第50話:航空技術者は皇国のスパイについて報告する
14時間ぶっ通しという会談が行われ、各国の外交官なども交えての五ヵ国による秘密協定が締結された後、その日は一旦解散し、ムッソリーニらは本国へと帰国。
唯一チェンバレンのみ皇国に留まった。
皇国ホテルに宿泊した翌日、今度は再び二国間による首脳会談が行われる。
内容は皇国と王立国家の同盟の復活である。
この同盟発動のトリガーとしたのは第三帝国とヤクチアの不可侵条約締結。
防共協定を結びながらも同盟復活を宣言することで、第三帝国の侵攻を躊躇わせるという狙いがあった。
五ヵ国による事実上の同盟と異なる点は国家が滅ぶ最後の最後まで、互いに協力関係を続けるという非常に強固なものである事。
単なる秘密協定などではなく、秘密条約とも言うべき存在である。
内容としては皇国が求める集の保護国化に王立国家が加担し、皇暦2562年に締結された内容を一部踏襲。
ただし2562年ほど対象地域は広くなかった。
原因は戦乱期となって守れる地域が少ないであろうことと、華僑が百済などを国土としたことなどが大きい。
あくまで皇国と皇国が不可欠とする集、それに対して王立国家が不可欠とする地域の一部のみに絞り、これらの地域において一国以上の交戦が生じた場合は互いに最後まで協力し合うというもの。
その上で、NUPの参戦除外規定をも排除し、仮にNUPが何らかの理由でもって参戦を表明しても、王立国家はNUPに牙をむくというものとしている。
正直工業生産力においてNUPとは敵対できない。
だが、NUPの自動戦線規定除外はNUPに隙や余裕を与えんがための、必要措置であるとチェンバレンと西条は一致した。
両者は円満な雰囲気で話し合い、そしてお互いに最後は手と手を取り合い、その上で5月7日付けで調印まで行ってしまうという荒業に出る。
チャーチルが即時破棄する可能性は0ではなかったものの、協力を要請していたロイヤルクラウンによるロンドンを中心とした活動が功を奏し、王立国家の議会、そして王などはこの同盟に好意的な反応を示し、すでに外堀は埋めていた。
◇
会談が終わるとチェンバレンは皇居へと向かった。
陛下が数分でもいいのでお会いしたいと、あらかじめ王立国家側に提案していて実現したもの。
後で千佳様を通して大体の内容を伺ったところ、王立国家の王は陛下の思いを受け取り、"最後まで皇国の存続を願い、そのための努力は惜しまない"――と、チェンバレンの意思に関係なく王の言葉をそのまま伝え、彼はメッセンジャーとしての立場でもって陛下と対談したのであった。
DC-3に乗って王立国家へと戻る去り際、チェンバレンが西条に投げた言葉は忘れない。
"首相! 遠い東の海の島国にも王はいたのだな! 戦乱で命を落とした時には、王立国家か皇国、どちらかで再び生まれ変わり、王のために銃をとろう!"
まるでそれは自身の寿命が長くないことを悟っているような、誰かからすでに貴方はもうじき死ぬと告げられていたかのような……
とてつもないもの悲しさ、人の命の儚さというものを痛感する光景であった。
人はそれぞれ生きることができる時間が決まっていたとして……その佳境に入ったとき、誰かに声をかけられたりするのだろうか。
これまで生きてきた人生の記憶がある今の俺にとっては、この手の死期を悟った人間の反応を何度も見たものの、初めて目にしたチェンバレンもまた、王立国家のためにスピットファイアを作り上げた男と同じく、全てをかなぐり捨ててまで行動する人間であったのだ。
チャーチルは追悼演説にて「彼は政敵であったが、王立国家の敵ではなかった」――と主張していたのは、まさしく政治的思想が異なるだけで、本質的な敵ではなかったという意味合いなのだろう。
今だからこそ追悼演説の内容の意味が理解できる。
チェンバレンの努力がスピットファイアを王立国家に配備させた。
スピットファイアがなければ俺は間違いなく第三帝国に勝てなかったと考えている。
ハリケーンなどでは絶対に勝てなかった。
そのスピットファイアにすら勝ちうる航空機を作った俺だが、高性能な航空機があれば勝てるほど戦争は甘くないことぐらい知っている。
とはいえ、2600年以降とならないと皇国の戦力が整わない以上、チェンバレンが行った方法と同じやり方でもって開戦を遅らせねば皇国に未来はない。
今俺に出来ることは……開発が中断されていた単発重戦闘機。
これを長島と共に開発すること。
そしてこれまでにないギガントと並ぶような牽引式滑空機の開発だ。
キ78、新鋭潜水艦、油圧式カタパルト、キ51、キ57。
