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番外編23:緊迫の査問委員会(前編)

長いので分けます。

「――それでは皆様、お入りください。総統がお待ちです」


 ……ついにこの日がきてしまった。


 1週間前に通達がなされ、自身が記録係として選ばれた時、すべてを覚悟していたつもりであったが……


 日に日に増していく恐怖と不安によって現在の体は鉄のように重く、足取りはちぐはぐでまるで昨日歩くことを覚えた幼児のようであった。


 我々が呼ばれた理由はわかっている。


 とある東の島国に関して重大な技術流出の疑いがあり、その流出に我々が関与しているのではないかと疑われているのだ。


 つい先月公開された皇国の新技術は敵味方双方に大きな衝撃を与え、ついに査問委員会すら開かれる事態となってしまったのである。


 それだけのインパクトのある技術公開であった。

 国家間のミリタリーバランスは確実に変動したと言える。


 我が国の中枢を担う上層の者達は、その状況を静観することなど出来なかったのだ。


 ◇


「閣下、本日はこのような事態に至り――」

「御託はいい! 本件は略式でいかせてもらう。時間の無駄だ。我々の質問に諸君らは答えるだけでいい」

「はっ、これは失礼致しました!」


 開口一番謝罪を述べようとした報告係として呼ばれている同僚は、不満を隠さぬ総統閣下の一声に一瞬姿勢を崩しそうになったが、なんとか姿勢を維持したまま耐えている。


 これはもはや査問ではなく弾劾ではないだろうか……

 とても査問というような雰囲気ではない。


 用意された机に着席した状態で気合でもって空を見上げるように顔を持ち上げて総統閣下の様子を伺ってみると……どうやら職務と並行してこの査問委員会に参加しているようで、しばし書類を読み込んでは何かやら署名など行っているようすであった。


 どうやら質疑応答は別の者が行う様子で、何やらメモのようなものを取り出して読み上げようとしている。


 私は再び目線を下げると、記録用のノートにペン先を押し当て、その時を待った。


「皆は既になぜ召喚されたのかをご存じのはずだ。先月皇国より行われた人造石油製造にかかわる一連の技術公開について、政府及び党としてはIGファルケン社に強い疑いを抱いている。だが、その件について問う前にまずは先日こちらがお送りした試料の分析結果について伺いたい。結果的に皇国が我が国に送り付けてきたガソリンは本当に人造されたものであったのかということだ」

「そちらについての分析結果でありますが、提出した資料の通り、ほぼ100%人造であるということです」

「その理由について改めて口頭にて述べたまえ」

「理由としてはいくつかの物質……特に硫黄成分が検出されなかったことです。現時点において石油などからガソリンを精製した場合、原材料に硫黄が含まれるため、どうあっても硫黄成分が混じります。皇国が各国に配布している試料には硫黄成分が検出できない状態であるわけですが、脱硫技術は未発達であるため、現行の技術において硫黄分を検出できないほど脱硫することは不可能です。そもそも、特許情報等を確認しても皇国は脱硫装置の開発を行っているような様子は見受けられず、また、公開された映像等を確認する限り製造設備周辺にそのような装置があるような様子もございません」

「資料には96.1オクタンと記述されているようだが、つまりこのガソリンはそのままで航空機用途に使えると?」

「そっそれは……」


 様子見だけをするのかと思われた総統閣下が口を開いたことで、報告係として呼ばれた同僚は一瞬戸惑いを見せる。


 会場内は尋常ならざる雰囲気に包まれつつあった。

 ちょっとした失言でもすればすぐに収容所行きであるかのような……そんな張り詰めた雰囲気である。


「そのままの状態では難しいと言えます。レシプロ機関等に用いる場合に保管時等に発生して問題となるガム質の生成を抑制するための酸化防止剤などの添加が必要です。もちろん、製造直後にすぐ使ってしまうというならば話は別ですが」

「その状態だと当然オクタン価は下がるわけであるな?」

「いえ。むしろ逆です。アンチノック剤となる添加剤を同時に混ぜ込むことで、おおよそ96オクタンを維持する事は容易で、100オクタン相当にすることも可能であると思われます。不純物がほぼ全くない状態であるため、成分上のオクタン価以上にアンチノック性能が高く、同じ96オクタンでもノッキングしにくいのではないかと予想されます」

