からM1921の性能について「そこまで優秀なのか」――と問われたが、「現用の短機関銃の中では最も優れている」――と進言している。
また、その際に同時にこうアドバイスしていた。
大西17式拳銃。
別名モ式大型拳銃を正式採用してくれと。
大西17式拳銃とは、山西で生産される45ACP弾を採用した大型拳銃。
第三帝国のC96の独自改良版である。
本来の未来では大量鹵獲された7.62mmを中心に"モ式大型拳銃"として準正式採用されるが……
そもそもが皇国陸軍は拳銃への理解度が低く、正式採用といえるほどの拳銃は存在していなかったばかりか、拳銃等については個人所有物として個別に調達せねばならなかった。
このあたりはNUPなども理解が薄かったものの、市街地戦や屋内戦闘では短機関銃と相まって強力なサブウェポンとなりうる。
メインウェポンだけあればいいとなると、取り回しの悪い小銃だけではインファイトで困る事になり、実際硫黄島などで大苦戦するのだ……
モ式大型拳銃が準正式となったのは、ちょっと散歩がてら偵察に出てみれば地面にポロポロ落ちていると言われるほど大量に鹵獲できたことで、弾丸すらそうであったからである。
しかしその中でもレア物とされる45ACP弾仕様は、当時としてはそこまで注目されていなかったのだが……
45ACP弾のストッピングパワーと、今後のNUPとの武器共用などが実現を考慮した場合、大量獲得できる弾丸であるので、現状ではこの銃を正式採用するのが最も有効と言える。
ヒスパノと同じ理論である。
そこについてはチェンバレンがホ5をほしがった様子から、NUPが改良したホ5とその弾薬が大量に出回る可能性があるのだがな……
それはさておき、こうなってくると皇国はやたらNUP製の武器が歩兵装備として採用される事になるが、そんなことを言ったら12.7mm機関銃などの大半の陸軍の武器は元はNUP製。
弾丸を統一して運用したほうが生産性にも優れるため、大西17式拳銃の正式採用と、可能であればライセンス生産も行うことを進言した。
そもそもが西条や稲垣大将自体がモ式を普段から携行しており、そればかりか俺ですら護身用に保有していたりする程にこの銃は信頼性が高い。
銃と合わせて45ACP弾を標準化しておければM1911A1などのNUP製自動拳銃などと弾丸が共有できるのは大きい。
俺は西条に45ACP弾は50年後も生き残るものだからと言って、M1921と大西17式拳銃の正式採用化を検討するよう強く迫った。
9mmパラベラム弾は正直、銃共々進化に時間がかかるので今はなるべく採用したくない。
なので皇国製の拳銃は個人的に45ACPを採用しておきたいのだ。
もともと現場指揮官でもあった西条はこの意見に好意的な反応を示したものの、華僑の事変において実際に現場に赴いた者達しかモ式の性能は理解しないため、当初は"華僑が作ったものだぞ?"――などと懐疑的な意見を申す将校の姿もあったが、稲垣大将による、"11.4mm短機関銃と12mm版モ式大型拳銃は皇国製より優れる"との鶴の一言により、正式採用される見込みとなった。
重機関銃などでは先行している部分もあった皇国陸軍であったが、歩兵携行兵器については華僑よりも出遅れていた所、華僑の協力を取り付ける形で大幅な重装備化を果たす事になる。
1人1挺の短機関銃と拳銃と小銃。
小銃を自動小銃としたい所であるが、皇国の工業生産能力を考えた場合、現時点でこれ以上の歩兵の重装備化は難しいかもしれない。
それでも戦車などを合わせれば、対ヤクチアを考えれば十分。
ここに重装歩兵部隊による分隊支援火器の運用を合わせれば……
◇
導火線に火がついた状態の世界において、俺が出来ることはエンジニアとしての仕事。
俺は西条に提案し、新たな滑空機について開発を行うこととなった。
皇国が滑空機に注目しはじめるのは欧州での兵員輸送に活躍してからである。
しかし現時点で未来情報を知る西条により、ク1よりも高性能かつ安価に生産可能な滑空機の製造を任された。
新たなク1の運用思想としては、百式攻、百式戦、百式輸、百式襲の俺が開発の中心となった機体群を用い、これらに曳航してもらいながら超長距離航行できうる存在。
現在皇国が実用化手前で最も長距離を飛行できるのはキ47。
ただし超長距離飛行の場合は積載量との兼ね合いがあるため、曳航してでの長距離飛行には限度がある。
そこでこの滑空機は一定距離を曳航。
飛行中に切り離し、以降はモーターグライダー方式で長距離を滑空するという、多段式ロケットのような方法を検討してみた。
これはかのMe323とはやや異なるコンセプトだ。
あいつは飛んでいる間もエンジンを動かさねばならなかった。
しかし皇国で開発されたキ105はこの方式で、試験飛行段階では非常に高い成績を収めている。
キ105は余っていたハ25を採用し、飛行途中からエンジンをかけて飛び、エンジンは離陸時と滑空時にのみ使う。
これによって南方から石油を回収してくることを任務として開発した。
俺はこの考え……割と悪くないと思っている。
あとは積載重量だけ。
九五式十三屯牽引車などを運びたいと考えると、やはり最大積載重量は15t程度としたい。
しかし機体はそこまで大型化したくはない。
空力的に設計すると、全長24m前後だが全幅は40mを超えてしまうな……確か記憶が間違っていなければ深山はその巨体をもてあましたとされる。
全長は20m以上を許容できても全幅が許容できない可能性が高いな。
しかしこれを解消しようとすると、タンデム翼か複葉機になってしまう。
大型輸送機において複葉機などありえない。
構造上、高翼でなければ荷物の積み込みなどに支障が出るし、荷物の積み込みに支障が出ない位置となるとタンデム翼と変わらない。
翼の全幅を伸ばして揚力を増加させればいいと思うかもしれないが……
流体力学的に翼面積を伸ばそうとする場合、縦方向、つまり全長を伸ばさない限り抵抗力が増加してまるで意味がないんだ。
これを解消するアイディアこそが全翼機だったりするしな。
例えば未来の大型旅客機においては、当初翼の大きさによってどうしても翼面剥離が生じていたのをどうにかするため、ボルテックスジェネレーターというものを装備していた。
別名"乱流翼"なんて言われるが、こいつは俺が新鋭潜水艦で説明したものに近い仕組みとなっている。
故意に乱流を発生させれば翼面の剥離が遅れ、結果的に揚力を維持できるという妥協。
後に3DCADと三次元演算処理、そして遺伝的アルゴリズム計算などによるコンピューター設計が発達すると燃費を悪化させるので、そういったゴテゴテしたものは消滅していく。
結局妥協なのさ。
流体力学の発展途上によって装備せざるを得なかっただけで、きちんと計算すればそのような類のものはいらないんだ。
あえてそういうのを装備した上で、上から見て正方形に近い形状の翼を作るだとか、もはやダブルデルタ翼にしか見えないものを作ることは可能ではある……
が、こいつらは低速ではまるで意味が無い。
長距離を飛びたいなら単純に翼を長くする。
滑空機の翼が長いのは翼面加重を小さくさせながらも、揚力は最大級に確保したいから。
となると……西条に相談するしかない。