第32話:航空技術者は電熱装備のために絶縁材料を考える
「信濃技官! 上空の温度が低すぎます!
これでは寒くて凍えてしまいます!」
年が明けた皇暦2599年1月上旬。
いよいよ始まったキ47による高高度飛行試験にて、これまで俺が懸案事項としていた防寒問題が露呈した。
その日は丁度日本の高度1万m付近にその年最大の寒波が訪れた日。
上空の気温は-34度にも達し、飛行中のキ47の機内ですらも体感温度-30度にも達した。
元々ガラスと異なり曇りにくい風防などは特に問題がなかった。
しかしこの時点ではまだヌートリアによる飛行服は皇国内に存在しない。
ウサギの皮などを用いた陸軍の飛行服は-30度以上に耐えられるわけもなく、さすがの陸軍将校達も根性論を展開するわけにはいかなかった。
なにしろ南極や北極の真冬並みに寒いのだ。
そんな所に海軍のごとく"心頭を滅却すれば火もまた涼し"――なんて理論を展開してみるがいい。
上官に1度飛んでいただきたいと言われて飛んでみて考え直す羽目になる。
本来ならば、この時点での皇国は高度1万mという未知の世界には挑んでいなかった。
もはや酸素マスクがなければ気を失ってしまう高度。
この世界において寒さまで襲ってくるとなると全ての感覚が鈍る。
丁度キ47が完成したのが真冬で助かった。
真夏なら何とか耐えられると言って対策を講じる必要性がないと判断されかねなかった。
俺はかねてより西条に必要だとは言っていたが、西条達は感覚がまるでわからんとして見送っていた経緯がある。
キ47はすでに2号機もロールアウト。
2機編成によっての高高度試験が行われたが……
どんなものかと陸軍将校らも複座型の後部座席に乗ってその寒さを体験した。
その結果、高度1万mでは風に晒さずとも1時間以上飛行し続けると、地上から持ち込んだ牛乳が見事なアイスクリームになることが判明。
これまで根性論でどうにかしようとしていた陸軍将校も、比較的温度が保ちやすい後部座席ですら真冬の極東以上に寒い世界に誘われ……
考えを改めるに至った。
◇
「けほけほ……うぅ……信濃。NUPの航空機にはエアコンが付いているそうだな。
何か手立てはないのか」
鼻声交じりで話す西条は見事に風邪を引いていた。
西条がキ47に乗ったのは理由がある。
キ47を将校達を運ぶ安全な揺り篭。
つまり連絡機として使えないか。
本来の万能機である百式司令部偵察機の役目を、
キ47で試して彼も乗ったからである。
かねてより陸軍は海軍甲事件などを起こさぬよう、連絡機として高空性能があり、速度も速い機体に将校が乗るのが慣例化していた。
実際それによって指揮官が死亡する事件は末期まで最小限とできていた。
キ47は現時点で皇国内にて最も優秀な高空性能を備えており、大急ぎでハ43+排気タービンを装備中の百式司令部偵察機は飛べる状態にないので、当然の措置ではある。
しかしキ47は高空性能がB-17以上だった。
最高高度1万1000mなど普通に到達できるその性能は、もはや寒さによる根性ブレーキによって最高高度が不明なほどであり、西条は行ける所まで行ってくれと頼んだところ……
ご覧のように鼻を真っ赤にするほどの風邪を引くに至ったのである。
「方法はあります。1つは与圧室とヒーター。
正直これはコストや重量面から推奨できません。
与圧室は山崎が研究中ですがまだ試作段階にも至っていません」
「他には?」
「B-17と同じです。電熱装備です。有り余るハ43の発電能力を電熱服に回します」
「感電しそうな気配があるな。一体なんなのだそれは」
電熱服。
一体何時から登場したのかはわからない。
ただ、一番最初に装備したのは航空機パイロットであることはわかっている。
高空性能が上がるにつれ、諸外国でも寒さは最大の問題となった。
歯が噛み合わぬような状態でまともな戦闘などできるはずがなく、様々な方法が考案される。
旅客機であれば与圧してそこにヒーターもかますという方法があるのだが、軍用機では重量物となるのでそうもいかない。
皇国でまともなヒーターと与圧室を持っていたのはキ108などだが、当然にして増加した重量が足枷となっていた。
電熱装備を最も早く導入したのはNUPと言われる。
最初に導入されたのはB-17ではなかったそうだが、服の中に電線を仕込み、ホットカーペットの要領でもって服全体を温めた。
