第196話:航空技術者は起案する
――午後。
軍にとっては待望の産声を聞き届けた者達に向け、その余韻が残るうちに参謀本部へと戻り、俺は将校達に向けて説明会議をはじめた。
「それではこれより、今後の開発方針とジェット戦闘機登場に伴う状況変化についてご説明致します。まずはこちらの図面をご覧ください」
俺は黒板に向けてブループリントを広げ始める。
そこにはこれまで見たこと無い外観の戦闘機が多数描かれていた。
「なんだその戦闘機は……敵の新型か!」
とある将校が手で示した先には、俺がとりあえず外観だけ整えた本来の未来におけるMig-29とも双発型のF-16とも受け取れる戦闘機の姿があった。
これも我が国……及び世界の"可能性の1つ"。
誕生する可能性は十分にあり、そしてともすると敵として相まみえる可能性すらある存在の1つ。
「いえ、これは今後の戦闘機の将来像を示したものです。流体力学を駆使した分析の結果、ここに記された航空機に類似したものが今より20年の間に続々と登場していくものと推測されます。自分が流体力学的な計算を用いて外観を描きました。重要なのはここから」
近くにあったチョークを手に持つと、もう1枚のグラフを描いた紙を黒板に張り付けつつ、俺は気圧と速度……
そして音の伝達に関する計算式を記述した後で、"水平最高飛行速度約2400km/h 高度約12000m"という数字を描き出した。
「この数値は音速の約2倍、マッハ2と呼ばれる領域です。今より10年程度でこの速度に戦闘機が到達するのは不可能ではないどころではなく、我が国以外もこのような性能の戦闘機を保有する可能性が十分にございます」
「2400km/hだと……それは人が乗り込める代物なのか」
一部の者からによる「また始まった」――という声が耳に届いた。
そう、以前900km/hの最高速度を発揮する戦闘機を提案した時、皇国の既存の制式採用戦闘機は最高速度が400km/h台だった。
その時の俺はまず700km/hのレシプロ重戦闘機を提案し、その翌週に疾風を提案したのだ。
今度は900km/hの航空機が飛んだと思ったら2400km/hがどうたらと言い始めているので呆れられているわけである。
「ええ、もちろん。急激な旋回などすれば即座に気絶します。現在開発中の耐Gスーツをもってしても困難を伴う最高速度です」
「その速度で横切られたら機銃など当たるとは思えん。どうやって戦うというんだ。秒速で考えても本当に一瞬だぞ」
「もちろんこれは最高速度ですので常にこの速度で飛ぶわけではありません。だとしても1000km/h以上は当たり前の時代がもうすぐきます……ですので、これより我が国の今後の戦闘機に対する開発方針について起案させていただければ」
「構わん。続けろ信濃」
西条の言葉により周囲は一旦息を飲み込んで黙り込む。
午前の余韻の影響か、周囲は聞き入ろうとしてくれた。
あのパーティのような雰囲気からは一転している。
気づいたのだろう。
元々我が国は技術後進国。
常に国外に先手を打たれては煮え湯を飲まされてきた。
疾風が横切って感じた恐怖から、同じ領域に並ぶ戦闘機がこの世に存在しえないと否定することなど出来なかったのだ。
将校であればあるほど歳を重ねている。
追い越したという感覚は殆どない。
それでいい。
そうでなくては困るんだ。
周囲の状況を一通り確認した俺は再び黒板の空白の空間に文字を書き始めた。
そこには今後のための開発方針などが刻まれていた。
1.超音速飛行の実現
2.空中給油技術の確立
3.早期警戒機の導入
4.戦術データリンクシステムの開発
5.地対空及び空対空誘導弾の実現
6.上記に伴う人工衛星による監視・通信網の構築
「――おおまかな方針はこの通りです。まず超音速飛行の実現ですが――」
「信濃君。さらなる新型機を開発したいというのかな? それとも例の山崎で作ると噂の軽攻撃機がそうなのか?」
「いえ……稲垣大将。当面の間は独自に新型機として超音速戦闘機を開発するという事は致しません。そのうちやるのは事実ではありますが……といいますか、我々はすでに保有しているんです。超音速戦闘機を」
