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第40話:航空技術者は皇国最強の流体力学研究者達と協議する

「やあ信濃くん。久方ぶりだなぁ!」

「谷教授。お久しぶりです」


 実際には2年ぶり程度のはずなのに、久しぶりどころではない気がするほど長い間会ってなかった気がする。


 とても不思議な気分だ。


 記憶に刻まれた情報では教授に最後に会ったのは30年前。

 今から40年後の未来のことだからなのだろう。


「君のこさえたキ47だがね、技研の技師に頼んで設計図を見せてもらったよ。なんというかね、とても斬新だ。私の理解を超えている構造が多くあったよ。皇暦2590年のプラントル博士の来訪の時を思い出したね」


 すでにキ78の話が伝わっている谷教授は、キ78のためと言って取り寄せたのかキ47の設計図を入手していた。


 山崎の意思を確認してから1週間。


 キ78の計画についてまとめた俺は西条に依頼書を出してもらい、航研のメンバーに研三委員会を組織してもらう予定で計画を進めている。


 今日はその打ち合わせのために航研に訪れ、谷教授が知りたがっているキ78の諸所の設計部分の理論について説明しにきたのである。


 航研に訪れたことで驚いたのだが……


 谷教授に会う前に他の者と話を交わしたところ、現状ですでに委員会のメンバーなどは策定できており、あとは細かい調整だけだそうだ。


 全ての計画の進行が早まっており、全体の計画は本来より1年ほど前倒しになる見込みだ。


 また、俺がこしらえたことですでに基礎設計は終わっており、試験機の完成は年内を見込んでいる。


 加えて西条からも皇暦2600年内の試験飛行を目指すよう頼まれていた。


 もとより俺もそのつもりである。

 2602年頃までにおけるジェットエンジン機の実用化は絶対目標だ。


 一番重要な部分はあらかた終わっているため、航研メンバーには細かい設計や調整などをしてもらうことになっている。


 航空機においては基礎設計より、そっちの方が実は非常に重要なのだ。


 ちょっとしたヒンジのでっぱりが最高速度を10km落とすなんてことがありうる。

 それらを徹底的に排除していくわけだ。


 無論、製造時にもメーカーの勝手な設計変更は認めない。

 一切認めさせない。


 後の時代においてはメーカー自体が法則性を認知し、どういう性能とするかで軍設計部門と協議するようになれる。


 しかし、今の時点ではメーカーよりよほど技研や航研の方が空力特性については詳しい。


 メーカーはどちらかというと製造時の簡便さを求めようとするが、量産機ではないのでキ78においては認めない。


 それにしても懐かしい顔ぶれが揃っているな。


 航研機メンバーを中心としたこの研三開発については、俺が技研として航空機設計に初めてきちんとした形で関わった仕事でもあった。


 あの時の俺は足を引っ張ってばかりであったが、今は逆にリードする立場というのは不思議なものだが……


 彼らは皇国において技研と並ぶ航空機研究の先端をゆく者たち。


 量産化など不可能な構造をあえて採用することで、未来的な軍用機でないからこそ出来るような設計を提案したりしてくるのだ。


 例えば量産を前提としないならDB601の空冷化だってできるのが皇国だ。


 さほど知られていないが……きちんと稼動する1200馬力の空冷DB601を作ったりした。


 それは航研ではなく別の研究所だが、東京飛行場の近くにある航空機メーカーがこさえたもの。


 軍用機が信頼性や生産性を重視するところ、航研などはこういった量産よりも理論の実証を目指し、日々研究しては航研機などをこさえて飛ばしてきたわけである。


 新たなキ78を作るにあたってこれほどうってつけの人材や組織はいない。


 ……にしてもプラントル博士か。


 谷二郎教授も感銘を受けたと言われる皇暦2590年の彼の講演には、技研のメンバーも多く参加したという。


 彼が唱えた空力理論が後の層流翼型の発見に繋がる。

 簡単に言えばこういうものだ。


 針金で吊るした球体で風洞実験を行う。

 この時の空気の流れは非常に悪く、球体の後部には乱流が発生。


 水蒸気やドライアイスなどで白い煙をあてがえば肉眼で確認できるが、球体の直径より膨らむ形で白い煙が広がっていく様子が確認できる。


 すると博士は、この時針金を球体の中央部より風の当たるやや前方に巻きつけてみた写真を出した。


 一見すると抵抗が増加し、球体の後部はさらに乱流によって乱れた状況になるように思える。


 しかし違うのだ。


 こうすることで後部の乱流が抑制され、球体の直径より空気の渦が広がりを見せることがなくなる。


