第49話:航空技術者は世界大会と万博を開くことを会議で提案される2
一先ず休憩に入った後、会議は終盤へと向かう。
各国は互いに提供できる技術について提示することとなったが、集と統一民国、そしてアペニンには特にそれらしきものがなく、技術提供は皇国と王立国家が中心となっていた。
皇国は虎の子のジェットエンジンはまだ機密としていたため、一体なんの技術を提供すればいいのかという話となったものの、王立国家が皇国に求めたのはSt52の技術の横流しと酸素魚雷に関する技術……
そしてどこで情報を手に入れたのか、まだ試作段階のホ5、20mm機関砲を欲した。
一方で王立国家もまたジェットエンジンについては伏せており、彼らが提供するのはすでに実用化した防空レーダー。
俺が求めた航空機用接着剤の輸入とライセンス契約の了承。
そして陸軍が開発を急いでいて生まれたばかりの試製九七式四十七粍砲を超える、6ポンド砲と開発が決定されたばかりの17ポンド砲に関わる、対戦車砲の開発技術も提供してくれる事となった。
17ポンド砲は、この時期にすでに草案が出来上がっていたとは聞くが、もしや前倒しがあったか?
本来の未来でも、皇国は各国の重戦車化についてあらかじめ認知していたため、陸軍は九九式七糎半戦車砲などをこさえてはいたものの、実戦経験がなかったので開発の加速がなされていなかった。
ただソレを俺は見越していたので、俺は将来のためとして皇暦2597年から75mmクラス対戦車砲の開発は積極的に行うよう西条に頼んでいて……
すでに完成している九九式七糎半戦車砲を開発中の新鋭戦車に搭載予定なんだがな。
野砲については今後統合参謀本部によって海軍の技術も手に入るので、戦車砲も諸外国に全く負けないモノにできるとも思っていた。
また、新鋭戦車についても元々皇国の新鋭戦車開発と配備が遅れた最大の原因は既存の戦車を大量に量産して送り込まねばならなかった華僑の事変によるもの。
皇暦2598年の時点で華僑の事変は落ち着きを取り戻した以上、チハなどに拘る必要性は全くなくなってしまったのである。
というか……本来、事変において活躍する予定だったチハは前線配備と同時に和平条約が結ばれ、共産党軍などとの小規模な紛争にしか投入されず、その活躍の機会を失っていた。
一応、生産はまだ続けられているが、駐留軍に配備するためにある程度の量産を継続するだけで良くなり、統一民国に既存車両の一部を売却していたのでチハの数は華僑内で増加傾向にはあったものの……
民国側の求めに応じてライセンス契約を結び、集や重慶などでライセンス生産された車両を皇国の駐留部隊が使うという、逆転の状況すら起きているほどだった。
他方、シェレンコフ大将の手によってT-34の前身となるA-20の詳細な性能情報がもたらされており、それこそが75mmクラス対戦車砲の開発契機となっているが……
銃器や火器類の開発は、他国との戦況を見て行っていくのが陸軍の手法で、それが開発遅延を招いていただけというのが従来の皇国の弱点で、西条や稲垣大将らがその点において見直しを行ったがために、何とかT-34とは戦えそうではあったが、17ポンド砲が手に入れば、皇国の戦車はより有利になるだろうか。
ともかく今はそれで十分だ。
王立国家からは二段式スーパーチャージャーも欲しかったものの、それよりも何よりも防空レーダー網の構築は急務と言えるので、王立国家から技術がもたらされるのは非常に大きい。
レーダー技術はなにもレーダーだけのものではないからだ。
レーダー。
この技術において先行したのは第三帝国と王立国家。
やや先行した第三帝国も一時追随していたものの、攻撃用途では役に立たないという理由で研究を中断した。
しかし王立国家は守る戦いになると当初から考えていたので、基礎技術を開発した人間がいるのになぜか迷走した本来の皇国とは異なり、積極的に開発に邁進していたのである。
皇暦2595年頃に実用化された防空レーダーはたかが10km~15km程度の範囲でしか空の状況を確認できないお粗末なものであったが、皇暦2599年現在、その範囲は半径80km~150kmにも及ぶものへと進化した。
このレーダー網を整備することで彼らは第三帝国との戦いを乗り切る。
最大受信距離150kmのレーダーは絶対に欲しい。
門外漢な分野だけに俺では改良なんてとてもできる代物ではない。
なんとしてでも欲しい。
皇国は大戦末期に距離や位置を24km程度で捕捉できるレーダーを開発したが、大和の主砲は38km。
例えばスエズを通って大和が紅海に戦いに赴いたとして、対地支援攻撃を仕掛けるとしたとき、38km先から正確な射撃ができうるレーダーを保有しているというならどれだけ優位に立てるか。