これらの面倒も見なくてはならない。
すでに形となったキ43とキ47は他の者達に任せつつ、監督的立場となって見守りながら、挑むぞ。
◇
皇暦2599年5月11日。
ノモンハン事件が発生。
ただし、そこにヤクチアの姿はない。
当初の予定では5ヵ国による協定の表明とアペニンと王立国家の参戦予定となっていたが、西条と蒋懐石の判断により見送りとなる。
明らかにその動きが協定を暴露させたい狙いが見えていたからであった。
チェンバレンとムッソリーニも同意し、結果一旦秘密協定については見送りつつも、ヤクチアが動いた場合は即参戦という形で情報をまとめる。
なお、これは首脳陣のみでの話し合いとし、西条は両国が参戦表明しなかった理由を"紛争であるから"――として一部の有識者にのみ公表した。
実際、戦争というほどの大規模な戦闘にはなっていない。
蒋懐石も表向き"国境線を勘違いしたものとみられる"と発表し、ヤクチアによる差し金であることを理解した上で、彼らの狙いに乗らないよう東亜三国で連携して対処した。
無論、この行動には陛下の同意をきちんと取り付けているが、陛下にすら事実は伏せた。
ただし、千佳様の話では陛下はなんとなく察していたという。
シェレンコフ大将は一連の蒙古周辺での動きに対し、皇国内にスパイがいるのではないかと調査を開始しはじめた。
秘密協定などの情報が漏れている可能性があるためだという。
俺は彼本人も念のため疑いの目をかけていたが、ふと思い出したことがあった。
"ゾルゲ・リヒトフォーフェン"だ。
何をやっている。
なんでこんな危険人物を今の今まで忘れていたんだ!
シェレンコフ大将は鋭い。
国内にスパイがいるんだよ。
野放しにしてはいけない人間がいる。
共産党軍の残党などとの小競り合いが始まった中、俺は大急ぎで陸軍参謀本部へと向かう。
ここ最近忙しさを増した影響で扉の向こうにいた西条はやや疲れ気味の表情であったが、そこにはシェレンコフ大将の姿もあった。
◇
「西条閣下。私にも調査を手伝わせてください。何らかの影響により、間違いなく皇国の情報が漏れ出しています。上海にいる私の協力者からこのような書類をいただきました。これは皇国の機密書類の一部の写しでは? なにやら王立国家との関係性をまとめた内容が書かれておりますが……」
「これは……まずいな……! ううむ……一体誰なのだ……」
「首相!」
「どうしたのだ信濃。そんなにあわてて」
息を切らせて入ってきたことですぐさま用件を言えない。
しかしシェレンコフ大将は理解している様子だった。
「首相! ゾルゲです! あの男が皇国のスパイだ! 今すぐ奴を拘束してください! そして尾畑! 尾畑秀次! 奴こそが……奴こそが皇国の裏切り者です! それとフリードリッヒ・クラウスとブラン・ヴィケリッチ! この4名が主犯です!」
「なんだと? 尾畑秀次は陸軍とも関係が深い男で、皇国と統一民国との和平にも関わった男ではないか!」
「裏があったんですよ……確たる証拠もあります」
「……困ったことになりましたね閣下。あの人物は確かにヤクチアの共産党員です。信濃さん。実は私も閣下に対して彼が怪しいと伝えようと思っていた所なのです」
シェレンコフ大将は随分皇国の言葉が上手くなったな。
もはや普通に会話できるようにまでなっている。
これは逆に怖いが、ゾルゲ事件に彼は関わっていないし信じるしかないな。
「でも彼は……」
「どうした信濃?」
「彼は現在第三帝国の国籍を持つ、第三帝国への移民者です。最近、随分と第三帝国の駐留大使が大人しいと思っていました。例の件(ヤクチアと第三帝国の関係強化)が事実だとするなら、彼らはここ最近の皇国の動きをゾルゲから入手していたのではないかと」
「くっ……ぬかったか!」
「恐らく尾畑秀次の最大の誤算は統一民国が上手く行かないであろうと考え、第三帝国と皇国の共闘路線となってヤクチアとの戦闘が生じるのを避けるため、華僑の事変においては我々に支援をしていたのです。実際は三国共同声明が政策において上回っており、蒋懐石は政策の拘束力に従うことで国内に目を向けることが出来、華僑を平定してみせた」
ある意味でそれは誤算だ。
蒋懐石にそれなりの大国を安定化させる力は無いと思っていた。
やつが落ち着いて事を進めるのも、息子による教育改革などといった抜本的な土台部分から見直す事で近代化を加速させて国力を蓄える方が、領土拡大戦略によってデタラメに戦火を広げるより安定化する事を知ったからだ。
