第185話:航空技術者は多くの人のための乗用型耕運機を提示する
「――歩行型耕耘機の説明は大体このような感じです。真新しいのは一軸正逆転式ロータリー機構の採用……もとい、現時点では珍しいロータリー方式の採用といったところでしょうか。どうですか? ご覧いただいている試験機に草は絡まっていないようですが」
手で指し示した先には説明の間もひたすら飛行場周辺の平地を試験運用のために耕起する農林省職員の姿があった。
この日のために急造した試験機は外部より有線方式で電力を得て作動する、軸出力3馬力相当の電動機によって稼働させた一軸正逆転式ロータリーの仕組み及び作動状況を説明するための急造品。
エンジンやらシャフトやらを専用設計する時間などなかったので、とりあえずナタ爪付きのロータリーを大急ぎで刃物メーカーやら自動車メーカーなどの協力も得ながら急造してもらってこさえたもの。
実は本日集まったいくつかのメーカーに部品調達を行ったので、彼らは事前に情報をある程度把握してもいた。
ただ、実際にそれが本当に適切に動作するかどうかまでは今日を迎えないとわからない。
恐らく15メーカーが揃った理由は「何やらすごそうなものを軍の依頼を受けて作った」――という情報が口コミで伝わったことも影響しているのだろう。
結果的には並行して比較されている従来方式のロータリーのものが何度も機能停止する一方で、特に往復する事なく見事に土を耕す姿を見せつけていた。
もちろん比較のために既製品のクランク式も用意しており、その性能差を遺憾無く見せつけている。
「あれはあくまで3馬力程度の急造品。それでも既製品のクランク式を上回っています。軍としては生産性も鑑みてロータリー方式でいきたいわけです。何か異論などはありますか?」
異論は出なかった。
ある意味では当然なのかもしれない。
クランク式の問題点はメーカーの人間ほど痛感している。
とにかく整備が大変で日常使いには向かない。
だから今日の日まで必死にロータリー式の開発に精を注いできた。
その方向性を無視せず、彼らが今いる足場そのものを大きく移動させて本来だったら数十年先に到達できる場所に到達させただけなのだから。
「――待ってください。だとしたらそこにある実寸模型も耕耘機なんですよね。車体の真後ろに付いているのは作動はしないようですが同じような構造になっている」
「ええ。そうです」
「なぜ乗用型と歩行型で二種類用意するんですか? 統制生産するというなら歩行型でも十分なはず。ロータリーは統一できたとしても車体を二種用意する必要性はどこにあるんです? 確かに作業は楽になりそうですが、部品点数は乗用型にすれば自ずと増えてしまうはず」
若き技師の疑問はもっともだ。
通常なら統制するなら種類は限りなく少ないほうがいい。
わざわざ耕耘機を二種類用意する必要性は無い。
「ええ。まさしく仰るとおり。しかしながらどうしても必要な地域、そして人達がいるため、乗用型も開発して併売します」
その構造からすでに理解していた者もいたようだが……
そう、俺が今回用意した三種のうち二種類が耕耘機だった。
そのうち1つが歩行型で……もう1つが乗用型だったのである。
生産効率を重視するならばこの布陣を疑問に思う者がいても当然。
もちろん必要だからこそ用意している。
何人かはすでに理由に気づいているようだが……改めて説明しておく必要性があるようだな。
「歩行型の耕耘機というのは、当然にして田畑に足を踏み入れねばなりません。しかしそれが憚られる地域がある」
「地方病……」
「そうです。寄生虫の有病地域です」
甲斐周辺の地域や利根川水系の一部などでは、かねてより地方病が蔓延して本来よりも大幅に生産量を落としているのは農林省すらも問題視していたこと。
それを数年前の段階でどうにかしようとして被害地域における各地での水路のコンクリート化事業はすでに始まっており、着実に感染者は減ってきていた。
だが、ここに来て新規感染者の減少は頭打ちとなりつつある。
その最大の原因こそが農耕……そしてその農耕に使うあるものだった。
