第190話:航空技術者は巡り合う(前編)
皇歴2601年9月中旬のある日の事。
この日、技研を訪れたある人物によって、皇国の……いや、世界の歩兵の概念が根底から見直される事態となることなど、早朝のまだ残暑厳しい立川の飛行場内で軽い運動で汗を流している一介のエンジニアが知る由も無かった。
NUPからの帰国後、ある程度余裕が出てきたとはいえ次々に入ってくる新規開発の計画に振り回されながらも、俺はどうしても諦めきれなかった歩兵装備のため、日々民間企業の関係者を呼び出しては各研究開発などの進捗状況などを報告してもらっていたりしたのだが……
残念ながらこの日に至るまで、歩兵装備の真打となる原材料を自力でもって見出すことができなかったのである。
しかし諦めない姿勢が何かを呼び寄せたのか……
ついにその存在に巡り合う……いや、気づくことができたのであった。
◇
「――久しぶりだなぁ! 信濃くん!」
「向井さん!」
朝のルーティンである飛行場周辺のランニングを終えた後、技研の入り口付近で出会ったのは……向井氏であった。
直接顔を合わせるのは1月ぶりである。
聞いた話ではここ最近は華僑やNUPを渡り歩いており、各所でその手腕を発揮しているという。
西条の話では、集の鉄道の件ももうすぐ片付くらしい。
この人と出会ってからというものの、いくつもの技術的難題を乗り越えてこれたかわからない。
今や陸軍から最も信頼されている企業とも称される四井物産だが、あの西条をして向井氏には好意的な評価を寄せるほどだ。
曰く、その辺の外交官よりも外交において信頼できる有識者である――と。
それはもはやただの商人とは言えぬ特異な立ち位置にいることを端的に表していた。
「少し顔つきが変わったね。前よりも逞しさを感じる」
「エポキシ樹脂の件ではお世話になりました。四井物産のおかげでいろいろと状況が整いつつあります」
「何を言っているんだ。むしろこちらの方が御礼を言いたいぐらいだよ。君と出会ってからというもの、いくつもの大型案件の話が舞い込んできた。お陰様で四井の経営規模は拡大の一途を辿っている。もはや君も四井グループの重役人といっていいほどだ」
「恐縮です……それで今日はどうされたんです?」
疑問を投げかけた理由は、ここ最近は外交面、政治面に関しては西条と必要最低限のやり取りしか行っておらず、集の件やその他も含めて向井氏や、その他皇国の優秀な人材に任せていたからである。
総力戦研究所を含め、新たに構築した体制は完全に機能しており、俺は技術者としての本業に力を注いでいたわけである。
ゆえに向井氏が技研に訪れたことを不思議に感じたのだ。
「ああ、そうだ……実は見てほしいものがあってね。エポキシ樹脂の成功を皮切りに、社内ではそれらに並ぶ新たな新世代人工合成素材の市場開拓を目論んでいて……国内で精製可能で、かつ産業として成立する新世代人工素材について注力しているんだ」
「さすが四井物産。抜かりないですね」
「その関連で目下注目しているものがあるんだが……最近君がこの手の新世代の素材を探していると聞いてね。是非みてもらいたいんだ。以前から陸海軍に向けてアピールしているんだが彼らは見向きもしない。"熱に弱くてすぐ溶けるから使い道が無い"といってね」
……熱に弱い物質。
それだけでは何なのか全く想像がつかない。
今の時代で考えると、熱可塑性系の何かだ。
融解点200度未満。
そのレベルなら現代の殆どの人間は注目に値しないものとして排除するだろう……
しかし、マトリクス材などで弱点を補正できることを未来の知識にて知っている俺なら、何か道を切り開けるかもしれない。
それに、もしかするともしかすることもある。
「ここではなんですから、よろしければいつもの場所に」
「ああ、助かるよ」
とにもかくにも確認してみなければわからないため、向井氏を会議室へと案内した。
◇
「――どうかな? 見てくれ。私はこれを燃料タンクか何かに使えるんじゃないかと思っているんだが……この半透明でやわらかい人工素材は温度に弱い以外はとても優秀な特性があって――」
それは特異な形状をした半透明の容器であった。
水筒か何か、とにかく液体でも入れようかと考えて成型したのであろう。
中には水が満たされており、その物質が防水であることを証明していた。
「これは……」
向井氏が鞄から取り出し、そして机の上に置いたそれを手に取った時、手の震えを抑えるのに必死だった。
手に取ったその瞬間、自身が求める未来へと至る道筋が見えてきたからである。
「一体どこが作ったんです。国内企業なんですよね?」
