第25話:航空技術者は三国共同宣言によって道を切り開く
皇国暦2598年6月20日
華僑と皇国とに和平条約が締結されて調印式が行われた。
この条約の主体は等価交換である。
御前会議にて陛下も認めた皇国が最大限に譲歩する条件を提示したことで、華僑と何とか手を取り合う形とした。
華僑の統一と独立を認める代わりに華僑は集の独立を承認。
蒙古については共同管理による自治区を設けて最終的に独立させるかどうするかを協議することになって一旦先延ばしにされた。
集の独立は第三帝国も追認することになっているが、蒋懐石との雪解けに王立国家が参入し、さらにNUPも参入したため国際連盟の承認を実質的に得る形となった。
実質的にとは当然ヤクチアが反対姿勢を示しているからである。
連盟に加入していないヤクチアはこの時点でだんだんと発言力が強くなってきているのだ。
ウラジミールの外交能力の高さが窺い知れる。
ただ、連盟は俺達の方を認めた。
といっても未だに皇国は連盟を脱退したままなので法的拘束力に関しては未知数である。
それでも一応、諸外国が証人となることで合意は形成されており……
等価交換の内容は会談で決定されたとおり、百済地域の華僑への編入に対して華僑全域に特別経済特区を設け、付近に皇国の陸軍や海軍基地を別途設ける事となった。
この時点での華僑の民衆は皇国に対してそこまで批判的ではないため、治安維持部隊の動員について問われる事はなかった。
俺が何よりも安堵していることが1つ。
黄河決壊事件を回避したこと。
元々これは我々が起こしたものではないが、被害規模が大きすぎた。
出来れば回避したかったのだ。
会談実施前に一時停戦の協定を結んだ結果こちらはなんとか回避できたのは大きい。
おかげで華僑の民衆が華僑の民国軍に批判的な視点をもって共産党軍を応援することはなくなった。
ただ新たな火種はすでに生まれている。
華僑は華ヤ不可侵条約を即日破棄。
これまでの華僑領土内への侵攻があった場合に応戦するとしたが、ヤクチアからはいつ狙われるかわからない。
蒙古地域の独立を承認した蒋懐石ではあったが、彼は西条に蒙古地域はすぐ北部の侵攻を受けるぞと忠告してきている。
ただ西条と俺の考えは違う。
恐らく蒋懐石も予想していることだろうが、俺達は彼が認めた蒙古地域を餌に外蒙古を揺さぶる。
ヤクチアからの防衛ラインを華僑から蒙古に引き上げるのだ。
こちらには同じく自国を戦場としたくない蒋懐石も賛成の意向を示しているが、危険なシーソーゲームになると西条に警告してもいる。
勝算は……あるはずだ。
火種となっているもう1つの事案については成長する前の段階で芽を摘んだのでどうにかなりそうだ。
華僑の共産党は蒋懐石の行動に非難声明を出し即日軍事侵攻を開始したものの……
和平条約と同時に結ばれた皇国との防共協定によってこちらはすぐさま鎮圧に向かう予定である。
恐らく彼らは外蒙古などに一旦避難することになるのだろう。
皇暦2598年の段階ですでに皇国は南京などを占領している。
条約によって一連の軍基地の一部が皇国に渡ることとなっているが、占領地域から共産党軍のいる地域まではそこまで距離が離れていない。
元々、民国軍も基本的には対共産党軍を主軸として展開していたために皇国軍との停戦後は即座に共産党軍と小競り合いを起こしはじめたが……
ここに援軍として皇国陸軍が助太刀した形となる。
近くどうにかなるだろう。
ウラジミールが今頃どういう反応を示しているかとても興味があるが……"華僑に対しては"しばらくは動かないだろうな。
様子見をするしかない。
なぜなら、思った以上に皇国と生まれたばかりの華僑の統一民国の民国軍の戦力が多いからだ。
本来ならば俺たちがしのぎを削りあって減らすはずだった戦力がそこまで減っていない。
奴の計画はある意味で頓挫したはずだ。
あいつの狙いは弱体化した華僑と皇国の征服だったからな。
小競り合いはやったとしても侵攻する上ではかの有名な粛清を完了させ、軍備を整えた上としなければならない。
ウラジミールは慎重な男だ。
それよりも問題なのは本来の未来と同じく6月13日に亡命騒動があったことだ。
俺が西条に渡したレポートで事前に予言してはいたが……
これだけ未来が変われば連動して亡命などしてこないと思っていたら、ごく普通に亡命してきた。
三等国家保安委員、ゲンリフ・シェレンコフ。
最高会議議員にまでなった極東ヤクチア軍の大将であり、大粛清の責任者の一人。
彼のおかげで皇国陸軍は大きく危機感を募らせるが、一方で彼自体が張鼓峰事件の発端となった。
6月10日の時点で華僑がヤクチアと手を切るということは公に発表されていたにも関わらず、この男は歴史の筋書き通りとばかりに集に現れた。
すぐさま皇国に移送して話を伺ったが、彼にとってヤクチアとはマルクスの提唱した社会主義国家を言うのであり、ウラジミールが唱える共産主義とは違うのだという。
この辺の話はたしか自身の手記にも書いていたかな。