「すでに地元医師会から発表されている通り、減少が頭打ちとなった地域における地方病の現在の最大の感染源……終宿主とされるのが農耕馬、そして農耕用牛です。地方病は哺乳類全てに寄生可能な寄生虫が哺乳類を終宿主としている。ゆえに猫だろうが犬だろうが関係がなく終わらぬ負の連鎖を生み出していく……しかし感染場所はある程度限られているので特定の野生動物への感染は少ない。他方、農耕馬や農耕牛はその感染率が87%を越えている。感染していない馬や牛は導入直後で田畑には殆ど入っておらず、一生のうちに感染しない確率はほぼゼロと言っていい。これが結果的に田畑に還元されるなどして循環が起きている事が新規感染者が一定程度以上下がらなくなってしまった原因です。感染者は農家ばかり。対策を立ててもどうしようも無いのは病原体と共生しなくてはならない現実がそこにあるからだ!」
農耕用の牛や馬が寄生宿主のうちの1つであることは、寄生虫が発見されてから早い段階で判明してはいた。
だから地元の人間は馬糞や牛糞の処理等にも相当注意していたのだが……
それでも主感染源と共生せねばならないのはリスク以外のなにものでもない。
家畜の糞尿については適切に発酵させれば虫卵が全滅するのはわかってはいる。
だが、いくら徹底しても自然現象を完全に食い止める事なんて不可能。
家畜の足に感染防止用のゴムを巻きつけても、それでも農作業に従事させていたらいつかは感染してしまう。
人だってそうだ。
だからやめる。
やめさせる。
田畑に安易に手足を入らせることを。
田畑に感染源を持ち込むことを。
自宅で感染源と共生させることを。
循環を絶つ。
「乗用型は文字通り、乗用作業するために使います。自宅から畑まで一切彼らは畑に足を踏み込む事は無いようにするために。それが絶対とならずとも、少しでもその機会を減らすために。最後にして最大の感染源を絶つ。そうしなければ連鎖は止まらない! 農林省の計算でも、総力戦研究所の計算でも、現体制において特に山梨には3割以上の生産量増加を行える余地がある。関東甲信越において栃木、群馬、茨城に並ぶ一大生産地を無視することは出来ません。何よりも次の世代や若い世代の労働力を地方病によって失うわけにいかない」
「医師会は感染を0にするためには馬と牛をすべて駆逐しろと無理難題を押し付けて来ていました。確かに数年前は馬鹿げた話だと我々も思っていましたが、今は状況が変わったと見るべきです。高性能ガソリン式発動機があるからこそ、やれる時にやらねば! 何も変わらないままだ!」
農林省の若き職員も俺の言葉に重ねるようにして熱意を技術者たちに向けて投げかけた。
もちろん、地方病有病地域だけでの使用を意図したわけじゃない。
皇国海側などに多くある棚田などでは歩行型は使いづらく、乗用型の需要がある。
(斜面に設けられた棚田においては、狭い農道において転回を行うなどした時に転落事故などが多発しており、ゆえに乗用型の方が安全と言われている)
そしてそもそも場所だけを考えての乗用型じゃない。
地方病有病地域で使うんだ。
当然にして感染と発症の慢性化によって体力的に厳しい者達が使うことを念頭に入れつつ、さらに利用者の幅を広げるように考案してある。
概要はこうだ。
まず形式はガソリンエンジンを搭載した2WD方式の四輪型。
将来におけるこの手の小型乗用型耕耘機というのは4WD方式が主流だが、構造が複雑となり、かつ工作精度が影響されることも相まって部品点数削減による生産性も考慮して後輪駆動の2WDで妥協。
4WD仕様にしようとすると空転制御のために静油圧式無段変速機とか欲しくなってくるからな……
一般的な形式だと大型化するし部品点数も増えるし現在の皇国が不得意な長いシャフトも必要となるし構造的に不安がありすぎて複数のデフなどを駆使した4WDなんて簡単に採用できない。
ましてや大型化、大重量化を最も避けなければならないのが農機だ。
それを可能とするのがHST(Hydrostatic Transmission)こと静油圧式無段変速機だが、こいつが一般化するには後30年もかかってしまう。
HSTはその基礎を王立国家としている。