「なぜ?」


 ズバズバと食い込んでくる総統閣下の様子から、誰からか事前に入れ知恵されているのは明らかであった。


 何の知識も無く本人が中心となって問いかけているわけではないようだ。


「オクタン価とはあくまでガソリンそのものの自己着火性の指標でしかありません。不純物が着火時に不均衡な爆発を生じさせ、エンジンのシリンダー内によからぬ影響を与えることは現象として確認されています。より不純物が少ないガソリンの入手が航空機の性能を左右するのは言うまでもありません」

「つまり諸君らはこう言いたいわけだな? 大気中から回収した何か、あるいは工場から出た排気ガスと、あの国においては潤沢に存在する真水を使い、反応炉を用いるだけで高純度かつ不純物が極めて少ない人造のガソリンが作製出来、そして皇国はすでに量産をはじめていると」

「大変口惜しいですが……閣下のおっしゃる通りです」

「皇国のニュース映画を提供したので諸君らも直接見たとは思う。皇国の首相が先日なんと述べたか。公の場で、風と水を奪い去らない限り、我々の生活は脅かされることはないと言い切ったのだ。数年前、皇国海軍が詐欺師に騙されたときには自国内だけでなく周辺国家も嘲笑う状況であった。なんと技術水準が低く技術理解に乏しい者達だろうと。まさか本当に水からガソリンを作ってしまうとは思うまい」


 皇国の西条首相は技術公開にあたり会見の場を開いたが、何よりも衝撃を受けたのは従来まで工場が垂れ流してきた排気ガスを用いていた事であった。


 原材料は排気ガスと、工場地帯周辺を流れる河川から引いてきた工業用水であるというのだ。


 彼は一連の循環を昨今工業分野でも使われはじめた"リサイクル"と称し、世間一般の製造現場における無駄の多さと、その一部を再利用して無駄を削ぐことで大量の人造石油が手に入ることを証明してしまったのである。


 何しろ人造石油の製造所は製鉄所と併設された状態で、製鉄を行う傍ら石油が作製できてしまうというのだから恐ろしい。


 我々は専用の大規模化学プラントにて人造石油の製造所でFT法を用いて石炭から石油を精製しているというのに、彼らはあくまで製鉄の傍らの作業であると言い張るのだ。


 そればかりか、どうやら大気中から回収した何らかの気体と水とでもガソリンが精製できるようで、西条首相は風と水だけで被服を作れる時代であると、実際に精製された人造石油から化学繊維を作って被服に仕上げたものを示した。


 風と水とは、まさにそういう意味である。


「――閣下。水からとおっしゃいますがそれは厳密には正確な表現ではありません」

「ほう?」

「あくまでこれは我々の推論でしかありませんが、使われているのは水素と炭素です」

「水素と炭素?」

「はい。石油の主成分は水素と炭素からなり、現在我々が作製する方法も石炭を水素化させて製造しているものです。魔法や呪術という存在を否定するならば、水素と炭素という存在を無視して人造石油を作り出すことはできません」

「つまり手順の予想はついていると? いや、諸君らは"知っていた"と、この場ではいうべきか?」

「残念ながら知っていたわけではありません。予想や推論でしかありませんが、恐らくは水を電気分解して生じさせた水素と、何らかの方法で抽出した一酸化炭素を用いているのではないかと……製鉄所の排気ガスの主成分は二酸化炭素のはずですが、こちらは極めて強い分子結合であるため原材料として用いるのは不可能に近いと思われます。回収された大気中の成分でも人造石油を精製できるというので、本当にやっている可能性は否定できませんが……」

「社の幹部ではない君を責めるのは酷であるとは思うが、本日は代表者であるために容赦無く言わせてもらおう。はっきり述べたらどうかね。ボッシュ博士の遺した大いなる遺産なのだと……」

「そ、それは」

「君も弟子の一人なのだろう?」


 やはり呼ばれた理由はこれか。


 ただの技師でしかない我々は、IGファルケンの技師であるのとは別にもう1つ、ボッシュ博士の弟子たる元研究員という肩書を併せ持つ。

 

