―皇国戦記260X―:13話:燕の巣立ち(前編)
長いので分けました。
紅葉が色づき始めた頃。
ある鳥の鳴き声が聞こえなくなることで今年もこの時期がやってきたことを実感する。
家の軒天に巣作りした渡り鳥達は、気づくといつの間にか旅立ってしまっていた。
その度に呼び覚まされるのは数十年も前の記憶。
私も彼らと同じく、燕となって海を渡った事があるのだ。
もう十分月日は過ぎた。
そろそろ語る時期に来ている頃合いだろう。
今なら軍のプロパガンダと揶揄される事も、戦を肯定化しようとしていると非難される事もないはずだ。
私はただ経験しただけに過ぎない。
その事実を後世へと伝える役割を担っている自覚は常にあり……この時を待っていた。
ゆえに私は机へと向かい、今これを書き残している。
それは紅葉が色づきかけた皇歴2604年9月20日の事であった――
「――休暇ついでに航空技術工廠飛行実験部に転属たぁ、とんだ左遷だぜ! 一体俺が何をやったってんだ! この野郎! えぇ? 答えてみろよ、貴様らは何か知らんのか!?」
横須賀海軍基地に降り立ち、輸送機から出て開口一番出迎えに来た工廠所属の若き同志達を怒鳴りつけているこの愚かな青年こそ、他でもない私である。
齢22。
18で海軍兵学校に入学して20で卒業。
以降、遠いユーグの地で戦い続け、仲間と共に戦果を出し続けて猛りに猛った青年は、突然の本土への帰還と転属命令に納得できずにいた。
所定の期間の間に活動し続けた者に対し、軍が休暇を与えると言う事はままある。
しかしそれは一週間や二週間、長くて一月と言ったところで、通常転属まで伴うものではない。
自分に何が起きたかについてはある程度頭の中で理解できてはいた。
活躍しすぎたのだ。
転属先は航空技術工廠の飛行実験部……即ちテストパイロットへの転身を命じられているわけであって、それは軍にとって失いたくない人材だからが故に自らの懐に仕舞い込もうとしたという事である。
その事実はこの頃の自分には到底受け入れがたいものであったのだ。
早い時期から分隊長を任された自分には、守りたい、共に祖国へと帰還したい部下や仲間がおり……
彼らを戦場に放置したまま一人帰るという状況に納得する事ができなかったのだ。
そもそもテストパイロットというのは、我が軍においては一部の者から臆病者と後ろ指を差されるような立場であり……
肩身の狭いであろう彼ら自体を否定する気はないものの、親族に向けて立派に戦い抜くことを宣言して故郷より出てきた身としては、自らがその立場に陥った状況に対して魂が拒絶反応を起こしていた。
「随分と元気だな小僧。とても6000km以上の距離を狭い輸送機の中で揺られて遥々運び込まれて来た様子には見えん。これなら今日飛べるな」
「あぁん?」
それまで若者たちの背後にいたのだろうか、あるいはこちらの態度に助け舟を求めたのだろうか……
気づくと目の前にはいかにもなベテラン風を吹かす男の姿があった。
一見して穏やかな表情を見せつつも、内側に熱い何かを秘めたような出で立ちにある人物の名前が脳裏をよぎる。
「見覚えがある……確かこのあたりで試験飛行を行っている飛行実験部員の滋賀少佐といいましたっけ? 何度か軍の広報でお顔を拝見したことがありましたっけね」
「あまり部下をいびらないでくれるか。菅野直斗中尉」
「部下を置き去りにしたまま本土に一人帰らされる事に納得できる飛行隊員が一体どれほどいるのか、是非ご指南仕りたいとこですね少佐」
「どうやら事前の評判通りの男のようだな。ついてこい」
「はい?」
「見た方が早い。君も多少なりとも納得する答えが得られるはずだ」
時間が惜しいとばかりに自分を連れ出そうとする志賀少佐の姿を見て、これ以上騒ぐよりかは賢明だという事で私は彼に付き従い、格納庫へと向かう。
そこで見たものは――
「なんだこりゃあ……プロペラがねぇ……それだけじゃない。なんだこの形は!? これが航空機なのか!?」
「むしろ逆だ中尉。これこそが航空機だ」
少佐に連れられ、格納庫の奥にて見たもの……
それはこれまでの常識を完全に打ち砕くかのような新鋭機の姿であった。
これが人生で初めて肉眼で目にした本物のジェット戦闘機である。