シルソーにあったクランフィールド大学の国立農業工学部内ににある国立土壌資源研究所が、トラクター用の無段階変速機の共同開発をルーカス・インダストリー社などと共同で行って様々な試案をした中にそれに近いものがあり……(一節には2614年に考案されたタイプだとされる)
これを原案に、かつては航空エンジニアでもあり工業トラクターの父たるファーガソン技師がより実用的なものを発明して今日に至る。
しかしながら工業製品として最も最初に導入もとい搭載されたのはトラクターの父の発明品でありながらトラクターではなく……
P99と名付けられた、世界初の4WD駆動のF1マシンに対してだった。
小型高出力な無段階変速でなめらかな4WD駆動をも実現するHSTは、この頃のF1マシンにはうってつけの機構だったためだ。
結果的に農業機械どころか重機関係でも標準的に採用されるHSTだが……
構造は流体力学を駆使した油圧ポンプとピストン及び斜板(一般的にアキシャルピストンポンプや斜板式油圧ピストンポンプなどと呼ぶ)、そこに油圧ホースを介して油圧モーター(アキシャルピストンモーター)を組み合わせた現在の皇国の技術では確実に再現不可能なものとなっている。(なお1つのユニットに一体型となっているタイプもある)
仕組みはそう難しいものでもない。
まず油圧ポンプ(アキシャルピストンポンプ内)には、複数のピストンシリンダーが内蔵されている。
この油圧ピストンシリンダーはエンジンから得た力を回転エネルギーに変換した駆動軸によって常に回転状態にあり、フレキシブルに稼働する斜板を台座にするがごとく装着された状態にある。(正確には駆動軸と斜板が接続されて駆動軸と同調しながら常に回転している)
この時、台座である斜板を一定方向に傾けると、回転している状態において一部では圧力がかかり、相対する側は圧力を逃がす(受け止める)状態となる。
当然油圧ピストンは回転しているのでピストンシリンダーは回転しながらある圧力と圧力開放が繰り返された状態にあって回転しながら上下に動くわけだが……
常に回転している結果、斜板の応力によって生じた圧力差によってオイルの流動が生じるため、流動が生じた先にも油圧によって回転する油圧モーターを取り付けることにより、出力側から受け取った流動を回転エネルギーとして受け止めて吐き出すことが出来るわけだ。
モーターの回転数及びトルクは油圧に比例するわけだから、斜板の角度によって変わる油圧によってオイルの循環速度は変わるため、これによって無段階の変速を可能としている。
そればかりか斜板の角度を反転させれば流動すらも反転する。
この斜板の角度をレバー操作あるいはステアリング操作によって変化させるようにすることで、制止、正転、逆転を制御するわけだ。
斜板を直立させた場合は油圧が生じないので流動も生じないため循環せず静止状態を保てる。
また出入力自体はあくまで循環するオイルだけに頼っているため、双方は油圧ホースを介して離れた位置に自由に配置することが出来る。
最大の利点は流体力学をフル活用すれば極めて小型化が可能でありながら一定数の出力を取り出せ、さらにクラッチレスによるシームレスな無段階変速が可能になること。
特に4WD駆動するにあたっては重量物となるシャフト類を排除できるため軽量化その他においては優れた長所があるものの……
当然油圧に頼るのでエネルギーロスは激しい。
しかも軸やギアによる直接伝達ではないため、外的要因による急激な力の変動が加わると出力が負けて一時的ではあるが静止してしまう。
これによって重量物などを牽引するようなトレーラー的な使い方には比較的向いていないし、副変速機なものが無い限りは高速化にも同じく向いていない。
とはいえ、4WD方式の乗用自動車にも副変速機などを設けたり別途直結式のトランスミッションと併用する形でトルク向上を目的とした装置などとして採用される機構ではあり、非常に実用性に足る存在だ。
だが先程述べた説明でも想像できると思うが、油圧ポンプと称して油圧モーターとも言える構造物内部に稼働する斜板とピストンシリンダーを仕込むなんて今の時代の皇国に出来たら何の苦労もない。(仮に出来たとしても小型化出来るとは思えない)