 事前に経営幹部が出てこないのは質問への回答が迅速に行われないであろう事への配慮であると伝えられていたが、そんなわけがない。


 疑っているのは企業ではなく、技師たる我々そのものか。

 ともすると背後で幹部の者たちはすでに身の潔白を証明しているのかもしれない。


「た、確かにボッシュ博士の生前最後の挑戦はメタノールからガソリンを精製する方法であり、皇国が水素と炭素からメタノールを精製し、そこからガソリンを作製しているという可能性は否定できません! ですが、生前博士と共に研究していた私からすれば、博士は触媒がこの世に存在するかもしれないという推定こそしましたけれども、どんな触媒なのかの目途も付けていなかったというのがこの目で見た事実です!」

「それは同僚の私からもハッキリと述べさせてもらいたいと思います!」


 身の潔白を証明せねばならんと思った時、自然と立ち上がって口が開いていた。

 立場を弁えぬ横やりであったが、我慢ならなかったのである。


「彼は秘密主義で自らのすべてを公開していたわけじゃないはずだ。私は良く知っている。彼がユダヤ人を重用してきたことを。それだけではない。ユダヤ人の追放は大いなる過ちとなると目の前で啖呵を切ってきたのは他でもない博士ご本人だ。つまるところ――」

「――恐縮ながら、現在はどこぞへと渡り、当時私の同僚であったユダヤ人の技師達も同じ理解であったと述べさせて頂きたい! 証人たる者もおりませんが、仮に知っていたとしたら博士ご本人だけ。そのご本人はすでに亡くなられている!」

「亡くなる前に託したかもしれないと言っているんだ! 兆候は無かったのか! 確かに私は生前彼にこれから100年間、我々は物理学と化学無しでやっていけばいいと突き放した! あの男なら皇国の敦賀へと亡命していった奴らに託したかもしれない。なんでそう思うかわかるか?」

「存じません」

「人造石油について皇国は全て民生用途に限るとしている。私には覚えがあるのだよ。FT法を用いれば石油不足などどうとでもなると強気の姿勢で彼に語り掛けた時、博士はHB法も含めた一連の技術は戦争のために生み出したものではないと激高して訴えてきた。メタノールからガソリンを精製する方法に関しても、親族には戦争に用いられるならば万が一触媒を見つけたとてあの世に持っていく所存であると述べていたそうじゃないか。この世においてあの世とは別に持って行ってもいい国として皇国という東亜の島国を見出したんじゃないのかね。彼らは約束を無駄に守ってしまう愚かな民族だ。自らの技術が戦争に一切使われることが無いというなら、託してみようと、そう思ったかもしれない!」

「何の証拠もありません。閣下、証拠を示されてから述べられては下さいませんか」


 自分も良く耐えられたと思う。

 一瞬、ならば技術流出の原因は我々ではなく閣下ご本人だろうと叫んでしまいそうであった。


 ボッシュ博士と折り合いが悪かったことは良く知っている。

 生前の博士は口癖のように述べていた。


「人の生活を豊かにしたいだけなのに、我が国には戦争に使おうとする者達しかいない。私の挑戦は未来永劫平和に暮らしたいと願う人々の平和を脅かし続けるだけなのだろうか」――と。


 大いなる矛盾、大いなる責任。

 それに苛まれ続けた博士は悲しみの中で目を閉じ、永い眠りについた。


 博士は東亜の人々に対しても差別なく接しようとする人ではあったが、同時に愛国心に富んだ傑物。

 故郷たる国において、より犠牲者が増えるかもしれないのに安易に技術を流したりなどしないはずだ。


 あるとすれば、単純に従来の研究から触媒を見出していた弟子がいて、その者が全てを取り戻すために皇国に譲り渡したのではないかということだ。


 これは言わねばならない。


「先ほどの横やりのような発言に関しまして失礼致しました。しかし恐縮ながらもう一つ述べさせてもらえませんか」

「構わんよ。弁解の機会を君にも与えよう」

「私達は見出すことが出来なかったというのは事実です。どうやら博士は閣下とは折り合いが悪かったご様子ですが、一方で愛国心のある御方でもあられた。私は博士が託したとは思えません。仮にそうなら誰かが兆候をつかんでいるはず」

