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第28話:航空技術者はコンプレッサーストールに挑む

 皇暦2598年7月11日。

 本来発生した張鼓峰事件が発生しなかった。


 これは間違いなく歴史が変化してきている証明だ。

 俺は西条や千佳様とこれらの要因について話し合うことになった。


「信濃。珍しくそなたの予言が外れたではないか。今まで殆ど的中させてきたのに何があったのじゃ」

「千佳様。要因としては恐らく皇国領海周辺をうろつき始めたNUPの艦隊が影響しているものかと。ユニバックとの石油採掘契約を結んで以降、度々NUPの小規模艦隊が皇国近海に現れるようになりました。彼らの狙いはヤクチアへのけん制かと思われます」

「千佳様。張鼓峰事件が発生した地域と油田との距離は近いのです。今ここで火事を起こすと王立国家とNUPから非難声明が出され、間違いなくヤクチアは孤立するものではないかと。ウラジミールはそれをよしとはしないでしょう」


 西条の言うとおりだ。

 今度は奴らが俺たちと同じ立場になる。


 NUPも王立国家も未だに集について認めたくない節があるものの、駐留大使の話では油田の三等分によって華僑全域が安定化するなら致し方ないというムードとなってきているという。


 まあこの場所にて彼らも利益を手に入れられる以上、そういうムードにはなる。


 ロイヤル・クラウンはロンドンを含めた首都近郊にて大きな勢力をこさえていて首都を中心とした民衆の賛同を得ており、彼らを利用することで政府に圧力をかけられるし……


 ユニヴァックの合弁会社の1つであるユニヴァーサルオイルニュージャージーはそもそもがユニヴァーサルオイルの本社だった存在。


 元々はここが本体なのである。


 創業者が皇国との取引についても積極的だったが、ワシントンにおける発言力は絶大。


 不況に喘ぐ今日において石油ロイヤリティの確保は断固として守り抜きたいと動くに決まっている。


 特に彼らはヤクチアで起きた革命によって一度極東石油開発を行っていたところヤクチアに全てを奪われた過去があるから、間違いなくNUP政府に守備徹底を要求するはず。


 NUP大統領としては渋々な面もあるものの、一応艦隊自体は派遣したようだな。


 まあ裏でウラジミールと集の利権を分配しないかと持ちかけられている事だろうがな。


 そして第三帝国も東方の最重要地域として集を見ている。

 思想が違いすぎて三国共闘路線はないはずだが、ヤクチアとNUPの裏取引には要警戒。


 第三帝国がこちらを狙い始めている可能性も考えて動かねばならない。

 このあたりには反共主義者しかいない皇国のNUP出資企業の者達の力を借りるしかないか。


「ふむぅ……しかし、なぜ強硬な対応をしてこないのじゃ。揺さぶりすらかけてこんとはな」

「大粛清が完了してないからです。あれは本年末まで続きますから。シェレンコフ大将がおっしゃっていたように、大粛清はまだ7割程度しか達成できていない。年末までは続きます。この状態においてヤクチアは軍部含めた全体の統制が出来ておりません」

「嵐の前の静けさということかのう……」

「信濃。双発機の完成を急げんか? 風洞試験も素晴らしい結果だったと聞く。アレの航続距離は最大で6000km近くあるそうではないか。私はこれを東亜標準機として三国に駐留中の陸軍に優先的に配備したいのだが」


 最近海軍も注目し始めた双発機はNUPを中心に騒がれ始めている。


 まだ飛んでないが、飛んだら時代が変わるかもしれない。


 西条は開発中の重爆よりもこっちを優先としたいわけかなのか。

 まあわからないでもない。


「急いではおりますが、何分油圧システムといった新鋭技術については、慎重に行かねばならんという部分もありますので……ただ、1号機は年末までには出来上がる予定です。試験飛行は11月以降を目論んでおります」