「なんだって?」
「本日の試験飛行をご覧になられて何か感じた事などございませんか」
「……うーむ……そうか! あの機体、音速とやらに匹敵する領域にいながらもビクともせず飛行を続けていた! つまり必要なのは心臓部というわけか! そうだろう?」
「おっしゃる通りです。今まで黙っておりましたが疾風は元より将来の可能性を鑑みて設計致しました。あの戦闘機は第三帝国にて"遷音速"と呼ばれる領域で飛ぶ機体ではなく、れっきとした超音速機です。この機体はマッハ1級であれば到達可能。そのためには新型のジェットエンジンが必要となりますが、これを別途開発していきます」
そう、胴体構造において未来の知識を手にしている俺にとってマッハ1級というのは推力次第なのだ。
あれほど苦労する超音速飛行については、既に確立しかけている。
「現時点でもマッハ1.1程度なら降下飛行にてすでに到達している数値なのですが、G.Iとの合弁会社にてさらなる加速力を求めて開発中のオーグメンターを搭載することで水平での超音速飛行は十分可能です。Cs-2を骨子として各部に耐熱合金を施した新型エンジンにてマッハ1級の戦闘機を実現させてみせます」
黒板に掲げたオーグメンターの簡単な技術解説をもとに、これがどういうものなのか説明する。
周囲はとりあえず「ジェット燃料による排気ガスの再着火によって爆発的な推力上昇を果たせる機構」――として理解しているようだった。
間違ってはいないが……まあいい。
詳しく説明していたら夕方になってしまう。
「わかったぞ君が言いたいことが! 間に合わんというわけだな。ジェットエンジンのみで超音速を実現可能とするための新型エンジンが!」
それにしてもやや不思議な事だが、ジェットエンジンのみ技研がそう呼称し続けるためなのか、いつの間にかジェット発動機とは呼ばれないようになっていた。
稲垣大将の年齢を考えると嫌いそうな語感なのだが、そうではないらしい。
いい傾向なのか、そうでないのか……
「10年はかかりません。しかし此度の戦で間に合うかは微妙な状況下。やるだけやってはみますが、ネ-0Ⅱのさらなる発展型が出せるかどうかは未知数です」
「何か代替案などないのか?」
「無くはないですが、最終手段として開発だけはしてみます。運用に危険が伴うので使用しない方向性でいきますが、万が一を考えて準備だけはしておきます」
「付け焼刃的対応があるということか」
「もちろん付け焼刃的対応です! ですが、必要となる上昇力等を得られる方法は、これ以外に現状思いつくものがありません」
新たに黒板に貼り付けたブループリントには、現時点ではいささか奇妙な形状のモノが描かれていた。
それは未来の自動車におけるマフラー用の触媒とマフラーそのもののような形状であった。
あくまで内部形状をもとにした暫定形状である。
よってこのままの採用はしないが、説明用にわかりやすい図解とするためこうした。
「これは新たに開発を検討しているロケットブースターです」
燃料は灯油。
酸化剤は赤煙硝酸を採用する。
本来の未来における共和国のミラージュⅢに導入されたSEPR844とほぼ同様の仕組みのものであり、回転するメインエンジンのタービンから一部の軸出力を得てターボポンプを回し、酸化剤と"機内燃料"を使用してロケット噴射を行い加速するものである。
本ロケットエンジンはその仕組み上、外部からの出力によりターボポンプを回す事からロケット推進に用いる推進剤の全ては燃焼に使用される。
広義の上ではガス発生器サイクルであるのだが、ガスを発生させているのはジェットエンジンであるという点が極めて異質と言えた。
なぜなら狭義のガス発生器サイクルではターボポンプを稼働させた高熱ガスは推進力に寄与しないためだ。
こっちはジェットエンジンとして推進力となっているという点では大きく異なる。