その後、B-17を含めた高空性能を誇る機体の大半がこの方法でもって寒さを解決したのである。
一方の皇国はキ83などですらヌートリアで作られた服と侍魂で乗り切った。
そんなのキ47でも継続するわけにはいかない。
なので電熱装備を作る。
半世紀後あたりから二輪車のライダーなどが活用する電熱装備。
これを現代で作るのだ。
「ふむ。電気系は割と弱いとは言っていた貴様だが、どうにかするのだな?」
「正式採用時に間に合うかどうかはわかりませんが何とか」
「わかった。予算を組もう。風邪が悪化して死にたくはないからな」
確かに。
この時代に風邪からインフルエンザへと至れば普通に死ぬ可能性がある。
心の中を燃やしたって体温は上がらないんだ。
やるしかない。
「はっ! 電熱装備承りました! では私はこれで!」
「頼んだ」
◇
さっそく技研に戻った俺は電熱装備について技研の技術者と話し合うことになった。
一番手っ取り早いのがNUPを経由してNUPの電熱服を輸入してくる方法。
ただしこれは再現できるか不透明。
おまけにNUPの絶縁技術は皇国より幾分劣っていて、まるでダルマのような状態となってしまい、身動きが取れないと非常に不評なのであった。
B-29に与圧室とヒーターが付与された最大の理由がこれである。
などというと"アツタとかで皇国も酷かったのではないのか"――と言われるが、全くもってそんな事はない。
皇国の絶縁技術は当時先進国と並んでおり、戦後も世界と並んでいた。
アツタの絶縁技術の問題はそもそもがアツタ自体に問題があったのだ。
絶縁材料。
最も最初に考案されたのは当然ゴムである。
このゴムによって絶縁されたケーブルを最も大量に戦争に活用したのはどこの国か。
皇国だ。
皇国海海戦では王立国家から大量輸入した海底ケーブルが台湾などにまで接続されていた。
そして、その海底通信ケーブルは現在、統一民国との和平条約により華僑全域とも接続される予定だ。
この時代、すでにゴムの絶縁能力は判明していた。
だがゴムにはとんでもない弱点がある。
絶縁材料業界にはかねてよりこんな格言がある。
"絶縁材料に合成樹脂が使えるのは、単純にコンデンサーメーカーの技術発展によるものに過ぎない"――と。
皇国ですらコンデンサーの破損によってケーブルのゴムが融解し、火事などに繋がった事件は俺がやり直す前の時代にすら存在するほどである。
絶縁材料とは即ち、絶縁材料が優れているというよりも、いかに材料の耐久値を超えない範囲の電流を正しく流せるかにかかっている。
皇暦2610年。
戦後の皇国においての絶縁材料の研究においては、
漏電の法則性の研究とコンデンサーの研究、双方が並行して行われ、電線などの技術が発達した。
これこそが後の電車大国を支える要因ともなったわけだし、そもそもが現時点で他国よりも電化が著しい我が国の絶縁技術が諸外国に劣っているわけがなかった。
そんな鉄道関係を中心として使われる電線については絶縁紙。
つまり紙が使われている。
これは皇暦2550年代に共和国で開発されたもの。
ロウソクを製造する際に副産物として大量に発生するワックス。
こいつを紙に浸透させ、絶縁体とする。
まずはケーブル本体部分の2本の銅導体にこれを巻きつけ、さらにその2本のケーブル全体を覆う銅導体本体にも紙の絶縁体を巻きつける。
これを金属の耐腐食性の高いワイヤーで囲う。
これこそ、将来の電線の元祖である。
この部分を合成樹脂に置き換えたものが、今日の……違った。
未来の俺たちが知る電線だ。
しかも将来の電線よりもこいつの耐久性は高かった。
どれだけかというと、耐久年数42年以上。
実際に共和国では付け替えせずに再開発の時まで使い通した。
その後も試験的に共和国で試したところ半世紀以上は保ったとのこと。
この構造の電線は後に世界のスタンダードとなり、皇国にもこれが採用されている。
となると不思議に思われるだろう。
なぜそんな耐久性に優れる電線が現在存在しないのか。
それはこの時代の電圧が低かったこと。
電圧が高電圧になればなるに従い、電線は太くなる。
しかしこの構造では一般的な将来の電線の3倍~4倍の重さ。
巻きつける紙の量は電圧が上昇すればするほど増やさねばならない。
どんどん重量が増す。
コストよりも単純に強風などが吹き荒れる電線業界においては、この方法は優れているとは言えなかった。