「ある程度の弱点は許容する。それなりに飛べればいい。軽戦闘機よりよほど万能に思える。我々が欲しかった万能機体だ。何としてでもヤクチアの足枷が外れる前に三国内に配備したいのだ。アレを大量配備できれば九七重爆は蒋懐石に譲る。あちらは抑止力になるからと九七を欲しがっているが、九七の代わりになる」

「努力致します」

「がんばるのだぞ信濃! ここだけは我もどうすることもできんからな!」


 表の皇国のムードと我々には温度差があるものの、少しずつ前進してくる気配がした。


 そんな俺にさらに未来を切り開けるプレゼントが届いてくれる。


 ◇


「駄目だ! 王国技師の言うとおり1万3500回転以上にするとコンプレッサーストールをする。なかなか手がかかる子だ!」

「信濃技官。ものすごく楽しそうですね。現状で400馬力しか出てないんですよ? 何がそんなにうれしいんですか」

「当たり前ですよ! 知らなかった! こんなに新鋭技術を導入したターボプロップエンジンがこの世にあったなんて! あっはははははは」


 皇暦2598年8月10日。

 届いたCs-1は俺を興奮させるに足るものだった。

 その構造はまるで70年後から届いたような構造だ。


 70年後の技術を用いて皇暦2597年の段階で可能な限り再現しようとした。


 それがCs-1だ。


 熱量を下げるためにタービンディスクやタービンシャフトを空冷させる構造?


 エンジン素材の性能不足をそんな方法で補おうとした人間が王国にいたというのか。

 それも軽量化を狙ったのか、こいつは全体構造がほぼアルミ合金だ。


 こんな最新鋭技術、再び実用化するのは70年後だぞ。


 アルミ合金が導入され始めるのは20年後からだが、一連の構造を現代の……皇暦2598年の時代に完成させていたと?


 オーパーツの類ではないのかこれは。

 俺がやり直す直前になって生まれたはずの最新鋭技術がどうしてここにある!


