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第209話:航空技術者は炎をも遮断する(後編)

長いので分けております

 一般的に防火服というのは四層~五層構造となっている。


 それぞれに特性の異なる素材を用いていて、それぞれが相互作用することで高い断熱性と耐炎性を発揮するわけだ。


 本防火服は五層式である。

 まず表層から。


 一層目は可能性の未来でテクローラと呼称されるパラ系アラミド繊維生地で構成される。

 当然ではあるが紫外線対策の加工処理が施され、対候性を引き上げている状態である。


 テクローラは耐摩耗性に強く、長期間の使用に耐える。

 これがいわば紫外線等の保護層となっている。


 二層目はPBOで構成。

 万が一火炎の放射を受けた場合、このPBOがバリア層として働く。


 こちらも繊維に対して表面処理加工が行われているが、それでも野ざらし状態であると性能劣化が避けられないため、表層と組み合わせる事で性能低下をPBIと同等にまで引き上げ、いざというときの炎からの防御はこの二層目が果たす。


 三層目はテクローラの繊維の内部にエアロゲルの粒子を混合させた複合繊維による断熱フェルトによって構成。


 防寒服で用いたニトリルゴムは確かにエアロゲルによって耐熱性が向上しているが、それでも300度には達しない。


 また可燃性で燃焼しやすくこの手の被服においては不向き。


 火炎の放射を受けた場合、PBOの炭素残渣は熱をもある程度防ぐが250度~280度前後の熱は通してしまう。


 これを防ぐためにパラ系アラミド繊維の内部にエアロゲルの粒子を含有させた複合繊維によるフェルト層が必要となる。


 PBOではなくテクローラである理由は、製造時に液晶状態とする必要性が無く、高い技術難度を要する液晶相制御が不要な状態で半乾湿式紡糸にて製造されるからこそできる事であり……


 PBOでは強酸性の溶液において液晶状態を作り出し、綿密な液晶相制御でもって配向を整える必要性があることから同様の複合繊維は現用技術では製造不可能なため。(製造自体は可能とされているが、50年以上は先の技術水準に至らないと困難であると思われる)


 このフェルト層により熱は大きく遮断されるわけであるが、断熱性能は計測する限り0.025 w /(m・k)もあった。


 0.025というのは大気の熱伝導率とほぼ同じであり、エアロゲル単体より劣るものの極めて高い遮熱性能を誇る。


 なおこのフェルトの耐熱温度は670度にも達していて、フェルトを構成する繊維の強度はテクローラの強みである引張強度こそ落ちたが、耐熱性や対候性などは大幅に上昇している。(なお、低下したといっても通常のナイロンの5倍の強度を誇るバリスティックナイロンを超える程度の性能は維持している)


 ここがある意味で断熱や防炎のための最終防衛ラインであり、表層より耐熱性は高いのだ。


 そして四層目が透湿防水性を持つ超高分子量ポリエチレンフィルムで構成。


 未来の防火服を見た場合、実は三層目に透湿防水メンブレンを施すケースが多いが、これは耐熱温度が300度以上あるゴアトレックスを使用するケースが多いため。


 ゴアトレックスを製造する技術が存在せず、超高分子量ポリエチレンによる透湿防水フィルムメンブレンしか製造できない現状の皇国の場合、四層と三層の配置は変更せざるを得ない。


 防火服の場合、主として消火作業で用いる関係上、断熱層ともいうべき手前に透湿防水素材を用いたい思惑がある。


 多くのアラミド繊維は水に濡れると性能が低下するためだ。


 そこについてはテクローラが船舶用ロープに使われたりするように、高い耐水性があることを逆手に取り、断熱層のフェルトなども撥水加工も施していることで乗り切る事にした。(なお、表面加工を施さなくても簡単に水を通さないぐらいの、それなりの撥水性能はある)


 そもそもエアロゲル自体が極めて高い防水効果を持つため、断熱層自体の防水性も高いからこそ可能となっている事である。


 余談ながら実はPBOも水には強い方で、親水は殆どせず表面に留まり、ケブラーのような強度低下は殆ど起こさない。(競技用スポーツヨットの帆に使われる理由もここにあったりする)


 四層目まで撥水加工のみで乗り切ろうというのも一連の素材が消火活動を行うことも想定している防火服に向いた特性を持つためだ。


 最後の五層目はいわゆる裏地である。


 こちらは肌触りと強度の観点からエアロゲル含有のテクローラの繊維を使用した織物生地を用いている。


 エアロゲル等の影響で汗をかいても肌に張り付くことを避け、結果的にムレを防ぐようにしているが、断熱性能を底上げし、長時間火炎の放射を受けても内部の温度の上昇を防ぐようにしている。


 以上の五層式で構成された防火服は防火服と同じく手袋と組み合わせた上下仕様。


 上着とズボンで構成され、同様の構造を持つ防火手袋もセットとなっており、さらに頭部全体を覆うエアロゲル含有のテクローラの複合繊維フェルトと透湿防水フィルムで構成された防火フードを組み合わせ、防火ヘルメットとマスクとを組み合わせて本日の実験を行ったというわけである。


