第193話:航空技術者は妥協しない(中編)
長いので分けました。
引き抜かれた短剣は、一見見においてはただの脇差であった。
だが、気づく者は即座に気づいたようだ。
「なんという重ねの厚さ……元幅はいかほどだ!? まるで鎧通のようではないか!」
「古刀の脇差とは、かようなものであったとは聞く。何時頃からか脇差も打刀同様、重ねは薄く整えられていったというが……む? よく見ると鎬が無いぞ!?」
「平造りか……一体どこで作刀を……」
流石に年齢を重ねた将校達は刀剣に関して極めて詳しい。
生半可なものを提示するわけにもいかないとは思っていたが、本装備を認めさせるのは難しいかもしれない。
「作刀は我が軍御用達たる関にて。耐錆鋼刀にございます」
実はこの脇差、ここ最近注文をかけて誂えたものではない。
サバイバルナイフとして新たに採用されたモノとは別口で俺が密かに関の刃物組合に依頼し、開発をしてもらっていたものだ。
丁度軍刀としての耐錆鋼刀を受け取ったしばらく後の話である。
それが偶然なのか必然なのか……甲冑が完成した直後、関より届けられたのだ。
まるで「仲間外れにしないでくれ」――と叫んでいるかのようであった。
そんなこの脇差こそ、関の刀鍛冶と共に新たに作り起こした皇国に由来する"新たなタクティカルナイフ"だ。
まず構造だが、一見してありふれた外観のような柄だが……これはほぼフェイクとなっている。
表面の鮫皮のごとき意匠はガラス繊維をエポキシ樹脂にて固めた後の未来における軍用ナイフにおいてはデファクトスタンダードとなる素材をグリップとして採用。
表面はザラついた加工が施され、滑止加工が施された上で鮫皮を模した状態として整えてある。
その上で茎の状態は完全なフルタング。
2点にてカシメられグリップとは完全に固定化。
丸見えとなった茎を隠すように新たにシリカを含有させて対候性を大幅に底上げしたゴムが貼り付けられている上で縁も装着され、その上に柄巻もなされているが、その下には未来のタクティカルナイフと遜色ないナイフハンドルが隠されている。
このような構造とした最大の理由は現用の柄に問題があったためだ。
耐錆鋼刀である兼永を受け取った俺は、かねてより心の奥底に渦巻いていた疑問により実は関を訪れていた。
一体どうしてこの頃の軍刀として誂えられた刀剣はかようにも茎が長いのか。
そしてなぜ後に制式化される新たな陸軍の軍刀は目釘が2つとなったのか。
長年の疑問を解決するためだった。
そして現地の職人や陸軍の軍刀関係者の説明を伺って理解したのは、皇国由来の刀の柄というのは極めて脆弱であるという事実。
実戦を経た軍刀の修理その他に纏わる履歴の統計書や報告書を閲覧させてもらった所、戦場に持ち込まれた殆どの軍刀において、僅か一刀にして柄が破損する事例が続出していたことがわかったのだ。
理由としては必ずしも軍刀の使用者が剣豪とも言うべき領域にまで達した剣術の熟練者ではないということにも起因していたのだが……
何よりも柄というものが欠陥構造であるというのが刀鍛冶や軍関係者内での理解だった。
例えば柄として使用される一般的な鮫皮は鮫ではなくエイの皮であるのだが、こちらは雨に塗れると数時間もすると水を給水して伸びてしまい、全体構造を維持できなくなる。
その状態から乾くと糊にて接着されている結果部分的な収縮によって負荷がかかってひび割れ、時に割け、柄を支える構造物としての役割を果たさなくなる。
鮫皮がこのような状態となったまま一度刀を振るえば、茎を挟み込むように木を張り合わせているだけの芯材は容易に分離してしまい、結果柄は一太刀にて破損して使用不能となるわけだ。
何しろ報告では刃こぼれ以上に柄の破損が多く、次いで焼き入れ不足に起因するナマクラ刀による刃こぼれによる破損が多かったとされる。
いかな名刀たる刀身であったとて、国外での環境において木材等の天然素材を用いる柄は容易に腐り、破損し、本当に使用すべき状況にて使用不能となるため、名刀の名を汚す結果となっていた。
なお、この問題についてすでに海軍は把握しており、実は海軍では漆等を用いることで柄を強化していた他、そればかりかアルミニウム一体構造の柄を開発して採用することによってこの問題を生じにくくさせていたのだった。