 より抵抗が減るのである。


 これが流体力学の黎明期における、空気抵抗の不思議というものとしてプラントル博士が提唱した"境界層"と呼ばれる、当時は謎の現象であった。


 この謎の一部を解いた人間こそ目の前にいる谷教授だ。


 谷教授は、空気というものは水と同じく物体にへばりつく特性があるのだと考えるに至った。


 コップに注いだ水がある一定の量まで耐えようとするのと同じということだ。


 流体力学的な法則を突破しない限り、コップの表面で水は溢れないように耐えようとするわけだが……


 物理学による計算の果てにその結論に達するのだ。


 針金を球体に巻きつけた際、一見すると増加するように見える大気は気圧差によって球体に押し付けられ……球体の直径より広がることなく後方へ移動している。


 これは航空機の翼などに近い原理であるわけだが、谷教授は数式にて導き出したのである。


 そう、キ35で俺がやったエンジンカウル構造。


 通称ロケットカウルなどと呼ばれる推力単排気管の仕組みこそ、まさにこれを応用したものに過ぎない。


 一見して抵抗が増えるようで、総合的には抵抗が増えない。


 気圧差という存在を紐解いていけば、乱流はいくらでも計算した上で抑制していける。


 ただ、航空機の場合は常に一定方向に風が流れるわけではないからこそ、胴体設計などの計算が難しい。


 そもそもが乱気流という言葉があるように、気流自体が安定したものではない。


 音速を超える上で相当に苦労したのが気流制御なぐらいだ。


 一定方向にしか風が吹かぬというなら単純な構造にするのはいくらでもやりようはあるが……


 激しく風向きが変わりつつもそれを制御しようとするには、全方位で予想して計算しなければならない。


「私が試みたのはあくまで表面剥離をいかに抑えるかというだけですよ。技研の風洞実験施設を使ってとりあえず試してみただけです」


 実際に検証をやってないわけではないが無論嘘。


 本当は先の先。


 これから60年以上も流体力学と向きあい続け、諦めることなく挑んだ今がそこにあるのだ。


 俺の頭の中には、多くの俺と同じ道を歩んだ者達による足跡が刻まれている。


 谷教授を含めた多くの皇国の技師、これから誕生していく世界中の技術者、研究者。


 ありとあらゆる者達が挑み、発見し、改良していった先の技術を俺は知っている。


 目をつぶるだけで計算式がいくらでも出てくるほどに。

 キ47はそれを皇暦2600年代頃の技術で可能な限り再現しようとしたものに過ぎない。


 それでもキ47は応えてくれた。

 6kmという最高速度を犠牲に可能な限り俺のスペック通りになった。


「信濃君には先を越されてしまった気がするなぁ。君は才能溢れる若者だとは思っていたが、技研No.1ではないかな」

「恐縮です」

「お世辞じゃないからね。随分番号が飛んだようだが、キ78なんかさっぱりだよ」

「いやあそんな……」

「ところで信濃君は双胴型に拘りがあるのかい?」

「いえ。機体強度など運用上の合理性を求めた結果、そうせざるを得なかっただけです」

「やはりそういうことなのか。やや非効率だものな」


 予め送付しておいたキ78の設計図を取り出した教授は、各部の構造についてどういう理論であるのか確かめたいとばかりに嬉しそうに眺めている。


 一応、全ての構造については計算式を記載してあるので、物理的には大体わかるのだ。

 谷教授は数式だけで機体のスケッチを描けるような人物。


 いや、突出した流体力学のスペシャリストというのは、計算書だけで図面に書き起こせて当たり前。


 技研の技術者やメーカー設計者も最低限これぐらいはできるが……


 彼の場合は各部の空力特性まで把握できているほどで、計算書を見れば俺に代わってキ78について技術者に説明できる力すらある。


 皇国の流体力学においては谷教授こそが最も理解ある者。


 彼が航研機のために設計したプロペラは皇暦2640年頃のものと遜色がない。


 可変ピッチでないにも関わらずあれほどのものをこさえることが出来るのが、谷二郎と呼ばれる皇国最強の流体力学研究者なのである。


 巡航速度での効率86.8%


 この86.8%というのは仕事率を表す。

 飛行速度×スラストをトルク×回転数で割ったもの。


 可変ピッチプロペラは、この効率をどの速度帯においても高効率とするためのものであるが……


 優秀なプロペラは可変ピッチとせずとも常に80%をオーバーできる。


 谷二郎教授が設計したプロペラは巡航速度にて最大の効率を発揮できるわけだが、例えば巡航速度時の馬力が700馬力だったとした場合、プロペラはこのパワーの86.8%を推力として発揮しているわけだ。


