―皇国戦記260X―:13話:燕の巣立ち(後編)
長いので分けました。
「――離床速度は150km/hほどだ。推力計には常に気を付けろ。速度が乗っかっていても推力が足りない場合はストールを起こして離陸直後に墜落する恐れがある。実際に陸軍では訓練時に何機か機体を失っているそうだ。ただし、脱出装置があるのでいずれの訓練でも殉職者を出さなかったようだが」
「この機体にも?」
「足元のレバーを引けば脱出装置が作動して外に放り投げられ、落下傘が開く。こいつの訓練をやってから乗せるべきとも思うが、まだまだ信頼性に難ありな状態なんでな……信用するな。無いものと思え」
そんなものまで付いているのか……というのが正直な感想であった。
指南書にもそれらしき記述はあったような気がするものの、完璧と言える状態ではないらしい。
だとしても設計者の乗組員への姿勢と思想は大変評価できるものであることは間違いなかった。
「そろそろいいですか?」
「タイミングは任せる。停止させていると無駄に燃料を食うぞ」
「じゃあ行きますよ!」
ここで初めて自分がこれまでにないほどに緊張していた事に気づく。
スロットを動かした手が冷たくなっていた。
何しろ視界を遮るものが計器類以外になく、併せてコックピットの視界は信じられない程に開けており、視線の先には相模湾がはっきりと見て取れる状況だ。
しくじったら海の底。
泳ぎは得意だが、目の前に衝撃を吸収するプロペラ等がないジェット機で墜落した場合、どうなるかわかったものではないので不安ばかりが募った。
しかしその不安を払拭するかのように機体はゆっくりと動き出し、そして次第に加速する。
「滑走路は延長してある。離陸速度は高めで構わんぞ! なんなら速度が乗れば自然に陸から離れる」
「フラップ正常。推力よろし。速度170km/h!」
「丁寧にな!」
少佐から念を押され、ゆっくりと操縦桿を引く。
すると機体は驚くほどスムーズに浮き上がり、周囲の視界が目まぐるしく変化していった。
「本当に飛んでるのか!?」
「とっくに飛んでるぞ! ちゃんと高度計を見とけ! そのままバンク15度で右旋回! 旋回の後に機体を水平に戻せ!」
こういう場合、普段なら余裕をかまし、口答えしながら飛ぶ事もある。
しかしこの日はただただ少佐の指示に従うように飛ぶ他なかった。(何しろ飛んでいるかどうかもわからず主脚を格納し忘れ、少佐が代わりに操作を行って格納していた事にすら気づかない程だったのだ)
ジェットエンジンのあまりの振動の無さ、そして非常に高い飛行安定性の相乗効果により、飛んでいるという気が全くしない程にスムーズに飛行していく飛燕。
なぜ少佐がこの機体に拘って上層部を説得したのかはものの数分で理解することが出来た。
モノが違う。
加速性能も尋常ではない。
旋回して水平に戻した時には速度が500km/hを上回っている。
こんな加速性能を持つ戦闘機にこれまで乗ったことが無い。
次元の違う加速性能なのは間違いなかった。
「速度が800km/hを上回ったら、上昇角20~30の範囲で上昇しろ」
「まだ高度500とかですよ! 低空でそんなに出るんすか?」
「ジェットエンジンだからな! プロペラ機とは飛行特性が違うんだ!」
後に知ることになるが、ジェットエンジンは空気を圧縮して飛ぶため、気圧の高い低空でも十分に速度が出る。
プロペラ機では空気抵抗が増大して速度を上げにくい低空で、一定の速度までならば十分に速度が出るというのは大きな優位性である。
むしろ中途半端に気圧が低くて空気抵抗が高めとなる4000mぐらいの中空ぐらいの高度の方が機体の加速が鈍くなるような飛行特性を持っていた。
これが空気抵抗がさらに減る6000m以上だとまた変わってくるのだが、その領域は過給機のないプロペラ機では高速飛行するにあたって限界高度とも言えるような状態で、この点を加味しても大きな差を見せつけている。