湿度が高く水をかぶる事が当たり前な海上においては陸軍で運用される以上に過酷な環境下に置かれるわけだから、早期にその弱点については承知しており、改善策を講じていたわけである。
また、問題は柄そのものの構造部材だけが原因ではなかった。
目釘も問題だったのだ。
古来より皇国の刀というのは茎を竹製の1つの目釘で柄に固定した上で用いられていることが当たり前だった。
だが、目釘を2つとしたものは歴史上度々登場しては平和な時期となると廃れることを繰り返しており……
直近では幕末頃において一般的に新刀と呼ばれるものに目釘を2つとしたものが相応に存在していて、新政府樹立後に再び廃れていったとされる。
この目釘を2つとする理由こそが柄の脆弱性に起因するものであるというのだ。
本来、目釘を1つとしているのは大きく2つの理由があるとされる。
1つは非常に強い衝撃を受けた際、目釘を中心に時計の針のごとく茎が若干動き、柄の内側と衝突して衝撃を局所的なものとせず全体に浸透させて逃がすためにあるとされ、もう1つは目釘を増やすと目釘そのものに強大な負荷が生じて目釘自体が破損し、最悪は柄から刀身がすっぽ抜けるリスクがあるためだという。
だが、目釘を1つとした状態で柄を壊さずに振るうには相当な鍛錬が必要であり、そもそも刀というのは目釘を中心点に振るう事ではじめて最大の効力を発揮しながらモノを切断することが出来て、もって剣術の熟練者と称されるとされるわけだが……
戦場にかような剣豪とも言うべき兵はそうそういるわけではなく、一太刀にして柄にガタつきを生じさせるか、あるいは茎尻が柄の内側に直撃したことが原因で柄の後端を折損させてしまうという事故が多発した。
つまり目釘を中心として茎が動いた結果、柄が耐えきれず破損するというわけだ。
この破損する理由には他にも相手側が金属製のプレートを編み込んだ簡易ボディーアーマーを着込んで白兵戦を挑んでくるからという事実関係も存在していたようだが、その状態で完璧な一太刀を浴びせられる皇国陸軍歩兵は100人いたら1人か2人程しかいなかったという。
この結果は古来より伝わる剣豪の比率とも符号しているわけだから、彼らは剣豪と呼べるほどに剣術に長けた者であったのだろう。
しかし陸軍はこの1人か2人のために武器を開発するわけにはいかないのだ。
ゆえに、対策が講じられていったわけである。
その1つが茎の延長であり、茎を大幅に延長することで柄に対して局所的な負荷が生じるのを防ごうとした。
だがそれでも足りないので、さらに目釘を2つとしたのが本来の未来にて来年正式採用される予定であった三式軍刀なわけである。
つまり俺が受領した兼永は軍刀の進化の途上にある過渡期にある存在であり、さらに進化する来年以降においては耐錆鋼刀においても目釘が2つとなることが当たり前となるのだが……
兼永を作刀する富士宮兼永は既に病魔に侵されていて……残念ながら奈良太郎富士宮兼永と銘を打たれた刀に目釘を2つとしたものは存在しない。
来年にはこの世を去ってしまうためだ。
ただし、他の関の刀工が打ったものには目釘が2つとされているものがある。
つまるところ、それが軍刀としての理想構造と考えられたわけだ……当時においては。
だが、俺は知っている。
それは関の職人達にとっての真の理想構造ではないと。
なぜなら、サバイバルナイフとして新たに採用された一式生存戦略構築用造兵刀の基となったとも言える陸軍へ提出された試作品は……皇国由来の伝統的な刃を宿しながらも、ある構造を有した鎧通であったからだ。
関の刃物組合はそれを"戦闘用短刀"として提供しつつ、陸軍に向けて理想形だと訴えていた。
刃は典型的な鎧通であり、重ねは極めて厚かった。
その構造は……国宝と称される圧藤四郎に類似していたのだが……グリップ部分は完全に違っていた。
グリップ部分は何と現代の銃剣で一般的とされるものと同様、ハーフタングとなっていたのである。
それもグリップ部分は第三帝国等が採用した銃剣と同じくベークライト製であり、茎とベークライトはカシメられて完全に固定化されていた。
まるで銃剣を戦闘用に仕立て上げたような、そのようなモノこそが俺が確認した2598年に陸軍に向けて提供された試供品だったのである。