 俺が常日頃陸軍機においてプロペラ径を増やせとメーカーや技研の者達に声を大にして言っているのは、このプロペラの効率が悪すぎるからである。


 馬力があるエンジンを積んでいればそれだけで速度が出る世界ではない。


 後に陸軍、海軍共に気づきはじめるわけだが……


 流星や彩雲など、プロペラ径を増大させた機体は、プロペラ効率の向上によって速度が増加した。


 仮にハ45が1600馬力だったと仮定して、それまでの機体はその1600馬力のうち7割5分程度しか推力に変換できていなかった。


 これを8割以上にもっていった事で、流星や彩雲は思った以上に快速となったのだ。


 俺の機体がやたら静かだと言われる最大の要因は航研機と同じく高効率プロペラの採用が大きい。


 特にCs-1なんかジェットエンジン特有の高音ばかり聞こえてくる。


 陸軍将校が怖がって近づかない高音ばかり聞こえるのは、むしろ高効率プロペラである証拠なのだ。

 ターボプロップではこれが理想。


 回ったプロペラの低音が聞こえなければ聞こえないほど、無駄なくパワーと燃費が優れると思ってくれていい。


 ターボファンエンジンも静穏性が増していったので、俺がやり直す頃には幾分静かなエンジンが増えてきていた。


 キ43、キ47のプロペラは3翅可変ピッチプロペラだが、一郎がこさえた零よりよほど効率がいい。

 プロペラ径が大きいからだ。


 一郎も雷電の頃になるとそれを意識しはじめるのだが、零の頃はありとあらゆる部分で制約を受けてどうしようもなかったのである。


 その事については後年嘆いたりもしているほどだ。


 ただ、プロペラ効率に関しては航研機のデータなどが大きく影響しており、航研の航研機に関わる論文発表は実は世界にも影響を与えている。


 なぜ敵軍を高速化させるような技術を公開しているのに国内では出遅れたかというと、空力による速度増加が数%単位だと聞いていたので、それよりも生産性だとか、小型化だとかに拘ったせいである。


 当然諸外国の捕虜から"なんでお前達は航研機で試したことを実機でやらんのだ!"――などと技術者系の者達がその誇りにかけて激怒したりしたことで……


 "もしや数%を積み重ねると大変な数字になるのでは?"――なんて……当たり前の事に気づいた頃には海軍は空母の大半を喪失。


 陸軍も相次いで撤退戦なんて状況になっているのである。


 せっかくキ35でプロペラ径を増やし、より高効率なプロペラとしたのに彼が十二試艦に採用しなかったのは大変に残念だ。


 目の前にいる谷教授は皇国の風力発電などに多大な影響を及ぼした人間なのだが……


「――そんなに難しいものではないです。基本は気圧差を用いているものですから。流体力学よりも大気力学のほうが説明しやすいもので――」


 計算式だけだとよくわからない部分もあるため、俺はそれとなーく理論について谷教授に説明する。


 ヘタに語ると他者の偉大な発見を阻害する恐れがあったためだ。


 彼らには敬意の念があるからこそ、上手いこと誤魔化した。

 理論化はせず、数値化で誤魔化す。


 世の中には知ってたのになぜか発見として公表しなかったという、A-1スカイレイダーの生みの親のようにエリアルールなど一連の法則を早期より知りながらも、死した後に公開するような者もいるのだが……


 俺も同じ立場でないとマズいと思うので、何とか話をまとめる。


 ◇


「――そういうことか。胴体構造のくびれはそんな意図があったのか」

「確かに、教授がおっしゃる通り胴体はなるべく均一の形状の方が好ましいです。胴体を先細りさせるよりも一直線に同じ直径のまま処理する。この方が乱流が抑制できます。ただ、この形状であればこのように垂直尾翼に風が向かうので」

「より機体が安定するわけだね」


 黒板に数式を並べ、コックピット付近の風の流れを図と数式で説明する。

 いつの間にか他の航研のメンバーも集まってきていた。


「基本的にキ47と同じです。私の設計は機体の安定性を重視してますので」

「東京飛行場に訪れた操縦者が言っていたよ。キ47とキ43はこれまで体感したことのないぐらい飛行中の安定性が高いと。まるで振動しないらしいね」

「教授の発見の賜物ですよ。今回の研三もよろしくお願いします。教授なら構造を見ただけで問題があるかどうかわかると思いますし、自分は他の機体にも関わらねばならないので……」

