番外編22:上級曹長の名銃コラム Type5編(前編)
長いので前編、中編、後編に分けます。
やあ諸君、今月も私の記事を見てくださっているようで大変感謝している。
さて、毎月発行の銃器関連雑誌、アームズプロフェッショナルにてお届けする銃器コラム、私ことガーン上級曹長の名銃コラムだが、今月のお題はType5だ。
このコラムをずっと追いかけてきた読者の諸君においては、これまで80種以上もの名銃を紹介してきた中で今回ようやくType5の紹介へと至った事についてやっとかといった思いを抱く者もいるだろう。
それもこれも私のコラムではなるべく他では語られないような名銃を中心に扱う事を目指していたわけだから、拳銃の中でも特に有名で、各所で語りつくされてこれ以上語る事も無さそうなType5については優先度が低かったんだ。
しかし一方で、コラム掲載開始以来、毎月1000通以上ものType5紹介記事を見たいというリクエストがあり、正直私もいつかはやろうとは思っていた。
今年はコラム掲載開始から10年目の節目の年。
あらかた紹介したい銃も紹介し終わった事だし、ここらで1つ名銃の中の名銃に与するType5を題材にやってみようとの考えに至ったので、今日はType5について紹介するぞ。
さて、それでは改めて本拳銃についてであるが、Type5という名称は現在公式化されているものの、この拳銃の本当の名前ではない事はそこそこ知られている事だろう。
正式名称は皇国名にて「五式拳銃」と言う。
名称の由来は皇歴換算で2605年に制式採用に至ったため。
Type5という名称は「五式拳銃」あるいは「五式」という呼称がユーグやNUPの国々では発音しにくく、王立国家が別称としてType5と名付け、それがいつの間にか定着して皇国国外での正式名称となった事による。
今や皇国国内でもType5と呼称される事が多いが、軍での登録名称はあくまで五式拳銃だ。
まあ、ここについては各所の雑誌記事やネット上で確認できる情報でも記述されている話なので特に改めていろいろ述べる必要性もないだろう。
重要なのは本拳銃自体は3年前の2602年には試作品が完成していてトライアルを開始していたという事と、あの混沌とした状況の中でなぜ3年もの間、制式採用に至らなかったのかという事である。
理由は単純。
重すぎたのだ、この拳銃は。
当時の皇国においては900g少々の14年式拳銃すら重いとされるほどで、拳銃は軽量で取り回しの良い小型から中型程度のものが求められていた。
Type5に関しては卓越した設計により銃が有するスペックに対してかなり小型で、拳銃としてはコンパクトサイズに該当し、サイズ感だけで言えば皇国軍が求める理想の姿に近いものがあった。
一方で拳銃としては約4インチのコンパクトハンドガンでありながら、スチールフレームのものは未だにコンパクトハンドガンの中で最も重量がある拳銃であり、1.14kgもあったのである。
この当時の基本形であるスチールフレーム型のType5に関しては私も保有していて、射撃経験もある。
重さに関して言えばベリーヘビーだ。
護身用として考えた場合、咄嗟に扱うにあたってこの重さは正直問題があると言っていい。
軍用ならば目を瞑れるぐらいの重さであるものの、特殊部隊やシークレットサービスなどが扱うにあたってはホルスターから引き抜く速度が落ちたり思わず上手く引き抜けなかったりする可能性があり、携行性に関しては正直どうなのかという部分はある。
これはあくまでポリマーフレーム全盛期の現在における考え方なので、より重さに敏感だからという所もあるけれども、当時だって900g未満の拳銃はそれなりにあったのだから比較検討する際に揉めたのは想像がつく。
だから即時採用されても不思議ではない戦時中においても3年もトライアル試験を行ったのだ。
この間、軍上層部は何度も設計者に軽量化改修の打診を行ったというが、重量については信頼性と耐久性の裏返しであり、その一切の妥協を行わないという事で一歩も譲らなかったとされる。