これまで小耳にはさむ程度にその存在は認識していた。
陸軍が2年程前に全く新しいタービン式のジェットエンジンで飛行する戦闘機の開発に成功していた事……
そしてそれらは量産され、疾風という名前で配備されている事。
それらの姿は皇国国内の少年漫画雑誌に描かれ、少年たちの憧れの的となって若い者ほど陸軍を目指そうとしている事など。
特に機体の前半分程度ならば部下が私物として取り寄せた漫画雑誌の表紙に描かれていたので、その姿を知っていた。
だが……明らかに違う。
目の前の航空機は疾風と称されるソレとは明らかに次元が違う。
さらに進んでいる。
洗練されている。
大きく後ろに飛び出た水平尾翼、その手前に配置された逆ハの字に配置された2枚の垂直尾翼……
これまでに見た事が無い出で立ちである。
一方で、すべての形状がさも計算に計算され尽くした結果そうなったかのようなまとまって、なにか気品のようなものを漂わせていた。
何しろこの機体には――
「胴体と翼の境界線がない……どうなって……」
「無いんじゃない。翼なんだ。航空機の本来あるべき姿とは、翼そのものだ。この機体はその姿に近づけられるだけ近づけた結果の成れの果てだ」
「とんでもねえ技術者がいたもんだ。メーカーの人間ですか? それとも……」
「残念ながら陸軍の機体だよ。噂の疾風の設計者の次なる戦闘機がこれだ」
現地の航空力学にも精通する整備員が述べていた。
疾風は各国の20年先を進む胴体構造であると。
1つ1つの要素を汲み取っても、自分が習ってきた流体力学の法則的に理解不能な構造が各部にちりばめられていると。
ではこの機体は?
一体いつ設計されて、一体何年先を行く?
戦後私はそれが2年程前に設計された事を知るが、僅か2年で設計者は遥か半世紀先とも言えるような領域に手を伸ばしていると言われるほどの存在をこの世に生み出していた。
実際、目の前にある航空機と類似した形状の航空機が世界に姿を現し始めるのは30年以上も先の事……
何を目指せばこうなるのか、全く持って理解できない。
「海軍の志望者が減るわけだ……ようは拝借したってわけですか?」
「まあ、それに近いかもな……そこの! 杉浦少尉! 悪いが事務室から指南書を持ってきてくれ。中尉に渡す!」
「指南書?」
「乗ると言っただろう。君にはくどくど説明するよりも乗った方が早い。幸いこの機体は2人乗りで、後部操縦席からも操縦できる。初めてでは着陸は難しかろう。それは私がやるから、乗りこなして見せろ」
「いや……えっ?」
一瞬口答えしようかと迷ったが、踏みとどまる。
噂の疾風の最高速度は知っている。
時速1000km/hの領域を超えた、プロペラ機とは違う速度領域で飛ぶ怪物。
それをいきなり乗れと命じられたばかりに、これで飛びたいという欲望と、無茶な要求に歯向かおうとする反骨心とが相対し、自らを硬直させた。
仮に飛びたいという欲望だけが勝っていたならば、素直に飛び跳ねて喜んでいた事だろう。
「――どうぞ。こちらです」
「あ、あぁ……すまない」
「10分で目を通しておけ中尉。最低限の計器の場所は覚えろ。後は飛びながら説明する。杉浦少尉! 中尉の飛行服と飛行鉄帽!それと耐Gスーツも! 予定通り本日の飛行準備を開始する! ただし予定と異なり搭乗者は二人でだ! 皆を集めろ!」
「はッ!」
駆け出して行った杉浦少尉を横目に、私は現実感を段々と喪失していく状況にあった。
ここに来て私は輸送機から降りて当たり散らした事を後悔しつつあった。
「随分と性急すぎやしませんか……」
「時間が無いもんでね」
「一応、自分は今飛行服と飛行帽を身に着けていますが、これでは問題があるので?」
「そんな型式の古いものでは空中で気絶するだけだ。ジェット戦闘機にはそれに合わせて開発された飛行服が必要となる。パーティのドレスコードみたいなものさ」
「はあ……」
既に自分の中では本当に飛ぶのかよという言葉が幾重にも連なってのしかかっている状況であり、少佐殿が他に何を話していたのか全く記憶にない。
目の前の指南書に書かれた解説を頭に入れるのにも必死で、それどころではなかった。
「あっちに更衣室がある。少尉から受け取ったら少尉の説明を聞いて正しく身に付けろ。冗談抜きで生死に関わるからな」