他方、前述したようにこの時点での私はその特性の違いを知らぬため、必死に計器と外の様子とを伺いながら、指示通りに上昇した。
するとどうだろう。
機体は一気に上昇していくが速度が全く落ちる様子が無い。
これまで見た事が無いほど早く動く高度計と、その状態で加速することを示す速度計の双方を見て、性能の違いに感嘆させられた。
一度乗れば二度と零や雷電には戻れない。
そう言わしめてくる魔力のようなものを十分に感じ取ることが出来た。
「なんだこれ……一体どれだけの上昇力なんだ!?」
正直計器の故障ではないかと疑いたくなったものの、外の状況を見れば本当にそれだけの速度でもって急速上昇している事が把握できる。
「大気の状況にもよるが高度8000mまで約2分。これまでの半分未満の時間で登って来られる。最高高度も全然上だ。1万3000まで上げろ」
「1万3000!?」
「高度5000を上回ったぞ。酸素マスク装備! ヒーターも付けないと凍えるぞ!」
雷電は最大高度1万3000mほどまで何とか上昇可能であるとされる。
その雷電を用いて自分が腕試しにと慣熟飛行の最中に限界まで上昇させた高度が約1万2000少々。
大気状況や整備状況にも左右されるが、プロペラ機だととにかく時間をかけて飛んでなんとかそれぐらいまでたどり着けるかどうか。
それも限界ギリギリといった所で、恐怖感を感じるほどに機体は安定しなかった。
それに対し、少佐の言動から推察するに飛燕の場合は1万3000mが通過点であるのは明らかで、もっと高く飛ぶことが余裕でできる様子だった。
なんなら1万3000mで高速巡行していけると言わんばかりの様子ですらあった。(後にそれは事実であることがわかる)
そんな恐るべき性能を前に慌てながらも酸素マスクを身に着け、指示通りにヒーターも作動させる。
飛燕は3分もしないうちに高度1万を超えると、段々と空が暗くなってくる事に気づく。
このあたりの高度になると酸素濃度が薄まり、空が暗くなるのである。
外の気温は-50度前後。
本来なら防寒着に加えて電熱服などを着こまないと凍えてしまう危険な領域。
しかし、飛燕は驚くべきことにヒーターのみで全く問題ない程度に室内の温度が保たれていた。
「高度1万3500!」
「よし。そのまましばらく水平飛行。速度は800前後に保て。スロットル開度は8割ぐらいだ」
「了解!」
もはやこれは飛んでいると言えるのだろうか。
開けた視界に対してあまりにも機体が揺れないのだ。
ジェット気流よりさらに上の高度であるからというのもあるが、まるで空を飛んでいる映像を見せられているだけのような状態なのである。
それがとても新鮮で、不思議で仕方なかった。
「へっ……西遊記の猿にでもなった気分だ」
素直に本音が零れる。
レシプロ方式のプロペラ機に乗っていた時、極一部での飛行以外では自分の視界の真上にまだ雲があるというのが当たり前だった。
なんだかんだ高度1万mぐらいまでは雲が存在する。
これまでの作戦においては高く飛んだとしても8000m前後を飛ぶことが多かったため、大気の状況次第ではまるで蓋をするがごとく壁のように視界を埋める雲の存在は自分にとって煩わしいものだった。
手を伸ばせば届く程度の高さにはあったものの、まだ届かないという紛れもない事実に飛行士になった一方で自分はまだ空を制したわけではないと現実を突きつけられて虚しく感じていたのだ。
しかし1万3000mを越えると雲よりも高く飛ぶことができるらしい。
視界の真下にしか雲が無い。
真の意味で自分は雲の上を飛んでいるのである。
きっと斉天大聖孫悟空はこの状況でもって自らが天界の果てに辿り着いたのだと錯覚したのだろう。
宇宙という存在を知っていなければ、自分も同じようにここが空の果てだと考えたかもしれない。
確かにこの上には宇宙がある。
だが、空の果てはこのあたりで間違いなさそうだ。
