―皇国戦記260X―:12話:異国の剣士と東の国の鬼
「よいか! 諸君らはこれより突撃を敢行し、少しでも敵の侵攻を遅らせるのである。諸君らの活動の1分が国の1日を支えるのだ!!!」
「……また始まったよ。今日は何人死ぬんだ……」
土の壁に囲まれた状態で蹲っている中、隣に座る者の囁きにふと意識を取り戻す。
しばらく寝ていたようだった。
寝ていたのか……あるいは意識を失っていたのか……もう少しで楽になれる所だったのか。
開戦から5年が過ぎた2月。
かつての栄光はどこへやら。
攻めに攻め込まれた我々は、ついに自国の領土での戦いを強いられていた。
後退を続ける西部戦線。
今はマジノ線の向こうへと追いやったはずの敵におびえる日々。
突撃といっても殆ど意味は無い。
少し攻めて相手が怯んだ隙を見ての後退。
ひたすらの後退戦。
にも拘わらず、部隊長は果敢にも前に進軍しているのだとばかりに味方を鼓舞する。
あるいは自らに向けて嘲笑しているのか。
「そこの者! それは戦利品か?」
突然の声掛けだった。
頭上より下士官らしき人物がこちらを見下ろしている。
どうやら配置につく前に周囲と異なるこちらの身なりに気づいたようだった。
すぐさま立ち上がり、敬礼を行う。
「戦利品であります!」
「何人仕留めた?」
「……3人ほどは」
「貴様は優秀なようだな。ならば良し。だが背後から撃たれたとて文句を言うなよ!!!」
「ハッ!」
この光景も何度繰り返したやら……
自国の装備がもっと優秀であったならば……ともすればこのような姿とはならなかったかもしれない。
だが、私には身に着けるだけの理由があった。
なぜなら私は――
白昼夢に浸ろうとしたその時であった。
先程語り掛けてきた者が崩れ落ちてくる。
同時に沸き起こる土煙と爆音。
「チッ消音機か! 奇襲されてるぞ!」
「どこにいるんだ! 見えない! うわっ! 目の前をかすった……」
名前すら知らぬ者の叫びに周囲の者はせわしなく動き回る。
もはや部隊や分隊という概念すら崩れており、常に名も知らぬ同郷の者達と戦う日々。
自己紹介をする暇もなく、次の日には昨日飲み交わした者の遺体が転がっている。
私は運がいいのか。
それとも運が悪いのか。
過酷な戦場の中で、1つだけ思う事があった。
果てるならば、この剣でもって最後に組み合いたい。
剣士として果てたい。
野蛮な武器の撃ち合いはもう御免だ。
そんな戦闘作法は習ってこなかった。
そんな不徳な精神も養ってこなかった。
異国の地で鍛えられ、祖国へと戻り……
これ以上の無い環境の中で私は望む死すらも得られないのだろうか。
◇
「くっ!」
「もう下がれ! 来るぞ!」
機関銃の弾が切れ、持ち場を離れざるを得なくなる。
遠くより戦車からのものと思われる砲撃音が聞こえるが、塹壕であればさほど気にする必要性はない。
今いる塹壕は横だけには広がっていないため、後退する事だけは可能だ。
名前も知らぬ者に肩を叩かれたことを合図に、私は一目散に駆け出し、そして迷路のような道を進みだす。
しばらくした時であった。
「……まずい……回りこまれた!」
「なに?」
先程まで先頭を走っていた者が足を止める。
塹壕は狭く、その者によって大きく視界を遮られていた。
私は彼をどかすように壁に押し付けるように腕でおしのけ、そして正面の状況を見る。
違和感を感じたためだ。
喋っていられる余裕など普通ならないはずなのにもかかわらず、目の前の男は生きていた。
そして視界の先に入ってきたのは――地面に倒れ込んでいる死体と、なぜか銃を構えず背中に背覆ったままの、甲冑を身に着けた侍の姿であった。
「弾切れか……不覚を取ったな!」
「待てッ!」
その者は迂闊であった。
私はすでにその時点で侍の異様な雰囲気に気づいていた。
腰に異様に長い刀を携えている。
瞬間――その者が剣士であると理解した時には……銃剣を装着した状態で突撃しつつ、射撃を行った者は地面に倒れ込んでいた。