「そんなに速いのか……」
当然飛行隊員として実戦にも参加してきた立場ゆえ、Gの概念はすでに理解できている。
速度が向上すればするほどにGは強くなり、最悪の場合失神することも。
また、飛行学校時代に飛行中に失神した部下が負傷した姿を目撃した事もある。
これまで自分が搭乗経験がある戦闘機は時速700km/h少々の雷電まで。
大半の任務では零と共に過ごし、雷電への搭乗機会は多くない。
あれより300km/h以上も速い機体ともなると肉体にかかる負荷は想像以上であることは容易に推察できる。
「ん! なんだこれ……機関砲が1門? どういう事ですか。軽快に飛びそうなのに、こいつは戦爆かなんかなんですか?」
ふと指南書に記述された性能諸元の部分に気になる所があり、少佐に問いかける。
20㎜機関砲を搭載しているが、記述を見る限りでは1門しか搭載されていない。
艦内スペースの問題から百式攻撃機よりも使い勝手を向上させられないかと新型の発動機を搭載し、単発機として海軍が試作した艦爆と艦攻を兼ねる"流星"ですら最低限必要だからと2門搭載なのにも関わらず、1門は明らかに少ないと言える。
攻撃力の不足から自分はその時点で爆撃を行う機体なのではないかと想像した。
しかしそうなると私がここに呼ばれた理由が不明なのだ。
私はもっぱら制空戦闘と要撃を主軸として活動しており、爆撃の経験もなく必要となる訓練も殆ど受けていない。
生粋の戦闘機乗りなのである。
「1門で3門~4門分の働きをする全く新しい航空機関砲だ。問題無い。むしろ信頼性は大幅に上がっている」
「1門で?」
「丁度良い機会だ。今日は機体から取り外して整備を行った機関砲の試射を行っている。着替えたら試験場で射撃する姿を見てくると良い。飛行準備にはまだ時間がかかるからな」
「わかりました。場所を教えてください――」
――自分は納得できないと強い不安を感じる性質を持つ人間だ。
不安要素はとにかく払拭しておきたい。
ゆえに少佐から場所を教えられると、着替えた後にすぐさま射撃試験を行っている試験区画へと足を運んだ。
◇
「――――ッッ!!」
まるで大量の巨大な蜂の群れが襲い掛かってきたような轟音が耳の奥を通り過ぎると、視線の先にある何とも言えない標的の哀れな姿に暫く一言も発する事が出来なかった。
砲門が回転して連続的に高速で射撃を行う兵器。
斉射砲と呼ばれ、この皇国の地においても近代の戦で活躍したとされる過去の遺物がいつの間にか大きく進化して航空機関砲として復活していたのだ。
ただし、この時点の私は既に退役済みであるがゆえに斉射砲の存在を知らぬため、純粋な新兵器としてソレを捉え、その上でただただ強力無比な姿におののくばかりであった。
空中戦闘でこのような機関砲の攻撃を食らえば人体がどうなるか想像しただけでも恐ろしい。
つまり連射速度を向上させ、構造的に不発となってもどうにか処理しやすい信頼性を獲得したから1門で十分という事になったのだろう。
最低限の装備としたことで生まれた余分なスペースには最大約900発もの弾丸が装填され、継戦能力を大幅に高めた状態として仕上げられ、機体内に格納されていた。
つまるところ爆撃も出来そうな雰囲気もある機体であったが、本質的に空中戦を行える戦闘機であることに疑いの余地はなかった。
「突然進化しすぎなんじゃないのか……航空機は。もう何年もしたらこんなのを搭載した高速戦闘機が戦場を飛び回るようになるのか……」
頭の中で唱えたか、あるいは独り言のようにそう呟くと、時間の関係もあり急いでその場を立ち去った。
少佐からは見て確認したらすぐに所定の場所まで戻る事を命じられていた。
新しい飛行服はサイズも合っており、特に違和感はない。
違和感があるとしたら身に着けたその姿そのものであり……
インナーとアウターで構成された飛行服はアウター無しでは恥ずかしくて歩き回れないほど体型が露わになるようなものだった。
これで飛行中のGを緩和できるというのだが、正直どう作動するのかその時点では想像すらつかない。
他方で人間の関節の可動等を十分に考慮したものであるので、これまでの飛行服よりも動きやすかったという点は素直に評価できた。