最終的に本拳銃が採用されたのは後述するとある人物による助力と、設計者によるフレーム素材の変更による軽量化は可能であるという主張によってであったとされており、その当時の軍上層部は妥協での採用でもあったとされる。
しかしながら重量面での妥協があったとはいえ、妥協してでも制式採用した理由は、他でもない本拳銃のスペックの高さに起因することは言うまでもない。
同時代の拳銃とは一線を画すその性能は、現在の視点で見ても上位に君臨する。
コンパクトハンドガンでありながら17発マガジン仕様で、かつ9mm強装弾仕様。(しかも皇国制式採用の9mm弾丸は火薬の増装化だけでなく、威力増加のため弾頭の重量が8gと後に世界標準となる重さになっており当時の7.2~7.4gの9×19mm標準弾ものより0.6~0.8g程重くされていた)
一連の性能を当時強力な弾丸への採用は不可能とされてきたストライカー方式で実現したというのだから、凄まじいスペックであったのは言うまでもない。
だがそれだけじゃない。
こいつの本当の恐ろしさは生産性の高さ。
戦中に存在した拳銃においてType5が比較される対象にヤクチアのTT-33があるのだが、あっちが部品点数30に対してそれに追随する37という部品点数の少なさであり、各部品も精度を高めながら大量生産が可能な冷間鍛造等を多用する事でTT-33を上回る生産性を誇り、しかもこっちの方が安全面への配慮を含めて抜かりはなく、銃として、工業製品としての完成度はより高かった。
双方ともにマニュアルセーフティの一切を排除するという姿勢は共通。(一応Type5にはトリガーセーフティが存在する)
一方でTT-33はチャンバーに弾丸を込められた状態である時にハンマーに衝撃が加わると、ハンマーを起こした状態でなかったとしても弾丸が発射されてしまうなどの危険性を有している所、Type5にはそういった弱点は見られない。
徹底的な生産性の拘りは随所にみられ、例えばバレル1つ見てもTT-33が生産性を高めた構造とした削り出し製造のリンクレス式ティルトバレルとしたのに対し、チャンバーを冷間鍛造とし、あえて2ピース構造とした一般的なティルト式バレルを導入することで時間単位での生産効率においてはTT-33のバレル上回る程に洗練された設計構造とするなど、今見てもどんな頭をしていたらこんな構造を思いつくんだと言いたくなる。
また、パーツ単位で見ると作動機構に関するパーツのモジュール化を行おうとするなどの姿勢は両者共通ながら、TT-33は工数を減らすために全体構造を調節している所、Type5は性能的に妥協したくない部分を一切妥協せずにすさまじい突破口の開き方でもって対応して調節している点が目立つ。(インナーフレーム構造などがそうだ)
まずスライドからしておかしい。
あの当時の拳銃のスライドがどれもこれも丸みを帯びていたのは削り出し加工を行うにあたって成形が楽だったというだけでなく、各部の強度計算が難しかったからだ。
この銃のスライドは現在ではデファクトスタンダード化しているフラットスライドであるが、真四角な状態というのは衝撃が加わった際の応力集中等を回避するにあたって複雑な計算が必要。
なのに平然とこいつは真四角に近い状態のフラットスライドを採用している。
こういう構造の場合、生産時においては前述の応力集中の問題から削り出す順番1つミスするだけで割れてしまったりする程で、皇国ではこの生産工程における削り出しの順番等を秘匿したことから、コピー銃1つまともに作れない程だった。
コピーどころか皇国がフラットスライドのノウハウを一部の国のメーカーに共有するまでフラットスライドの製造方法すら第三国はわからなかったほどだ。
CNC旋盤が当たり前となった現代においては応力集中の問題点もコンピューターでどうにかできる。(設計時においてもCADを用いる事で予め計算しながら構造設計できる)
それを当時において見出して導入するというのが本当にクレイジー極まりない。
おかげでType5は一時期まで唯一無二の外観で、皇国の拳銃のイメージを作り上げて皇国式拳銃という概念を作り出すのに貢献しただけでなく、唯一無二の外観を持つという長所でもって採用後には皇国軍人に広く受け入れられた。