どこかに指のような何かがあったならば、「我ここに至れり、天空の果て。ここより先は宇宙の領域なれど天界にあらず」――とでも書いたかもしれない。
例えそれが釈迦の掌の中の領域であったとしても、自分はその先の領域を知っている。
掌の上だからなんだ。
その中でももっとも高い果ての果てに辿り着いたのだ。
もう手を天にかざしてもそこに雲はない。
星しかないんだ。
飛行機乗りにはそれで十分さ。
「――そろそろよろしいか?」
「へっ……あぁ、そういえば二人乗りでしたっけねコイツは……」
しばし感動に浸っていたため、少佐の存在を完全に忘れていた。
忘れるほどの光景が目の前に広がっていたのだ。
「もうこれ以上くどくどと性能の高さについて説明する必要性も無いと思う。烈風は確かに1万6000mの高さまで飛べた。しかしそれは何とか踏ん張って飛んでいるような状況だ。速度もまともに出ない。この機体は作戦展開時の限界高度はおよそ1万5500mとされるが、烈風と同じぐらいの高さまで行こうと思えば行ける」
「速度をほぼ維持したままという事ですよね?」
「そうだ。烈風よりずっと速い」
「上昇速度なんかも比べ物にならなさそうだ」
「楽しくないよ。あまりにも時間がかかるんでな。もうあの機体への興味は完全に失せた」
楽しくない……か。
嫌な表現だ。
魅了されたら二度と戻れないんだろうな……レシプロ機という存在には。
「それで嘆願までなさって……さぞ苦労した事で」
「そうさ……苦労の連続だった。そして単刀直入で申し訳ないが、この機体が本当に我が軍に制式に採用されるかどうかは君にかかっている」
「……まーそんなこったろうと思いましたよ」
普通に考えればジェット戦闘機は最重要機密。
来て初日の人間に簡単に見せてあれこれ説明するわけがない。
ましてや乗せて飛ばすなんて異常だ。
それだけの理由があることぐらいは何となく察していた。
「陸軍が開発した機体なだけに、上層部は当然難色を示した。しかし短距離離着陸能力と頑丈な主脚を併せ持つこの機体ならば艦上運用が可能であることは統合参謀本部経由で共有された各種資料から予想がついていたのだ」
「だからかなりの無理して取り寄せたって感じですか?」
「宮本司令のご助力の賜物だ。頭の固い上層部の反対を押し切って陸軍の同意も取り付け、山崎から先行量産型を数機分けてもらった。初めて乗った瞬間、それまで試験飛行を重ねていた烈風の事などどうでも良くなった」
恐らく烈風は零から順当に進化した戦闘機であることは間違いない。
しかし1000km/hを越えるこの機体とは比較にならないだろう。
所詮は旧世代の機体というわけである。
乗らなくても想像はつく。
「それでわざわざ艦上運用できるように設計変更した機体を川東に作ってもらったと?」
「いや、元からそのような運用も考慮して設計されていた。最初から飛燕は艦上運用も想定されていたんだよ」
少佐の言葉で即座に理解できた。
艦上戦闘攻撃機となった飛燕は無茶な改造等一切されておらず、陸軍仕様のものと殆ど性能的な差がない、所定の性能を発揮できる高性能機であるということを。
着艦フック等の装備で若干の重量増大が生じているかもしれないが、それぐらいである。
「それは導入しないわけにもいかないすね」
「そう、だから川東に量産させて此度の戦に投入しようと思ったんだ。私の予想では大規模な戦闘に皇国が参加する機会は今後そう多くないと踏んでね。今のうちにジェット戦闘機の大規模運用の知見を得ておかなければ将来の開発計画や運用計画に支障がでかねない。よくわからん失敗作を生み出したり、ロクでもない運用法が確立されて、いつか起こるであろう戦の場にて敗北を喫する事になりかねん」
確かにありうるかもしれない。
同規模の世界大戦がこの後も100年以内に起こるかと言われれば違う気がする。