何しろとにかく正確無比なクリアランスが要求される上、シーリングも完璧でないといけないからな。
アキシャルピストンポンプ自体はすでに既知の技術だ。
発明されてからすでに約30年は経過しているが……元々は大型工業機械用の技術。
それを小型化パッケージング化してHSTと呼ばれる無段変速機という次元にまで昇華して車両に搭載しようなんて将来の王立国家などがやるってな話を、流体継手1つで苦労している今の皇国が出来るわけがない。
出来たら戦車用としてとっくに採用してる。
仕組上、油圧ホースがドライブシャフトの代わりになるため、長いシャフトを完全に排除しながら省スペースで4輪駆動以上の多駆動に簡単に出来るからな。
それも仮にクローラー方式にしてもなめらかに無段階変速させることができるので、それぞれの車輪の駆動力を変更することで想像も出来ないような柔らかな信地旋回や超信地旋回が可能になるんだから。
でもそんな事は出来なかったから電動機と回路に頼ったわけで。
HSTはその発明後から一般化されたのは今から30年以上先の事なことを考えたら当然の話ではあるが、現状の皇国は何をやろうにも技術障壁が立ちはだかるのは歯がゆいばかり。
無論、何もしないわけじゃなくHSTは今後の世界の重機及び農機において絶大な影響を及ぼしうる存在なので開発自体はやるつもりではあるが。
それこそせっかく王立国家との関係もあるので、農業トラクターの父らなどと共に実際にHSTを誕生させた機関と協力しながら早い段階での実用化を目指すべきだと素直に思う。
間に合わないとは思うが、やるだけはやってもらおう。
しかし統制農機で採用することは無いだろう。
間違いなく間に合わない。
乗用型は遅くとも来年の春までには小規模でいいから量産しておきたいんだ。
春には山梨を含めた地方病有病地域を中心に積極的に導入していきたい。
だから今はそんな無茶をやらずに素直に一般的な後輪による2WDとし、ハンドル方式のデファレンシャルギヤとステアリングシャフトを用いて転回する一般的な自動車と同じ仕組みで曲がるように作り上げる。
HSTが完成した後の乗用型耕耘機というのは複数のHSTを用いて4WD駆動するため、ステアリングシャフトではなくシリンダーを用いていた。(あるいは2×2ポンプとして左右の車輪が完全に独立していることも多く、左右の前後の車輪がそれぞれ2つのポンプによって接続されている事もある)
シリンダー内では駆動用の油圧ホースが張り巡らされていて、その先には油圧モーターが存在していたわけだ。
ここに先程の油圧ポンプから流動してきたオイルが流れ込んできて循環してホイールが回るわけだが、そういうのは一切無い。
転回時においては前輪の方向転換の他、駆動輪である後輪側にクラッチを仕込んで片側駆動が出来るようにする。
また、2WDといってもデファレンシャルギヤをきちんと装備し、転回時において片輪が空転することによるスタックも防止する。
他方、通常ではこの手の一般形式の駆動システムを持つ農機に存在する左右のクラッチを切って信地旋回する機構は設けない。
これを設けるとユニバーサルデザインとする上で支障が生じる。
操作する上で"両足"が必要になってくるからだ。
それを排除したいが、本来ならそういう場合は四輪操舵にするかHSTを仕込んでハンドルの切れ角でもって駆動力を変化させるようにするのが一般的。
HSTが無い以上それは出来ないし、四輪操舵にするためには皇国が不得意な長いシャフトが必要になるばかりか構造が複雑化する。
それはやらずに駆動力を変化させる機構を駆動輪である後輪側に導入することとした。
特に名前は付けていないが、構造としては湿式多板クラッチと電磁ソノレイドバルブを組み合わせ、ハンドルの切れ角に合わせて駆動力の比率を最大で0-100あるいは100-0の状態にまで変更できるようにする。
本当は四輪駆動で4つの車輪の駆動力をそれぞれ変化させて旋回力を向上させるような事をやりたいんだが……
まず4WD自体が今の皇国にとって敷居が高すぎるので二輪駆動の状態で今できる枯れた技術で可能な方法で処理することにした。
