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第207話:航空技術者は解放計画を始動する(後編)

長いので分けました。

 その多くは、確認できるだけで現時点で全国に存在する約230万人もの土地を所有する地主にして債権者とも言うべき一般市民であり、大規模に農地を所有しているわけではなく、大半が中流階級者。


 それも中流階級者といっても230万人の中の殆どは大した給与状況でもなく、平均給与程度しか得られていないような者達である。


 下手をすれば小作料の徴収が出来なければ自らの生活もままならぬような……そんな者達だ。


 例えば地価の高い旧東京市内中心部の住宅街に居所を構え、しかしながら給与はさほどでもない……


 そんな物価の高いところにあえて住み続けるような中流階級者こそ、一連の小作人の地主達の一部なわけである。


 あるいは、居所こそそこまでの場所ではないが、家庭において家族はなんら衣食住に困ることなく、他方で大黒柱たる家主はそこまでの給与を得ていないというような……


 近所の子供の身からしてみたら「なぜあそこの家はあんなに恵まれているのだろう」――と疑問に思うような者が、地主にして債権者なわけである。


 政治家との結びつきが強く、既得権益にすがりつく大地主の背後でこそこそとうごめいているのは、賭博やら宝くじ、あるいは何らかのビジネスによって一時的な成功をおさめ、その資金を元手に農地を入手し、利益を得ている200万人以上も存在する中流階級者だったわけだ。


 いつの時代、どこの国においても儲かり話というのはある。

 株式投資とかがそうだ。


 同じ存在に表向きは土地の所有権とされつつ実態は小作料の徴収を約束された債権ともいうべき金融商品となっているようなものが存在したわけである。


 これらの債権とも言うべき農地は、同じく土地を大規模に所有し、質屋を営む"質地地主"によって売買されていて債権譲渡後においても引き続き彼らの管理下となっていたが、徴収を代行するのも一連の質屋を営む質地地主であり、手数料を徴収して収益とする傍ら、手数料を常に一定の額として固定化することで収益の落差の激しい農地における安定的な収入確保を行えるように整えていた。


 いわば、経営者としての能力がある者が質入れされた農地をよりうまく活用するにあたり、中流階級層の一部に土地を買わせてリスクヘッジを行った事で230万人の地主が形成されていったわけである。


 なお、こういう状況なため地主たる中流階級層の人間は自身が持つ土地で農業を営む小作人の名前や顔すら知らないのが当たり前であり、貯金通帳を見ると毎年金が増えていくような状況である。


 今の時代においてこの230万人の者は一部の人からは「他者を糧にしながらのうのうと生きているクズ」呼ばわれりされるわけだが、社会の仕組みを把握する者で、かつ自らの労働力でもって家庭を支える事を誇りとする真の中流階級者にとっては、とてもではないが認められない立場の者達である。


 それで、この小作料がどれほどかというと、最低でも収量の4割で、酷いところだと6割。


 ここに農地の固定資産税等の税金もすべて上乗せされ、これらを合わせた小作人の負担率は55%~80%(その年の状況によって変動する)


 平均値としてはその年によって変動するが65~70%前後となっている。(小作争議によって減少傾向の地域もあるが、それでも合計での負担率は4割未満とならない)


 一般的に税制やらその他の徴収は給与の30%前後が好ましいとされ、45%を越えると働く意欲が失われ、経済成長の妨げになるとされる。


 一般的な皇国民の場合、大政奉還以降の負担率は30%前後で推移してきた。

 つまり、働いた給与のうち、70%は自身が自由に使う事ができるという状態だ。


 小作人の場合、自らが年間において自由に使う事ができるのは、所得の4割未満。

 酷い場合だと自らの労働成果のうち僅か2割しか許されないし、所得として受け取ることが出来ない。


 一方の地主は上乗せして徴収した分の税金を支払うことで、様々な優遇措置を受ける事ができた。


 一例として、地方自治体の選挙権はつい15年程前まで2円以上の税金を納税した者のみに与えられていた。


 こんなの特権階級以外のなにものでもなく、つまりは一時は地主のような立場でなければ選挙権すら与えられなかったわけである。(年を経るごとにインフレが生じて多くの者に選挙権が得られるようになっっていった一方、地方農村では15年前の時点でおよそ3割の小作人しか選挙権が与えられない状況ですらあった)