実際に戦闘に至った際に誤った方向に進んでしまった結果思うような戦果を挙げられず、多くの被害を出してしまうというならば取り返しのつかない事になる。
「だが突然横槍が入ったんだ。陸軍で機種転換に苦労しているという話を聞きつけた上層部が、此度の戦においてジェット戦闘機を本格動員するには時期尚早だと言ってきた。リスクの方が大きいとな」
「本音では自尊心の問題で海軍が独自に開発した戦闘機を制式採用して運用したいってんでしょ?」
「さすがに評判通り地頭は悪くないようだな中尉。つまりだ、我々の必死の抵抗の結果彼らは条件付での採用を認めた。それが10日で機種転換して乗りこなせる事。上層部が指定する所定の飛行士に10日の期間を与え、その間に乗りこなし、空輸でもって遠くユーグの海域で航行する加賀まで輸送して着艦できるようになることだ」
言葉では言い表さなかったが、少佐は遠まわしに海軍の航空部隊の将来は若干22の自分にかかっており、その責務を背負っていると伝えてきていることが理解できた。
実戦に参加して2年。
軍との付き合いは正味4年しかない人間にとんでもない重責を課したものである。
しかし勝算がないわけでもない。
ゆえに問いかけたいことがあった。
「なんで自分なんです? 自分が上層部の立場だったらもっと成績の悪い素人同然の者を選ぶはず」
「あの手この手で根回ししたんだよ。奴らは書面上の記述からしか情報を読み取らず、適当な噂を鵜呑みにする程度の連中だ。中尉が練習機を5機以上もおしゃかにして、かつ上司にたてついて言う事を全く聞かず粗暴な態度をとるという表面上の話だけで適任者だと判断した。君の単独撃墜数が少ない所などを逆手に取ったのさ。実際は中尉が高い技量を持ち合わせ、地頭も整っていてこういう局面で闘志を燃やしつつも、こちらの想いを受け取ってくれる人物だと踏んで選び出した」
「少佐が俺を?」
「私も適任者だと思ったが、最終的にその選定の最終判断を下したのは堅田大佐だ。10日後の君の上司になる男だよ」
「堅田大佐……一航戦の?」
「加賀に向かうと言ったろ」
にわかに武者震いで体が震えてくる。
この度の本土帰還。
それは決して左遷などではなかった。
むしろ栄転だったのだ。
これまでずっと陸上基地で作戦に従事していた自分が、ついに華の一航戦に転属となる可能性がある。
家族にも胸を張って報告できる肩書を得られるという事実に魂が震えた。
「つまり、作戦を成功させれば加賀飛行隊の分隊長にでもしてくれると?」
「飛行隊長だ。新たに編成予定の第343航空隊。そこの戦闘301飛行隊に所属してもらう事になる。大尉への昇進と合わせて。ちなみに作戦成功後は引き続き私が直属の上司となる。343航空隊の飛行長となる予定だからな。上層部はこの作戦が上手く行くならば艦上ジェット戦闘機部隊の運用は堅田大佐とこの私に一任すると伝えてきている」
「343……?」
「そこについて今は特に疑問を持たなくていい。加賀飛行隊であることに変わりはない」
この時点での私は知らぬ事であるが、これまでの海軍においては地域、あるいは運用する艦ごとに地名や艦名を冠した部隊名を施していた。
しかし戦闘が激化するにあたり、臨機応変に運用を変更できるように運用法を改めた結果、新たに編成される部隊は数字を当てはめるようになったのである。
こうすれば作戦展開時において臨時に航空隊が他の艦に配属となった場合でも混乱を生じさせにくくなるなど利便性が向上する利点があった。
特に空母の飛行隊においては明日には沈められて存在が亡くなっているかもしれない。
その状況下でいちいち所定の手続きを行って名前を修正しながら部隊の管理を行うと言うのは極めて非合理であり、限られた人員で現場を回すにあたって必要な措置だったわけである。
「いいんですか? こんなに若ェのに任せちまって……自分はまだ入隊して2年ですよ?」