「東亜紡だよ。王立国家との技術交換で完全無償で自由な実施が許されたものの中にこれがあってね。東亜紡が今とても熱心なんだ。ウチはそこに大規模に出資してる」
「東亜紡? 四井とそんな関係が深い企業でしたっけ」
「ああ、君は知らないのか。東亜紡は渋沢栄二氏が創業に大きく関係している企業だ。その渋沢氏は四井物産の創業者であり二代前の社長だった桝田社長と極めて縁が深い。そもそも渋沢氏は我が社の役員でもった。その間柄で東亜紡の製品の販路開拓や各種商談についてはウチも昔から協力しているんだ」
そういえばそうだった。
東亜紡が渋沢栄二が創業者であったことは認知していたが、彼と四井との関係をすっかり忘れてしまっていた。
思えば彼は京芝とも少なくない関係性があるし、俺が日ごろ頼っている法人というと、この方の姿がチラつくことになる……今回もということか。
「渋沢氏が創業したことを覚えていながら四井との関係性を失念してしまうとは……大変失礼致しました……ところでこれ、"ポリエチレン"ですよね?」
「さすがだな。見ただけで言い当てたのは君が初めてだ。このポリエチレン、私は個人的にとても優れた人工精製物なんじゃないかと思っている。安価に大量生産できるし、やわらかくて衝撃にとても強い。それでいてガソリンなどの腐食に全く影響されないからね。化学物質を保管する容器とか燃料タンクに使えるはず……だのに陸軍も海軍も多くの技術部門が見向きもしない。それでも技研なら、君なら違うんじゃないかと思って見てもらおうとずっと考えていた。しかし中々本国に戻る機会がなくてね」
向井氏がそう話す中、俺は複雑な感情が頭の中で渦巻いていた。
1つ、どうしてこの存在にもっと早く気づかなかったのか。
2つ、向井氏にもっと早い段階で報告してもらいたかった。
99.9%は俺の失態だ。
すでに低密度ポリエチレンは生産体制すら確立されていて、王立国家を中心に生産が行われている。
本来の未来において皇国はその入手機会を逃した結果、生産体制構築は相当に遅れてしまった。
だから戦中に入手していない。
頭の中にあったその先入観によって、皇国国内にはポリエチレンは存在しないものとして勝手に片付けていた。
しかし実際は現在の体制なら、王立国家はポリエチレンに関する一連の技術の全てを提供してくれる可能性はあった。
NUPがすでに大量生産しているように、皇国ですらできうるのだ。
敵対してないから当然である。
それに気づいていれば、1年……あるいは最も早ければ2年前の段階で準備を整えることが可能だった。
そこに気づかなかった結果、2年も出遅れてしまっている可能性があるわけである。
可能性というのも、すでに東亜紡の生産体制次第によっては巻き返しが可能だからまだ十分に間に合う。
重要なのは東亜紡がどこまでポリエチレンについてノウハウを得ているか。
これが今後の状況の大きく左右する。
……というか、ポリエチレンの話題なんて以前に軍関係者に関連の新世代素材に関する技術報告させた時に一切出てなかったぞ。
勝手に期待されてないっていう周囲の意見を鵜呑みにして排除したのか。
事実だとしたらふざけたことをやってくれたな。
向井氏が今日来ていなかったら、俺は悩み続けたまま何年も過ごしていたかもしれないと思うとぞっとする。
だが今はそんなことはどうでもいい。
今やらなければならないのは、後悔とか反省じゃない。
そんなのは後の話だ。
「……向井さん。東亜紡について経営体制その他の情報をすべてください。そして、四井がどれほど出資しているか、今後出資する予定があるかも」
「どうしたんだい急に」
「実はポリエチレンについては……技研内のある部門で"偶然ながらとんでもない発見"をしています。私はその発見を活かした"特殊なポリエチレン"を大量生産する体制を構築できないかと密かにずっと模索していたんです」
「なんだって!? 技研が!?」
「しーッ。最重要機密です。」
「おっと……」
嘘である。
人は本当に必要で、かつ大義があるとき、ごく自然にこういう嘘がつけることがある。
俺は西条から日ごろ、「お前は嘘をつくのが下手だ」――と言われていたが……
大義がそれを補い、あたかも本当の話であるように向井氏に伝わっていることは彼の表情から容易に推察できた。
「信濃君、特殊なポリエチレンっていうのは、つまり今手元にあるこれとは違う特長を有しているということかな? やはり技研もポリエチレンについては注目していたのか」
向井氏は先ほどとは打って変わって小声となる。
事情を察したようであった。