 そして15年ほど前に25歳以上の男児に普通選挙権が与えられた以降も、優れた納税者として様々な付帯サービスを受ける事が出来てきて今に至る。


 働く方が愚かなんてもんじゃない。


 地獄だ。


 まさにこの世の地獄。

 奴隷とさして変わらない。


 特に酷いのが北海道。


 移住政策を行っていた北海道では表向き自作農が出来ると称してさもバラ色の人生が謳歌できるがごとく宣伝して移住者を集めたものの、多くのケースで移住先の土地が既に他の者の所有物となっており、小作人になることを強いられるというような状況となっていた。


 移住者の中心は農家の二男、三男が多く、彼らは実家が分け与えてくれた、なけなしの金銭を手に北海道へと渡ったが、その先では実家より過酷な生活が待っていたのである。


 このカラクリの背景としては、詐欺企業とも言うべき移住会社(移民会社)の存在があり、一連の事業者は北海道庁から委託を受けて移民事業を執り行っていたが、その背後で投資家と手を組んで道庁が配分して安価(場合によっては無償)に譲り渡した土地を全て投資家の所有物として移転登記させ、東京の中流階級者等に向けて土地と合わせた債権の販売を行っていたのだ。


 移住会社は表向き支度金等を工面するなどと言って農家に声掛けし、集団移住に伴い寮なども用意されていて、単独で移住するよりも経費などが削減できるといった話で移住を希望する農家を口説き落としたが、実際にはほぼ詐欺であった。


 しかし民法や商法も発展途上の現状で、かつ資金に恵まれない移住者が訴訟を起こすなんて出来るわけもない。


 政府は穀物等の農産物の生産量増加を掲げており、開拓の必要性から移住会社の行動を黙認し、結果多くの者が不幸な境遇に陥れられる事になったのである。


 この手の集団移住地で寮などが完備されているのも夜逃げなど簡単にされないため常に監視できるようにするため。


 あえて貧困で移住できるかどうかも怪しい困窮世帯を狙い、借金の肩代わり等を行って経済的に拘束し、契約書にサインをした事を理由に逃げ道を塞いで地獄の労働を課したのだ。


 しかも移住会社は潤沢な資金がある事を逆手に本来ならライバルとも言える他の移住会社と徒党を組む状態で、外部にその情報が漏れないよう報道機関と蜜月の関係を結ぶことで一連の情報が本州にまで届かないように手を打ってすらいた。


 俺が一連の状況を把握しているのも未来から過去へと戻ってきた人間だからであり、本州の多くの者がその実態を知らない。


 北海道庁の人間ですら移住会社と癒着している職員らによって緘口令が敷かれていた結果、3割未満しか状況を把握していなかったとされる。(正直言って真相は不明。口裏合わせの可能性もある)


 一方で犠牲となった小作人達は、本来の未来においてあのヤクチア人すら「一時行われたシベリア抑留との違いは、北海道の方が若干外気温が高いだけ」――と言わしめる程の環境下に置かれているのだ。


 後世に真実を伝えようと密かにまとめられていた当時の日記等の記録では「稀に訪れては暴力と叱責でもって檄を飛ばす企業の管理者のもとへ、ある日突然に熊が現れて食ってくれないかと日々願っていた」――とか、「一思いに熊に食われた方がマシ」――とか、そのヘイトは尋常ではなく、現地で管理を行う移住会社の管理者の中には不審死を遂げた者すらいる。


 このように、全国各地における小作人の境遇はどれも悲惨そのもので、平均寿命を押し下げる原因ともなっていた。


 では、彼らが何もしなかったというとそうでもない。


 さすがにあまりにも状況が状況で生活が成り立たないがゆえに過去に何度も小作人たちは立ち上がろうと試みて小作争議提起するなどの行動は行っている。


 けれども、その多くが様々な意味で救済が難しいような弱い立場に立たされており、学もなく他の職に就くことも難しく、別の事業を興そうにも借金まみれで首が回らず、挑戦する機会すら得られず、終わらぬ負のスパイラルから逃れる事は不可能に近かった。