その悩みを抱えたままウラジミールに従って働いていたのに、このまま行くとウラジミールに殺されかねないから南下して華僑の辺りを目指した-―と。
本来の目的は華僑から別の場所へ向かうことだったが、集で丁重に扱われたために皇国に感化されて以降は皇国への亡命を希望して必死で働く事になる。
俺としてはこの人物は捨てられないんだ。
この男の極東ヤクチア軍の情報は正確無比だった。
奴らが攻めてくるケースにおける彼の戦術指南は仰ぎたい。
まあ伝えてくる情報はそれだけではないんだが。
彼が持ってきた書類によって皇国を含めた世界各国は大粛清の内容を知る。
彼の情報を包み隠さず皇国が公開した内容はこうだ。
元帥だけで3名。
上級大将~中将だけで50名。少将約100名。佐官級だけで200名超。
当時ヤクチアに存在した将校の56%に相当する数がウラジミールの命令の下でシベリア送りか殺された。
この中で後に名誉回復となるのは上記56%のうち2%に過ぎない。
それ以外はみんな死んだと言われる。
この時彼が持ってきた書類は粛清された全ての者達の個人情報記録で、顔写真まで付いたものだったというが……
自国の軍人に対してこれほどの大虐殺を行った指導者が果たして今後現れるのだろうか。
多少のことでは動じない西条ですら、事前に粛清の内容を俺からレポートにて伝えられていたとはいえ、彼が持ってきた書類の内容を見て絶句していた。
そこには銃殺刑に処した場合にその殺害した後の証拠写真まで添えられている。
こうやってウラジミールに伝えることを強要されているのだ……
これがウラジミール流の軍の近代化である。
現在、皇国陸軍では3年以上も前倒しで急速に近代化と機械化が進んでいる一方で、足を引っ張る旧来の軍人は退役してもらうか閑職に追いやっている。
元々、本来の未来においても西条自体がそうするわけであるが、それでも彼はこんな恐ろしい真似はしない。
ウラジミールがやった事は俺が西条にやらせたことと本質的には変わらない。
古い人間の排除と若き血と思想の導入。
これによって皇国もヤクチアも一気に近代化する。
だが、それに至るがために戦争もなく大量の血を流してなんになる。
俺が何よりも気に入らないのが、それが足元を掬わずに俺たちの国を占領するに至ること。
そんな行動をする者は絶対に天罰を受けてほしい。
とはいえ、変わらぬ未来の事象があったせいで割と緊迫した状況となってきたな。
張鼓峰事件どころでは済まないかもしれない。
こんな綱渡りが今後も続くと思うと吐き気がする。
まだ零も完成してなければ俺の新鋭戦闘機すら完成していないのに……
◇
皇暦2598年6月24日
蒋懐石は約束を守り、密かにNUPへの逃亡を企んでいたブレア・リー・ノートや、その他NUPの人間を拘束した上でこちらに身柄を引き渡した。
あまり良く知らなかったが意外と約束を守る男なのだな。
正直俺は期待してなかったが、これでNUPを揺さぶれるときたもんだ。
無論、皇国陸軍は彼を即日逮捕。
NUPに対し表側は中立主義を掲げながら背後から支援し、義勇兵すらこさえようとしていた事実があったと揺さぶりをかける。
ブレア・リー・ノートを追及したことで彼は現大統領との繋がりを暴露。
外交ルートを通じて非難声明を出した。
公約上、"戦争に加担しない"、"戦争はしない"と語っていたにも関わらず、現大統領の主張は見事に欺瞞だったことが世界に向けて発信されたのである。
蒋懐石もNUPは中立的立場をまるで守っていなかったと追認した。
NUPの大統領は。
翌日には華僑の事変を早急に解決するために必要だったと反論を展開したものの……
その論理には相当の無理があり、皇国の和平政策を完全に非難することが出来なくなった。
特に世論が噛み付きはじめたのは大きい。
四選する前の段階で降りる可能性があるかもしれない。
これによって、混沌を極める世界情勢において皇国は再びある程度優位な状況を取り戻し始める。
俺は知っている。
今回の件は殆どのNUPの政治家にとって寝耳に水の話であることを。
実際には上記公約について政府の上院や軍上層部など殆どの者達が守ろうとしていたところ、大統領近辺にてこっそりと裏から支援していたのが事実。
しかもそうなっているのは奴がダブルスタンダードもといダブルシンクでいたせいである。
相反する矛盾によって、彼の周辺は完全に人形劇の人形のごとく踊らされていたのである。
俺も西条もそれについては知っているが、知らない素振りでもってつつく。
これに同調したのが王立国家だった。
こっちもこっちで、少し前までNUPと同じく普通に援助していた癖になんと虫がいいことか。
自分たちがNUPに対してマウントを取れると思ったらこれだ。
あの国も日ごろよほどNUPの経済成長と勢力拡大に恐怖していることがわかる。
ニューディール政策によほど警戒しているようだな。
華僑の事変が一時的に片付いた時点で王立国家と皇国は雪解けムードとなっているが、どうせすぐに第三帝国によって泣きついてくるようになるんだろうな……
