第24話:航空技術者は皇国政府と共に華僑に和平条約締結を要求する
皇暦2598年5月26日。
本来ならば内閣改造案が発表される……ハズだった。
しかし状況が大きく変わり、内閣総辞職が発表される。
現首相は辞表を提出。
計画より半年も早まってしまった。
原因はやはり心配していた空襲事件が引き金であった。
かねてより華僑へ派兵した陸軍の戦況が思わしくない事について陛下は憂慮されていた。
そのため、強硬姿勢を崩さない議会に対して責任論を展開し、原因となっている者達全てを更迭することにしたのだ。
本来ならば5月25日の御前会議にて内閣改造を信任し、改心の切り札として保垣一成を外務大臣に据え置いてもう一度和平政策を講じようとする。
この切り札が陸軍の稲垣大将や西条らから批判され、首相もまた欲深い男だったので梯子を外して状況は泥沼となっていく予定だった。
だが、空襲事件によって陸海軍双方がヤクチアならまだしも華僑からはありえないとしていた本土攻撃が後一歩で達成されかねない状況となり……
現状でもまだ強硬姿勢を取る首相に業を煮やした陛下は内閣改造案を一蹴。
その日のうちに辞表を提出するようせまり、内閣は解散してしまう。
本来の未来から約5年近くの前倒し。
あまりに急な出来事だったので俺は後手に回ってしまった。
しかし千佳様率いる皇族陣営、そして長島大臣や水戸大臣らの推薦によって西条が首相となる。
陛下は、華僑の事変が長期化している原因に西条らも関係しているのではないかと多少は疑っていたが……
二・二六事件と同じく、今回の空襲についてもいち早く行動して解決に導いた功績などから華僑の事変に対する対応にはこの男以外いないと周囲が説得していた。
西条本人も"何よりも第一に国民の生命を優先する"――とは本来の未来において常々周囲に口にしていたので、普段の行いを評価されての起用だとのことだ。
外務大臣に保垣らを抜擢し、俺が計画していた未来とはすこし違う形で状況が進んだ。
事件の後、俺が西条に対してずっと気にかけていたのは稲垣大将がどう動き、どういう人事となるかであった。
本来の未来ならばここで陸軍大臣となるが、彼の強硬論に首相が同調して和平政策が失敗することになるのだ。
現在の稲垣大将はある程度未来を知ってはいるものの、蒋懐石との和平案には基本反対の姿勢。
俺自身も正直言って共産党やヤクチアと真っ向勝負をかけんがために蒋懐石と和平を結ぶのはどうかとは思っていた。
ただ、現状では蒋懐石が主席となっている以上、和平政策で彼は外せない。
王兆銘はどうも信用できないしな。
奴は本来の未来を鑑みても国家の意思に反して暴走していた様子があった。
この辺りに関して俺は西条や千佳様とも協議したが、場当たり的な対応でどうなるかわからない爆弾を未来に向けて抱える事にはなるものの……
華僑の事変は早急に解決した上で集を正しい形で独立させ、NUPらとの共同治安維持管理を行う防共政策の提唱と並行して新たな和平案を組むべきなどとは話していた。
稲垣大将ら強硬派において最も憂慮しているのは皇国のもう1つの工業生産拠点の要である集がヤクチアの手に落ちること。
しかもここに在住する現地住民の手先は大変器用で皇国の技師と大差がない。
俺としては、反共主義国家であるなら集と華僑の民国の統一は認めてもいいのではないかと考えていたが……
西条はそれでは陸軍を説得できないと主張していた。
そんなこんなで話がまとまらないまま新たな内閣の布陣が決まる。
本来の仕事はただの航空エンジニアでしかない俺は信じられないことに現在首相補佐の一人だ。
陸軍は強硬派をどうしても議会に組み込みたかったらしく稲垣大将が陸軍大臣となった。
水戸大臣は内大臣に昇格。
皇国はここから、先の見えない国家存亡をかけた政治的デスゲームへと参加する事になるのだった……
◇
皇暦2598年6月2日
外務大臣の保垣一成と稲垣陸軍大臣、西条、俺、千佳様、水戸大臣らが集まって会合を開くことになった。
内容としては第三帝国を仲介しての新たな和平案の提案である。
すでに裏工作をしていた保垣大臣によって蒋懐石らとの直接会談の席が設けられて会談は7日後となっており、その前までに彼らに突きつける要求を再検討することとなった。
西条は就任直後に前首相が1月に出した宣言を撤回。
これが保垣大臣就任の条件であったため、ここまでは本来の未来とさほど変わらない。
このまま第三帝国を通してこちらが要求した条件に若干の手を加えて再び要求する。
ただ、陸軍としての立場もあるため、和平案については前回より多少は重くなっている。
事前に保垣大臣抜きで稲垣大将を交えて協議した結果、現在の皇国は対ヤを前面に押し出すことが決まった。
この原案とも言うべきものを作る前、俺は千佳様と共に皇国のNUP企業や皇国駐留大使ともかけあって話を持ちかけた。