◇
「来たな、中尉!」
「とんでもねェもん見させてもらいましたよ。確かにあれなら1門でも十分だ。本当に戦闘機なんすね?」
「正確には艦上戦闘攻撃機だ。"四式艦上戦闘攻撃機"飛燕。それがこいつの名だ」
「離着艦可能なんですか?」
「その証拠にフックが内蔵されている。後ろに張り出しているだろ? きちんと作動するかどうか具合を見ていたんだ」
「本当だ……」
「普段は完全に格納されてて見る事ができないが、こいつは空母での運用を想定したものだ」
少佐の話はそれまで陸上運用を想定して拝借したのかと勝手に思っていた私を動揺させるに十分な話であった。
本機はつまり本当の意味で海軍の新たな翼となる存在だったのだ。
とりあえずジェット戦闘機の知見を海軍側でも有しておきたいからと借り受けてきた存在ではないのである。
そうなると単純な疑問が浮かんできたのだった。
「待ってください。つい最近発行された広報を見ましたけど、少佐は四菱の新型プロペラ戦闘機のテスト飛行をなさっている姿が写真として添えられていた。それも艦上戦闘機だったはず。確か烈風と言ったか……あれは何なんですか? この機体は一体どこが製造して……」
「設計は陸軍。製造は主として山崎……しかしこの機体だけで言えば一部の部品製造以外は全て川東だ」
「川東!?」
噂では川東は高速水上戦闘機をベースとした陸上機を密かに開発しようとしていると聞いていた。
しかしそれもプロペラ機であったはず。
一体何がどうなっているのか。
「私が上層部に嘆願してこさえてもらったんだ。この機体でないと話にならんのでね」
「……烈風は失敗作だったんですか?」
「いや? 傑作機だよ……間違いなくな。陸軍の三式重戦と比較して性能も申し分ない。ただしそれはレシプロ戦闘機としての話。もう時代は変わったんだ」
「プロペラ機の時代が終わる?」
「山崎から借り受けた先行量産型の飛燕でもって試験飛行を行って全てを理解した。あんなのに乗っていてもどうにもならん。明確な越えられない壁を隔てた圧倒的性能差がある。だから上層部を説得し、我が軍でも運用するように嘆願した。その結果受領した機体こそがコイツだ」
見ればわかる。
目の前の機体は明らかに高性能であることが。
果たしてどこまで高性能なのかはまだ飛んだことが無いのでわからないが、少佐の話には相当な説得力がある程に作り込まれていることは機体の外観からも把握できた。
「――ッ少佐……」
「悪いが時間が勿体ない。話の続きは空でやろう。鉄帽の被り方は少尉から聞いているな?」
「え、ええ」
「じゃあお前は前の座席に乗れ。基本は同じだ。飛行特性が違うという点は飛びながら説明していこう」
「1つだけ聞かせてください。なんで燕なんて名付けられているんですか?」
「操縦席に乗る前に機体を見下ろすように見てみれば意味が解る」
少佐はそう述べると慣れた手付きでもって梯子を上り、後方の操縦席へと体を滑り込ませた。
私もその後に続き、梯子を上り、上り切ったところから背筋を伸ばしてつま先立ちする恰好で機体の後部の姿を確認してみる。
「あぁなるほど……飛燕とはそういう……」
主翼から尾翼にかけての構造はまさに飛んでいる燕のようであり、飛燕の名を冠するに相応しい意匠をまとっていた。
「エンジンスタートはこちらでやる。計器にだけ目を向けておいてくれ。推力計がどこにあるかわかるな?」
「わかります」
「操縦桿等はまだ触るなよ?」
「了解です」
少佐とのやり取りを終えるかおえないかといったタイミングで操縦席付近にかけられていた仮設の梯子が整備員により取り外され、周囲にはこれまで聞いたことが無いような音がこだまする。
これが人生にて初めて聞くジェットエンジン音であった。
既に何度も飛行試験を重ねているのか整備員も慣れた様子で迷う事なく素早く作業を済ませると、少佐が風防を下ろし、いよいよ飛行開始が近づいていた。
「タキシングまではこちらがやる。離陸は中尉がやれ」
「やってみせますよ……やってやるとも!」
もはや逃げ場などない。
自分に語りかけて気合を入れ、その時を待った――
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