しかしこの効果は抜群だ。
俺が本来ブレア・リー・ノートを生け捕りにしたかったのは援蒋ルートからNUPだけでも排除しようとするためだった。
こうするだけでもっと有利に事が運ぶはずだと考えていたから。
だがその前に皇国の譲歩によって蒋懐石が折れたため、援蒋ルートはいまや華僑の復興のために使われている。
元はここから共和国、王立国家、NUPのそれぞれが援助を行っていたのだ。
共和国は傭兵を派遣、王立国家は物資と金銭援助、NUPはブレア・リー・ノートを含めた人材派遣と金銭、物資の援助をそれぞれしている。
華僑の事変において確かに王立国家は言い訳が出来る。
もとより華僑の市民のために物資援助をしていたと。
実際、資金提供や食料提供が主だった王立国家はある種中立とはいえなくもない。
華僑が出す声明に対して日ごろ皇国側の主張を取り入れてニュースなどで取り扱ってきたからな。
一方のNUPは、ブレア・リー・ノートら一連の派遣した人材全ての身柄を皇国に引き渡されて華僑周辺における中立を表明していた立場が崩れ去った。
俺は別に航空参謀長だけの引渡しで良かったのだが……
蒋懐石はNUPとの敵対を避けながらも皇国との協力体制を構築するにあたり、華僑の発言力を強められるとして皇国への引渡しに快く応じた。
ヤクチアに対しては追認する声明を出した際、"皇国と結ぶ和平の観点から互いに公平な立場とするため引き渡す道義上の責任が統一民国にあることと……
講和に至った以上、皇国が掲げる正しき中立的立場という名の正義をわれわれも否定できないため"と主張しており、次いで"統一民国は中立的観点に立った上での可能な限りの救援を求めてはいたが、人的要因の派遣まで求めたことはなく……航空参謀長らは明らかに皇国との強い直接的戦闘意識が見られた"――と、NUPの世論や大統領以外の上院議員らを大きく揺さぶる発言を行った。
うーんなるほど。
俺は蒋懐石は外交などまるで1つも考えてないと思っていたが……恐らく彼の周辺にいるブレーンはかなり優秀なようだ。
こうすれば引渡しは致し方なかったけど、お前らだけ中立ではなかったよねと非難できる。
翌日から皇国と統一民国に外交官が現れた上で謝罪しつつ新たな支援政策についての話を持ちかけてきた点からも、現大統領はこの話に相当のダメージを受けたといわざるを得ない。
ただ求めるだけの乞食ではないということか。
外交的な相手の引き出し方はこちらより蒋懐石サイドの方が上かもしれない。
◇
皇暦2598年7月7日。
皇国、集、統一民国による三国によって東亜秩序共同宣言がなされる。
この日は三国共通文化である七夕の日。
未来への願掛けとしてこの日を提案した西条に集も統一民国も同調した。
内容は三カ国による共同防共の達成と、東亜の国際主義の確立。
改めて採択された宣言は三国はそれそれ三国が完全な独立権を有していることを確認しつつ……
反共主義を掲げて資本主義体制を恒久的に維持する事に努め、そのためには一切の協力を辞さない構えであるという事実上の同盟宣言であった。
この日のために集は皇国によって政府の新体制が構築される。
自治区に近かった存在はより明確に国家としての地盤を固めた。
当初より掲げられていた資本主義的利権は確保したいがなるべく独立国として世界に認めさせたいという考えは一時的に達成される事になった。
本来の未来とは異なる完全な共同宣言による東亜秩序宣言は歴史に新たな1ページを切り開いたが、ヤクチアはまだ沈黙を守っている。
NUPや王立国家は自治政府構築を目指していた皇国が違う方角に舵を切ったために、この共同宣言を受け入れる。
というより……受け入れざるを得なかった。
大粛清の詳細情報や、ヤクチアの保有戦力がシェレンコフによって判明した今、王立国家とNUPの最大の敵は東亜三国ではなくヤクチアとなったのは明白。
そのヤクチアは第三帝国との関係性を強めており、第三帝国とヤクチアが結託してユーグへの進軍を行った場合はNUPですら負ける。
現在の動きによって第三帝国は間違いなくヤクチアとの完全な共同路線を考えるだろう。
しかしNUPの現大統領はこの期に及んでまだ集の統一民国下による管理とさせることを諦めてないらしい。
講和条約まで結ばれて終戦に至ったとはいえ、蒋懐石も集については諦めていない様子だ。
何よりもこの蒋懐石自体を洗脳することをヤクチアが諦めていない。
蒋懐石が裏切るストーリーは西条らにも伝えてあるものの……出来ることは限られ、今のところは警戒するに留めておくしかない。
現在の皇国の状況に陛下は大変お喜びの様子であり、"さすがは西条君だ!"--と共同宣言信任のための御前会議にて激励したものの、華僑の状況は一時的に沈静化したに過ぎないことは皇族達から直接陛下には伝えられている。
ここからがエンジニアとしての腕の見せ所。
藤井少佐がずっと俺と会いたがっているという話だし、立川に戻って本来の仕事を再開するぞ。