本来の未来において、皇国の電探開発は2つの方向性から行われていた。
陸軍が防空のために開発した"超短波警戒機甲"と、五輪のためにテレビ放映を考えていた皇国政府によって民間企業である京芝などへ研究開発を依頼し、そこそこの指向性電波送受信装置を開発していたが……
この送受信装置にも当然レーダー的機能も搭載されていたのである。
両者共に送受信距離は20kmが限度。
皇国は電波塔を多数建てて、東京市内でパブリックビューイングをするという、なんだか随分先の先の未来をみこしたようなことをやろうとしていた。
戦後テレビ放映を行う際に、この時の開発が役立ったとは言われている。
軍需ではなかったのでこの開発には京芝なども関わっているのだ。
ただ、五輪が流れた影響でこの技術はそのまま停滞して数年が経過する。
その間、防空のためと称して超短波警戒機甲の開発は続けられ、皇暦2599年には試験機が華僑に持ち込まれるというのが本来の未来の姿。
その後はパルスに拘ったりマイクロ波に挑戦してみたり、あーだこーだと迷走を続けるも……
最終的に鹵獲した王立国家のレーダーを手に入れ、その性能からレーダー網構築を計画して行動を開始するのだ。
しかも、それはなんだかんだ成功しており、皇暦2605年の頃には本土には最大200kmの距離による対空レーダー監視が行われていた。
殆ど意味なかったが、空襲警報は敵機の集団を目視して警報を出していたわけじゃないんだぞ。
皇国最大の失態は、開発者として召集すべき人物が皇国内にいたことを知らなかったこと。
有名な"YAGIってなんだ"――の問いかけに対する"お前らの国の人間のことだ!"――とは、この鹵獲レーダーのマニュアルにYAGIの文字が入っていたことに起因する話。
しかし!
俺がやり直した皇暦2599年5月現在、九州の空襲を教訓に多額の予算を取り付けることに成功していた上、電波送受信技術に関してNUPの技術を保有する芝浦電気と東京製作所の双方がレーダー開発に参画した影響で、すでに超短波警戒機甲は実用化。
さらに進化型レーダーであるマイクロ波レーダーの開発も加速している。
この成功の背景にはやはりというかG.Iが関係している。
王立国家のレーダー網を支えたマグネトロンを生産していた企業こそ、他でもないG.I社。
京芝も製造可能だったし、技術書類も保有していた。
王立国家の対空レーダー網を支えたマグネトロンの量産は可能だったのだ。
王立国家のレーダーはG.Iの電子機器とヴッカースの各種機器で構成されている。
つまり皇国がこの大戦を乗り切る上で、半ば救世主というか、四次元ポケットのようなものを保有しているのはG.Iに他ならない。
レーダー網をこさえるためのマグネトロンも。
NUPを支えた2段式排気タービンも。
B-29が搭載した火器管制装置も。
七面鳥撃ちを実現化させた近接信管も。
全てG.Iの製品群。
そのG.Iの子会社で、マグネトロンなどを生産する芝浦電機と東京製作所を早期から軍需に関わらせたら殆どの面でどうにかなってしまう。
皇国の未来を切り開き、勝ち筋を見出すための企業こそG.Iに他ならず、この企業とは何があっても繋いだ手を離すわけにはいかないんだ。
陸軍は遅れていたと言われるほど遅れていたわけじゃないからこそ、それを開発できるだけの技術力を持つ企業が皇国内にいるからこそ、キ47に搭載できる存在だって作れたわけである。
おかげさまで電探技術が再び着目されるのは皇暦2602年ごろとなってからだったのを前倒しし、 現在の皇国においては、マイクロ波レーダーを正式採用化している。
現在の皇国の電探は開発の大幅な前倒しにより、芝浦電気と東京製作所の共同製作品が33kmの有効射程を誇っており、キ47では軽量化のため、10kmタイプのものが装備されていた。
P-61に搭載されたタイプが13kmまで計測できたらしいが、皇暦2599年段階で全方位45度の10kmというのは早期警戒機としても破格の性能。
アンテナを動かすことが出来ないので王立国家やNUPのように90度とできないが、敵の数すらわかるのだ。
これを活用したダイブ攻撃により、試作段階の零は未だに1度たりともキ43&キ47の2機編成によるアグレッサー部隊に勝てたことがない。
あまりに好成績を収めたために海軍もレーダーについて理解を示し、統合運用計画により艦隊にも相次いで搭載が計画されているほどであるが……
それでも……末期の皇国が保有していた電探を5年前倒しで手に入れたに過ぎなかった。