 この構造は未来のタービン発電機に採用されているものではないか。

 つまり現時点で辿り着いた人物がいたんだ……第三帝国の技術者も勿体無いことを。


 よもや耐熱鋼の性能カバーにこんな解決方法があったとは。

 発想なら俺もできたかもしれないが……それを現用技術で再現したというのが素晴らしい。


 全体構造の断面図は完全に将来のジェットエンジンのソレだ。


 どの国よりも先に進んでいる。


 噂どおりだ。

 かのホイットルより、よほど優秀な技術者が王国にいたらしい。


 たった数年ながら在籍して王立国家の躍進を支えた男がこさえた代物は、俺からすれば完全なオーパーツであった。


 コンプレッサーストールなんてものは熱力学よりも流体力学の分野だ。


 急いでこいつを改良し、1000馬力ださせてやる。


 この先の先を行くエンジンを我が国の標準技術として定着させるんだ。

 届いた6基のエンジンは大切に使わせてもらおう。


 ◇


 それからというものの、俺はCs-1に熱狂してしまう。


 開発中の二式双発機などの試作研究にも携わる傍ら、寝食すら忘れて茅場製作所や芝浦タービンと協力してコンプレッサーストールの原因を究明。


 そしてようやく、この15段の圧縮機に7段のタービンを持つエンジンの問題点を掴み、改良を施した。


 Cs-1の最大の特徴は、通常のジェットエンジンでいう逆推力装置の仕組みを燃焼室に導入している事にある。


 これは極めて固有かつ特異すぎる設計だ。


 燃焼室内における圧縮率を高めるため、風流を一旦逆転させて燃焼し、再びタービンに送り込むという皇暦2598年の技術的限界を文字通り逆転の発想でもって攻略したもの。


 後の時代の低燃費車両のためのエギゾーストシステムに近い構造をしている。


 気圧差を利用した見事な処理である反面、ここは乱流が発生しやすい。


 仕組みはこうだ。


 エンジン手前のファンによって整えられた整流は燃焼室へと向かう。


 この燃焼室に向かった空気は燃焼室の壁に沿って動きながら渦を作ろうとする。


 渦を作る途中で空気は燃焼され、膨張し、高温となりながら圧縮機構の部分へと吹き込む。


 この時、高温高圧の空気は気圧差、温度差によって外に逃げようとするが、燃焼室の構造がそれを許さない。


 渦状となった高温のガスは再び最初に通ったタービンシャフト方向へと燃焼室の構造によって再び方向転換しながら加速しつつ戻っていき……


 さらに圧縮されてタービンを回しながら外に排出される。


 いわば、航空機が垂直ループするような状態でありながら、遠点となる付近で燃焼を起こしてまるでロケットのごとく加速してタービンへと向かうわけだ。


 似たような構造でP-51がラジエーターから得た風流を用いて推力としたと聞くが、それに似ている。


 これはさすがに極めて異質な構造だ。

 その乱流制御ができないのでコンプレッサーストールとなる。


 この逆流部分を一般的なジェットエンジンの構造にしてしまうだけでも、俺が知る最新鋭のものと遜色がないものに出来る。


 この設計とした理由の1つはタービンとタービン軸の耐熱性能の低さ。


 王国はCs-1を本気の軍用機用エンジンとしたかったので、絶対的信頼性を確保したかった。


 そこでタービン軸とタービン本体は空冷で常に冷却するような斬新な設計としている。


 これが圧縮率の低下の原因であり、前述した構造を導入しなくてはならなくなった要因でもある。


 他にも考えられるのはエンジン全長を短くしたいのと、エンジン内温度を均一にしたいがためにこんな構造にしたのだろう。


 これが却って制御を難しくしていた。


 一方でこの構造によってRB.50トレントよりもよほど細身だ。


 おまけに軽い。

 RB.50が480kgに対して330kgしかない。


 出力的にはRB.50とそう変わらないんだが。


 しかもこいつの構造は後に主流となる軸流式。

 これを土台にして開発できれば後々皇国にとって優位となる。


 そこで俺たちが目指したのは、この逆流型燃焼室の改良。


 流体力学的要素について王国の技術者より俺のほうが間違いなく先を行っているはずであるため、どうしてコンプレッサーストールとなりうる乱流が発生するのかについては中身を見ればすぐわかった。


 逆流型を改める方法もあったが、そうなるとシャフトから何から何まで一から製作しなければならないので、現時点ではあくまでこの構造を採用。


 その代わり、新たに一工夫加えた。


 燃焼室で特に乱流が発生しやすい部分にスリット吸引と呼ばれる小さな隙間を設けたのである。


 スリット吸引とはいわば乱れた風流の流れを整えるため、小さな穴を設けて一部の空気をいったん吸い込む構造である。


 吸い込まれた空気は圧縮されて再び排出されるわけだが、この時排出される空気の流れは推力単排気管と同じ働きとなる。


 加速し、周囲の風流を押し上げながら自らを壁に押し付けて高速で流れていく。


 この流れが乱れた空気を再び整える効果を生むというわけだ。


 未来のタービン機関においても一部採用されている構造である。


 そのようにして徹底的に精度を磨いた上で燃焼室の構造を変更した。


 その結果が現れたのは月を跨いだ9月となってからになってしまったものの、何度も試行錯誤した末に燃焼室の改良に成功。


 最小限度の改良で現状皇国でできうる最大限の性能にすることが出来た。


 ◇


 皇暦2598年9月10日。

 俺は陸軍将校らを呼びつけて試験稼動を見せることにした。


 いや、すでにエンジン自体は稼動している。


「信濃!! 一体なんだこの甲高い音と低い音の組み合わせは! 耳がイカれるぞ! 試験場に蝉が大量にいるようだ!」


 これまで聞いたことのない音に西条すら耳を塞ぎながら大声を出している。


 何を言ってるんだ。


 俺たちは成功したんだぞ。

 絶対に諦めてはいけない第一歩を踏み込んだ。

 この音こそ、その証明なのだ!


