第207話:航空技術者は解放計画を始動する(前編)
「――統制農機の生産は順調です。既に実行に移されていますが、政府の提言に合意し、新たに"大阪の発動機製造会社"と、広島の"東亜工業"が農機の製造を行う事となりました。共に民間向けの自動車製造を行いたがっていた会社でしたので、農機とはいえ四輪の自動車を製造することに前向きでした」
「それは大変喜ばしい報告です」
「他にも現在交渉中の企業が五社ほど。皇産の他、なぜか戦車製造をやっている"飛野重工業"や航空機製造の"長島"、そればかりか"立川の飛行機製造企業"も興味があるそうです。どこも自動車研究を密かにやっているのでしょうか」
「どうでしょうね。でも戦後を見据えて他の分野にも挑戦したい技術者は社内に多数いるんじゃないでしょうか。いずれこの国にもモータリゼーションの波は来るでしょうから」
開発中止宣言の翌日。
朝早くから技研へと訪れた農林省の担当者は、良いお知らせとばかりに機嫌良くここ最近の出来事を報告してくる。
すでに生産ラインが整えられ、製造が開始されているとの事だが、担当者が述べた二社が農機のライセンス生産に合意してくれた事は嬉しい限り。
元々両社は小型自動車などの研究並びに開発を行っており、本来の未来でも試作車両を開発して軍事車両としてでもいいから国産車を製造させてくれないかと頼んできていた。
ゆえにその実情を知る立場として、技術力の高さもあることから、是非農機の増産を手伝ってもらいたかったのである。
もちろん、何の恩恵もなく頼んだわけではない。
農機のライセンス生産を行ってもらえる場合、引き続き四輪自動車の研究開発の継続を許可する事と、必要となる資材の優先供給を約束する事としていた。
なおこれは生産に関与している企業の中で自動車製造を行おうと日々努力を重ねている企業全てに約束されたことであり、この二社だけが特別優遇されているわけではない。
一連の企業に向けては今後農産物を運ぶ小型トラックなどが国内需要として近い将来求められてくることを伝えており、これらの研究開発を全面的に許可し、支援する代わりに、その技術力を活かして大量供給実現のための力添えをしてもらうわけである。
ただ、ここで1つ気になる情報が舞い込んできた。
"可能性の未来"からの情報だ。
よくわからないが、東亜工業は将来国産ロータリーエンジンの製品化に成功し、共和国で毎年開催されるル・マンにおいてロータリーエンジンでもって総合優勝を果たし、その名を世界に轟かせるのだという。
しかも21世紀においてもロータリーエンジンを搭載した乗用車を製造し続けているとか。
正直、何を言っているんだという話である。
ロータリーエンジンと言えば、本来の未来においてZDB125を生み出したメーカーと、現在第三帝国と名乗る国内の別のメーカーが共同で新世代のエンジンとして発明し、一時的にZDB125のメーカーを筆頭にいくつかのユーグの自動車メーカーがライセンス生産を行い、採用事例があったものの……
多くの欠点が露わになって短命に終わった存在ではないのか。
しかもレース界においてもさしたる実績も無かったと記憶している。
製品化はまだしも、それで戦えるレーシングカーまで生み出して国内外の猛者達と戦い、直列やV型の王道のレース用エンジンを搭載する強敵に対抗して勝ち切ったと。
とてもではないが現実の話として受け取れない情報だ。
水平対向に拘っているというなら小型航空機用途などへの転用も可能であるから理解できる所、ロータリーとは……
正直今のうちにそんな浪漫だらけの存在に手を出さないように釘を刺しておきたい気もしなくもないが、"可能性の未来"においては世界各国にファンがいて車のブランド名がロータリーエンジンの代名詞となっているらしい。
きっと俺では想像する事も出来ない、とてつもない解決法と技術力で乗り切ったのだろう。
ロータリーエンジンの件は頭の片隅に置いておくこととして、王立国家に数多く存在し、そして倒れて行った未来の自動車メーカーのように拘りが原因で会社が潰れたりしないのであれば静かに見守っていく事にしようと思う。
