第190話:航空技術者は巡り合う(後編)
「――ようこそお越しいただきました。ささ、つまる話もなんですからまずはこちらをご覧いただきたく――」
「はあ……」
かつて皇国と呼ばれた国家が存在した頃において、その国の国民であった者が史上初めてその空間に踏み入ったとされるある種の記念の日とも言うべき日において……
そこには待ち望んだ存在は無く、やはりというか当然というべきなのか、視界に入ってきたものは歩兵装備なのであった。
「……航空機用装甲板の開発と伺って訪れてみたら……どう見てもヘルメットですよねこれは。まぁいいでしょう。仕組み、構成は同じなのだから」
「大変申し訳ございません。現物としての装甲板はまだ確認できない以上、我々が用意できる限界はここまでだったのです。しかしMr.シナノ、こちらは……」
「なんとなく察しますよ。内部構造を分析してみたところ、あたかも複合装甲のような構成になっていたと。そしてその構成素材の殆どがUHMWPEだったというわけですよね」
「流石だ。やはり貴方ならば外観だけで内部構造まで判断がつきますか」
言葉を慎重に選び、こちらの機嫌を損なわないように努力するNARLの担当者については、その低姿勢がなぜだか無性に情けなく思ってしまった。
かつてのNUPならばもっと高圧的な態度で接してきたことだろうが、これは恐らく、世界の警察を自負しておきながらもその牙城を崩されかけている現在の自国の立場を現しているのかもしれない。
「UHMWPEを装甲として組む場合、その素材の弱点からそうする以外の方法は現状では無いと理解しています。ようはこのヘルメットが7.62mm弾をも至近距離で受け止めてしまうほどの性能なんかを有していて、重量比でケブラーを上回るものだから、貴方方は危機感を抱いているわけでしょう?」
「おっしゃる通りです。わずか数年前まで、ケブラーは絶対性と優位性を有しておりました。誕生から四半世紀もの間、不動の地位にあった我が国自慢のスーパー繊維です。その状況が今まさに覆ろうとしている」
「その理由が知りたいと。もちろんこれまでに各種新世代の素材関連についてはNARL内でも検証を行ってはいたんですよね?」
「UHMWPEの存在は以前から把握してはいましたが、我々の理解ではケブラーに劣っているというというのが答えでした。防弾繊維というのは繊維自体の性能がいかに優れていようと、いざ防弾装備として構成してみると、その特性から思った通りの成果を出せないということが当たり前である中、UHMWPEは最も注目された素材ではありましたが……少なくとも10年前まではケブラーと並ぶ可能性はあれど、超えることはない。それが我々が出した結論です。しかし、上回ってしまった。すべてにおいて。価格も、生産性も、耐久性も、そして主となる防弾性能も」
フィルム形成をする技術がありながらも、NUPはまだ気づいていないようだった。
一体どうしてこの素材がケブラーを越え、21世紀の歩兵装備のスタンダードとなりえるのかを。
超高分子量ポリエチレン。
このスーパー繊維はその誕生の時点でケブラー等、ありとあらゆるスーパー繊維と比較してカタログスペックでは勝っていた。
対候性も、長期における性能の保持力についても。
そして何よりも価格。
例えば、もし目の前にほぼこの世の全ての拳銃弾と、小口径のライフル弾を防ぐことが出来る3Aと呼ばれる規格の防弾ジャケットが2つあったとしよう。
1つはケブラー製で、もう1つは超高分子量ポリエチレン製の繊維を使用。
防弾ジャケットの各種構造は同一とする。
前者が仮に850ドルとしたとき、後者は幾らか?