それまで他国を追いかけてモノづくりをするしかなく、拳銃ですら他国の外観に近しいものになってしまい、94式では無理やりにでも皇国独自の意匠を求めて無茶苦茶な構造を導入した経緯がある中、デファクトスタンダード化するとはいえ、別ベクトルで無茶苦茶な構造としたフラットスライドは独り立ちしたくて仕方なかった皇国において会心の一手だったことは間違いないだろう。
また、もう1つの特長として異次元の完成度を誇る17+1発のマガジンの存在も無視できない。
これは左右非対称構造とすることで限界ギリギリのマガジンの底部にまで弾丸を落とし込んで装填できるようにし、17発もの弾丸を押し込めるようにしたもの。
樹脂製の左右非対称の底部から弾丸を持ち上げていってマガジン上部に半固定化する構造部品がこの真下の1発(17発目)をきちんと拾い上げてチャンバーまで導くことが出来るということで、そんな無茶苦茶を可能としている。
ことマガジンについては魔法のマガジンなんて呼ばれ、後にリバースエンジニアリングされて他の拳銃にも同じ機構のものが導入されるほどだ。
例えば本拳銃と同時代において史上初のダブルカラムマガジンを採用して登場したハイパワーは登場当初13+1発仕様で、こいつが出てくるまで最も装弾数に優れた拳銃だった。
ハイパワーについては第三帝国の人間が入手して活用し、各地で暴れまわったという逸話すら残る。
そのハイパワーが本拳銃のマガジンをリバースエンジニアリングした結果、戦後ではあったとはいえ同じく17+1発仕様になったぐらいである。
といってもType5と並べた状態で見てもらえばわかるように本拳銃はハイパワーより幾分小さいコンパクトハンドガンで、完全な再現は出来なかった。
本当にどんな脳内構造をしていたらそんな構造を思いつくんだ?
とはいえである。
諸君もご存じの事であろうが、この拳銃、果たして皇国人が設計したのかについては未だに謎が残る。
誰が生み出したのかについては一応いくつか諸説があり、内部構造にP1などのヴァルザーの小型ストライカー式拳銃との類似点が見られる事から、亡命したヴァルザーの銃器技師、あるいは皇国に避難してきた、ある時期までヴァルザーに所属していたユダヤ人銃器技師、もしくはそれらの者から指導を受けた皇国人銃器技師とされている。
その他、JARを開発したMr.シナノについては、ジェット機の開発に忙しくて関与しなかったと当人が述べているが、実は原案はMr.シナノで、それをヴァルザーの銃器技師が形にしたなんて話も。
外観と機能の両面を見ても三式機関小銃ことJARとの共通点は多く、あのバトルライフルから相応に影響を受けているのは間違いないというのは今日の研究者も一様に述べている所だ。(銃上面をフラット化する構造をこの世で初めて採用したのが他でもない機関小銃だったわけであるし)
正式記録も残っていないので未だ開発者は不明だが、なんというか皇国はヴァルザーの件を暗に認めている様子なので、ヴァルザーの元銃器技師であるものの、諸事情により明かすことが出来ないというのが有力説の1つである。
ともかく誰が作ったかについては定かではないとはいえ、Type5は皇歴2602年に産声を上げ、複数のモデルが試作されてトライアルに供された。
この試作拳銃については特に名前が名付けられておらず、 "仮称九粍拳銃" 等と表現される。(制式採用されるまで特段名付けられる事が無かった)
試作モデルは4種類存在し、2種に大別可能。
1つはデコッカーを装備したもので、もう1つはデコッカーすら排除したもの。
この時点でサムセーフティ等の手動セーフティが内蔵されたモデルは存在しない。
その2種の中にさらにマガジンキャッチボタンをアンビ化したものと左右交換可能なものとしたものがそれぞれ存在していた。
最終的にType5のベースモデルとなったのはご存じの通りデコッカーを装備せず、それでいてマガジンキャッチボタンを左右交換式のプッシュボタン方式としたもの。