詳細は把握できていないが、きっとどうにかしたんだ。
ロータリーエンジンオンリーだけで勝負していたら確実に経営は成り立たないはず。
普通のエンジンも作れる技術力があって、そっちでパッケージングの優れた車両を作って確固たる立場を維持し続けているのであろうと予想する。
例えばユーグを中心に大変需要があるコンバーチブルな2人乗りオープンスポーツカーを作ってみたとか、あるいは俺がやり直す頃にNUPで流行の兆しが生じはじめていたミディアムサイズなSUV車を作ってみたとか。
なんかそういう事があったのかもしれない。
俺が知る本来の未来ではひたすらにどこかの組織の下請けで、とてもではないが独自の車両を作れるような環境にはなかった。
だが、未来を切り開く事ができればそういう状況に至る事もあるのだろう。
◇
「――にしても……共生細菌にここまでの可能性があるなんて正直驚きです。しかしよく軍内部でこのような研究が認められていますね。海軍と並んでそちらでも食品類などの研究が盛んだとは聞いていましたが……農産まで……」
先程からこちらが渡した資料に目を通していた農林省の職員は、これまでの陸軍といささかイメージが異なる研究報告に対して驚きを隠せないでいる。
「軍の細菌研究者の多くは兵器利用のためにやっているわけではないです。もちろんそういうのを好む者も相応にいることは否定しませんが……相手が用いてくる可能性から効能を把握するために研究を行っているというのが実情です。細菌分野ではここのところ"抗生物質"なる万能薬たる新薬の研究も盛んで、生物兵器のための研究よりも他の研究の方が比重が大きくなりつつある。そうなると副産物としてこういう研究結果が蓄積されていくわけですよ」
「なるほど」
「抗生物質と呼ばれる存在とカビ毒は実質同じものです。その中には害虫類にだけ有毒となるものもあるかもしれない。例えばユーグで主体的に用いられる食料油のオリーブなんかは多くの鳥や昆虫には有毒で、だからこそ見出されたという歴史がある。考え方は同じですよ」
「我が国の在来種は病気に弱いものも多い。早い段階で実用化に漕ぎ着けたいところではありますが……」
「うちの研究者からはイネ科の葉や根に共生しているアゾスピリルム属と、稲も含めた非マメ科の植物と共生しているハーバスピリルム属の細菌を収集してほしい旨伝えられています。両方とも稲の生育に大きな影響を与えているのではないかと考えられているものです」
実際には専門の研究者というのは現時点においては存在しない。
共生細菌自体の研究者は国内に相応におり、陸海軍双方にも現段階にて病理研究のために研究者が存在するが、エンドファイトのための研究者はこれから集めて組織する予定だ。
その者達にあたかも他に研究者がいたかのようにみせかけて一連の資料を渡そうと考えている。
「――それで、そちらで一連の試料を回収するチームを組織することはできますか?」
「できるはずですが……」
恐らく担当者はこちらが求める存在について一体何なのかわかっていない様子だ。
前者は稲の葉や茎に取りつく植物共生菌……すなわちエンドファイトで、感染することで病原耐性が強まり、収量が増加する。
後者は非マメ科の植物の根、土壌に住み着く植物共生細菌。
様々な植物に活用可能な汎用性を有したもの。
こちらはいわゆる"可能性の未来"において窒素固定菌と呼ばれ、大気中の窒素を吸収して土壌に蓄積し、植物の根の生育を促進させる。
それぞれ稲とは共生関係にあり、双方は互いに干渉しない。
前者は植物の内部で増殖させることで病気への感染率を半減させ、在来品種であたかも将来における新品種に匹敵する病原耐性を得る。
後者は肥料の使用量を劇的に減らすことが可能で、土壌の状態によっては最大で1/8にまで減らすことが出来る。(可能性の未来での王立国家では麦の生産において1/10まで減らした実例もあるという)