「もちろん、すべての新世代素材というのはそれが航空機やその他に活用できないかと試しています……正直その最前線に立っているのが自分であることは否定できませんが、部材関係の研究を行っている部門の発見です。口外はしないでいただきたいのですが……話せる範囲でご説明致しましょう」
「君が認めて大量生産を望むということは、きっとトンでもない代物なのだろうな」
「ええ。技研ではそれを便宜上"超高分子量ポリエチレン"と名付けて差別化しています――」
超高分子量ポリエチレン。
20世紀も末の頃に登場し、その性質と性能から瞬く間に各分野に浸透していった熱可塑性素材。
かの有名なNUPの化学メーカードゥポンをして「20世紀最強のスーパー物質の1つ」と述べるほど。
そして……俺がやり直す頃においては世界最強の防弾素材として認知される、スーパー繊維の原材料でもあった――
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「――エンハンスド・コンバット……なんだって?」
「エンハンスドコンバットヘルメット……ECHです。それと合わせた新機軸のボディーアーマー。先生にNUPの陸軍研究所であるNARLより開発の協力依頼が届いてます」
「……だから、私は航空技術者だと言っているだろう。一体何を勘違いしているんだアイツらは。大体、私が手放しで協力すると思っているのか」
「先生がDARPAと協力して開発中の戦術外骨格の件があったからでは?」
「恐らくそれだけではないだろうな」
向井氏に向けて説明している間、まるで白昼夢のように昔の……遠い未来の思い出がよみがえってくる。
皇歴2666年。
弟子の一人を通して新兵装の開発を依頼してきたのは……祖国を吹き飛ばした事実上の敵国の軍組織そのものであり、DARPAとは異なり思想的にも相成れない存在であった。
新機軸の兵器を開発し、西側とも技術共有しようとしていたDARPAと、純粋なNUPの軍組織である陸軍研究所(NARL)とでは立場がまるで違う。
前者は個人としても関わりが深いユーグ関係の組織ともリンクしており、直接的には敵対感情を持たない国家とも技術共有がなされ、結果的に立場がNUPの組織というだけで相応に納得できる形での仕事が約束されていた。
それに対し、後者はただの敵だ。
どう考えても本件で得た成果が還元されるのはNUP国内だけであろう。
そんな話、どうして乗っかれると思っているんだ。
一応、私個人は立場を東側としてはいない。
だが先の大戦における立ち位置と、その後の歴史からいって私は常にNUPとは関係性を深めることをしなかった。
常にどこかで線引きしてきたのだ。
その答えはこれから20年以内に出ることも理解していた。
ヤクチアと手を組んだこと、ヤクチアを認めたこと、その他、東亜関係における外交戦略。
これらは見事に失敗しており、当時こそ勝利を高らかに叫んでいたNUPはすでにこの時点で「戦うべき敵を間違えたかもしれない」――などと言いかけていた。
自身が敵対する二国と、その二国と関係が深い国々とが、自身と共に戦ってくれるであろうメンバーよりも経済的にも戦闘力的にも上回りはじめたからである。
それはつまるところ、このまま外交戦で負け続けると世界の戦力バランスは東側に大きく傾くのも時間の問題ということだった。
終戦から見据えた100年を考えた場合、NUPは完全にやらかしてたわけだ。
手を組む相手も、その後の外交戦においても。
そのような最中、名前からして歩兵装備であることが明らかな開発に手段を択ばない姿勢を示しているということは……
いよいよ最終戦争も現実を帯び始めてきたか、あるいは戦闘力における質の差に危機感を抱き始めたということなのだろう。
「――それで、そのECHとやらは何を目指していると?」
「UHMWPE(超高分子量ポリエチレン)による、より軽量あるいは防弾能力のあるヘルメット……及び関連装備類の開発……みたいですね」
「UHMWPE? フフフ……はははははっ」
弟子の一人が届いた書類を取り出して読み込んだ結果を要約すると、私は無性に笑いが込み上げてきていた。
「本当にそう書いてあるのだな? UHMWPEと」
「ええ……間違いないです。ほら」
弟子が指で指示した部分には確かにその記述があった。
「どうやって調達するつもりなんだ? その原材料を」
「ドゥポンでもUHMWPE自体は作れるのでは?」
「無理だ。防弾素材として成立させるには繊維にする必要性があるわけだが……ドゥポンはフィルムシートを形成するまでの技術しかない。繊維とする前段階の糸にするにはノウハウがいる」