「それで?」

「あるとすれば、博士と共に日々の研究に勤しんだ結果、我が国を離れた後に離れた先で新たに出会った研究者達と共に研究を続けた後に独自に触媒を見出すに至ったのではないかという事ぐらいです。もちろん示せる証拠などありませんが、博士はただ我が国の生活を豊かにしようとしていただけなんです。国民を危険に晒すような真似をする人ではありません」

「証拠となる存在ごと皇国に渡ってしまったら君の推理も外れる事になるがな。私には博士が諸君らが思うような人物とは思えんよ。残念ながら確かに証拠は見つかっていないが、私を陥れてそれ見たことかとやるような人間性もあったとみている」


 仮にそうだったとするならやはり責任は貴方にあるだろうと言いたかったが、口は開かなかった。

 自らの命は惜しい。

 まだやりたいこと、やるべきことが沢山あるのだ。


「諸君らの目を見る限り、残念ながらこれ以上問い詰めても無駄なようだな。ならば話を変えよう。同じことは我々にはできないのかということだ。触媒の予想は立てられんのか?」

「残念ながら全く。閣下がNUPなどからこっそり情報を仕入れる事はできないのですか。多少のヒントが無ければ極めて難しいといえる状況です。せめて触媒のサンプルなど手に入れば……」


 再び同僚の方が口を開く。


 私が述べても良かったのだが、報告係として呼ばれた身であり、許されたのは先ほどの弁解までであると思われるので、ここは押し黙る。


 どちらにせよ回答内容は同じだ。


「NUPは本件について完全に口を閉ざしている。以前と異なり表向き彼らとの関係は破綻し、既にお互いの手は離れ、指先が引っかかっている程度の関係でしかない」

「各国に送り込んでいる諜報員からの情報も皆無なのですか」

「天然素材である可能性は指摘されている。最近皇国はやたらと石見と呼ばれる西側地域の方の開発に力を入れていてな。そこはとんでもない田舎で、そこそこ著名な社がある以外に一見何もなさそうな地域だそうだが、鉄道の電化を推し進め、なぜか最新の鉄道車両を投入したりしているというのだ。しかし周辺で採掘されているのは銀であるそうで、調査の結果、銀の採掘以外に何かおかしな事をしているようには見られないとも言われる。外貨獲得のために力を入れているだけなのではないか……とな。それ以外の妙な動きは確認できない。例えば銀が触媒となる可能性は?」

「殺虫剤や殺菌剤に用いられる酸化エチレンの精製触媒として銀触媒は用いられますが、人造石油には使えないはずです。もちろん完全否定するべきではありませんが。これが銅だったというならば話は別です」

「諸君らもSSや軍などの技術者と同じ意見か。銀に関連するような鉱物で何かないのか」

「存じません」

「それでは困るのだよ! "そこらに転がっている石くれ"が、実は人造石油に使える触媒だったりせんのか!」

「ありえます! ありえますが……現状では銀鉱物に関連する何かではないかという推測以上のものは立てられません!」

「くっ……!」


 総統閣下が焦るのも無理はない。

 実は既に皇国は特に信頼できる国家及び組織や研究者にのみ、触媒を提供しているのだという。


 そしてほぼ100%人造石油であるとする根拠の1として、世界の研究者の追証によってその触媒と反応炉を用いて精製に成功し、同じような人造石油を作る事が出来ているからという事実と共に各国の技術論文も添えて報告書を提出していた。


 問題は論文内において「皇国より提供されし触媒AとガスBまたはCを反応させ」――などと記述され、触媒と原材料の詳細について一切の記述がなされていないこと。


 恐らく各国に触媒を提供する代わりに極めて危険度の高い情報であるから、現時点での公開を行わないよう求めているのであろうと思われる。


 私もNUPにいる友人にせめて原材料のガスが何なのかヒントが欲しいと手紙を送ったところ、検閲対象となるため仮に私が詳細を記述して手紙を送付したところで届くことは無いだろうという見解を示した返答が届いた。


