第200話:航空技術者は授かる。(後編)
大変長くなってしまったので分けました。
彼が見せてきたもの。
それは一見してただのジェットエンジンにしか見えないが、何か違うものであるらしい。
「すまない。何が違うんだ? F135と外観に類似点があるようだが」
「これは新型のアダプティブエンジンと呼ばれるものです。お察しの通りF-35向けのエンジンですが、最大出力は230kn以上に達しています」
「230!? 単発エンジンだぞ。F-22用のエンジンの1.5倍の出力があるなんて、どうしてそんなに出力が高まったんだ!?」
「1つは貴方が彩雲でやろうとしている事をやったという事です。ターボプロップエンジンはエンジン表面をエアフロー構造とすることで冷却性能を底上げして出力を上げられましたよね? このエンジンは三層構造になっていて、一番外側が冷却のために外気を取り込む構造になっています。といっても、ここに取り込んだ風流は冷却だけには使いませんけどね」
説明しながら青年が投影した映像にて示したのはアダプティブエンジンとやらの内部構造と仕組みであった。
彼が主張するように内部は三層構造。
三層目の状況は未来のターボプロップエンジンに類似するエアフロー構造となっている。
ここでエンジンを冷却することで限界性能を引き上げているのはわかるとして、ならば三層にする理由はというと……この構造はもしや……
「可変サイクルかこれは。YF120に似ているようだが、あれより部品点数が減って単純構造化されているように感じる」
「正解です。これはYF120の完成形です。YF120は当時競合他社が開発したYF119に負けました。この時、G.Iは完成型のYF120はF100エンジンから40%部品点数を削減し、さらに出力を向上させられると主張しておりました。その完成型がこのエンジンです」
……なるほど。
当時二層型にして部品点数も多くなりながらも相応に結果を出した状態から、さらに完成度を高めるために三層構造にして部品点数を減らしたのか。
F100は古いエンジン。
同じ系譜で最新鋭のF135と比較すると部品点数の多さが目立ったが、こいつはそのF100より部品点数を減らしながら出力を大幅に向上させてみたのか。
だとして……
「なぜ可変サイクルではなくアダプティブエンジンなどと呼ぶ? 素直に完成型の可変サイクルエンジンと述べればいいはず」
「それは三層構造としたことで、本エンジンはターボファンエンジンのままバイパス比を変更できるようになったからです。バルブの開閉の度合いやバルブ自体を閉鎖することでターボファンエンジンのままバイパス比を高バイパス比から低バイパス、そして最終的にターボジェット状態へとなめらかに変化させることが出来ます」
「そうか! 冷却用に使った三層目の大気はそのままターボファンエンジンの推力にしてしまうのか!」
よく見てみると一番手前のファンが大型化している事に気づく。
通常の運用では全てのバルブを開いてより高バイパスにして高燃費運転させ、必要に応じてバイパス比率を下げていくわけか。
全体構造の詳細は見る事が出来ないが、もしかするとこのエンジン……とんでもない代物ではないか?