300ドル程度である。
実際にユーグの東側諸国で流通している新世代防弾ジャケットは現在のNUPの貨幣価値におけるドル換算でその程度の価格であった。
しかし実際の調達価格では500ドル相当ぐらいだ。
理由は、ケブラー仕様では高価すぎて施せなかった構造や機能を付与するからである。
それでも300ドル以上も安い。
華僑などを中心として生産される、この手の安価な防弾ジャケットは近東のテロリストや過激な活動家などが好んで使用するようになっていたが……
その性能はもはや特殊部隊が7.62mm弾でもって狙撃を試みても倒しきれず逃走を許すケースが多発するというような有様であった。
特に華僑の安価でシンプルな製品の中には200ドルギリギリ切るぐらいの価格で販売されているものもあり……
それでも防御力は500ドル相当の品と殆ど変わらず、不足している点は機能面程度であるなど、装着時の違和感や可動域の狭さなどを我慢できれば、資本力の無い国家でも十分正式装備として採用できうる程の価格と性能の両立ができるからこそ、超高分子量ポリエチレンで構成された歩兵装備は恐ろしいのである。
だが、NARLの技術者が述べる通り、この性能は最初から発揮できていたわけではない。
ケブラーが勝っていたという話は事実だ。
UHMWPEこと超高分子量ポリエチレンが登場した当初、その繊維の強度は総合性能でケブラーの1.5倍もあったことから、この素材は即座に各分野での利用が期待された。
特に防弾装備に関しては30年も前から試行錯誤が試みられており、実際には話題となっていなかっただけで超高分子量ポリエチレン製の防弾装備自体は私が還暦を迎えてしばらくをした頃には程々に流通していたのである。
だが、当時の評価は「安価に調達できるが、性能も価格相応」というものだった。
カタログスペックではケブラーを大幅に勝る繊維は、なぜか防弾装備として構成するとカタログスペックを発揮しなかったのである。
その理由が2つある。
1つは熱に弱いこと。
熱可塑性系素材全体を見渡した時、実は超高分子量ポリエチレンは比較的熱には強い部類に入る。
それでも熱可塑性系素材自体が熱に弱く、比較的強く強いといっても熱に弱いというのは間違いなかった。
ここに落とし穴があったのだ。
弾丸の熱である。
飛翔する弾丸は火薬の燃焼によって飛翔を開始する。
多くの場合、その火薬の燃焼した際の熱エネルギーが弾丸に伝達される。
そして弾丸はバレル内に刻まれたライフリングによって超高速で回転している。
そしてバレルから射出後も多くの弾丸は超音速で飛行するため……
弾丸はバレル内で生じた火薬の熱伝導と、ライフリングによる摩擦熱、そして飛翔中の大気との空力加熱等によって相応の熱を保持したまま深徹してくる事になる。
そして深徹時においてはその弾丸による運動エネルギーが命中時に熱となって変換される。
一連の相乗効果は超高分子量ポリエチレンを融解させる融点を越えていた。
ゆえに、超高分子量ポリエチレンはそのままだと本来の力を発揮できないのだ。
その熱を弾丸を静止させようとして受け止めてしまった結果、衝撃を受け止める前に超高分子量ポリエチレンは熱エネルギーを受け止めることで力を使い果たしてしまう。
結果、持ち得るカタログスペックはあくまで理想値でしか無いというような状態となってしまった。
そして、このカタログスペックを発揮させない原因はもう1つあったのだ。
それが超高分子量ポリエチレンの特長に由来するものだった。
実はこの超高分子量ポリエチレン、その分子構造から全く伸びることが無い素材なのだった。
通常、この手の繊維はある程度伸びて、その間も崩壊を引き留めようと粘り強く耐えようとする。
だが、超高分子量ポリエチレンは違う。
こいつは性質的には全く伸びる事はなく、ある一定以上の負荷がかかった場合に一気に崩壊する。
ここにもう1つの落とし穴があったのである。
実は超高分子量ポリエチレン……結び方にもよるが、多くの場合に結んで用いると本来の性能の3割強~4割弱にまで性能が落ちる。