銃撃は身をかがめた侍に回避され、その隙を突こうと突いた銃剣は避けられ、太刀筋は見えなかったものの、横っ腹を見事に掻っ切られた男は地面に倒れ込み、痛みに苦しんでその場を転がる。
その姿に一切顔を向けることなく、抜いた刀を相手が仰向けとなった瞬間に地面を突くようにして心臓に一突きさせ……男を沈黙させる。
間違いない。
手練れだ。
手際が良すぎる。
もう何人仕留めたのかわからない程に腕が立つ者だ。
並の歩兵ではこの者との閉所戦闘では勝てまい……
そして……私はこういう瞬間を待っていた。
「ナニモンダ? オメ……」
「通りすがりの……サムライだ……」
腰に据えた刀の柄に手をかけ。
最初は静かに。
そして一気に引き抜く。
「ヤルノゥ」
そのままでは壁に引っかかるため、天を仰ぐがごとく抜刀した。
中段に構え、そして息を整える。
我が愛刀は正勝。
紛れもない新々刀であり、名刀。
これは決して敵より奪い取ったものなどではない。
我が師より授かり……今日の今日まで鍛え上げてきた。
周囲には何度も戦利品とうそぶいて……
物心がついた頃から皇国の侍に憧れた。
長男でなかった事から留学を許された私は、武士の心を学ぶため、とある道場にて施しを受けた。
最後まで異国のために戦うか迷ったが……師による「我が流派は家族のために剣を抜く活人剣である。迷うな」――との進言により帰国し……そしてたとえ敵性武術とわかっておれども、今日まで自らの国の民のために戦ってきた。
そんな私に神が振り向いたのか……
皇国兵が落としていった兜や甲冑を手にすることが出来……今日の日まで侍の心でもって挑んできた。
初めて目にした時には驚くと同時に嫉妬と悔しさと口惜しさで弾けてしまいそうだった。
もう二度と戦場で見ることが無いと師より嘆かれたその姿でもって戦いを挑まれるのは、何よりも苦しかった。
しかし機会を与えられたのだ。
手にしたその日から一度も弾丸は当たらなくなった。
きっと……今この瞬間のために生かされていたのだ。
そう思うと自然と手に力が入る。
相手が刀を保有する理由はわかっている。
現在では前線のほぼすべての歩兵が装備している新型の機関銃は、銃剣の開発が遅れていると聞いた。
ゆえに銃剣の代わりに軍刀を手にする者が相応にいるのだという話は聞いていた。
ほとんどの歩兵は長さの短い脇差を装備しているのだが、稀に腕に自信があるのか、戦えると勘違いしているのか……軍刀を持つ者がいる。
しかし殆どの者は鎧の防御力を過信しすぎているため、さほど手ごたえの無い者だとも言われていた。
いかな小銃が命中しても貫通しない鎧といえど、一度羽交い絞めとされればどうにもならない事もある。
目の前にいるような手練れでもあれば別なのであろうが……剣豪はそう多くいるわけではない。
私はそのような剣豪と戦いたかったのだ。
それで果てるならば本望である。
それにしても……随分自分は落ち着いている。
状況的には不利。
気づけば背後から撃たれるかもしれない。
今の私は目の前の男と殆ど身なりが変わらない。
残念ながら刃を通さぬ上着は無く、甲冑と兜のみで中途半端であるのだが……
それでも皇国兵と見間違えられても仕方ない。
そして背後から撃つのは何も味方だけでなく皇国兵の可能性もある。
周囲より聞こえる声から、すでに皇国兵が攻め込んできているのはわかる。
だが、なぜだかその状況に冷静さを保てていた。
なぜか、この戦いは見守られているような……そんな気がしたのである。
ゆえに誰にも邪魔されない謎の確信があった。
「フム」
相手には余裕がある。
こちらから攻めてこない事を理解したのか、切っ先にへばりついた血を自らの袖でもって振るう。
視線は変えずこちらに向けている。
このまま一気に間合いを詰めても不意打ちを食らう。
先程の太刀筋の見えなさからして、古武術の使い手。
一般的な一刀流などではない。
拭い終わった後の構えは下段であった。
「ならば!」
構えを中断から上段へと変える。
切り上げならば予測できる。
足元への突きならば対応できる。
私の予想は下段への足斬り。
いざ……参るッ!