「茅場製作所と協力し、コンプレッサー内の燃焼室の構造を流体力学を駆使して一新しました。芝浦タービンと協力して新たな合金を採用して。現状で7000回転オーバー。800馬力でてます! その上で昨日からすでに28時間もの稼動をしている……まだコンプレッサーストールは完全に解決できてませんが、こいつは高度1万mだって800馬力出せるんです! 新時代の幕開けですよ!」

「一体どういう構造なんだ!」

「タービンですよ、タービンで回っているんです。圧縮した空気でもってタービンを回し、そいつをシャフトの回転エネルギーにしてプロペラを回す。これこそがターボプロップエンジンです。皇暦2598年の段階であと一歩で王国は完成できてたんです。それを自分たちが今体現させている。液冷エンジンに置き換わる存在ですよ!」


 しばらく唖然としていた将校達。


 だが1人が拍手をするとそれにつられて一人、また一人と他の者達もこちらに対して拍手を送りはじめる。


 出来れば開発者にその拍手を送ってほしい。

 現時点で俺たちは、空を飛ぶターボプロップ機を作る事ができるんだ。


 いやそれだけじゃない。

 この構造を改良するだけで、夢のジェットエンジン全てが作れる。


 ターボプロップ、ターボシャフト、ターボジェット、ターボファン、全てだ。


 その土台となるものが目の前にある。


 このままでも、完全実用型ジェットエンジン機を皇暦2600年以前に生み出せるということだ。


 そいつはプロペラはついているが、WW2以降も輸送機などを中心として活躍していく。


 皇暦2600年代には複数国がジェットエンジン機を開発するわけだが、我が国だって負けん。

 例え馬力が下がったとしても、こいつを何としてでも量産に漕ぎ着ける。


 そしてさらなる発展機を作り、皇国の空を飛ぶ。


「信濃! よくやった! こいつは今すぐに飛ばせるのか!」

「元々軍用エンジンです! 爆撃機用ですがね。耐久性は文句無し。さっそく試験機を作らせてください!」

「今日中に通達を出す。ただどうする? こいつは公開してやるのか」

「京芝を通してもうすでにG.Iにバレてます。きっとNUPは大急ぎで王国とのライセンス締結を目指していることでしょう。例の会談に影響するやもしれません!」


 ミュンヘン会談という言葉は伏せたが、西条は会談という言葉に頷いて理解を示した。


 G.Iには技術が漏れてしまったものの、G.Iに残された時間は9月29日~30日までの約20日。

 8月から契約について持ちかけていたとしてもライセンス締結まで間に合うとは思えない。


 G.Iがこの可能性に気づいたのは燃焼室を改良しはじめた頃合だから8月下旬。


 NUPがこのエンジンを手に入るかは五分五分。


 どちらかと言えば第三帝国がこいつの可能性に気づかないように努めるべきではある。


「よし、NUPに露見していても他国への露見は避けた方がよさそうだな! 最重要機密として取り扱うぞ! さっそく私は参謀本部に戻る。 お前は軽戦闘機と双発機、そして襲撃機と合わせて新たな試験機を作れ!」

「はっ!」


 陸軍将校らは俺の後に敬礼した西条に合わせて敬礼し、シャキシャキと機械人形のような行進を見せて去っていった。


 よし、よし……よしッ!

 ターボジェットの架け橋となる存在が手に入ったぞ。


 従来どおりに全ての要素を捨てずに試験機をこさえる!

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― 新着の感想 ―
イェンドラシック Cs-1 が甦り、国際的にも高く評価されそうで胸熱ですねえ。
[気になる点] 以下のCs-1の仕組みを読んでいて少し疑問があるのですが >エンジン手前のファンによって整えられた整流は燃焼室へと向かう。  この燃焼室に向かった空気は燃焼室の壁に沿って動きながら渦…
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