アンビ化されているマガジンキャッチの方はパドル式といわれる当時としては非常に珍しい構造で、これは人差し指でレバーを押し込むことで動作させるものであるのだが、操作を誤るとトリガーを引いてしまうと言う危険性が生じていた。(他にもホルスターから抜く際に引っかけてマガジンの不意な落下を生じさせたとされる)
Type5は生産性を重視した結果トリガーセーフティ以外の手動セーフティは存在しないため、これらの点を鑑みた結果、左右交換式とはなってしまうが確実な動作が保証されるプッシュボタン式が選ばれたわけである。
デコッカーを排除した理由は制式採用した当時の皇国陸軍では拳銃の運用法においてチャンバー内に弾丸を込めた状態のままホルスターに仕舞わないばかりか、マガジンすら抜いた状態で運用するのが基本であったためであるとされる。
従来までもストライカー方式を好んで用いる者が多かった皇国では暴発対策としてそのような運用法を基本としていたのだった。
Type5の制式採用前後においては戦闘地帯においてはチャンバーに弾丸を込めた状態でかつコッキングも行った状態でホルスターに仕舞った状態で運用するよう改めた一方……
非戦闘地帯などではマガジンを装填するだけでコッキング等を行う事なくホルスターに収めて携帯するようにし、戦闘地帯を離れたら一旦マガジンを取り出してチャンバー内の弾丸を排莢して引き金を引いてデコッキングを行ってから再びマガジンを装填してホルスターに仕舞って携帯するような運用に改めていたため、デコッカーの必要性をあまり感じないという事から、生産性と命中率の向上を狙ってオミットしたとされる。
実際問題現在主流のポリマー式のストライカー方式の拳銃の殆どがデコッカーを装備せずに前述した方法と似たような運用法で使用している事からも、この判断は英断であったと思われる。
ハンマー方式の拳銃の場合、衝撃によってハンマーが動いて暴発するリスクがある事から、サムセーフティの必要性が生じるだけでなく、暴発リスクを徹底的に0に近づけんがためにデコッカーを装備することは多い。
銃によってはP-38やM9のようにサムセーフティとデコッカーが一体化しているケースもある。
しかし試験時にも当時の皇国陸軍の試験官が驚嘆したとされるように、Type5の暴発リスクの低さは尋常ではなく、誤って引き金を引かない限り暴発することは無いとされる程に優秀な拳銃であるため、デコッカーなんて無くてもどうとでもなるというのは所有者である私としても完全に同意できる。
割り切りは大事。
皇国陸軍……こと本拳銃を開発したとされる航空技術研究所にはMr.シナノがおり、彼の設計への基本理念は、ある性能をすべて満たすためにそれ以外の全てを捨てる事を厭わない "選択と集中" であることは有名でJARでもそれは徹底されていたが、Type5も最終的にそんな形でまとまったわけである。
なお、制式採用した頃には既に90万挺以上も生産されていたのは有名だ。(しかも戦地に向けて弾丸ごと供給されてもいた)
生産性が極めて高いType5は、早い段階から大量生産が開始されていたのだ。
こうなった理由は南武麒次郎の影響が大きいとされる。
皇国における拳銃開発の先駆者であり、功労者である南武麒次郎は、人生の最晩年においてType5の試作品と出会う事になった。
これはトライアルに持ち込まれたType5について今一度彼を通して問いかけてみようと陸軍が召還したことで生じた機会であるそうであるが、とにかく彼ならどう評価するのか陸軍は気にしていたのである。(長年の功績によりそういう特権階級的立場にあったのだ)
試験会場でType5に出会った南武麒次郎は、その拳銃を一旦バラバラに分解して各部のパーツの具合を見た後、再びマニュアル等もなく完璧に組み立てると……
「何やら相談があると聞きつけやってきてみれば……どうやって大量生産すれば良いのかという諮問のためではなく、この拳銃はどうなのかと伺うために私を呼び出したのか! 諸君らはふざけているのか!」――といって憤ったという。