「デェェェエェ!」
一気に間合いを詰め、兜割がごとき要領でもって刀を振り下ろす。
相手は胴を薙ぎ払うがごとき動きを瞬間見せるが、これはフェイクのはずだ。
構わず動きを制止しない。
すると予想通り足斬りを行ってきた。
狙いは前に出している右足。
瞬間、右足を大きく振り上げつつ、刀を再び振り上げる。
そう、これぞ我が流派、永井流古式剣術による二段構えの真向斬り二ノ太刀。
我が流派の中では基本技ではあるものの、甲冑における組討の実戦を想定したもの。
通常ならばこのまま鎖骨あたりを狙い、相手の体勢を崩す事を狙う。
やれる――そう思った次の刹那。
強烈な金属音が響き渡り、相手の体をすり抜けてしまった。
視界には相手の刀しか入らない。
瞬間目を右下に向けると、片手でもって刀を背負い込むがごとく切っ先を地面に向けていた。
体は横を向き、刀はまるで肩でもって担ぐがごとくようにして峰が肩の一部に接触しつつ、地面に切っ先は向いている。
完全に刀によって攻撃を捌かれ、太刀筋を誘導されていた。
このまま横を通り過ぎれば通りざまに首をかき切られる。
そう感じた私は振り下ろした刀を気合でもって止めつつ、右腕を引きながら切り上げるようにして相手の剥き出しの後頭部を引き裂こうと試みる。
だが、瞬間、強烈な悪寒を感じ……そのまま一気に引き下がった。
その瞬間、目の前を光が掠め、右頬に鈍痛が走る。
気づくと相手はいつの間にか左手に刀を持ち換えており、右手に拳を作って切っ先近くの峰に当て、てこの原理でもって強烈な上げ切りを行っていたのだ。
切り上げを行う直前、左手も柔軟に動いて刀を翻したに違いない。
上半身を巧みに扱い、体と刀を上手く引くことでこの狭い空間内で体勢を変え、横を向いたまま刀だけを滑らせて小さく回転させてそのような上げ切りを行ったのである。
もし判断が遅れていたら……今頃左の首を抉られ……動脈から大量の血流が生じ……地面に倒れ込んでいた事だろう。
やはり只者ではない。
そう理解すると息が荒くなった。
「オレゲノヒッサヅウケテェ、タオレネェネエイジンハ……オメガハジメテダァ……」
……どうやら相手にも多少認められたようだった。
人生の最後にとんだ剣豪を呼び寄せたものだ。
小手先の技では勝てる気がしない。
ならば……永井流の奥の手で挑むのみ。
息を整えた瞬間、再び駆け込む。
相手はこちらの動きに合わせて最適なカウンターを放ってくるはずだ。
視界に入ったのは振り上げようと両手で構えた姿。
すぐさま体を横に逸らすように姿勢を変え……肘当ての装着された左肘でもって相手の柄を狙う。
これぞ永井流の対甲冑用の組討術。
相手は当然体勢を崩す。
そこを間髪入れずに左肩でもってタックルを行い、相手をのけぞらせ、攻撃を不能とする。
この状態から上半身を180度回転させるようにして切り上げ。
狙いは相手の首から顎のあたり。
左側方をすれ違いざまに切り抜ける!
相手は刀の位置がこちらから見て右側に位置するため、左側を切り抜けていく場合、攻撃が間に合わず攻撃も届かない。
……届かないはずだった。
私は完全に失念していた。
功を焦った。
かの者が上半身を自由自在に柔軟に活用して捌ける事に。
相手は冷静にそのまま押し込まれた勢いを用いて左腕を振り上げ、右腕を振り下ろす。
それによって全身で三日月を描くような状態となり、刀の峰は二の腕に乗り、その状態でこちらの切り上げた正勝を捉えると……
見事にはじき返し――すぐさま私は後頭部に鋭い痛みが走り……あまりの激痛に地面に倒れ込んだ。
太刀筋は完璧に見えなかった。
気づくと天を仰ぐようにして仰向けに倒れていた。
恐らく秘剣の類に違いない。
一切何も応対することが出来ない程の神速であった。
勝負はついた。
私の負けである。
正勝はどこかに飛ばされ、手元にもう武器などなかった。
私はそこで死を覚悟し……そして痛みに身を任せて目を閉じた。
◇
「うっ……」
気づくと正座する形で地面に座らされていた。
両腕は縛られ、身動きはまともに取ることが出来ない。
まさか腹切りをしろというのか……一思いに討ってほしかったのだが……
しばらくすると見覚えのない甲冑を身に着けた皇国兵が近づいてくる。
「曹長! この者は? 捕虜にするんですかぁ?」
「ああ、捕虜にするだ! 後で運んどけ!」
「手続きが面倒臭いんですがねえ。生かす理由ぐらい聞かせてくださいよ」
「あぁ? 俺げに命令すんのかぁ。てえした立場だねーか。上官は俺だど。俺が生がすつったら生かがすもんだろ!」
「ああもう……わかりましたよ」
兜を一端脱いだ部下と思われる者は嫌々な態度を示しながらも去っていく。
何やら書類を取り寄せに行ったようであった。
視線を向けていると先程相対した男が近づいてくる。
「さて、オメに質問だ。この刀さどこで手にした? どこさ流派だ?」
「……なぜ生かした」
「しづもんに答えんのはそっちだぞ。駿府か? 遠州か?」
「……遠州の流れをくむ永井流だ……道場は武蔵境にある」