理由は結んだことによって局所的に大負荷がかかり、伸びない事によって負荷が分散しないことによって分子構造の崩壊を招くからである。
世において主流の多くのスーパー繊維というのは、仮に結んだとしても8割~9割近くの強度を維持できた。
ゆえに結び、絡ませ、組み合わせることで全体的には強度を増すように施すことが出来るのである。
一方の超高分子量ポリエチレン。
単純に結ぶと強度が落ちる結果、綿状に複雑怪奇に絡ませたりしてしまうと……カタログスペックを発揮しなくなるのである。
当初の超高分子量ポリエチレン製の防弾装備がケブラーに劣っていたのは、この2つの弱点によって本来の性能を発揮できなかったからだ。
ゆえに超高分子量ポリエチレン製の防弾装備というのは一部の界隈では「詐欺商品」などとも揶揄された。
価格が安価なものだから商品としては比較的早くから市場に流通するようになったものの……
「ケブラーの1.5倍!」だとか「世界最強のスーパー繊維を採用!」――などという商品の謳い文句だけが先行し、イメージを悪化させたためであった。
だが、技術者達は諦めなかったのだ。
カタログスペックを発揮しないというならば、カタログスペックを発揮できるように何か手を打つ。
ものづくりにおいて非常に重要な多面的な解決法を模索したのである。
その結果こそが、目の前にあるヘルメットなのである。
「――熱の問題については、ある処理を施すことで無視できるようになったんです」
「ある処理? なんですかそれは。もしやヘルメットの構成が繊維を樹脂でもってラミネート積層させていることと関係が……」
「ええ。簡単に言ってしまえばアポロ宇宙船と同じ発想です」
「アポロ宇宙船……つまりどういう……」
「昇華熱ですよ」
正確にはアポロ宇宙船とはやや状況が異なる。
あっちはそもそも弾丸そのものといっていい存在を空力加熱から保護するため、外板が融解することで熱を遮断しつつ大気圏突破を実現してみせた。
一方の超高分子量ポリエチレンはというと……
「フィルムですよ。同一または類似するエチレン系などのフィルム式接着剤でもってラミネート形成して繊維をまとめてフィルムシートにしてしまう。結果、表面のフィルムが――」
「自らが融解して熱を遮断しつつ、内部の繊維が運動エネルギーだけを受け止められるようにすると……」
「当然一層では話にならないので、繊維をラミネート加工したフィルムでもって何層も重ねるんです。そうすれば繊維が運動エネルギーを受け止めて役割を果たした後、次の区画でまた同じように熱を遮断することで超高分子量ポリエチレンは完全にその性能を発揮する」
もちろん、フィルムシート化して重ねるということは、その分、役割が昇華熱による熱遮断で役目を終えるフィルム分で重量が嵩むことを意味する。
ゆえにカタログスペックを発揮すると言っても、フィルムのデッドウェイト分は優位性を落とすというわけだ。
「だとしてもケブラーと比較して圧倒的な性能を保持する繊維なわけですから、性能を保持したまま重量を落とすことも不可能ではないわけです……手に持ってみたところ、このヘルメットも従来の軍用ヘルメットより若干軽い。必要性能を満たして尚、軽量化する余地があったというわけです」
「昇華熱……なぜ我々は気づかなかったんだ……そんな所に秘密が……」
「それだけではありません。もう1つ解決しなければならない弱点がある」
そう、フィルムシート化しただけでは伸びない特性によって絡ませたりなんだりで性能を落とす超高分子量ポリエチレンは、カタログスペックを発揮できないのだ。
そのための試行錯誤も、もう30年も続けられていた。
そして達した結論が……一切、絡ませないことだった。
何を言っているかわからないかもしれないが、事実だ。
スーパーコンピューターや最新の分析機器等による分析と試行の果てにたどり着いた答えは……
繊維を絡ませたりなんだりすることを一切やめ、1本1本の繊維に仕事を果たしてもらうことだった。