「次の世代を担う航空機だからこそ、次の世代を担う若者に任せたいんだよ。私も堅田大佐も宮本司令も。入隊して2年? 結構な事じゃないか。戦場で果てなければ君は軍人として後20年は確実にやっていける。その間に得た知見を次の世代に受け継がせていってほしい」
少佐の言葉にまだジジイにもなっていないのにと愚痴を零そうとかと思ったが、ギリギリで踏みとどまった。
それだけ期待されているという事なのだ。
「いいか、しばし戦場の事は忘れろ。10日で完全にモノにしてさも誰でも簡単に乗りこなす事ができる程度の代物だと周囲に威張り散らしてもらえればいい。343航空隊には中尉のような腕利きの若者を中心に集める。中尉が可能であれば彼らも何とかなるはずだ。もちろん、飛行隊長として君が指導役にもなってもらう事になる」
「やってやろうじゃないすか。俄然燃えてきましたよ。自分は権力に縋りつく無能の鼻っ柱をへし折るのが大好きな性分でね」
「まあ、堅田大佐や宮本司令の顔に泥を塗らないよう努めてくれればいい――」
かくして機種転換訓練が開始される。
この時の私はまだ地獄の10日間の始まりだという事は知らなかったのであった。
◇
翌日の事――
「――バンク角40! 急速左旋回!」
「――くっ!!!」
「どうした! さっきよりも反応が鈍いぞ! この程度のGで音を上げてたら戦闘で後れを取る!」
内心何と戦う前提でそんな事を言っているんだと思いつつも、歯を食いしばって燕を振り回す。
ここに来て飛燕の性能に完全に振り回される自分の姿がそこにあった。
飛燕はこれまでの航空機とは全く違う。
初日の飛行で何となく気づきかけていたが、操縦桿を動かした際の応答速度が尋常ではない。
これまで操縦した機体であればワンテンポ遅れてよっこらせとばかりに機体が傾く所、操縦桿と完全に連動しているように機敏に鋭く動くのだ。
全遊動式の水平尾翼などの働きなどによってそれを可能としていた。
少佐の話では高迎角時における運動性能では疾風よりもこちらの方が上回っているとの事。
それでいてこの機体は本来は戦闘用ではなく高等練習機としてジェット機への転換を行うものとして設計されたらしく、現状では他の追随を許さぬ高性能機であるために戦闘運用も可能ということで武装が施されているが、後々にはこれが赤トンボなどと同じ立ち位置につくらしい。
つまり、将来においてはこれで訓練した者達が次の世代のジェット戦闘機のパイロットとなっていく程度の機体なのだが……
それまでレシプロ戦闘機で余裕をこいていた私にとって、1つの壁を超越して音の壁に迫る勢いで飛行可能なこの機体に体が仕上がっておらず、全身が悲鳴を上げていた。
「残り9日しかないんだ! こんなところでくたばるなよ!」
「あい!」
「今日は空中給油もやってもらうからな」
「はぇ!?」
「ああ、すまん言い忘れていた。この機体は空中で給油できるんだ。ゆえに航続距離は理論上無限大に増やせる」
さらっととんでもない事を言ってくれる。
しかし確かに機体の前面に邪魔なプロペラが無いならば、ホースか何かを伸ばしてきて給油させることは不可能ではない感じはした。
戦闘機が空中給油できるという事は戦闘行動半径が大幅に増大し、戦闘可能時間も大幅に増大する事を意味する。
長距離で飛んできて双方共に数分程撃ち合って終わりというようなこれまでの状況が覆り、どちらかが後退するか全滅するまで戦い続ける事ができるようになる。
また、状況次第では相手を燃料切れにまで陥れて行動不能にした後に撃墜するというような可能性もあり、空中給油の有無は大きな戦術的優位性を自軍にもたらすことは明らか。
しかし頭の中でそういうことを描いて実行にも移そうにも、これまでなら机上の空論に過ぎず消えて行ったはず……だからそんな技術も戦術も存在しなかったのだ。
だが、この飛燕においてはそれすらも許さない様子だ。
「君は加賀までどうやって飛ぶつもりだった? 何度も離着陸を繰り返して給油しながら向かうと思ったか?」