戦闘を加味したら従来方式の柄をいくら強化したとて意味は無く、本当に強靭なものとしたいなら最低限ハーフタングとすべきだと関の職人が考えていたのは間違いない。
実際俺も本来の未来にて実戦経験者から「軍刀より銃剣の方がいざという時においても耐えてくれる。だからあえて俺の銃剣は刃を付けているんだ」――という話を聞いていたが、現時点で関の者達はわかっていたのだ。(皇国の三十年式銃剣もハーフタング構造なのである)
俺はここから重ねの厚さをそのままにハマグリ刃として修正し、グリップ部分をより優秀なフルタング構造とした上で刃の長さを短くして一式生存戦略構築用造兵刀として航空機パイロット向けとして正式採用に持って行ったわけだが……
製造依頼からしばらくして、外観をより皇国由来の刀剣に仕立て直したタクティカルナイフの開発を行ってもらいたいという思いを抱くようになっていった。
提供品たる鎧通にそれだけの魔力があったのである。
それだけじゃない。
俺がやり直す直前の頃の話である。
金属系素材のブレークスルーが相次ぐ中、タクティカルナイフにはある形状のものが登場するようになってきていた事も脳裏に深く刻まれていたことが影響している。
反りがあり、片刃。
さらには小ぶりながらも鍔すら装着されたソレは、数寄者のための武器ではなく実戦に持ち込む本職すら愛用者が相応にいたほど。
戦闘時において信頼性が高いだけなく、その他にも応用が利く事実上の国外の職人がこさえた脇差……
頭の中にあったソレを、歩兵用の短剣として採用する事など出来ないか……耐錆鋼刀を受け取った頃には、自然と関へと足を運ぶほどにまで感情は高ぶっており……気づくと依頼書を彼らに手渡していたのだった。
彼らにお願いしたことは下記の通り。
1.一式生存戦略構築用造兵刀と同様、フルタング構造は踏襲する。
2.フルタング構造にするにあたっては一式生存戦略構築用造兵刀と同様に茎部分に軽量化を目的としたフルテーパード・タング構造などは導入しない。
3.試供品と異なり、鎧通しとして反りが無いモノとするのではなく、浅くとも反りがある脇差とする。
4.戦闘用であることと戦場での状況を最大限加味し、重ねは厚めとする。(厚さは問わない)
5.全体の長さは1尺以上1尺3寸未満、30cm以上40cm未満の小脇差の枠内に可能な限り収まる程度とする。
6.鞘や柄を含めた素材は新素材を採用し、それでいて徹底的に皇国伝統の外観を維持する。
7.工兵等が使用する砲兵刀としての運用も可能なよう、柄尻は金槌として代用可能な構造とする。
8.上記をもって金属素材はステンレス材を使用する。
9.これらすべての条件を満たしつつ、大量生産を可能とする製造方法でもって製造する事。
正直言って正気の沙汰ではない。
与太話にも程がある。
当時は正式採用される可能性すら未定な状況。
だが、なぜかやってもらいたくなった。
一切妥協しないソレを一度でいいから手にしたいと思ってしまった。
何かが体を動かした。
もちろん断られる事なんて百も承知でお願いした。
しかし、関の刃物組合はこれを快諾。
関の職人、とりわけ病を押してまで会いに来てくださった兼永氏をして最後の仕事としてやり遂げてみせたいと述べていたほど。
そして甲冑師によって改修が施されて完成した試作品の甲冑が立川に届いた翌日……
まるでごく自然な流れであったかのように関より届けられたのである。
手にした瞬間、全てを理解した。
完璧な仕事をしていると。
その脇差について改めて説明しよう。
重ねは約1cm。
国宝の厚藤四郎と変わらぬ重ねの厚さには驚くばかり。
当然にして鎬など存在しない。
典型的な古刀としての脇差であり、峰にて攻撃を受ける際に脆弱性を帯びることを想定してなのか軽量化のための鎬などは施されたりしていない。
ゆえに平造り。
一方でステンレスを使用しているため純粋な炭素鋼や合金を採用しているものより軽く、重さは見た目ほどではない。
ステンレスゆえに刃には粘りやバネのようにしなるだけの特性をも併せ持つ状態なのであろう。
恐らくこれならば斜面に突き刺すことで足場とすることも容易。
鎧通と同様、荒い使い方をしても破損することはまずない。
全長は1尺1寸で約331mm。
脇差としては短めな部類となる。