ステアリング操作をするとそれに連動して電磁石の電圧が変化。
ダイレクト駆動の多板クラッチが連動して動くことで駆動力が抜ける。
ここで重要なのが、そのままだと大きなトルクを受け止めつつ変化させるために非常に大きな電磁式クラッチとクラッチ板が必要になるところだが……
そこにハイポイドギアと遊星ギアを組み合わせてトルクを増大する機構を設けることで、電磁クラッチ及びクラッチ板を小型化していることだ。
これによって今回のような乗用型でありながら小型農業トラクターとすら呼べないような耕耘機であっても搭載が可能となった。
しかも未来の農機達と同じく、ハンドル操作だけで信地旋回が可能なようになる予定だ。
……流石にHSTを装備したタイプには劣るが、それでも匹敵する旋回力にはなる。
エンジン出力は定格7馬力。
スロットルレバーを別途設ける事で最大10馬力まで出力を変化可能。
操作は非常に簡単。
ロータリー部分の操作を除けば、ハンドルとアクセルとブレーキだけで基本的には操作を行う。
変速は五段階
常時噛合式の主クラッチとトランスミッションが接続され、4速+後退となっている。
シフトレバーはハンドル中央位置の真下に配置予定。
右利きでも左利きでも操作が可能なだけでなく、隻腕でも操作可能。
ハンドル自体にもスピナーを取り付け、片手操作を容易のものとする。
もちろんアクセルとブレーキも2つずつ付いており、左右が連動するようになっている。
アクセルといってもアクセルという名のクラッチであり、左右内側のペダルを踏み込むとクラッチが繋がって前進あるいは後退する。
ブレーキは通常ブレーキと同様。
左右外側のペダルを踏み込むとブレーキとなる。
先程説明した駆動システムにより、従来なら装備されるはずの左右の駆動輪の駆動力をカットするブレーキもといクラッチというものは存在しない。
ステアリング操作だけですべて完結するようにしてあり、ブレーキは一般的な前後ブレーキである。
パーキングブレーキも別途設置するが、これも中央部分であるハンドル付近に設ける。
エンジン配置はミッドシップよりの後方位置となっており、ハンドル周辺はすっきりした外観だ。
このハンドルを構成するボディ部分にシールドビームを1個取り付け、さらにウィンカーも搭載して公道走行も可能なようにしておく。
ウインカースイッチもハンドル付近中央位置に他の機構共々集中配置。
とにかく運転に必要な操作機器はすべてハンドル周辺中央位置に配置する。
唯一の例外はロータリー操作用のスイッチ類だ。
これは座席付近の左右に配置する。
さて、ここからが本機における最重要部分にあたるのだが……
本機は歩行型と同じくロータリー式を採用し、後方部分に装着することになっている。
だが、そのロータリーはリフトアップやリフトダウンが可能なようになっている点では、農業用トラクターなどと変わらない。
しかし現段階における諸外国のトラクターでもザラにあることだが、この手のリフトアップやリフトダウンはなんとテコの原理を利用した手動によるものがありふれている。
それはやらない。
確かに皇国地域史上初の独自の最初のトラクターはテコの原理でロータリーを動かすものだったが……
それがどれだけ労力を必要としたか……
当然にしてここは油圧サーボモーターによる昇降を可能なように作り上げる。
ここは絶対だ。
運転中にふんばりながらレバーを引いて耕起するなんて、とてもじゃないが効率的じゃない。
本機は今後の機械化農業をも左右しかねない存在なのだから、そんなことはやらない。
だから規格品の航空機用の油圧シリンダーとサーボモーターを流用することでリフトアップとリフトダウンをスイッチで可能なようにした。
スイッチは座席の左側に配置。
右側にはロータリー駆動用のクラッチレバーなどが設けてある。
これは一見するとユニバーサルデザインを無視したような配置だ。
本来なら運転中に頻繁にスイッチ操作してロータリーを上げ下げしながら調節するし、転回時等においてはリフトアップしないといけない。
でも車体構造を考えると小型の乗用型耕耘機でのスイッチ配置はこれが限界。
それでも問題ないようにした。
どうしたか?