 提供を受けた大学や研究施設においても緘口令が敷かれているようで、所定の時期が来るまで一切の口外をできない様子であることは社内における調査チームの調査報告書に記述されている。


 そりゃそうだろう。


 現用のFT法では低オクタン価のガソリンしか精製できず、蒸留や異性化処理等の二次的な作業が必要だ。


 皇国側の技術はそのような必要の無い極めて高いオクタン価のガソリンを精製出来、そればかりか調査チームの報告によると北合衆国大陸の一部の国などでは皇国式の方法であるならば採算が取れる形で特定の原材料からガソリンを精製できると試算されているらしい。


 どうやら石油以外の何らかの天然資源から同じ方法でガソリンの大量生産が出来て、かつ価格は石油精製と比較してさほど変わらないというのだ。


 これはつまりNUP風に述べるならば"ゲームチェンジャー"というべき技術であり、石油系天然資源に恵まれない皇国を含めた各国は戦争継続力……すなわち継戦能力を大幅に増大することが可能となったことを意味する。


 それまで、あくまで様子見のごとく物資支援や経済支援のみに留めていたNUPが1年ほど前から態度を改め、皇国との関係性を強めている様子であるのも、彼らとの関係性を見直さなければ立ち行かなくなってしまったと考えるべきだ。


 まるで戦前から親しき友人であるかのようなアピールっぷりを世間に示しているが、我が社の幹部曰くこれはあきらかな心変わりであるとの事で、状況次第では支援を打ち切ってユーグを第三帝国の支配下に置き、ヤクチアとすら組んで戦争の早期終結を図ることも検討していたNUPは、それまで非公式に我が社との交流も深めていたのであるが、突然交流を打ち切ったらしく……


 ここにきて完全なる敵性国家となったとのことである。


 そもそも表向きには既に直接参戦してすらいる状況だ。


 私はこの背景に皇国を含めた主要各国の最新鋭兵器の投入による急激な戦線の押し返しなどが影響していると見ていて、戦後の国際社会において支援しか行わなかった国では立場が保証されない可能性があり、戦後の政治的発言力を維持するために行ったと予測している。


 自らも痛みを伴い共に血を流した同志と、単純に代理戦争のごとく支援を行っただけの経済大国では、戦後の新たな国際秩序の構築にあたって影響力の差は激しくなるはずだ。


 システムを作り出した際、立場的に不利となるやもしれない。


 例えば既に機能を失っている国際連盟に代わる組織を作るという場合、常任理事国でいられなくなる可能性は否定できない。


 しかし一連のそれは、我々の遠くない未来における敗北を意味している。

 ……考えたくない話だ。


 総統閣下も恐らくは再び以前のような関係となれないか模索しているのではないだろうか。


「なぜこのような差が生まれたのだ。あの国にそんな技術者はいなかったはずなのに。なぜ我々は東亜の島国が持つ技術1つ簡単に理解できん」

「明らかに常軌を逸した技術理解を持つ者がいるとしか思えません。ボッシュ博士と同等か、それ以上の。しかも余裕がある。そもそも皇国は人造石油の精製プロセスについて全ての技術を第三国に共有してはいないんです」

「なんだと……それはどういうことかね」

「映像を確認する限り、皇国はたった1つの反応炉でガソリン精製を行っている。しかし技術論文上では確認する限り反応炉は2つ必要。論文上ではまずメタノールを精製し、それからガソリンを精製している。したがって触媒は最低三種類存在するという事です。1つは1つの反応炉だけで水素と炭素のみからガソリンまでを精製できる触媒。もう1は水素と炭素からメタノールを精製する現用のものより効率の高い新たな触媒。最後の1つがメタノールからガソリンを精製する触媒です。ボッシュ博士は最後の1つを見出そうとしていましたが、1つの反応炉で人造石油を作れる触媒なんて夢物語を私達のような部下に語った事は1度たりともありません」