フルタング構造なことも関係して柄が細身である事から全体像は中脇差のような印象を持つが、長さ自体は未来における一般的な、かつ平均的なタクティカルナイフとほぼ変わらない。
この刃物最大の特徴は2つあり、前述したフルタング構造であると同時に……本脇差は鍛造ステンレスにて仕上げられていることは特筆に値する。
鍛造であるため、一般的なステンレスとは比較にならない程に強靭となっており、未来における驚異的な耐久性を誇るステンレス合金に引けを取らない。
まさか鍛造ステンレスで仕上げられたとは思わなかった。
届いた脇差を抜刀した瞬間、ただならぬ気配に唾を飲み込む程である。
どうやって作ったかは察しがつく。
赤熱化するほどの状態で、関の他の軍刀と同様、エアーハンマーで叩いて鍛造形成したのであろう。
半機械化された関の十八番となる大量生産可能な製造方法であるが……
スプリングバックに悩まされるステンレスにおいては成型時の熱管理と叩き上げに困難を要するが、それをやってのけてしまったのだ。
この上にさらに焼き入れ工程まであることを考えると、その技術力の高さには感嘆せざるを得ない。
現状で同様の事が出来るのはNUPのランドーと呼ばれるメーカーのみ。
このメーカーは本来の未来における2度目の大戦において一般的な鋼材とは別にステンレス鍛造のナイフを提供してNUPの歩兵から極めて高い評価がなされ、以降も俺がやり直す頃においてもステンレス鍛造ナイフを製造し続け、注文から受け取りまで5年という大量のバックオーダーを抱えている程であったのだが……
同じ領域に到達した職人達がこの国にもいたわけだ。
その切れ味は抜群であり、軍の関係者によって試斬を行ってもらったところ豚を容易に一刀両断した。
この状態で刃こぼれなど微塵も無い。
完璧な焼き入れであると同時に刃文が施され、刃は美濃伝統の大互の目乱刃となっていた。
フルタング構造でありながら重心位置は完璧であり、柄尻は金槌の代用となる状態だが手によく馴染む。
何度も試行錯誤を重ねて刃の重ねなども検証しながら整えていったのであろう。
試斬した者をして「よくぞここまで……いくらなら譲ってもらえるのか。1000円か。2000円か!」――と本気で述べる程。
フルタング構造ゆえに一太刀で柄がガタつくという事もなく、そしてフルタング構造とする上で気をつけねばならない局所的に一部に極大負荷がかかって折損する事への対処のため、各部は整えられている様子であった。
護身刀としては既に採用されたサバイバルナイフと並んでこれほど心強い存在もない。
こちらはより戦闘用として特化され、あちらはより生存に特化されているに過ぎない。
そのうちあちらも鍛造ステンレスとして改良したくなってくるが、ともかく現代においてここまで優秀なタクティカルナイフも無いだろう。
これならば戦場においても十分応えてくれるはず。
「――しかしだな技官。少しばかり短すぎやしないか? 私の記憶が間違っていなければ定寸刀より長いものでないと実戦では使い辛いと聞いているのだがな。だからこそ定寸以上のものを時期軍刀の標準形としようとしているはずだ」
「それは、甲冑を身に着けてでの白兵戦闘を想定していないからです」
言われると思った。
確かに軍刀の長さは定寸では足りぬというのが現状把握している軍の認識。
だからこれから採用される次期軍刀の形式ではより長くなるのも知っている。
だがそれは、甲冑を身に着けた状態での"組討"と呼ばれる戦闘方法でないから長さが求められているに過ぎない。
甲冑同士、あるいは自らが甲冑を身に纏った上での戦闘では必ずしもリーチは必要ではない。
甲冑同士の侍が主として短刀を用いていた歴史事実からして、そして太刀よりも脇差の方が優れていたと述べる記録からして嘘ではないと思っている。
実際、本来の未来においても長すぎる獲物はむしろ近接戦闘で不利となるというのは世界各国の軍における共通認識だ。
「――その根拠を今よりお見せします。すみませんが準備を」
当初からこのような意見が出る事は承知の上。
その上で彼らに本当に刀が優れているのかどうか見せる事とした。
もちろん事前に準備はしてきている――
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