「信濃君はもう皇国の翼だな。それも層流翼そのものだ。わかった。山崎の技術者には僕から喝を入れていこう。機体構造については航研も口出しできるぐらい金属特性には理解がある」

「よろしくお願いします」


 俺が航研に訪れた理由は、キ78において谷教授の協力を仰ぎたいからであったが、谷教授はそれを快く受け入れてくれた。


 そればかりか、一連の話し合いの中で谷教授はキ78の胴体構造の一部を変更し、最高速度を734kmと見積もって改良してみせるという芸当を見せる。


 俺の計算ミスではなく、彼が思いつきで計算してみたところ、俺よりさらに上を行く構造に変更してみせたのだ。


 流体力学的に見てもこちらの方が効率がいい。

 谷教授は胴体側面部の構造をさらに洗練させてみせたのである。


 あくまで凡夫な人間が経験と努力を積み重ねただけなのに対し、やはり才能という面で彼の方が上回っているのだと痛感させられる。


 発想力が違う。

 器というものが違う。


 結局、天才というものに凡人は敵わないものなのだ。


 だとしてもそんなことでヘコたれるわけにはいかないが……


「よし。8割ほど機体構造については理解できた。細かい点についてはまた伺ってもいいかな?」

「よろしくお願いします」


 キ78は基本的に航研を主体としながら、俺の設計を山崎に作らせることになっている。

 俺は一郎と組んでの海軍での仕事が出来て忙しくなったためだ。


 キ78の面倒を常に見ているわけにはいかない。

 だから谷教授の力を借りるのである。


 そんなキ78の構造は従来の俺の設計から逸脱はしない。


 違いがあるとすれば、主翼の主桁が1本であること、それが前進角をもっており、まるで長島の航空機のようであることぐらいか。


 Cs-1はターボプロップエンジンであるが、俺はこれの排気流を揚力としても活用する設計としている。


 その分、翼を短くして飛ばしている。

 主脚なども最低限の設計。


 ただし、機体後部の尾輪はそれなりのものとし、飛行中は折りたたんで機内に収納できるようにした。


 通常なら尾輪は出しっぱなしだし、Pond Racerも小さい尾輪を固定式としているが、俺の場合はプロペラ径増大のため尾輪も収納式に改めている。


 ……というか全体構造は似ているようでPond Racerとはかなり違う。

 あれは単なる原案という立場でしかない。


 コックピットの風防は取り外し式にすることで一体成型とした。

 プレキシガラスならどうにかなる。


 コックピットは普通にファストバック方式。


 当たり前だ。

 高速試験機とは普通そういうものだ。


 パーツは可能な限りキ43やキ47から流用。


 3割ほど共有パーツがある。

 ただ、キ47よりかなり小型。

 そして重要なのがこれから。


 本家Pond Racerは様々な機器を積んで4500kgを軽くオーバーする重量があったが、俺の機体は3200kg程度しかない。


 なぜか。


 Cs-1が非常に軽いからである。

 2基で原案となった機体のエンジン1基分しかない。


 おまけに割り切った設計にもしているからである。


 原案の機体はコスト削減のためにFRPなどを多用していた反面、お世辞にも重量は軽いとはいえなかった。


 エンジン出力はレース制限規定によって片側660馬力。

 これで時速640km以上で飛べた。


 俺は700kmオーバーを目指すため、なるだけ軽量化しつつ、機体構造自体はキ35のようなことはせずに何度も飛べるようにそれなりの設計としている。


 正直言って、一郎の零よりよほど頑丈である。

 それでも3200kg程度なのだ。


 まあ燃料だのなんだのみんな割り切っているのでそうなる。

 これはレース機ではないので、レース機よりも燃料容積等を削減できるからだ。

 よって800km程度の航続距離しかない。


 でも速いぞこいつは。


 エンジン抵抗のせいで750kmには及ばないが、皇国初の700kmを超えられるぞ……


 山崎がちゃんと作れば……だが。


 一連の設計を数日ほど谷教授と煮詰めた俺は、技研を一旦離れ、西へ向かうことに。


 向かうは海軍工廠である。

 ことの始まりは谷教授のいる航研に向かう2日ほど前であった――

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