 ここに現在開発中の最新のコンバットブーツをベースに防火用途としてより最適化した防炎安全靴を合わせることで一式装備とする予定。(今回は間に合わなかったため、当世具足用に開発中の試作品の半長靴を改造して防炎性能を引き上げたものを臨時で用いた)


「――信濃。説明はよくわかった。だがこの防火服には懸念事項があるはずだ。製造費はともかく、いつ量産できるのか。民間の消防用途にも用いたい、用いることで製造費用を押し下げたいというのはわかる。それはいつの話になる」


 西条の落ち着いた口調による鋭いツッコミにしばし沈黙する。

 ここは素直に話せばならないと感じ、数秒の沈黙の後に口を開いた。


「確かに、現状の状態では10着ほど作れるのが精々。専用の製造機器もなく1日に1着や2着が限界といった状態なのは間違いありません。要因は新しいパラ系アラミド繊維ではなくPBOにあるのも事実です。特殊な製法ゆえに製造ラインを今一度整えなおす必要性がある……それでも技術的に可能であるからこそ、やる意味がある――」


 防火服を量産しようという場合、ネックとなるのはPBO。


 液晶紡糸が必要であるPBOはテクローラとは製造難易度に天と地ほど差がある。

 何しろ未来世界ではスーパー繊維製造において高い技術力を持つNUPすら断念したほどなのだ。


 そのテクローラについてまず説明させてもらうと、こちらは現状において予算をかければ半年以内に製造ラインを整えて大量生産が可能とみる。


 少なくとも1年はかからない見込みだ。


 これはテクローラについては原材料となる液体モノマーが液晶を形成することが無い性質を持ち、製造プロセスにおいて特殊性を帯びるのは最後の工程の1つ手前の約500度で熱しつつ延伸する高温延伸の作業工程のみのため。(なおこの手のアラミド繊維の場合、最終工程は表面加工処理となる)


 テクローラ自体は液晶紡糸にて製造される各種スーパー繊維のノウハウを活用したスーパー繊維であるが、手法としてはほぼ逆手に取る形となっていて、液晶紡糸が分子構造を直線的、並列的に配置して従来とは比較にならない強度を持つスーパー繊維として成立するのに対し、原材料の溶液はあえて分子構造を崩しおき、高温延伸工程を経て分子構造が整うようになっており……


 実際の詳細な構造では分子の結晶と半結晶が綿密に組み合わさる事で液晶から製造されるケブラー等に匹敵する強度を得るに至っている。(エアロゲル粒子を混ぜ込む事が可能なのも、この分子構造がゆえ)


 このような素性からレーヨン等で用いられる湿式紡糸プロセスをベースとした半渇湿式紡糸にて製造できるため、既存の生産ラインを応用、流用できるのだ。


 実際、今回製造したものは従来まで用途幅広く用いられていたレーヨンを製造する機器を流用し、湿式紡糸の工程プロセスの箇所たるドープ等に改良を加えて半乾湿式とし、紡糸後に必要となる高温延伸プロセスを行う機器を追加して生産したもので、レーヨンを大量生産している工場は例えばレーヨンからテクローラに完全に製造を切り替えることで短期間でテクローラを大量生産できる。


 しかも重要なのが主としてレーヨンが用いられている場面では大半のケースでテクローラが完全上位互換として代替可能である点。


 さらに言えば湿式紡糸については皇国が大変熱心な分野で、実は3年前に誕生したビニロンも湿式紡糸による製造法によって製造され、繊維メーカーにおいて技術としての受け皿がある程度整っている状態にあるという所も長所となる。


 そもそもが生産を行ってもらいたいと考えている未来世界においてテクローラを製造している企業については、現状の主力製品がレーヨンであり、レーヨンの製造量は現時点で世界最大規模であり、ナイロン等の化学繊維が台頭するにあたってレーヨンの需要が無くなっていき、起死回生の一手として繰り出したのがレーヨンの製造ラインを用いて作れる化学繊維だったわけで……


 テクローラはある意味でレーヨンの需要低下によって生じた経営危機と、熱心な湿式紡糸による化学繊維の研究の果てに見出されたスーパー繊維であり、技術者達の日々の積み重ねによって経営者が望む方向性でもって量産を可能とした、液晶紡糸を用いるスーパー繊維に並ぶスーパー繊維として誕生した1つの到達点なわけである。


 といっても原材料や工程プロセス追加による製造コスト上昇の観点からいうと全てを代替するというのは適切ではない。


 レーヨンの強みは安価に大量生産できること。


 テクローラはいわゆるスーパー繊維の中では安価で、性能の高さも相まってシェア率もそれなりにあるというだけ。


 それでもスーパー繊維というのはどうしても高価となりやすく、将来においても従来の化学繊維の方が市場への流通量も多いというのが現実だ。


 ここをどう割り切るかが重要となるが、そこは軍と政府による政治判断に任せる事にする。(現状主業となっているので交渉難易度は高いのは言うまでもない)