 例えば娘が博識で、富岡製糸場で雇われたとかいうなら話は別。


 富岡製糸場などの女性でも極めて高給が約束される場所であれば借金返済から農地を取り返す、あるいは新規に取得して自作農へと回帰することも不可能ではなかった。


 しかし全国の小作人を救うにあたって働ける職工の人数が最大でも約600人程度の規模しかいない富岡製糸場では完全にキャパシティ不足どころの騒ぎではなく、多くの農村の女性は同じく給与状況の宜しくない企業へ女工という形で働きに出る事になる。


 これを完全に終わらせる。


 機械化農業の導入により、彼らの多くを解放することが不可能ではないことは既に証明されつつあり、一部の地域では耕運機等が導入されたことで自らも農業に従事する地主が小作人を解放した事例が報告されていた。(主として自作農が多く、自らの耕作できる範囲を越えた土地を持つ者が多い岡山や兵庫県の地主が完全な自作農として相次いで自立を遂げているという報告を以前に農林省より受けている)


 だから皇国に残された工業生産のキャパシティを一時的に農機に集中的に向け、不在地主と寄生地主を駆逐しつつ、小作人を解放する。


 その解放した余裕を工業に還元し、工業生産力を一気に高める。

 地主と雇用の関係は見直し、法人として1つのチームの一員として活動するように転換する。


 経営形態を適正化させる。


 それこそが適正経営農家であり、これは実は少数ながらも現時点において存在する実例をベースとしたケースモデルなのだ。


 適正経営農家。


 あまり知られていないが、実は自作農の中には小作料を徴収する形ではなく、雇用関係を結んで農家を雇い、共同で農園を営んでいるケースがある。


 これは一体どうやって生まれたのかと言うと、その多くが乱世の世では武士として活躍した侍たちである。


 すなわち乱世の世が幕を閉じた後に帰農して(あるいは武士のまま自らも農業を営む郷士として)農家となり時を重ねて今に至るというわけであり、雇用者とはすなわち当時の家臣達なのだ。


 乱世の世の頃においては、年貢として自らの領地で収穫された作物を徴収し、これを用いて活動していた。


 一部を売り買いするなどし、自らの資産として運用していたわけだ。

 そういった領地を持つ侍の中には、当然彼らを慕って支える家臣がいる。


 彼らにも給与は支払われており、その給与でもって家臣達は生活を営んでいたわけだ。


 しかし時代は変わり、乱世の世が終わると、武士の中には帰農して(あるいは武士の身分は捨てぬまま郷士という農家として)自らも農業を営む者も出てくる。


 その時においては多くのケースで家臣達を放出する事となるが、強い絆ゆえに農家となった後も引き続き家臣として農業従事者のまま関係を結び続けていたケースがあるのだ。


 それが大政奉還後も続き、固定給の支払いによる年雇用という形で続いたということである。


 他にも農家であるものの大変優秀な品質の農産品を生産する能力のある者が農業生産のみで財を成し、耕作地主(豪農とも呼ばれる)となった結果、自らの過去を重ねたのか小作人を用いて小作させることをはばかり、企業的に農業従事者を雇用して固定給を支払って農業経営しだしたケースもある。(一連の地主は幕府時代の末期の頃より続々と表れ始めた)


 このような雇用による経営手法で農業を営む場合、その経営形態を一般的に"地主手作"と言うが、地主手作を行う者は関西地方(特に兵庫県北部)に非常に多く、その多くが農業とは別に畜産業と合わせて工芸品の生産も行っている事が多い。(兵庫の山側では工芸品生産による収益によって財を成した豪農が多くおり、以降も安定的な経営基盤を築いて維持し続けていた)


 いわば正にして"真の農家"である。


 そして、この固定給の金額は平均給与とほぼ同等で、例えば2575年に当時の政府が調査した雇用者の平均月収は35円だった。


 この時期、地方の小学校の教員の初任給が19円、いわゆるベテラン教員の給与が30円~35円。

 極めて重労働ながら、固定給の金額は決して低くない。


 "可能性の未来"においてはこれが万円になるまで桁が増えるほどインフレしているそうだが、社会人となった若者の初任給を20万円と仮定した時、月収35万円の請負農家が果たして将来の皇国に一体どれだけいるのかと問いたくなる。