YF120は私がやり直す数年前にG.Iが可変バイパスの仕組みをさらに改良し、ターボファンエンジンからターボジェット、そこからさらにラムジェットエンジンにまで変化するハイパーバーナーと呼ばれる仕組みを導入した試作品をNASAと共同開発していた。
ラムジェットになる仕組みはライバル企業のJ58のアイディアを参考としている。
実はJ58もYF120と同様、二層式構造となっており、ジェットエンジンの外周に大気が入り込む空間が存在する。
これは超音速飛行時以外ではバルブによって閉じられており、ある速度に達するまで大気の流入は起きないようになっている。
そしてマッハ2.5を超えると自動的にバルブが開いてインテークダクト後方から空気の一部を一気にオーグメンター側へとバイパスするような構造及び仕組みとなっていて、タービンコアがあるエンジンの外周から直接オーグメンター側へバイパスさせる際、その内部構造の形状によってラム圧が高まるようになっており……
この空間を流れる大気はエンジンの冷却を行いながら、オーグメンター付近で発生する乱流や層流を吹き飛ばしつつ、出力を向上させるようになっていた。
一種の複合エンジンと言えなくもないが、ラムジェットエンジンとはタービンのような可動部を一切持たずに稼働するジェットエンジンの事であって、J58はラム圧を利用して冷却と推力向上を目指そうとする仕組みを持ったターボジェットエンジンである。
それに対し、YF120をベースとしたTurbine Based Combined Cycle EngineことTBCCは、タービンのあるコア部分を閉鎖して開いたバルブから外気を吸気してコア部分の外周に大気を流れ込ませ、その空間における構造によってラム圧によって高まった圧力の大気を直接オーグメンター側へバイパスさせ……
オーグメンターでもって燃焼させてラムジェットエンジンにしてしまうという、ターボファンからターボジェット、そしてラムジェットにまで滑らかに変化する究極のエンジンを目指そうとしていた。
実際に相応の試験結果を出したというが、実験機を用いた試験では冗談抜きで従来の戦闘機をマッハ4.3までの領域にまで加速させることが可能だという結論が得られたという。
結論は得られたはいいが実用化されなかった理由は、偏にマッハ4.3に耐えられる胴体を持つ戦闘機を作ることが現実的に不可能だったからに他ならない。
マッハ3.5ぐらいにデチューンして超音速偵察機を作ろうなんて案も出たが、既にマッハ3級の偵察機の需要も無く、G.Iは「胴体さえ作れたらマッハ4級の超音速機を作れるのに!」――と周囲に自慢なのか皮肉なのかわからなぬ話をしていた。
噂じゃヤクチアが冗談抜きでマッハ5級戦闘機を作ってるかもしれないなんて話を鵜呑みにして開発計画が立案されたとかなんとか……嘘くさい話もある。
私が確認した資料では、このTBCCエンジンはマッハ1.5まではターボファン、マッハ2.5まではターボジェット、そこからマッハ4.3までラムジェットエンジンとして稼働する、究極の可変式ジェットエンジンという説明がなされていた。
このアダプティブエンジン……もしかしてそれをも可能とするものなのでは?
というよりかは、その時のノウハウを活かしたものなのではないのか。
YF120の完成型なら、その派生型である、より完成度の高いTBCCとする事も可能だろう……意味があるかはわからないが……材料工学の発展次第では活用できるかもしれない。
無限の可能性があるだけでなく、燃費面でも相当優秀なのだろうな。
ターボファンエンジンの場合、バイパス比は低ければ低いほどある状態では有利になる。
それがオーグメンターを使用した場合。
ターボファンエンジンではファンを通って整えられた整流がそのまま後方のタービンを通ってきた噴流と合流するが、このファンを通ってきた大気は基本的に大した運動エネルギーを持たない。
この酸素含有量が極めて多く運動エネルギーが低い大気を燃焼させて膨張させ、加速に用いるには当然にしてより多くの燃料を必要とする。
よってオーグメンターを使用するときはバイパス比が低ければ低いほど高燃費と出来る。
というか、バイパスなんてしないターボジェットエンジンの状態が一番燃費がいい。
一方でオーグメンターを使わないならばバイパス比は高ければ高い方がいい。
「このエンジン、いかほど燃費が改善される見込みなのか伺いたい」
「航続距離換算で最大約35%ほど」
「そりゃまた……F-35の評価が変わりそうだ」