彼らは稲科の植物……即ち皇国人の主食たる存在から活動に必要となる酸素やその他栄養分を分けてもらうかわりに、彼らが育つのに必要な栄養分を稲より分けてもらっている状態だ。
しかも両者共に種子にも感染することがわかっており、この種子によってこれまで様々な植物を通して生息域を広げてきたこともわかっている。
「これらは稲作に大きな革命を起こしうるので、何とか計画を立ててもらいたいところです。細菌研究者は国内に相応に存在します。彼らと共同研究を行う研究チームを編成してほしいんです。予算は出ますよ」
「わかりました。取り急ぎ組織致しましょう――」
そう述べると農林省の担当者は渡した資料を鍵付きの鞄に仕舞い込み、丁寧な動作で鍵をかけると、大切なものとばかりに抱え込んで立ち上がり、こちらに静かにお辞儀した後に去っていった。
去り際、こちらも無言ながらもお辞儀し、彼らに思いを託した。
今日農林省に渡す資料は、遠くない未来において皇国と協力関係にあるすべての国家に向けて共有する。
道のりは険しい。
速い段階で高い効能を持つエンドファイトの発見が出来たとしても、単離や培養の敷居は高く、製品化には10年単位での月日が必要となろう。
それでもやるべきだ。
可能性の未来における先進国ではカーボンマイナス、あるいはカーボンネガティブなる農産品がブランド化されて販売されているのだという。
エンドファイトなどを駆使して肥料を減らし、かつCo2排出量をカーボンニュートラルに近づけた状態にできる燃料を用いた農機などを駆使することで、光合成等で変換されるCo2が排出を上回り、カーボンニュートラルを上回るのだそうだ。
簡単に言えば、人の手が介在して大量生産されている一方、より天然に近い環境で育てられていると言える状態である。
そもそも一連の単語自体、何なんだそれはという話であるが、それだけ大量のエネルギー消費を抑える事は、地球環境はさておき生産コストの大幅な削減に繋がり、資源の乏しい国家において食料自給率を維持するのに役立つ。
大量生産に伴う生産コストの削減は、経済成長に伴う先進国における重要課題。
経済力があるからと輸出ばかりに頼っていると、万が一世界で天変地異が起きた時に取り返しのつかない事態に発展しかねない。
本来の未来における先進国も苦労していたんだ。
このまま皇国が将来に渡って同じ立場となる事が出来るなら、胡坐をかかずにやるべきことはやらねば。
そのためにある計画も併せて実行する。
その計画とは何かというと、"小作人解放に伴う大規模な農業改革"である。
小作人問題。
大政奉還から既に70年以上も経過しているにも関わらず、未だに解決されない社会課題。
皇国の負の文化の象徴と一部で批判されながらも、未だに解決に程遠い深刻な社会問題である。
しかしこの70年間、弱い立場に立たされた彼らが全く何もしなかったのかというとそうではなく、何度も立ち上がっては問題提起を行ってきた。(いわゆる小作争議である)
だが、農業の必要労働力に対する収量の不安定性などにより、彼らを根本的に救済する目途は立たず、現在にまで至っている。
なんといってもこの問題の解決を妨げているのは強力な権力を有する地主達であり、既得権益にしがみつかんがために自身が持つ財力を駆使して政治家を囲い込むことで政治家を足踏みさせ(時に自らが政治家となって壁として立ちはだかり)、結果半世紀以上もの間、ほぼ無策のまま救済が見送られてきたという経緯がある。
他方、ここ10年、20年の間に経済学者らの研究によって小作人と貧困農家の存在が経済成長を阻んでいると訴えられると、政府も多少は行動を起こそうと重い腰をあげつつある状況にあった。
本来の未来においても西条が地主達との関係が希薄で、かつ陸軍内でもそういう立場の者が少ないという状況を逆手にとって、農村の労働力を工業へと向けるために一連の解決策を検討したものの……
「減らせる余裕がどこにある!」――という様々な者たちの抵抗によって結局果たすことが出来なかったが、今が千載一遇の機会であるがゆえ実行に移そうというのだ。