一応言うと、ここに辿り着くまでには性能を落とさない結び方なども生み出していて、そっち方面での開発や試行錯誤は続けていた。
それこそ、かつて皇国と呼ばれた地で生産される"嶋精機"の編み機なんかは、複雑な編み方を駆使することで一切性能を落とさない超高分子量ポリエチレン製の手袋などを作れるぐらいには、この扱い辛いスーパー繊維を使いこなしていた。
超高分子量ポリエチレンについては、実はその分子の結束力の強さとテフロンに匹敵する摩擦抵抗の低さゆえ、防刃性能も期待できる。
ゆえに機械工業において必要となる機械工エンジニア向けの防刃手袋などにはうってつけの素材であったのだが……
嶋精機の編み機は中でも世界最強と謳われる超高分子量ポリエチレン製の防刃手袋の製造が可能であったほど。
また、同様に使いこなした各種企業により、釣り糸等、各分野への利用はすでに始まっていて……
例えば釣り糸ならば、両者が同一強度であった場合、それがナイロン製ならば1.6ポンド……
糸直径0.104mm必要なのに対し、超高分子量ポリエチレンならば0.6ポンド0.064mmで文字通り釣り合うというほどの性能差が生じ、それでいて価格がナイロン製と殆ど変わらないからと、漁業関係では革命が起きつつあるほどだった。
私も映像で見たことがあるが、ある時期を境に青森で行われるマグロ漁の釣り糸が信じられないほど細くなるのだ。
糸はより細ければ細いほど軽くなって引き揚げやすくなる。
ゆえに収入にも直結する釣り糸の選択に気を遣う漁師たちにとっては、なるべく細くしたいが食いちぎられては困るというギリギリのせめぎ合いの中で、従来の半分程度の細さで十分となる超高分子量ポリエチレン製の釣り糸はまさに釣りに革命を起こしたと言って過言ではない。
この手の製品を作り上げることができる企業は皇国由来の織物などで栄えた地域が多く、編み機などについても自らの歴史の中で磨き上げてきたノウハウの延長線上にあり、こと皇国は超高分子量ポリエチレンについて非常に早い段階から使いこなしていた。
強度と柄による美しさを両立させる編み方を応用し、徹底した強度を重視した、負荷の集中が利用用途に合わせて分散され適切化されるよう結び方を編み出していったのである。
それこそ結び方1つ次第で超高分子量ポリエチレンは2つ下の規格が2つ上の規格と並ぶなんてことすらあるほどであり、いかにピーキーで扱いにくい素材かがよくわかる。
だが、防弾繊維ではそれほどに優れた技術をもってしても望んだ結果とならなかった。
理由は弾丸はまっすぐに深徹してくるわけではないからである。
例えば10mにも満たない領域で射撃され、防弾具に命中したとしよう。
この時の弾頭の中心点は必ずしも射線と並行ではないのだ。
まるですり棒でもって胡麻でもすっているかのような、妙な動きを見せる。
これはライフリングによって無理やり付加した回転エネルギーが均一な回転を生じさせることが出来ないためであり、ライフリング構造や弾丸の質によっても差異はあるものの、多くは一定距離以上を飛翔しないと正常な回転とならない。
この妙な動きの弾丸は命中時においてコンピューターでも予測不能な動きを深徹しながら示すわけだが、超高分子量ポリエチレンはこの予測不能な動きに完全対応するための結び方というものを見つけ出すことが出来なかった。
いや、正確には予測不能な様々な角度においても均質に対応するためには結ぶという考え方こそが間違っているという結論に達したという方が正しい。
なぜなら、この構造を採用することでケブラーは従来より25%も防弾性能を向上させられるからである。
つまる所超高分子量ポリエチレンでの挑戦でわかったことは、ケブラーですら正しい構造をしていなかったという事だった。
さて、それではその内部構造について説明しよう。
一般的にこの手の防弾繊維フィルムというのはUDとかUD構造なと呼ばれる。
UD構造とは何かというと、UniDerectionの略であり、王立語にて単方向運動等を意味する。