「そう思っておりましたがね……」
「上層部はそんな程度の機体などいらぬとの事だ。無着陸で加賀まで向かう。計6回の空中給油を成功させて無着陸のまま加賀まで向かい、着艦する。それが制式採用への条件だ」
「そりゃ難儀で……」
「本当は基地内でどうやるか説明してから実行に移す予定だったが……致し方ない。最初は私がやる。次からは中尉、君がやるんだ」
「やりますよ! この機体は心底気に入っているんだ! 俺と少佐だけが遊ぶためのおもちゃになんかするものか!」
「その意気だ!」
私は飛燕を乗りこなすため、頭の中を真っ白にして、これまでの常識を無かった事にしながら必要な情報だけを書き込むように努めて飛んだ。
それはまるで親鳥から飛び方を教わり、秋口に海を渡っていく燕そのものだった。
そして、走馬灯のごとく月日は過ぎ去り――
その間に着艦訓練や脱出装置の作動訓練を行い、横須賀到着から11日後――
◇
「――ようこそ加賀へ。"菅野大尉"。どうだ、燕の具合は?」
「いやぁ、大した事無いっすね、大佐。あんなの10日あればこの通り、練習機を5機も破壊したデストロイヤーの自分でも乗りこなせます」
「虚勢でも誇張でもなさそうだな。滋賀少佐も無事に着艦できたという事だし、やはり燕を採用するべきだったんだろうなぁ」
「それが正しい選択であったことを、歴史の教科書に刻んでやりますよ」
「先刻の着艦直前での超高速での周囲旋回……見事だった。あれほどの速度で飛び回られたら上の連中も納得せざるを得んだろうよ――」
一言怒られると思っていたものの、パフォーマンスの一貫として見せた艦隊周囲を低空かつギリギリにまで接近しての旋回飛行。
どうやら大佐……オヤジには相当受けたらしく、私の肩をたたき、よくやったとばかりに褒めた上でニヤつきながら鼻歌をなびかせつつ艦内へと姿を消していったその後ろ姿は今でも目に焼き付いている。
この後に何があったのかは、何度も映像化されたのでこれを読む者達もご承知の通り。
343空は海軍において戦中最強の航空隊として今日まて語り継がれ……そしてここで得た知見により、海軍の艦上戦闘機に対する考え方と運用法は決定づけられた。
以降も配備される新型機は全て複座型の機体で、似たり寄ったりな外観を持つ機体ばかり。
後継機の"紫電"は飛燕のコンセプトをキープしつつもマッハ1級の超音速戦闘機として完成し、私がテストパイロットとして仕上げた。
その改良機で当初のマッハ1.6からマッハ1.8までの領域まで加速できるようにした"紫電改"も。
当時既にマッハ2級機体がこの世には存在したものの、最高速ばかりに囚われると機体が肥大化して操縦性が劣悪になることを嫌った上層部や現場の意向により、あえてマッハ1級とした紫電及び紫電改は飛燕共々傑作機として今日まで評価されている。
その後継機である"閃電"では我が国海軍史上初のマッハ2級艦上戦闘機として完成し、そして現在はその後継機たる最新鋭の"雷電(二代目)"が配備されている。
二代目といっても、初代は王立語で「ライトニングボルト」と友軍内で呼称されており、真の意味で「ライデン」となったのはこの機体であるが……飛燕の血脈は受け継がれ、外観の意匠に類似点は多数ある。
テストパイロットを経て訓練教官を務めた私はある程度のところで海軍を退役してしまい、二代目の雷電への搭乗機会は無かったものの……
閃電から乗り換えた後輩達からは"電"の称号を受け継いだ後継機に相応しい完成度となっていると伝えられている。
私が海を渡って届けた燕は"雷"へと姿を変え……これからも皇国の海を守っていくことだろう。
皇歴2650年9月20日。
ここに343空発足の裏舞台の一部を書き残す。
―――――菅野直斗著―――――――
X開設中
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