「残念ながらコスト問題で揉めて採用されなかったんですよ。NGADと呼ばれるF-22の後継機に採用するために開発が継続される予定ではありますがね。NUPがアダプティブエンジンに拘っている理由も我が国が製造可能なエンジン出力が影響しています。これを投入しない限り出力重量比で勝てるエンジンにはなりませんから。アダプティブエンジンの製造技術は我が国や王立国家も持ってはおりますが、正式採用するかどうかはNUPの動向次第といった感じで静観しております。貴方にNUP製のものを見せたのは、NUPがその領域に到達できるという事実を伝えたかったため。作るだけなら我が国でも作れます」
「なぜこの技術を渡そうとするのか、何となくわかった気がする。既存エンジンがあまりにも生産されすぎたのでコストが下がり、新機軸のエンジンの導入を躊躇する環境があるのだろう?」
「ええ」
恐らくは私の知る未来におけるバルカンやF100エンジンや5.56mm弾等と同じ理由だ。
大量生産されたがゆえに切り替えが困難となっている。
「だからもっと早い段階で実用化させたいというわけだな。世の標準となる汎用エンジンとして」
「その通りです」
「どれほどの出力を目指せばいい? エンジンの大きさはF404やF414と同じ程度という感じであろうことは想像がつく」
「最高出力は165kn。信濃さんが頑張れば達成可能な程度の数字です」
「F414は約100knなのに1.5倍の出力にしろというのだな?」
「F414は現在122knの出力を誇る最新型が存在します。貴方が過去に遡った日より数年先には実用化されておりました。なので、私からするとF414からの約35%出力を向上させたジェットエンジンを2630年代において実用化してもらいたいという事です。アダプティブエンジンでそれを達成できれば将来的には170kn以上と出力を向上させる事も夢ではありません」
エンジン直径約900mm、全長約4m……それで165knもの出力を誇るエンジンか。
とんだ怪物エンジンだ。
グリペンが搭載したらマッハ2.5までいけてしまいそうじゃないか。(機体が耐えられるかはさておき)
それだけじゃない。
仮にF-16を作るとしても、このエンジンを搭載できるならこれまで以上に燃料タンクの容積を増やせる事になる。
そこに燃費の良さまで保証されるとするなら、35式主力戦闘機とやら以上に既存の戦闘機達がどうなるかわからないぞ。
「できるような気がする。この方式のエンジンであれば」
「あとは機体構造次第でしょうね。正直言ってF-35譲りのような機体構造も改めてもらいたい。あれは結局貴方が知る世界のF-35を基に、自己流で再現した機体なのでしょう? あまり全体構造を変えずにF-22やF-35と類似する外観でしたよ。所詮はNUP製のアイディアです。もっと貴方らしい機体に仕上げられるはず。常日頃、私のお師匠様はこれも気に入らず、もっと皇国の、皇国たる、皇国らしい独自の意匠を纏ったものにすべきだったと嘆いておりました」
「開発者の一人であったのかね。その者は……」
私の中ではF-35は1つの完成系だから、例え90年後の世界でも似たような外観の機体だらけになると予測しているのだが、どうも違うようだ。
王立国家あたりだって単独で新型機を作ろうとしたら無尾翼機体としそうではあるものの、似たような形にしてきそうなものだが……
「皇国らしいといってもイメージが浮かばない。どういうものなんだ」
「こんな感じです。お師匠様は35式主力戦闘機が完成した後の30年後にその頃の自分の知見を総動員した、もう1つの形を示されましてね」
「なんだ……これは」
彼が投影したビジョンは機体を真上から見たシルエットである。
その外観はまさにF-35は所詮古い時代に考案された機体であると言わんばかりに、洗練された状態であった。
一瞬無尾翼機なのかと見紛うかのように尾翼と主翼の位置が隣接している。
この状態で垂直尾翼がどうなっているか想像がつかない。
いや、もしや水平尾翼と垂直尾翼が一体化しているのか?
「……すまないが正面からの状態も見せてもらえないか。垂直尾翼がどうなっているか知りたい」
「申し訳ありませんが、お見せできるのはこの状態のみとなります。なぜなら、固定概念が生じてもっと洗練化させられるのにこの領域で踏みとどまってしまう可能性があるからです。貴方ならさらに進化させる事もできるはず」
「……せめて垂直尾翼の存在があるか無いかだけ教えてくれないか」
「この機体だけで言うならば垂直尾翼は存在します。全ての可動翼が全誘導式の予定でした。インテーク形状や配置なんかもF-35とは別物。未来の皇国で培われた流体力学技術によって"やり直し"した35式戦闘機こそがこれです。ただ小型化するだけでなく、これからお渡しする技術でこれを目指してください」
「全く随分と発破をかけてくるものだ」
なぜかその者が燃やす執念のようなものに不思議と笑ってしまった。
だが、想像はつく。
「つまり……鎧と同じか」
「そうです。武具だけではなく、戦闘機にも拘って欲しい。それがお師匠様の願いであり、"後悔"でもあります」
今、何か引っかかる言葉を述べなかったか?