「ではどうするんでしょうね……ああ! そういえば確か最近NUP内で密かにスペクトラ計画とかいう、国外のスーパー繊維の技術情報を"収集する"計画があるなんて噂があったような……それがUHMWPE繊維を対象としたものなのではないでしょうか」
「それで再現できたら苦労しないさ。UHMWPEの繊維はな、東側の二国しか作れないんだ。少なくとも現状は」
超高分子量ポリエチレン繊維。
様々な製品名で東側を中心に流通するこの繊維は、かつて皇国と呼ばれた地において存在する東亜紡と、ホラントの企業だけが原糸を精製する技術を保有していた。
そもそも、工業化に成功したのは両社の合弁会社による二社協力体制によってなのである。
そのどちらも東側に所属。
つまり、入手機会というのは西側に所属する限り毛ほども無い状況だったのである。
私はこの時点でNARLがなぜ声をかけたのか理解ができていた。
そして、弟子も気づいたようである。
「……なんとなく話が読めてきましたよ。これって先生が以前UHMWPEを用いた戦闘機用の防弾板を開発していたことと関係があるのでは?」
「そうだろうね。だから、できれば航空機関係で声をかけて欲しかったんだがね……もし仮に航空機関係の話だったら、血迷って参加していたかもしれない」
普段からユーグ内にて活動している私だが、UHMWPEなどの新世代素材などの入手は皇国人だったこともあってルートを保有していた。
ゆえにUHMWPEについては、早い段階からその特性から航空機への活用を検討していたのである。
それこそ、20年以上前からだ。
特に私が危機感を抱いていたのは、その特性。
実はUHMWPE、構成や構造次第だが、非常に優秀な電波吸収素材だったのだ。
もともと絶縁材料として優れていたポリエチレン。
その中でも分子構造が最も整った状態にあるUHMWPEは、受けた電波を内部で乱反射させることも不可能ではなかったのである。
しかもその状態で構造部材としつつ、さらに防弾性を両立させることも可能という……
ステルス戦闘機開発におけるブレイクスルーを起こしえるものとして個人的に期待していたのである。
それこそコックピットブロックなどに用いるにあたって防弾性能を確保したいがステルス性は犠牲にせず、さらに重量増大も防ぎたいとあっては、またとない新素材だと考えていたわけだ。
この防弾性を有した電波吸収構造部材の開発については、当時ヤクチアなどが新型のステルス戦闘機の開発を進めていたことも多分に影響して行っている。
果たして相手がどれほどの力を得るのか、自分で試して追証してみねばならないと思ったのである。
そして……一連の開発で得た成果はユーグにおいて相応に評価され、ユーグ側とNUPとの共同開発となったF-35においてその成果が一部利用されているという話を聞いていた。
なお、F-35自体の開発には胴体の別の部門などで直接関与したが、果たしてどこで活用されたのかは認知していない。
まともに原材料が手に入らないので完全再現はできないはずだ。
だから代替手段をとったか、局所的にフィルムシートや射出形成した部品などを活用して疑似的に再現したか……そのあたりであろう。
それはそうとして、その時の成果を受けての招来がNUP陸軍で、それも防弾関係の話だとはなんたる皮肉。
奴らは私が航空技術者だとは微塵も思っていないらしい。
破廉恥な。
配慮というものがない。
もし私がNUP人だったとしたら、A-10の新型防弾装甲開発という名目で呼び出しただろう。
防弾板関係の技術の歩兵装備への転用が余裕で可能なことは電波吸収構造部材開発時の論文にも書いていた。
つまり奴らはそれすら知らないか、知っててもそういうことをやらずに声をかけてきたわけである。
乗るものか、そんな話!
「……よし、彼らにはこう返答しておいてほしい。A-10の近代改修に基づく新型防弾板の開発なら喜んで行うが、ヘルメットやボディーアーマーには微塵も興味が無いと。ついでに私は航空技術者だとも書いておいてくれ」
「先生らしい物言いですね。わかりました。そう返答しておきます」
「ありがとう」
今にして思えば、素直にNOと一言だけ書いて断っておけば良かったのである。
妙な一言を添えた結果、強い危機感を抱いていたNARLは信じられないことに空軍に協力を取り付け……
陸空共同による、A-10及び戦闘装甲車両用向けの新型防弾板の開発と称して再び招来し、さらに外堀まで埋められることとなり……
結果不本意ながら参加することになったのだった――