それは皇国の駐留軍や使節団の力、そしてNUPや王立国家の使節団の力も大きいが、中長期的に見た国政はそれで正解なのだ。
「今年に入ってから随分と治安もよくなってきているしな」
「最近は統一民国に資本主義は根付かないだとか、蒋懐石による独裁主義に国民は苦しんでいるだとか、あることないこと酔っ払ったような話ばかり論述として新聞などに寄稿していた。今思えば早い段階から疑うべきでした……」
といっても2年前倒し。
8月より前の段階でスパイ網を徹底破壊できれば、ウラジミールや第三帝国の足並みが揃わなくなるかもしれないんだ。
今ならまだ間に合う。
「閣下。さっそく彼の周囲について私のコミュニティを用いて調べてまいります。私はこれで――」
俺は無言でシェレンコフ大将に敬礼すると、シェレンコフ大将も皇国式の敬礼でもって返してきた。
彼が去った後、西条は大きなため息を吐く。
せっかく整えてきた状況が筒抜けだったのだ。
彼にとってこれほど辛いものはない。
完全にしくじった。
もっと早くやらねばならなかった。
「申し訳ありません。失念しておりました……自分の失態です」
「信濃。何年出遅れた? 本来は何時ごろ捕まる予定だった?」
この状況に西条は怒り狂う様子はなかった。
首相となってからの西条は感情を露にする事は少ない。
不思議だが、皇国という存在を一身に背負って、子供のような行動が出来なくなり、大人に成長してしまったのかもしれない。
まあ、すでに大人というには十分歳を重ねた男ではあるのだが……
「皇暦2601年です。さすがに諸外国の動きがこちらの歩調に合わせている事に気づき、NUPと深い関係を持っている人間からその存在を見出します」
「なんだと? 今NUPと言ったか?」
「現在NUPに在住する仙台与徳という男がいます。この者は皇国の情報をNUPに送っているわけですが、同時にヤクチアにも送っています。全ては尾畑秀次から流れた情報を基にしてです。尾畑秀次は現在政界からやや遠ざかった立場にはいますが、彼への協力者は議会にもいます」
「陸軍にもな。私は怪しいと感じて関係を持ってはおらんが……」
「首相はとても鋭い方なので、むしろこの事件を主導して探った立場です」
「だからこそ2年前倒しで事が進みそうなのだろうな。だがこれで合点が行った。NUPの姿勢も、NUP内の状況も」
「NUP内の状況?」
初耳の話だ。
小野寺大佐かそれに代わる人物がNUPに潜伏したのか。
「チェンバレンが帰り際に置き土産を置いていってな。次にお前がここに訪れたら見せようと思っていた。まあ、いつもの"恋文"というやつだ」
西条が渡した封筒には、MI6による諜報文書が封入されていた。
そこにはNUPの共産党内に多くのヤクチアのスパイがおり、その中に皇国の事情にやたら詳しい者がいるという報告である。
ただし、誰がNUPの共産党に皇国の情報を漏らしているのかについては、現時点では不明確として特定の個人を列挙するのは避けていた。
「うぅ……本当に情けない限りです」
「仕方あるまいよ。信濃、お前の本分は航空機を作ることだ。最近皇国でも一部話題のコミックの主人公、スーパーマンではないのだから致し方ない。私も翻訳作品を見てみたが、あの国ですらそんな存在を欲するのだ。国家は無敵となりうるとも、人は無敵ではない」
「黄金バットになれずとも、正義の味方にぐらいはなれるような、そんな男を目指したいとは思います……覚えているだけの情報を伝えますので、何とか情報網を遮断してください」
「特高はあまり好きではないのだが致し方あるまい。いいか信濃。疑いの最も強い者達を一斉検挙するぞ。覚えている限りの証拠を思い出してまとめろ。今すぐにだが、できるな?」
「はっ!」
◇
「ほう。仮に第三帝国がヤクチアとの戦闘を起こしていた場合、このゾルゲという人物が大きく戦況に関わったのか」
俺は知りうる限り、発見された証拠物や彼らの人物評について記述。
疑いの強い者を中心に書きとめ、一方で誤認逮捕が疑われたものについてもそれらを記述した上で素性をまとめてレポートにして西条に提出した。
「ええ。彼は多重諜報員でしたが、第三帝国はそれに気づかず、最終的に彼らのような諜報員の情報に惑わされたりして……壊滅します」
「皇国も大佐を含めたこういった諜報員を大量にこさえるべきなのだろうな。今後の現代戦では情報の乱れが全てを覆しうる。予言されている電撃戦とやらも、情報が乱れれば隙を生む」
「私よりも大佐の方が詳しいと思います。彼に主導してもらい、我々も組織する他ないかと……」