後に彼が残した手記では「初めてその拳銃を目にした時、異様に低いバレルの配置構造と常識はずれな外観を持つ機能性の高いスライド形状、そしてまるで手に吸い付くように馴染むグリップ構造から瞬時に全てを理解した――」と述懐しており、彼はわずか数分においてType5の素養とスペックを完全に理解してしまっていたのだ。
現場では先程の叱責の後に続けて――
「ヴァルザーだと!? この銃は皇国人銃器技師が作ったものだ! 長年ユーグの様子を見てきた私にはわかる! とても繊細で、大胆な発想でもって、ユーグの銃器技師には到底ありえないような高次元にまとまった高性能な拳銃としようと切磋琢磨し、そして見事に成し遂げた。軍所属の技術者が作ったというなら、なぜこれを即座に採用しない!? すぐに採用して大量生産すべきだ! これこそ皇国の、皇国による、皇国が求めていた拳銃ではないか! 諸君らがやらぬというなら、私が自費を投じてでもやらせてもらう!」
――とも述べ、その日を境に南武麒次郎は航空技術研究所と連絡を取り合いながら、大量生産の手はずを整えるよう動き始めるのである。
彼が残した手記にも「私が生涯最後に出来る事は、突然出会う事となった、私が今生み出そうと躍起になって頭の中で日々試案している拳銃を大きく凌駕する国産拳銃の大量生産の実現と、その系譜を後世に伝えるよう手筈を整えることである。あの拳銃は紛れもなく皇国独自の軍用拳銃であり、1つの到達点ナリ」――と書き残しており、試験場の場の話は本心によるものであったことは間違いない。
元々拳銃関連については陸軍上層部は南武麒次郎に頭が上がらない状態で、彼が創業した企業が製造している影響もあって14年式や94年式拳銃などを調達し続けている状況にあったところ、彼はそれらの生産を打ち切ってType5に一本化する事を提案し、さらに提案が受け入れられる前の段階で自身が創業した企業での生産を打ち切ってType5の大量生産をはじめてしまうほどであった。
Type5は当時の価格で25円。
94式が削り出し部品の多用と生産工数の多さから120円程もしたことを考えると実に安価であり、そして性能は比較とならない程にType5の方が優れていたのだから、この判断は経営者としても退役軍人としても優れていたことは言うまでもない。
この25円というのも生産していた企業が最低限の収益を得られる形での価格であり、軍は1挺25円で買い取る形で導入していったわけである。(これは94式や14式と同様の扱いである)
結果誕生して量産されたType5は戦場で大活躍。
何しろライバルに相当する拳銃というのが事実上存在しない。
生産性の高い拳銃としてのType5のライバルはTT-33である事を疑う者はいない。
しかし、拳銃の性能から言えばTT-33はライバルとは言えない。
例えば装弾数から考えれば前述のとおりType5が出るまで13+1発という形で最も装弾数が多かったハイパワーの存在は無視できないことは認めよう。
確かに9mm弾を使用し、ダブルカラムマガジンを持つという拳銃ということで類似する部分はあるが、強装弾仕様ではないため威力と射程で劣り、さらに言えばハイパワーはシングルアクション時においてもトリガーが重く、かつ無理した構造の影響によって感触も悪く、連射するにあたって命中率が下がりやすいという欠点があった。
果たしてハイパワーはライバル足りえたのかと言えば、総合的な観点から見て性能不足のためライバル足りえなかったと言える。
Type5はこの部分も全く妥協が無く、トリガープルは拳銃としては連射しやすくかつ暴発しにくい4.3ポンドほどでありながら、スイッチのような感触で構えを崩さずバカスカ撃てたのである。
持ち前の重量は反動軽減に貢献していて重心設計も完璧。(ことバレル位置が低い事による重心の低さは特筆に値する)
残された映像記録を見ても他の拳銃達と比較して戦場でスパスパと連射している姿が確認できる。
当時の戦争を扱った映画なんかでバガバガと連射しているのは別に誇張でもなんでもなく、そうやって撃てるし、撃っていたからに他ならない。
こんな事が出来たのは本当の意味でType5だけだった。
そして戦場でのエピソードに事欠かないのもType5の魅力なのだ――