 同時期の小作人の手元に残る平均所得は月収換算10円未満であることを考えると、35円というのは決して高くはないが、農業従事者としての給与としては破格といって差し支えが無い。


 当然政府がそこに目を付けないわけがなく、この形態をモデルケースとして適正経営農家と定めて普及を促進しようとした。


 すなわち真の農家は彼らであり、彼らこそ将来の皇国の農家を担ってもらいたいと考えていたのだ。


 なお、似たような形態で事業を営む者の中に自小作農者という、土地を所有しつつ小作地として他人の土地を耕作する存在がおり、自身の耕作できる範囲より広い土地を小作地として保有し、小作料を収めつつも同じく固定給を支払って労働者を雇用して農業経営を行っていた者もいるのだが、彼らも含めて皇国政府は大変な期待を寄せていた。


 なにしろその自小作農における雇用者への固定給の支払い金額も平均25円以上だったからだ。


 しかも重要なのは、固定給とは別に現物支給にて被服などが提供されていて、シャツや草履(または下駄)、帽子などが給与とは別に賞与のごとく毎年支給されていたとされる。(時にはソロバンや毛鉤などの工芸品の現物も)


 他にも理髪代が工面されていた他(専従契約を結んでいる床屋を呼びつけて一斉に坊主刈りにしていた)、地主手作の場合はその多くにおいて、労働者のための寮や大規模な入浴施設が完備されており、ほぼ毎日の入浴機会と三食の食事が保証された。


 ここでいう寮というのも当然北海道の移住小作人が押し込められた牛舎の廃屋などを再利用した質素な縄文時代の家屋がごとき奴隷小屋のような寮とは性質が異なり、工芸品等の収益を設備投資に回して建築された、雇用者が住みやすいようすべてが整えられた一等寮と称されるものである。


 以上のような居住環境を雇用者に与えた上で、合わせて地方から奉公という形で雇用された若者に向けては嫁探しなどを手伝い、その地域における完全な定住者となってもらえるよう便宜を図るケースも多々あった。


 当然こうなってくると全国から雇用してもらいたいと若者が押しかけて来る状況のため、選りすぐりの人材を雇用できる正のスパイラルが生じる状況となる。


 なぜこのようなことが出来たかと言うと、相応の給与を支払いながら事業が続けられた最大の理由は"酒"にあった。


 より品質の高い一等米から作られた酒はより高く売れる。


 つまり、それだけの品質の米を高い金額で卸しても買い取ってくれるのだ。(状況次第では酒蔵そのものが地主として農業経営を行っているケースもあった)


 いわゆる灘五郷と呼称される地域を中心にして製造される清酒のための米……山田錦の産地などが、このような雇用形態での農業経営を可能とした。(そうでないケースでは農業と共に別途工芸品生産を併行して行わせることで可能とした)


 そこで皇国政府は考えたわけである。


 農業人口と生産量及び生産額のバランスが取れれば、"酒"という存在がなくとも同じような農業経営による、適正経営による農業というものが成立するのではないか……と。


 もちろん当時は机上の空論に近かったが、適正経営農家という存在を一般化することを検討し始めた頃には既に農業の機械化は始まっていて、機械化農業によって達成できるという予測はできていたのだ。(農機の導入が最も早かった岡山などで実績を出すようになっていた)


 だから今やるんだ。


 重要なのは中流階級層の中における完全な不在地主と、不在ではないものの収益だけを得て自らは農業を営むことが無い寄生地主の一掃と、一部の地域に多く存在する、完全な不在地主ではないが飛び地を多く持つ地主を法人化によって適正管理が行えるように軌道修正させる。


 飛び地に関しては西条は認めない方向性で行くべきと述べていたが、法人化した場合は飛び地も許していいのではないかというのが自分の考えで、そこは柔軟に検討してもらうと考えている。