実際には単方向で運動するわけではないのだが、UD繊維フィルムと言えば単方向に並列で繊維を敷き詰め、それをラミネートフィルムでサンドイッチさせたフィルムシートの事を言い……
これを見出したことで超高分子量ポリエチレンはケブラーを超越した。
しかも試行錯誤が繰り返された結果、単純なUD構造ではなく4層構造のUD構造が見出されて現在に至る。
4層の内訳はというと、表面を覆うフィルムシートが2層、平行に並べられた超高分子量ポリエチレン繊維の2層から成り立つ。
内部の超高分子量ポリエチレンの2層は縦と横にそれぞれ90度で上下に交差するよう並列に並べられ、一切絡みあうことがない。
この構造によって、ありとあらゆる方向からの弾丸を抑え込むことが出来るようになった。
しかもその強度は、同一のUD構造を採用したケブラー製品対して40%も上回っている。
ケブラー製品も超高分子量ポリエチレン製と同様、フィルムシート化したUD構造を導入することで25%も既製品からパワーアップしたのに、それでも40%も超高分子量ポリエチレンに差をつけられたというわけだ。
結果超高分子量ポリエチレン製の防弾ジャケットはケブラー製と比較して3割ほどの軽量化が可能となった。
「実はそれだけではないんです。超高分子量ポリエチレンによるUDフィルムシートはその性質からある力を持っていました」
「ある力?」
「防刃性能です。元々超高分子量ポリエチレンの繊維自体にも防刃性能はありましたが、この防刃性能を摩擦力を高めるフィルムによってより高めることが出来、つまり超高分子量ポリエチレン製のジャケットというのは実際には防弾ジャケットではなく、防刃防弾ジャケットなわけです。防弾ジャケットとだけ述べるには失礼なほどの非常に高い4Aから最大で5Aに匹敵するクラスの防刃性能を同時に保持します」
つまり、銃弾の被弾時においては衝撃を受け止める役割を持たぬフィルムは、ありとあらゆる刃物による攻撃を防ぐ際の防刃素材としては相当分の役割を果たすということである。
防刃としての性能を目的に施された加工処理ではないにも関わらず……だ。
その素材の真価を発揮させようとした試みは別の方向性で開花し、これまで両立しないとされてきた性能を両立させる事に成功した。
ようは一見して重量が嵩むフィルム処理は別の観点から見れば全く無駄となっていない。
「なんですと……そんな……」
「ケブラーではケブラー自体の性質から性能の両立を果たそうといった場合、防弾性能がその分低くなります。そのための特殊な表面加工が必要だからです。だが超高分子量ポリエチレンではそうではない」
そう、真の意味で超高分子量ポリエチレン製のジャケットとは現代における鎧なのだ。
21世紀を代表する、人類が辿り着いた全く新しい柔軟性を有した鎧なのである。
AK用などの7.62mm×39弾の貫通を防ぐだけならばわずか3kg程度の重量でも可能で、それでいながら銃剣など、ありとあらゆる近接攻撃すら防ぐことが出来る力を有しているわけである。(厳密には貫通しないものの衝撃が内臓や骨にダメージを与えるため、吸収材が必要となる)
防刃、防弾、軽量。
それでいて生産安定性が高く、薬品耐性もあり、対候性、吸水率が0に近く水につけても性能的な劣化がほぼ生じず、そしてケブラーと異なり極めて長期間の間、性能を保持しつづけることが出来る。
紫外線劣化は生じるが、紫外線を遮断することが出来れば内部での劣化の進行速度は極めて遅く、それこそ吊り橋の建材たる吊り橋をささえるワイヤーの構成部材としても採用がされるほどであり、耐用年数3年程度のケブラー製防弾装備に対し、軽く8年ほどは保証できる超高分子量ポリエチレンは、まさに理想の素材であり、鎧としての1つの到達点と言えた。
唯一の弱点が熱だっただけ。
これを抑え込むためにマトリクス材を活用するとか複合装甲化するというのが、東側諸国で現在試みられている装甲関連の分野における研究開発なのである。