「とんだ盲点だった。SSや軍の技術者はまるで気づいていなかったことだ! そんな報告は受けていないぞ!」


 総統閣下は周囲の部下達をにらみつけ、彼らの顔はみるみると青ざめていく。

 どうやら本当に気づいていなかったらしい。


 といっても、我が社が気づいたのもつい最近だ。


 何か触媒に関するヒントは無いものかと映像を改めて確認していた者が違和感を感じ、反応炉が映る場面を何度も再生して反応炉が1つしかない事に気づいた。


 反応炉自体は存在する。

 しかし1つしか存在しないのである。

 

 これこそが先ほど同僚が述べた、皇国にはボッシュ博士を超越するこれまで表舞台に立ったことが無い謎の技術者が存在するのではないかという推論の根拠である。


 ただし、皇国においてはこと陸軍内に偶発的に謎の発見をする天運に恵まれた化学技術に長けた技師がいることは有名で、20年以上も前からその噂はある。


 最近目下大荒れ模様となっている物理学分野においても、従来とは比較にならないとんでもない性能の新型爆弾を製造できうるとされる基礎技術を公開したのは皇国である。


 物理にも化学においても決して油断してはならない能力の持ち主たる研究者、あるいは技術者がいるわけだ。


 どちらかと言えば皇国の場合、それらを上手く活用できる人材が上の者にいないために中々皇国独自で世界に向けて影響力を及ぼすことが出来ないというのが定説で、せっかくの発見を第三国や第三者が活用して大きく発展させるケースが多い。


 私が思うに一連の新技術の登場と神がかり的な活用方法の見出し方の背後には、それらの技術を吸い上げて効率良く運用することが出来るリーダーシップに長けた者がいるのではないかと勘繰ってしまう。


 そしてそういう力を持つ者は我が国には多く、その一部の者がかの国に渡ったのではないかというのが私の予想であるが……


「触媒が最低三種類あるというのは再現性を困難にさせています。大当たりの1つを引けばいいように思われますが、特殊な構造の反応炉であった場合は再現は極めて困難。技術論文を見る限り2つの反応炉を用いて精製する際には一般的な反応炉を用いるようではありますが、その場合は触媒を2つ見つけてこなければならない」

「それが諸君らがヒントのようなものを求めている理由でもあるわけだな?」

「おっしゃる通りです閣下」

「なるほどな。今の話で君たちに対する心象が変わった。そしてボッシュ博士に対する個人的見解も修正すべきではないかと私は考え始めている。SSに独自調査させてもたらされた報告書内においても、博士が1つの反応炉でどうにかできるような触媒を探そうとしている様子を示す記述は無かった。追証を行った技術論文ばかりに目を向け調査していたので、報告書の影響で私も反応炉は2つある前提で今まで話をしていたが……違うというなら前提条件すら改めねばならん。確かに諸君らは流出させていないのかもな。しかしそれが事実であれば、我々としては最大の屈辱だ。純粋に勝負にならないような形で敗北したことを認めねばならなくなる」

「名誉挽回の機会をください。そのためのご協力を。ヒントとなる情報が欲しいのです」

「わかった。最大限の努力することを約束しよう。さて、諸君らは一旦下がっていいぞ。本日1つめの議題はここで終わりとする。次! そこの者ら。諸君らは果たして、私が納得するに足る弁明を行ってくれるというのかな?」


 閣下の手招きにより、後方に用意されていた座席に着席する。

 気づくと顔面は汗まみれであり、周囲に気取られぬように静かに拭った。


 拭った後に視線を前に向けると、私達と交代する形で前面に立つ我が社の別の技師たちの姿が目に入る。


 そう、この日の査問委員会の議題は1つではなかった。

 総統閣下を含めた政府上層の者が疑う技術流出についてはもう1つ存在したのである。


 といっても、こちらはどう考えても無理筋な話で、ほとんどが分析に基づく結果報告になるとは思うが――

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― 新着の感想 ―
コークス炉ガスはもとより、高炉ガスでさえ一酸化炭素は豊富に含まれるので、排ガスは二酸化炭素が主成分だという話になって残念です。
閣下がストレスで史実より早く薬漬けに…
うへぇ改めて、皇国が、ヤバい事してるのが良く分かるな。
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