「ほう。てえした皇国語だ。オメやっぱ言葉わがんのか」
「もう一度聞く。どうして生かした」
「オメその腕じゃ免許皆伝までいっでねえだろ? ええ筋したもん斬るのは俺げの趣味じゃねえ。興が乗らん。ええが若いの。戦争終わったら本土行っで修行すろ! 鍛錬重ねろ! この刀は立場上オメに渡せねえから道場さ届とぐから! 生ぎで道場さ戻って修行すろ!」
男が手にしていたのは鞘に納められた正勝であった。
折れてはいなかったらしい。
しかし言葉の意味がわからない。
なぜ生かしたのかの答えになっていない。
「確かに皆伝ではなかった……だが、修行する意味を教えてくれ。私は……先程死ぬはずだった」
「あ? 侍の心を持った同志を斬るのは侍だねぇ。俺げは鬼だ悪魔だ仲間からもいわれっけども、鬼になった覚えはねえ。俺ぁ侍だ。斬らぬと決めた者は斬らねえ。それだけだ。じゃあこれは持ってぐからな!」
そう言ったきり、去って行ってしまった。
言葉からは結局生かした理由がよく分からなかったが……なんとなく言葉尻から理解した。
あの瞬間、互いに何か感じるものがあったのだと。
同じ志でもって戦場に挑む者同士に感じたシンパシーのようなものを相手も受けていたのだと。
それが生かした理由なのだろう。
それと同時に、武士としても剣士としても遥か高みにいる名も知らぬ者に敬服すると同時に……自分の中にまだ心の迷いがあり、それすらも見透かされて修行不足と断じられたのではないかと気づいて恥ずかしくなった。
通りすがりの剣豪とはこういうものか……
さすが武士の国。
かような者もいるのだ。
心が通じ合えば……人種も国も関係無いか……
きっと今まで彼に倒されてきた者は、通じ合う何かが無かったのだ。
その者に一切の譲歩など無かったのだ。
武士とはそういう生き物なのだろう――
◇
戦後、渡航許可が下りた私は真っ先に皇国へと向かい、かつて通い詰めた永井道場を訪れた。
既に報告の手紙が届いていたが、そこには愛刀である正勝が届けられており、師より再び受け取る事となった。
結局、最後まで戦った者の名はわからず。
それから10年。
道場で修行を積み、師より皆伝を受けると同時に本国へ帰国。
私はかつて第三帝国と名乗っていた国の地において道場を開き、門下生を得た。
私の剣術への姿勢は周囲の者から蔑まれる事もあったが、私は戦場で自分の身に起こったこと、文化への理解、武士とは何かを伝え、開いてから20年を経た今でも自分の道場を守っている。
支える理解者も相応にいてくれている。
実際には武士とは何かの答えはまだ出ていない。
その答えを探す修行は今でも続けている。
鍛錬が終わることなどない。
夢の中でですら何度もあの時に出会った侍と再戦する機会があり、戦い続けていた。
あの時ああすれば、それともこうすれば……そう考えてもいつも負けていた。
きっとどこかで……勝ちたくないと思っている自分がいるのかもしれない。
私が勝っていたら……あの者は生きてはいなかっただろう……だからだ。
やはりどうしても気になるので現在でも二度目の大戦における資料の収集は怠らない。
謎の剣豪の正体が知りたかった。
あれほどの達人であれば名を残したのではないかと思ったのだ。
残念ながら未だに知れずじまい……
正勝を直接届けに行ったそうなので戦後も存命だったようだが名は名乗らなかったという。
わかったことはやはり戦場では少ないながらも何人もの剣豪がいたらしい。
そんな者がいたから皇国陸軍は軍刀を完全に手放せないようだ。
もはや甲冑と軍刀は様式美。
甲冑は完全に実戦向きのまま導入された各国で活躍しているが、果たして軍刀はどうなんだろう。
軍刀はさすがに各国での採用事例はない。
皇国は戦後、今のところ他の国と直接一戦を交える機会がないので軍刀が最後に活躍したのは二度目の大戦であった。
しかし……もしかすると……世界のどこかに私のような魂を受け継ぐ者がいて、今日もどこかで戦っているのかもしれない。
門下生にそのような者はいなかったが……焦がれてその道に進む異国の剣士は多くいた。
誰にだってあの武器には……特別な思いを抱いてしまうものなのだな………
信濃忠清は純粋な軍刀の実戦使用には否定的であったが、二度目の大戦においては甲冑の圧倒的性能がそれを可能とした。
それは銃剣の開発を遅らせた自らの失態によって引き起こされた想定外の活躍であった。
後に小規模な市街地戦などが多発する対テロリスト戦争の時代となると、敵勢力が近接武器として伝統的な武器を用い始めた事で、細々と生き残っていた軍刀は再び注目されてしまう事になり……
信濃忠清がやや別の形ででも残そうとした刀という存在は、進化・発展をつづけながらも新皇国刀として戦闘用として懐疑的な視点を持たれたまま、半世紀以上を経ても服制令上の軍装品として直系の子孫が生き残り続けるのであった。
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