性能は皇暦2600年を境にG.Iが開発する超高性能マグネトロンによって一気に距離が伸びるとは思われるが、2600年の戦況が不透明だし、そもそもマグネトロン自体は同じものを使っているのに、距離が短い原因が不明だった。
まあアンテナまでG.Iは作っていなかったからな……
小型低出力のものなら13kmに対し10kmなど割かしそれなりの性能になるのだが、大型化すると途端に精度が落ちて30km前後しか確認できない。
キ47は大戦末期のレシプロ航空機と遜色ない性能だからいいとしても、防空レーダー網などを構築するためのレーダーがこれでは話にならない。
その4倍の距離を送受信可能とするアンテナその他を王立国家は現段階にて保有している。
つまりこれは、艦隊の探査能力が水平線の彼方まで行えることを意味していた。
皇暦2600年代の王立国家は例えば相手の戦艦の艦橋が海抜40mほどの高さがあったと仮定し、こちらもレーダーアンテナを海抜40mほどの高さに設置した場合、最大40km先の敵を捕捉可能であった。
これは同じく艦橋が40mある大和が40km先の敵艦の艦橋を目視できるのと同じ理論であるが、レーダーアンテナは艦橋以上に高くすることが出来、その分艦橋を低くすることが可能。
未来の軍艦の艦橋が低い要因ともなっている。
しかもレーダーはこの時、視界がボヤけていても捕捉できる。
大和の最大射程はこの艦橋40mに対し、敵艦の艦橋の平均の高さも40m程度なのだから、40kmぐらいの射程を誇る主砲をこさえようと46cm砲を装備したのである。
だが、大和は沈む直前でですら24kmまでしかレーダーでは捕捉できない。
最大射程に関しては、航空機との連携による弾着観測射撃以外に手がない。
つまり"たぶんそこにいると思う"みたいな目隠しをしたような状態でなければ、大和は最大射程攻撃ができなかったのである。
まるで46cm砲の意味がない。
しかし40km先にいる敵を見つけた大和は、王立国家のレーダーがあれば38kmの最大射程を活用できる。
そればかりか設置位置を調整することで、150kmの範囲で航空機の飛来を確認できる。
ここでようやく大艦巨砲主義が踏ん張れるかどうかといった状況に持ち込める。
例えば大和を沈めたくないばかりに後方に護衛空母とともに配置していたとしても、46cm砲の有効射程マージンを活用し、後は現場の砲術官の努力によって着弾観測と平行しながら戦えれば、大和も化ける可能性は十分にある。
動く敵にはどうにもならないとしても、対地支援攻撃という手もある。
こんなもの欲しくないわけがない。
王立国家は、レーダー網構築の重要性を説きながらも、今回の秘密協定に参画する国家全てにレーダー網構築の提案と共にレーダーの提供を行うと宣言したのである。
それは皇国も唱えていて、実験機を華僑に持ち込んで試験すらしていたのだが、現時点で150kmの最大射程を誇るレーダー。
こいつを手に入れるということは、文字通り艦隊戦において最強の戦艦を持つ皇国が、対艦ミサイルや巡航ミサイルが登場するまでの間、最後の悪あがきを見せることができるかもしれない存在であると共に、早期警戒機を作り、常に海上や陸上を飛ばして警戒を続ければ、相手の進軍に対して先手を打つことができることも意味する。
当然東亜三国がこの提案を拒否することはなく、双方の首脳陣が細かい詰めの調整を行い、防共協定の内容が決定される。
要約した内容はこうだ。
1.五ヵ国において戦闘が発生した場合、各国での協議の下、国際連盟にて非難決議を行った上で即時戦闘に加担する。
2.尚、この時王立国家が第三帝国に攻め込まれた場合は、防共協定の一部破棄をアペニンと皇国が共同で宣言。
アペニンが第三帝国に攻められた場合も同様の措置とする。
3.外蒙古が南に進軍を開始した場合も王立国家とアペニンは加担し、防共協定の即時表明を行い、協定内容を公開。
国際社会において5ヵ国のどれかに攻め込む国家の孤立を画策する。
4.五ヵ国は札幌・東京五輪と皇国万博への支援を可能な限り行い、これらの参加を表明することを絶対とする。
世界的な参加を全面的に促し、世界大戦の開戦を可能な限り遅らせる。
5.NUPとは可能な限り支援を引き出せるよう首脳レベルでの会談を行い、その情報は5ヵ国内にて常に共有する。
6.工業技術の発展が遅れているアペニン、統一民国においては、他三ヵ国が可能な限り支援を行う。
以上をもって王立国家とアペニンは東亜三国を歓迎した上で、東亜・ユーグ五ヵ国連合体を形成し、可能な限り連合体の規模を強化、拡大するに努める。
これにより、事実上の東亜三国同盟が五ヵ国同盟に強化された内容となった。
五ヵ国は運命共同体となって大戦へと挑む。
一体どういう未来が待っているのかは……俺にすらわからない。