こんな機会、もう早々訪れる事なんてない。
現時点で政府関係者に地主との縁が深い政治家が政府内に全くおらず、そして機械化農業の促進によって区画単位で必要となる農業従事者の数は減らすことが出来る。
おまけに戦争状態で工業に注力しなければという声が強く、地主の圧力は極めて弱まっている状況下。
これを利用しなければ今後永久に問題が解決しない可能性がある。
西条とも話し合ったが、来年には施行して五ヶ年計画でもって実行に移す事に決めた。
大まかな政策としては下記の通り。
1.他所に土地を所有する者において農業従事者、非従事者を問わず農地の所有の一切を認めない。
2.小作料は最大で収量ベースの8%を上限とする。(積算根拠は適正経営農家との対比に基づく)また、経費負担として固定資産税等の租税を別途小作人より徴収する事を認めない。なお、従来までの小作制度は段階的に廃止する。
3.小作人は、これまでの生活の上で借金等が生じている場合、国が無担保無金利でその金額を貸し出す。返済期限は30年~50年の猶予を持たせる。なお、小作人に金を貸し付けている債権者はその債権を国に譲渡しなければならない。国は債権に基づいた金額を債権者に支払う。
4.自作農者や自小作農者において、農業を廃業したい場合、農地はすべて国が地価に応じた金額にて買い取る。これらは自作農を行いながらも新たに農地を増やしたい者や、小作農から自作農へと移行したい意思を示す者などに同額にて販売する。
5.2588年に提起された"適正経営農家"のモデルケースをベースに、既存の大地主は自らも農業事業者として活動する者(いわゆる耕作地主)である場合においては、第三者を年雇用、あるいは臨時雇用等を行って雇用し、固定給を支払いながら事業を継続する場合は、一定以上の規模に達する場合、農業法人を組織することが出来る。
6.農業法人は、法人格として農地の取得、並びに売買が可能となり、法人管理をのもと、事業を行う事が出来る。
7.農業法人においては農地の貸与等を一般企業などに向けて行う事が許される。その場合は最大比率に制約が課され、全ての土地を貸与地として貸し出す事は出来ない。(自作農、あるいは耕作地主としての活動を行い続ける必要性がある)
8.農業法人は一般企業等より融資を受けることが出来る。融資に応じた農地の取得なども可能となる。
大体こんな感じで案をまとめている。
簡単に言えば寄生地主と呼ばれる存在を握りつぶし、大規模農業へと集約して転換していきたいわけだ。
ここで重要なのが不在地主と呼ばれる寄生地主の一掃である。
簡単に言えば自らは土地を貸すだけで、その土地の人間でもなく小作料の徴収によって収入を得ている者達の事だ。
世間では政治家等への圧力や極めて深い関係性などから、地主とは極めて大規模に土地を所有しているかつての大名や旗本のような存在であるかのようなイメージがあるのだが……
実は統計的にはこれは殆ど存在しておらず、全国で約3000程しかいない。
一方で小作人は全国で約500万人存在し、農業従事者の半数以上が小作人という状況だ。
彼らは借金などの影響により、債権者との関係性などによってその土地を離れる事が出来ないばかりか、学がなく何世代にも渡って小作人として農業を続けてきた。
生まれてくる子供は奉公に出されるか、労働力として駆り出され……終わらぬ負のスパイラルに巻き込まれる事になる。
経済学者がこれを多大な損失を生じさせている状況にあると述べるのは、彼らの就学状況がよろしくなく、もしかすると歴史的偉人へとなりうる才覚を有した者が奴隷のような肉体労働を強いられて花開く事なく散っていくことを危惧しての事。
では、このように踏み台にされ、精気を根こそぎ吸い取られるばかりの彼らは主として一体どんな者達から人生の大半を搾り取られているのか――
長いので分けました。
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