 なおレーヨンに関して言えば先ほど述べたように将来において多くのケースで他の化学繊維に代替されていったため、レーヨン製造をテクローラに切り替え、従来レーヨンを用いていた安価で市場に出回る製品はナイロンに切り替えれば経済的な影響は最小限とすることができる。


 例えばレーヨンで作られる衣類の肌触りはいいものの、性能的にはナイロンとポリエステルに太刀打ちできず、将来的には双方によって代替される。


 存在が完全に消滅することは無かったものの、需要は大きく減る未来が待ち受けているというわけである。

 これを前倒ししても経済的に影響が無いようできるのであれば問題ないはずだ。


 最悪は綿、絹、麻、ウールといった天然繊維を頼ることになるかもしれないが、現状では化学繊維が主流となっていない関係で一時的に頼れるだけの生産量もある。


 問題はそれよりも液晶紡糸を用いるPBOの方。


 今回、実験的な機器でもってポリリン酸法によってPBO繊維を何とか合成できたものの……

 正直言ってあのNUPが挫折してしまうだけの難易度の高さはある。


 何しろPBOを合成する上では、極めて高濃度の酸の溶液の中で溶媒を無水状態にするために脱水しながら液晶化しなければならないからだ。


 しかも脱水に用いる五酸化リンによって脱水時に生じる副産物であるリン酸やポリリン酸、そして液晶となる溶媒もそれぞれ水飴とも称されるほど極めて粘度が高いために重合時に必要な攪拌も容易ではなく、さらに重合時に塩化水素ガスが発生するのでこの処理も行いながらの重合となるため……


 実験用の機器でもって少量生産するならまだしも、生産ラインを整えて大量生産するとなったらその敷居の高さは半端なものではない。


 強度を出すにあたっては熱処理も必要となり、600度で熱処理できるような専用機材も必要となる。(なお、未来においてはPBO繊維は二種類が販売されており、熱処理していない弾性率が低い製品も存在するが、巷で語られるものは熱処理を施したもの)


 ようは基本的に生産するにあたっては大規模設備による生産プラントが必要なのだ。


 しかしだ、現時点において超高分子量ポリエチレン繊維を製造することが可能となっている敦賀において未来では超高分子量ポリエチレン繊維と共に大量生産されているという揺るがない事実がある。


 重合時において0.00%単位での不純物ですら許さぬ程の厳密な溶液管理が現時点の技術水準できるのかと言えば、やってみなければわからないとしか言いようがない。


 ただ、俺には"可能性の未来"からもたらされた、より効率的に不純物を除去できる有機溶剤などの情報があるため、これらを活用すれば何とかなるはず。


「――可能であれば2年以内に一定量生産できればというのが現時点で私の望みです。万が一PBO繊維の生産が難しい様子であれば他の耐熱繊維に切り替えるなどして出来る限り性能を維持した別の防火服を作ります」

「つまり疾風(はやて)の時と同様、保険掛けもして量産化を目指したいというわけだな?」

「おっしゃる通りです首相。大量生産を画策せず、商業化も無視して特定少数生産するというならば現時点でも可能というのが自分の見解となります。なお、最優先事項は防寒服であります。迫るヤクチアとの闘いに備えて過酷な戦場に赴く全ての兵士に短期間のうちに配備できるようにしたいと考えております」

「防寒服の問題は最前線の現場より度々指摘を受けていた事だ。年内に生産体制を整えろ。予算は出す。航空機開発等と並行してできるな?」

「できます。やらせて下さい」

「ならば防火服共々許可しよう。追って通達を出す」

「ありがとうございます――」


 防寒服と防寒服開発の許可が出た以上、これからすぐにやらなければならない事がある。


 未来においては航空機パイロットは難燃や耐熱素材の飛行服を身に着けるが、開発に苦戦している耐Gスーツ共々素材の見直しを行い、完成度を高める。


 恐らくそのためには未来においてテクローラと呼ばれるパラ系アラミド繊維の前身ともいうべき存在の難燃性を持つ耐熱メタ系アラミド繊維が必要となるはずだ。


 可能性の未来においてはフライトジャケット等に用いられていると聞く。


 テクローラと並行して生産できるように状況を整え、現場から所望されている次の時代の新たな飛行服も整えよう。


 やれることは全てやる。

 これまでずっとそうしてきた。


 最後まで駆け抜けるだけだ。

X開設中

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― 新着の感想 ―
やはりMr.シナノ氏は予言者であるな!
他国は、モノがあることは判っても、製法が解らず絶望しそうな……
超高分子量ポリエチレンといい繊維業界の限界ギリギリが試されるようなものが揃い始めてきたな
2025/02/20 18:20 退会済み
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