そのため、この案には皇国だけでなくNUPの一部企業の意向も含まれた内容となっている。
俺の未来情報を頼りに稲垣大将ら強硬派の意見をまとめて作られた和解要求の基礎はこうなっている。
1.華僑民国3地域である重慶、南京、北京地域の統一と独立を承認した上で、華僑は集と蒙古地域の独立を認めること。
(蒙古については今後の状況によっては自治区を設立し、華僑または皇国のいずれかまたは共同による管理とすることを認めうる)
2.防共条約を結び、華僑の全域に渡って皇国の治安維持軍を常時配置することを承諾すること。
(この設置に期間は設けず恒久的なものとし、基地や駐留軍の規模の増減は両国の協議によってのみ決定する)
3.ただちに和平が成立するときは政権は華僑の南京の政府を中心とした統一国家に委ねられるが、皇国としては長官その他に親皇国的人物のみ希望する。
直ちに和平が成立しない場合は新しい行政機関を華僑が望むどこかの地域に議論のもと設ける必要がある。
4.この新機関は和平が結ばれた後にもその機能を以降も継続する。
(今日までのところ皇国側において現在までに占領した地域に自治政府などを設立する意向はない。)
5.排皇国政策の停止。
6.華ヤ不可侵条約の即時破棄。
7.華僑の共産党の解散と排除。
華僑における社会主義と共産主義の一切を弾圧し、反共宣言を行うこと。
8.華僑にいる航空参謀長の身柄引渡し。
俺は戦時賠償請求など一連の問題については和平条約からは除外して別途議論すべきと主張したが、稲垣大将は集の独立を認めさせることを条件に承諾してくれた。
戦時賠償問題に関しては駐留軍と経済特区を展開するための不動産所有権の譲渡が中心となるだろうとは思われる。
この要求はつまりは資本主義国家として独立を認めるが、土地や利権の一部は頂くというもの。
相手国の政府に内政干渉はしないが利権は貰うというスタイルは以降半世紀に渡りユーグ諸国やNUPが得意技として用いていく手法であるが……
これを一番最初にやったのはユーグの王立国家の石油企業を王立国家政府が国営企業としてからであろうか。
中東全域の石油採掘権を手に入れていろいろやっていたからな。
ただ彼らは失敗し、どちらかといえば皇国内企業であるサンライズ石油の親会社が中東などで行っている手法が成功を収めるわけだが……
我々はこの日を前にサンライズ石油を通して親会社である王立国家の石油企業"ロイヤル・クラウン"の首脳陣を呼び出し、その手法の詳細について意見を求めてもいる。
ある程度の内容は未来の情報より知ってたが……
彼らが提案したのは、例えば石油や鉱山採掘においては売り上げベースでその50%を国家に還元した上で採掘権を購入するというもの。
戦時賠償においては元来権利を有償購入すべき所であるところ、採掘権自体を無償とする代わりに売り上げベースでの50%還元は維持するのが好ましいとされたが、一連の賠償については和平条約には盛り込まずに別途協議するのが好ましいとアドバイスしてくれ……
それこそが上記戦時賠償請求は別途議論とする雛形を作る際に大いに参考とされた。
俺としても集を失うとヤクチアに勝てないと思っているので独立は否定しないが、やはり陸軍強硬派にとってはここの工業地帯こそ最も重要な地域だと言え、その分、皇国として現在できるうる限り最大限の妥協案を作り出す事が出来たと言える。
どちらにせよ集の政策は変えねばならない所があり、こちらも陛下の強い意向もあるため近々融和政策を行うが、一方で自由経済特区と称して工業地帯だけは実質皇国の自治領に近い状態にさせる。
俺が陸軍に認めさせたのは、それぞれの国家は独立させるが地域は皇国が出資した上で経済特区として間接的自治権を持たせるという方向性。
半世紀後には割とベターな手法となり、そももそもが華僑自体が40年後を境にそれを行いだすので40年前倒しの政策と言える。
軍基地など付近に皇国駐留軍を展開し、その軍基地などに大使館などと同様の治外法権を設けるという方向で話がまとまった。
つまり反共主義である蒋懐石を筆頭に資本主義化を促し、皇国は国営企業に近い形でその地域に出資する。
そしてそれを理由に駐留軍を置いて治安維持などに努める。
……と、いざまとまったはいいものの……
この案を御前会議にて信任する前に妨害されるのではないかという不安があった。
こんな和解案はWW2後でもないと生まれない発想であり、皇国議会は認めても他の多くの陸軍強硬派が統帥権を行使してまで絶対認めさせんと思っていたのだが……
そこはなんと千佳様が頭脳プレーをみせて陛下に事前内容を漏らしたため、6月の御前会議にて陛下がその案を原案としてまとめるようにと声明を出したことで、稲垣大将を除いた他の陸軍の強硬派も外堀を埋められて認めざるを得なくなったのであった。