目の前にあるヘルメットも外観からして、高熱となった破片や、焼夷弾等が命中したことを考慮して表面に耐熱処理が施されている、身に着ける複合装甲といって過言ではない。
「これほどにまで優れている超高分子量ポリエチレンですが、もっと恐ろしい事実が1つあります」
「……まだ……まだ何かあるというのですか」
「繊維自体がまだ発展途上ということです。繊維自体の強度はまだ40%以上向上の余地があるとの事。ケブラーがすでに限界に達し、これ以上繊維としての成長性が無いのとは違う。まだ途上なんですよ。何しろ将来的には10kg弱程度で、12.7×99mm弾を防げるかもしれないっていうんですから、全くもってとんでもない素材です。仮に立場が逆転していたら、ヤクチアが束になって掛かっても小国レベルの国家が歩兵戦闘で逆転できてしまうかもしれない。きっとそんな世界がもし仮にあったとしたら、その時のヤクチアの独裁者は聞いていた話と違うと驚くことに違いありません。今の貴方方が近東のテロリストなどに手を焼いているように……」
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「刃物も、銃弾も効かない鎧……そんなものが存在し得ると……」
「戦車も航空機も、この素材を量産できた暁には大幅な軽量化が見込めます。防弾性能を保持したままそれが可能なんです」
「しかし繊維化とは……まるで東亜紡に使命が与えられたようなもんじゃあないか? 信濃君、彼らは繊維化を目指してポリエチレンを見出し、その結果上手くいかずに現在に至る……だが技研では繊維化に未来があると踏み、東亜紡にそれを託したいわけだろう?」
「自分は東亜紡でしかできないと思っています。向井さん。もしかしてポリエチレン生産に関与しているのは滋賀は大津の研究所と、福井は敦賀にある工場、この2つではないですか?」
「そ、その通りだが……」
「なら、その2拠点に重点的に出資を行ってください。大津にも工場を設け、敦賀の工場を拡大していただきたいんです。そこでしか繊維も作れないはずですから」
本来の未来において、大津と敦賀は超高分子量ポリエチレン繊維生産の二大拠点だった。
それぞれの工場が生産した生産量は年間約1500トン~2500トン。
そこで誕生した原糸と呼ばれるものが各国に流通し、歩兵装備として化けていったわけである。
仮に1500トンも年間生産できれば歩兵装備だけでなく様々な分野でも活用できうる。
例えば開発中の重戦闘機の軽量化や、主力戦車の重装甲、複合装甲化など。
特に戦車については現状の280mm相当を、重量をそのままにさらに大幅に強化できるかもしれない。
さらなる重装甲化の模索については上層部より指示が出ていた。
ただ、重量のこれ以上の増大は防げとも言われていた。
熱に弱いことへの対応は必要だが……未来の知識があればどうにかできる。
そのための研究はNARLを通してやったんだ。
まさかA-10の近代改修とエイブラムスの新型装甲のための開発研究がこんな所で役に立つなんて……皮肉としかいいようがない。
人間万事塞翁が馬とはこの事か。
まだまだ難所は続く。
フィルムシート化において繊維を均質に平行に並べさせるための技術、そもそも繊維化のために必要な技術理解。
だが越えてみせる。
歩兵装備は譲れない。絶対にだ。
補足:信濃忠清が知らない時代において超高分子量ポリエチレン繊維は普通に他企業でも生産されているのと、現在の超高分子量ポリエチレン繊維は彼がやり直した頃と比較して35%強度が向上しています。(まだ理想値に到達せず成長見込みあり)
そして防刃防弾の総合性能を持つ最新鋭防弾ジャケットの参考動画(某国に向けて供与済み)
https://youtu.be/RfNTRtaNGZs
https://youtu.be/Fh5-lsT-W_I
参考資料:「経営資源の補完を目指した日蘭合弁事業 超強力ポリエチレン繊維『ダイニーマ®(Dyneeema)』の開発」