「疑念が生まれないわけではないが……とりあえず新型戦闘機についてもやるだけの事はやってみよう。期待に沿える結果が出るよう、努力すると約束しよう!」
「全ての皇国の航空技術者を代表して……あの機体を宜しくお願い申し上げます!」
「……他に伝えたい事などは無いか?」
彼にそう伝えたのは、先ほどから視界がボヤけはじめており、タイムリミットのようなものを感じたからである。
なので、直接言葉で伝えねばならない話については伺っておこうと思ったのだ。
「ええ。大丈夫だと思います。ではこれからその作業に入ります。貴方は目を閉じて、明日になれば全てを受け取っている事でしょう。そしてしばらくの間は不思議な体験をするかもしれませんが、気になさらないでいただければと思います」
「わかった」
静かに目を閉じる。
すると夢の中なのに意識が遠のく感覚に襲われ始めた。
夢の中でさらに眠りにつくような……実に不思議な感覚だ。
「ああ、そうだ。最後にお伝えし忘れておりました! JARについては心配なさらないでください。つい数年前に四代目に相当するものが制式採用されたばかりです。あの小銃はこれからも皇国の銃器技師が磨き上げていくことでしょう。必要となる追加装備に対し、重心点の弱点を克服する方法も考案済みです」
「そうか……それはとても安心する話だな……」
「最後にですけど、我々は貴方に謝らなければならない。せっかく切り開いた未来を我々は台無しにしてしまった。残された時間でどうにかしようとは思いますが、貴方の努力を無駄にしてしまったようです。そうならないために、これまで培った私達の技術を受け取ってください!」
「どういうことだ!」
「技術の中に答えがあります! 紐解いて、別の道を歩んでください!」
「技術の……中……?」
「いいですか! 貴方が道を作り出せば、私たちはさらなる上の領域にまで技術を昇華、発展させてみせることが出来る! それを忘れないでください! それではまた未来でお会いしましょう。"信濃先生ッ!"」
…
……
…………
………………
◇
「――うっ」
気づくと朝だった。
やはり35式戦闘機とやらについて後悔していたのは可能性の1つとして存在したかもしれない未来にいた俺自身か……
遠まわしな表現をしていたが、かしこまる必要性もないのに……
最後に何か返事をしようと思ったが出来なかった事に少しばかりの後悔が募る。
起きてしばらくの間は、昨日の体験がとても不思議な夢であったかのように思えた。
だが、しばらくするといくつもの技術情報がフラッシュバックするように頭の中に投影されていく。
機体表面に塗布することで極低温にすら耐え、そればかりかジェットエンジン内部にすら塗布する事が可能で高温高圧にも耐えられる断熱エアロゲル塗料。
ホスゲン等の毒性のある化学物質を全く使わず、二酸化炭素とメタノールやフェノールのみで高品質なポリカーボネートを製造する全く新しい製造法。
疑似カラーではない、赤外線カラー暗視技術とその映像素子の製造法。
次々に現れる未知の技術に頭の中は混乱し、困惑する感情が収まらない。
あれはただの夢ではなかった。
渡された技術の全てが俺がやり直した時代の後に実用化されたものであり……それらの情報が深く頭の中に、数式等も絡めた状態で埋め込まれている。
しかも技術情報に伴う歴史や世界情勢等についても断片的ながら情報として入ってきていた。
それだけではなかった。
起きてからずっと右手に謎の疲労感を感じていたのだが……まるでそれらの情報を決して忘れるなとばかりにノートに必要な技術情報等の詳細が全て刻まれている。
手の疲労感からして、どうやってかはわからないが寝ていると感じていた時に全てを記載していたのであろう。
後に俺は右手の疲労感としばらくの間戦う事となるが、技術情報が寝ている間にノートに刻まれるのは3か月程続く事になるのだった。
……名前も知らぬ若者よ……90年後の技術……確かに受け取ったぞ。
何をするか、何をして行けば良いのかは……これから情報を整理して決めていく事にするよ。
Twitter開設中。よかったらフォローお願いします。
https://twitter.com/Miyode_Miyo