 適正経営農家をベースに各地で大規模農家が生まれ、そこに民間企業の参画も行えれば、小作人を解放しつつ将来の農業体系も維持できるはずだ。


 この国は封建社会が長く続いたため、どう考えても異常な状況において正常性バイアスが働くケースが多々あり、それが国の発展を妨げてきた歴史がある。


 まさにその歴史が北海道の悲劇を生んだのだ。

 誰かが是正しなければならない。


 多くのケースでそれは国外の人間による力によって浄化されてきた過去があるが、自浄作用が無くてどうする。

 国民自らの力で浄化するために、利害関係のない立場の者が動かないでどうする。


 今歴史に残る行動を政府が自ら起こすことで前例を残し、より未来を生きる者達が行動を起こしやすいように整えるんだ。


 ゆえに徹底的にありとあらゆる状況に対処していく。

 俺は、北海道における移住会社の問題は、ただ解決するだけでは終わらないと考えている。


 また別の形で負のスパイラルを生む芽が出てくる気がしてならない。


 あのような移住会社を思いついた人間をこのまま野放しにしておけば、将来に渡って様々なところで何かしでかすのは見えている。


 怪しい投資事業を行い、投資する者も含めて巻き込まれた者が苦しむことになる。


 例えば、"繁殖牛に投資して牛のオーナーとなることで、その売却利益をリターンとして大規模に稼げる"――とかいう、小作人を牛に置き換えた、どう考えても大規模に投資して多額のリターンが得られ続けるとは思えない怪しい預託商法をはじめたりとか……


 こんなのよりももっとひどい金融証券を用いたような詐欺事件なども想定される。

 だからそれらに関しても法改正等を行いながら芽吹く事なく対処できるようにする腹積もりだ。


 その上で中途半端に留まる北海道の開拓、並びに全国各地での開拓事業は進める。


 まず北海道についてだが、あそこは一見して平野でも泥炭地や湿地が多く全く稲作等に向かない土地が多数がある。


 この場合は土壌改良がほぼ必須であり、そのためには大型の機械類等が必要。


 その機械類を運ぶための水路や道路、あるいは鉄道の建設等も考慮すると天文学的な予算と資源と人材の投入が必要となる。


 現状においてこれらの地域で稲作を行うのは、例え耕運機を導入したとて非常に効率が悪い。

 なので、入念な地質調査を行いながら稲作を含めて農耕に向かない土地は慎重に見定めて避ける。


 また、その気候条件から実は稲作も行えるもののかなりの創意工夫が必要な土地があるのだが、これらは現在開発が進むプラスチックハウスの実用化が必要。


 現在主流の直播だと苗が育たない。


 育てられる気温にまで上がると時期が悪く収穫時期が遅れてしまい、収穫を行おうとした頃に再び気温が下がって品質に大きな影響が及ぶ。


 ゆえに一旦温室にて苗を育て、それを田植え機でもって植えるのだ。

 しかもただの温室じゃない。


 電熱を用いて土そのものを温めるか、落ち葉等による微生物発酵を利用した発熱農業資材を用いて温めて育てる。


 特に後者による手法はすでに保護畑育苗として10年ほど前に実用化されていて、北海道内で油紙や障子などを駆使して作られた温室にて行われているものだが、より効率的なフィルムによるシェルター型のプラスチックハウスと組み合わせることで効果高めようというわけである。


 苗自体は四葉の成苗まで育て、それをポット苗形式の状態にて田植え機を用いて植える。


 これこそ本来の未来においても苦心の末実用化した北海道の稲作手法のスタンダードであり、北陸、信州、東北といった地域でも同様の方法を導入することでたとえ冷害が起きても収量をある程度維持できるようになる。


 もちろん土壌自体も改良が必要で、堆肥を用いて土づくりを行い、代かきにおいては根がはりやすいよう粗めに仕上げるなど調整が必要だ。


 特に北海道の場合は化学肥料を少な目とする事が収量増加に繋がるとされているが、これは肥料が多すぎると稲は根をきちんと張らずにサボタージュを起こすので、あえて肥料を少な目とするのである。


 実はその裏で活躍しているのが土壌中に存在する在来型のエンドファイトで、このエンドファイトの活動を活発化させるために通常より深く掘って耕し、十分に酸素等が土の中に含まれた状態にする必要性がある。