つまりターボポンプを備えるロケットエンジンながら簡易的な構造と出来る上、SERP844では外部から吸気した大気のラム圧をも駆使して燃料供給を行う圧送式サイクルの仕組みも導入して信頼性を底上げしていた。(逆流対策の1つにもなっていた)
また、ターボポンプはジェットエンジンの出力と完全に連動するため、ロケット推進の推進力を調整する事すら技術的には可能である。(その場合は最適な混合比とするための機構が必要だが)
なおターボポンプを回す軸出力を得る際には空気圧を用いたクラッチを使用するわけだが、このクラッチは何度も再接続が可能であり、つまり再着火してオーグメンターのような使用が可能というわけである。
構造的には"様々な意味"でハイブリッドなロケットエンジンであったわけだ。
これは宇宙では出来ない芸当であるが、本エンジンは大気圏内飛行しか考えていないことから問題無かった。
割り切った仕様ゆえに出来たことである。
ちなみにそれでも搭載したミラージュⅢCを高度2万mという領域にまで到達させることを可能としており、一時期共和国は偵察機用として真剣に本ハイブリッドエンジンを用いた超音速偵察機の開発を検討したが、諸事情により断念している。(安全性の問題、そして与圧服や軍基地への減圧室の設置等が必須でパイロットへ過度な負担を強いるだけでなく、コスト的にも実現性に乏しいものであったため)
さて、そんな外付けロケットブースターであるのだが、俺が検討しているものは機内燃料タンクからの燃料供給を可能としている点がミラージュⅢに搭載されたSEPR844とは異なっている。
SEPR844には元々SEPR841という前身の存在があり、こちらはより反応性の高いトリエチルアミン +キシリジンの推進剤に対し、酸化剤として硝酸を用いた純然たるロケット燃料を別体タンク方式とした装着型のロケットブースターであったのだが、反応性の高さと毒性の強さゆえに整備時やタキシング中、そして離陸時において事故が多発。
特に尻もちをついた時に大爆発を起こしかねないリスクを最後まで排除できなかった。(着陸の際にはロケット燃料を投棄したとされるが、それはそれで危険な行為であった)
この整備時及び運用時のリスクの高さの低減……
そしてロケットブースター用の別体タンクを増槽としても使えればより合理的だろうと考えられた事から改良されたSPER844については、燃料をジェット燃料へと変更。
設計段階においては機内燃料タンクからの燃料供給も可能なようにしようとしていたが、万が一爆発した場合に燃料タンクを巻き込む恐れがある事や、高G旋回時におけるタンクからの酸化剤逆流の懸念から量産されたブースターでは排除された。(酸化剤が逆流するとジェットエンジン内で異常燃焼が起きて最悪エンジンが破壊される)
結果、燃焼時間はわずか60秒~80秒程度という状況となった。
他方、量産型では別体タンクを増槽とはできたので重量増大のデメリットをある程度相殺可能であり、緊急加速が使える増槽として考えるならば完全な失敗作であったとみなすことは出来ない程、ある程度完成度の高いシステムではあった。
これは酸化剤のタンクにジェット燃料も搭載できるようにしたために出来たことだが、酸化剤の量をどうするかは作戦運用時の現場判断により任せられており、基本運用において酸化剤が充填される事は殆どなく、ロケットブースターという重量物が付いた増槽という状態でミラージュⅢは飛んでいたとされる。(スクランブル発進で使われた記録がある程度)
だが、もし仮に機内燃料が使えるならば別体タンクは酸化剤だけを充填すればよくなる事から、燃焼時間は極めて長くすることが出来、疾風は必要となる加速性能を得る事は可能だった。
共和国の技術者の試算ではオーグメンターより若干燃料消費が増大する程度であり、もって代替手段とする事は可能だったとされる。
ここに関しては後において閉鎖弁や逆流防止弁の導入、そして燃料タンクの防護シールド等の構造体があれば問題なかった事は本来の設計を踏襲しつつ改良を施して試験用に別途作られた試作ブースターにて判明している。