とはいえ、あまりに耐久性が高いため、今日でも要所要所でこの時に開発された方式のものが活用されている。
発電施設内部とか、地下電線とか。
とにかく耐久性が欲しいとなると合成樹脂なんぞよりも絶縁紙のがよほど信用できる。
そもそもがコイツが誕生した背景には、当時のゴム絶縁の限界が関係していた。
この電線が開発された経緯には電車と密接な関係がある。
各地の電化が進む状況の中、未だに蒸気機関車も併用されて活用されていた時代。
ゴムによる絶縁がなされた電線は夏になると絶縁能力が鈍るばかりか、蒸気機関車から排出される煤煙とシンダによって融解してしまい、度々停電事故などを引き起こした。
ワックスなどを併用したこちらは耐熱性が抜群。
温度が一定で、かつ耐水性が必要な海底ケーブルなどには引き続きゴム絶縁が用いられたもののの、電化区間における電線はこちらが最優とされた。
これがアツタとハ40にこの方式のケーブルが採用された最大の理由である。
皇国製の空冷エンジンには基本的にゴムが多用されている。
燃料ホースなど、その他大量にゴムが多用されている。
当然スパークプラグなどの電熱線もゴム。
だがこれは空冷だからこそ出来た措置なのである。
液冷エンジンは、液体での冷却が基本。
循環する水はエンジン内部のみでエンジン外部は空冷エンジンより、より高熱となる。
機外に配置されたラジエーターによって外部から外気を取り込んで冷やす方式は、単純に風でもって冷やす方式とは比較にならない温度となっていた。
諸外国ではこのケーブルを高熱化させないためにエンジンカウルの構造を調整。
しかし冷却水すら真水を使っていた皇国では、諸外国のような構造としてもエンジンが冷えない。
結果、諸外国と同じケーブルでは耐久性が足りなかったのである。
皇国は後の乗用車でも同様の問題を起こしたりする車種があるほどで、それが自動車業界では"熱量の低いエンジンを作ろう"――と考える機運を生んだほど。
日本初のジェットエンジンであるネ20などですらゴムの電線なのにも関わらず、ハ40やアツタが絶縁紙だった原因はこれであった。
そしてここで絶縁紙の弱点が露呈する。
絶縁紙は従来なら風雨には強い。
外側の防錆ワイヤー式カバーが風雨を防いでくれるためだ。
しかしこんな重量物は航空機に搭載できない。
そのため、アツタではむき出しの絶縁紙となってしまった。
結果、真水などの影響でエンジン付近の湿度が高くなることで、電装系でショートが多発。
これこそがハ40とアツタの電装系の不具合頻発の原因である。
そもそもが電装系なら空冷エンジンも備える所、それらがまるで空冷エンジンには問題とならなかったのだから……
アツタやハ40で問題になるならば、そちらでも不具合報告がなければおかしい。
無い理由は単純にエンジンが欠陥品だからだ。
エンジンが当時の技術的な解決では不可能な代物だったからだ。
俺はキ47を作る際、国内では最強のコンデンサーメーカーであった京芝こと芝浦電気とタッグを組んでいる。
だから電探系含めてキ47はまるで誤作動を起こさない。
本来の未来なら割とショートなどの問題は頻発していた兵器も存在していたが、これも陸軍や海軍が京芝を皇暦2603年頃まで軍需から遠ざけていた影響。
だとすればそれを逆手に取り、現時点で最強の、
NUPや王立国家にすらコンデンサーを輸出するメーカーとタッグを組んでしまえば、そうそうショートなど起きるわけがないのである。
当然冗長性も確保していた。
もはや本国のG.Iよりも優秀なコンデンサーを作れる、現時点で世界一のコンデンサーメーカー。
芝浦電気と手を組み、電熱装備を何とか開発しなければならない。
そのためには、絶縁材料の父と呼ばれる博士を呼ぼう。
後に京芝とタッグを組み、皇国の発電、送電技術を支え、世界をリードできうる人材と称された化け物が皇国にいる。
坂本貞次博士だ。
彼は皇国の電線の父。
皇国史上最強の電線の専門家。
皇国のインフラに一体どれだけ寄与していたかわからない。
彼以上に今回の件を解決できる人材などいない。
彼の弟子たちこそ、本来の未来では大戦後にヤクチアに占領された皇国のインフラに大きく関わるんだ。
コンデンサーは芝浦電気、
新たな電線は坂本貞次博士と協力し、電熱服を作ろう。
さっそく人材を集めねば!