 そうすることで栄養分を求めて必死で根を深く地中に根付かせようとする稲と、その稲の根の生育を手伝うエンドファイトの相乗効果によって通常よりも倍近く深いところにまで強靭な根を稲が張るようになるのだ。


 これが大変重要で、冷害が生じうるほどに寒い冷夏に見舞われても根の周囲には大量のエンドファイトが存在して活動を活発化して植物の生育を助け続け、たくさんの籾を作り出せるのだ。


 本当はここに追加のエンドファイトと生物刺激剤を投入したいところであるが、現状では農業資材として両者が存在しないため、従来のやり方でどうにかするしかない。


 なお、肥料の使用量は追加のエンドファイトを投入しない場合でも他の地域の半分で、一反あたり2.5~3kg。


 追加のエンドファイトなどを投入した場合は1/4~1/8まで化学肥料の使用量を減らすことが出来る。


 収量は品種によるが平均的な収量を持つ品種で400kg~530kg程。

 収量が多い品種では最大800kgまで到達する。


 さすがに一反あたりの収量の平均が1石……すなわち180kgを下回る事が当たり前の現状で果たして400kgも収穫できるのかという話であるが、本来の未来でですらまともな農機もない中で先程の手法を駆使して400kgを達成している農家は多数いた。


 なので一反二石を目標にしていいと個人的には思ってる。

 稲作が行えるであろう地域は地質調査に基づいて水田とし、生産量増加を狙うべきだ。


 他方でそうでないものの野菜類が生育可能な地域では、大根や白菜といった寒さに強い野菜を育てつつも、プラスチックハウスを駆使して育てられる野菜類の生産も考えていく。


 野菜の生産が全く向かないものの牧草の生育が十分な泥炭地では畜産業を主として行うようにし、加工した乳製品などを製造していくようにする。


 全部未来で最終的に到達した結論に基づき、より効率よく無駄なく開拓していこうというわけだ。

 湧水地の多い北海道では半導体や精密機器の工場等も整備することが可能であるため、農業、水産業、鉱業と合わせて、工業も考えていく。


 もちろん、観光地としても栄える場所が多いのだから何もかもならして天然自然の土地を破壊していく必要性もない。


 必要なのはバランスだ。

 国防なども踏まえたバランスを考慮して進めなければならないんだ。


 よって新たに開拓公社を整備し、農林省と道庁の監視のもと地元で適切に開拓事業が行われるように調節する。


 可能性の未来ではこれまでの経緯から道庁では信頼できないからと開拓局や開拓庁を別途整備したそうだが、それらによる開拓は職員の殆どが東京にいて北海道の状況を現場で見ていない事から迷走が続いたとされるため、常にすべての職員が現場にいることを前提として健全な経営状態をもとに開拓事業を行う公社とする。


 なお開拓公社は世界各国でも失敗事例が報告されており、これらは無茶な事業計画を立ち上げて債務超過に陥る事が多いため、成功事例をベースに正確な将来予測に基づいた事業目標を立てる。


 他の地域の開拓も同様の手法にて開拓を行う。

 本来の未来においても可能性の未来においても全国各地において農地の開拓は行われた。


 人口増加に伴い、ある程度の食料自給率を維持しなければならないという考えのもとで。


 しかしこれらは関連する組織が育てる野菜の選定を誤ったことで一旦大失敗して二度目の開拓で成功した事例などがあり、地域ごとによる成功と失敗の落差が激しく、計画的な開拓と呼べるような状態となっていない事が将来問題視される。


 よって全国的にすでに立ち上がっている計画から見直して、気候条件や土壌環境に合致した作物を育て、適正経営農家による農業経営が開拓農地でも行えるようにする。


 それらの開拓を大きく手助けしたと言われるのが農業機械……すなわち耕運機などによる農機なわけで、プラスチックハウスと共にこの2つは開拓事業の成否を担っていると言っていい。


 ここはもう皇国の意地として工業生産力でもってどうにかするしかない。


 そして農機や農業資材だけではだめだ。

 どんなに生産法を工夫したって、北海道は寒い。


 寒さの中での労働は効率を著しく押し下げる。


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