「あるいはハルビン特務機関の連中の手を借りるか……か。わかった。信濃。お前は仕事に戻れ。こちらは特高と相談し、外交問題に発展しない形でゾルゲを逮捕する――」
◇
尾畑秀次が逮捕されたのは2日後。
ゾルゲらとともに一斉検挙された。
俺のレポートにまとめた証拠物の押収によって、最も疑いの強い者たちが一斉検挙された格好となる。
誤認逮捕と思わしき者たちへは慎重な姿勢で捜査が続けられているのだろうか。
特高は関係の薄い組織で情報が入ってこなかった。
事件は翌日の朝刊新聞の一面をも飾る。
西条は公式声明を発表し、第三帝国との防共協定を破棄することを意図した行動ではなく、防共協定などの一連の協定を結ばぬヤクチアへの情報送付を行っていた以上、その行動は看過できないので逮捕したと主張。
ヤクチアの大使館に外交ルートを通じて抗議を行ったと話した。
ここにきてウラジミールは初めて反応を示す。
"ヤクチアは東亜三国に対して現状中立姿勢でいるものの、このようないわれのない批判が続けば強硬姿勢も辞さない"――との事であった。
ウラジミールは、"皇国が王立国家との秘密会談を行った上で、なんらかの協定を結んだ"――と主張。
"第三帝国、アペニン、皇国との防共協定がありながら、王立国家とも関わろうとする八方美人な態度はいつかその身を滅ぼすことになるであろう"――と高らかに語った。
シェレンコフ大将が上海経由の情報網で調べたところ、"ウラジミールは王立国家とどういった秘密協定を結んだか理解してないのでは"――とのことである。
チェンバレンと何か協議した。
それ以上の情報は伝わっていない様子であった。
そしてスパイに警戒していたムッソリーニは、会談内で一切の自己紹介を行わず、偽名すら使っていた。
各種報告も外交官に任せ、協定調印まで自身は見守るだけ。
俺は一目見ただけで彼がムッソリーニとわかったが、皇国内では彼がムッソリーニだとわかっていない者は多かった。
彼の声や顔を知るからこそ、会談内での話がアペニンのことだとわかったし、俺は西条にそのつもりで報告していたが……
西条らごく少数しかアペニンの首相がいるとは思っていなかったのだろう。
なぜなら、配布した資料には4国についての記述しかないからだ。
事前に用意した段階では4国だと思っていたので、5国と内容の修正はしていない。
協定の調印がなされた最重要機密文書だけにその旨が記載されている。
会談に参加していれば話の内容からムッソリーニと推定できなくもないが、彼はミュンヘン会談を主導したなどとは言わず、王国の姿勢からこの秘密協定に参加したことを表明。
言葉を拾う限りではポルッカなどその他の国とも推定できうる。
そのため、その場にいたという報告すら出ていない可能性が高いと各種証拠物から推定した。
事実、皇国より流れた文書の記述内容も4ヵ国となっており、恐らく又聞きの情報によってムッソリーニは自身の存在を隠す事に成功している。
彼の立ち回りは見事としか言いようがない。
やはりアペニンとは武器がなかっただけで武器があれば戦えた国なのだと言える。
代表者と本来の未来の結果からそう思える。
あくまで推測でしかないが、東亜三国はウラジミールからすると王立国家と技術交換を行い、お近づきの印に何かプレゼントを貰ったということしかわかっていない模様だ。
ウラジミールは慎重な男。
恐らく同盟復活の可能性も考えてはいる。
4ヵ国同盟を結んだ場合のリスクを勘案し、その実態を掴もうとノモンハン事件を起こしたわけだ。
哀れなピエロにされたのは蒙古の軍勢と残党軍達か。
その動きには蒋懐石すら乗らなかった。
彼はあくまで東亜三国の防衛ライン以上の進軍はせず、小競り合いを小競り合いのまま片付けようとしている。
蒋懐石は現場指揮官に対し、"目に見えぬ国境線を見えるよう錯覚させるだけでいい"――と伝えたとされるが……
さすが華僑において超一流の戦術家であったと評される男。
戦略構築はまるで駄目だとされるが、相手の見え透いた罠にかかるような男ではないのだ。
ウラジミールの第二弾、第三弾の揺さぶりにどう対応するか……それからであろうな。
それはもう国の実権を握る彼らに任せるしかない。
俺は政治活動についてはある程度までの意見しか出せないし、俺が思うように皇国議会のコントロールはできていない。
むしろ俺が思った以上の動きを議会が示しており、そこには陛下や西条といった者達ら、俺よりも頭脳が明晰な者達の努力が影にある。
まずは出来る事をやろう……
8月23日までの世界の動きを見ながら、やることをやる。