ステアリング操作と駆動力が変化するようなシステムなんだから、当然にしてその回路を活用してステアリングのキレ角が一定以上になると自動リフトアップするように機械式で施すだけだ。
さらにロータリー側には機械式の接地圧センサーを配置。
いわゆる20年後の大型トラクターから標準採用されてくる自動耕深装置を搭載。
この自動耕深のための接地圧センサーはステアリング操作における自動リフトアップ機能を設けるため……そもそもが機械式の接地圧センサーを必要とするため、それをさらに自動耕深可能な能力も付与したものとしただけ。
構造を知っているからこそ出来る芸当だ。
これによって頻繁なスイッチ操作をすることなく、ハンドル操作とスロットルレバー操作だけで誰でも手軽に耕起できるようにする。
それこそ傷痍軍人で手も足も負傷して重い後遺症を抱えた人間が、五体満足な人間以上の能力を発揮して最も労力を必要とする耕起作業が行えるようにするわけだ。
体力が衰え、昔のように農作業を行えなくなった老人が。
力の劣る淑女が。
重い病を抱えたまま農作業を行わねば生きてゆけぬ、何の因果でそんな定めを義務付けられたのかわからぬ寄生虫に犯され続けた農家が。
昨日までの五体満足で体力に自身のある若者達を大きく凌駕する労働力を得ることが出来る。
それも簡単に、誰ででもできそうな操作方法で動かせる小さな乗用型の農機で。
ここまで作り上げることで、今もなお地方病に苦しむ一連の地域においても生産力の大幅な向上を果たしつつ……
農業に必要となる人員を減らす。
減らした分を工業に還元する。
「まだ確定ではありませんが、政府は山梨などの諸地域の農耕馬や農耕用の牛を買い取って農機と入れ替える補助金制度などを検討しています。あるいは、稲作をやめて果樹園とするか選んでもらうことになるでしょう。どちらにおいても支援は惜しまないとのことです」
「例えばぶどうから採取できる酒石酸は軍需用品の原材料として重宝されていますから、ぶどう生産などに転換することに政府は否定的ではありません。むしろ石川県などでは国を通して県が奨励しているほどです。生産量の多い甲州も然り。しかし転換が難しいような地域などもありますから、乗用型の需要が無くなることはないでしょう……傷痍軍人もまた、0には出来ませんからね……少数であっても必要となる」
100万台とかそんな数字は必要無いかもしれないが、5台~7台に1台ぐらいの需要は必要だろう。
歩行型と比較して高価なものであるし、生産量もそう多くは出来ないが……
それでも届けたい場所があるから、提案しているんだ。
「待ってください技官。妙な形をしているあの乗用型耕耘機。あれは本当に耕耘機なんですか? 説明からすると小型の農業トラクターでは?」
「トラクターほどの汎用性は無いので耕耘機です。物を運べるほどの力はこちらにはありません。もちろんこちらにも代かき用の付属品は用意しますし、歩行型で出来ることは物資輸送以外、すべて乗用型でも出来るようにしますが」
トラクターというのは牽引能力もあって初めてトラクターと呼ぶだけに、その汎用性をもってそう呼称している。
残念ながら乗用型耕耘機にはそのような力はない。
耕耘関係で自らが持つ力を使い果たしてしまっているので、重量物を牽引するような力はないんだ。
車体自体がそれなりの重量になってしまうからな……
だからこれは耕耘機……あるいは管理機と呼ぶに相応しい。
アタッチメントを取り替えれば、代かき以外の作業だってすることは可能だ。
もちろんそれは農機関係のメーカーが今後やっていくことで、俺が提案するのはあくまで最低限の耕起作業のためのロータリー以外考えていないが。
そういうのは全部メーカーに託すことにしている。
「……しかし二種が耕耘機だとすると、残り1台の乗用型は? 何やらよくわからない装置が付いているようではありますが……」
「これまでの説明から何か想像できませんか?」
「想像……といっても。脱穀機に移動機能は必要ないはずですし」
「乗用型は有病地で使うことを中心軸に据え置いて提案しています」
「……まさか田植え?」
「ええそうです。医師会は農家に水田に入るなと無茶を要求する。ならば、本当にそれが可能になりうるものを作るしかない。水田における感染原因は文字通り足を踏み入れること。特に長時間踏み入れる瞬間は揚水後の耕起や代かき作業、そして田植えです。もちろん作業効率化も意図しての乗用型ですがね」
三種類目、最後の農機。
それは乗用型の田植え機だった。
静かに口を開き、俺はなぜ乗用型なのかなぜ田植え機なのかの説明をはじめることにする――
外観参考:ホンダFJ900
https://www.youtube.com/watch?v=v-FgOTpTl9w
ヤンマーUP-2
https://www.youtube.com/watch?v=v2zVVPwvviA
運転操作方法の参考
ホンダマイティーシリーズ
https://www.youtube.com/watch?v=VPXSOUbzNgc
なお、ホンダマイティーシリーズは足ペダルによるスロットルペダルとなっています。(四輪操舵で左右ホイールの駆動カット用のブレーキがありません)
劇中の信濃考案はスロットルレバー方式です。
駆動力変更のための機構の参考
ホンダ SH-AWD(本機構は4WDですが、劇中のものはもっと簡易な構造で後輪駆動です)
https://www.honda.co.jp/factbook/auto/LEGEND/200410/15.html