◇
3日後。
電熱服に関わる全てのメンバーを招集し、会議を開く。
彼らには皇国における現在の航空事情をキ47の存在を伏せたまま説明し、高度1万m上空の-30度の世界において手や足、体全体を暖める電熱服をNUPが開発しているので、我々も将来の民生利用にも使えるからと協力を依頼した。
皇国においては戦前、戦後からずーーーっと基礎研究を継続し、ヤクチアから渡ってきた技術を寄せ付けずにインフラを自国で整えた歴史がある。
そればかりかヤクチアがその技術を盗むぐらい絶縁関係については進んでいた。
宇宙飛行技術に活用されたのだ。
真空の世界でも問題なく稼動するケーブル類は、ヤクチアとNUPによる宇宙開発において大変役立ったと言われるが……
外気圧が低く、気温も低く、湿気なども多い世界において漏電を一切起こすことなく、ほどよく発熱する電熱服。
これを皇暦2599年の現在に作りたいと話したところ……
「こういうための研究予算がほしかった!」
――と坂本貞次博士は大変喜んで快く引き受ける。
彼は皇国のインフラを支える電気関係の技師としては最高峰の技術力を持ちながら、常に研究予算に悩んで苦労していたというエピソードは知っているが……もっと早くから彼を手助けすべきだった。
冷静に考えてみれば彼も高速鉄道の開発に大きな影響を及ぼした人物じゃないか。
直接の関わりはなかったが送電施設の発展などに大きく寄与した偉大な人物である。
何をやっているんだ俺は……
「……坂本博士。勅命というわけではありませんが、これは元帥案件です。
予算については一切気にせず、なんとか形にしていただければ」
「私としても絶縁紙や絶縁材料の研究は加速させたかった所です。
協力は惜しみませんよ。発達した電線は皇国を下支えしますから」
「よろしくお願いします」
彼は生粋の工学博士。
戦争よりも民生利用による国の発展の方が重要だ。
なるべくそこは刺激しないようにしつつも、電熱服を作ってもらおう。
◇
電熱服については芝浦電気と坂本博士に任せ、俺はキ43とキ47の調整を続ける。
試験飛行をしては、ここが問題だ、アレが問題だと注文を付けられるが……可能な限り手直しを行った。
並行して手をつけたのが百式司令部偵察機の改良。
ハ33で開発が進んでいたところ、ハ43に変更になったが、翼、胴体、尾翼設計などを改める。
元々空力は洗練されていた百式司令部偵察機は当初より三型相当となった。
武装が一切無い分、小型軽量。
こちらには近海の偵察など、哨戒機として活躍してもらう。
新たに電探も装備されることになった。
次いで頼まれたのが開発が中断された百重爆なのだが……こちらはどうすればいいやら。
一からやり直しか。
出来れば爆撃機は陸海軍統一しときたいんだ。
あっちで陸攻と称するタイプとこちらで重爆とするタイプは統一したい。
西条にアレを提案するか……