その頃にはオーグメンターが実用化されて意味が無くなったのだが……オーグメンターが実用化されていない現在なら十分検討の余地があるシステムだ。
仕様上、Cs-1、Cs-2共にこれをベースとしたターボジェットエンジンはアルミ合金を主として構造部材とする関係からオーグメンターが装着できない。
ゆえにロケットエンジン方式にて外付けしてしまおうというわけである。
これなら高熱源体は機体のやや外側で生じるので飛行中にエンジンが融解する事はない。
無論断熱処置は必要だが……
問題は赤煙硝酸は混合することで自己着火性を持つようになる事からジェット燃料と混合した瞬間より発火しうるため、運用には細心の注意が必要な事。
地上での整備時に火災事故や爆発事故発生のリスクをゼロと出来ない。
本ロケットエンジンは弾道ミサイル等にも使われた実績あるシステムを利用しているが、正直戦闘機に使いたいとは思わない代物だ。
もちろん、開発するにあたっては弾道ミサイルに応用可能な技術である事から、その開発行為が無駄とはならないとも言える。
なお、俺が開発しようとしている増槽兼用のロケットブースターについては、コンフォーマルフュエルタンク状とすることを考えており、燃料タンクは区画分けして酸化剤とジェット燃料双方をどちらも充填できるようにしておくことを検討中。
これにより、一時加速や緊急加速用とするのか増槽とするのか、はたまたハイブリッドエンジン航空機とするのかを柔軟に選択できるようにする。
計算上、未来の知識を駆使することで燃焼効率等の向上によりロケットブースターの推進力はSEPR844より若干大きい23kn程になるのだが、これにより総推力は40knを超え、ジェット戦闘機としては軽量小型の疾風の最高速度は1400km/hぐらいには達する見込み。
万が一のための切り札として用意しておこうとは思うが……活躍しない事を祈りたい。
これが必要となるということは……戦中にマッハ1級戦闘機をぶつけられるという事を意味しているからだ。
「無駄にならないというならば無理のない範囲で開発をやってもらえばいい。基本はオーグメンターを搭載したジェットエンジンの実用化を目指すのだと理解しておけばいいのだね?」
「ええ……稲垣大将。その通りです」
「それで疾風は最終的にどれほどの速度となる予定なんだ。先ほど君は疾風はマッハ1級と述べていたな」
「試案中の新型ジェットエンジンを搭載したとしても最高速度はマッハ1.5~1.6程度が限界です。マッハ2級はいずれ別途開発するのですが、そのために必須となる構造や機構を実用化するための機体として、例の軽攻撃機を開発します。この機体はあくまで遷音速でしか飛べない攻撃機ではありますが、各部に導入された構造等は将来のマッハ2級戦闘機の礎となります」
「山崎に作らせようとしている機体がそれなんだな信濃?」
「そうです西条大将。一部構造はマッハ1級でも必要となるものですが、ここで得られた知見をもとに疾風もさらに改良します」
新たに張り付けたブループリント。
そこには皇国の戦闘機の将来を決定づける新型機の姿があった。
後に"飛燕"と呼ばれる四式軽攻撃……及び四式艦上戦闘攻撃機となる存在。
この機体は、NUPに向かう途中に試案していたモノからさらに洗練され、異質なオーラのようなものを放っていた。
「最初に私が示した敵の新型機と誤認したものと似ている……」
「なぜならば、その誤認されたものがマッハ2級戦闘機として試案したものだから、ですよ」
「技研はもうその領域の研究を始めているというのか……ッ」
始めているというか……俺の中にあるというだけだが、ともかくマッハ2級の戦闘機開発を進めていく上では土台が必要なわけであるから、山崎にてジェット機を別途作れというなら一切を無駄にしないためにこうしたいという事。
「超音速戦闘機に必須な機構や構造と本機との関連性については、これより説明致します」
それは真の意味で全ての雛形となるジェット戦闘機だった――
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