稲垣大将は元々かなりの強硬派であったが俺の予言について西条から多少聞かされていたため、かなり態度を軟化させている。
元々彼は西条が首相になる頃には態度を軟化させるのだが、それが思ったより早まった。
後は……蒋懐石がどう出るか……
最終的に4日ほどかけて細かい案もまとまり、付随する条約も策定されて会談に臨むことになった。
事を急いでいる背景にはヤクチアがこれを察知して華僑内の共産党に働きかけているからである。
別途協議する戦時賠償関係は基本土地の譲渡ばかりで、利権関係は集の時よりは大幅に緩和されている。
第三帝国を仲介した最初の和解案より重くなったのは、防共条約などの部分と集の独立などに集約された。
これを飲まなければ徹底的にやるしかなくなる。
俺としてもこの案には割と賛成でこれ以上譲歩できない。
というより陸軍を説得できない。
近いうちに絶対にヤクチアと戦う事になるからこそ、早めに防衛ラインを構築したいのだ。
本土決戦なんてできるものか。
皇国領土内で戦いがあっても許せるのは北端、すなわち極東だけだ。
蒋懐石よ、ヤクチアに飲み込まれるのは我々だけでなくお前たちだってそうなのだぞ……
◇
皇国暦2598年6月9日
蒋懐石ら華僑の首脳陣営と西条、保垣らによる首脳会談がとり行われた。
首相補佐となった俺も会談に参加。
上海の事変などによって憤りを隠せない蒋懐石は当初こそ声を荒げることもあったが、西条は必死に説得を試みる。
「西条首相。ずいぶんと前回の要求から内容を変更してきたものだ。だが我々にこれを従えというのか?お前達が集と同じような政策を我々にやろうとしないとなぜ信じられる!!」
蒋懐石は写真でしか見たことが無いが、よく見ると西条と似てなくも無いな。
ただ、西条の方が心が穏やかなのか顔つきは丸く見える。
「蒋よ。引き続き貴様には統一を果たした華僑の首脳陣において中心的存在でいてもらう。私はあくまで華僑全域の諸所の地域にわれわれの治安維持のための軍基地が欲しいだけなのだ。どうせ貴様が案を呑めば国共戦争は再開する。一体誰がどうしてこの戦争に勝てるというのだ? 貴様で勝てるというのか」
「それはそうだが……」
「蒋よ。貴様の本当の敵は誰だ? この間の一件で貴様の部下は爆撃の強行にはヤクチアの強い意向があったと言っていたぞ。お前はこの期に及んでヤクチアと組む気か」
「統一のためならばヤクチアに一時的に魂を売ってやってもいい!」
うーん……この時代の人間は自分の意思を伝えるためには机を叩かないといけないお約束でもあるのか。
まるでコントの1シーンだぞ。
いや、これが存外楽しいのはわかっているんだが。
「駄目だ。それは認めない。蒙古地域北部の状況を見て言っているのか! ウラジミール・スターリンは貴様を洗脳して共産主義に染め上げるつもりだぞ。卯よりも貴様の方がお気に入りだ。だから貴様を処刑しなかった。私も貴様は殺さない。だがこの場で誓って言え。東亜全体の秩序維持のために華僑を我が資本主義でもって導くと」
「ぬぅ……」
「私は…………皇国は資本主義の味方だ。皇国は努力する者の味方だ。皇国は全体主義と社会主義と共産主義の敵であって、ヤクチアの敵だ。お前が少しばかりの譲歩をすれば済む。貴様は欲しくないのか? 集の工業地帯のようなものを華僑全域に渡ってこさえた重工業国家を。今認めれば、貴様が死した後に貴様を称える銅像の背後にモクモクと黒い煙が漂うNUPにも負けぬ国家が出来るやもしれんのだぞ」
「そのために集を認めろと?」
「そぉだ。集の政策も変える。我々はNUPと同じ方法で集を資本主義的に管理する。文化は捨てずにいて構わん。なんだったら百済をくれてやってもいいぞ。あそこは今の私にとっては無価値となっているからな」
「なんだと?」
やはり食いついたか。
この話は俺と西条と千佳様が話し合って提案には盛り込まなかった切り札だ。
保垣だけしか知らん。
もし、この意向を双方が認めたとしても蒋懐石の提案によって我が国が譲歩したというカバーストーリーは既に作ってある。
陛下にも千佳様を通して協議してもらって承認済みだ。
国土は大幅に縮小しなくもないが集の方がよほど重要だから稲垣大将も認めざるを得ないのはず。
意外と目の前の男が欲しがっているのが百済だ。
百済北部の集との国境付近の工業地帯にこの男は魅力を感じている。
対ヤクチアを考えると重慶以外にも工業地帯は欲しいのだ。
俺達が集が欲しいのと変わらない。
集には大幅に劣るが、それでも彼らにとっては、ぶら下げられた飴に見えることだろう。
持て余している百済について、実は西条らは予てより手放したがってた。
皇国からしたら使い物にならん。
集の方がよほど真面目な人間が多く、集とは友達でいたいが、百済なんぞいらないと西条にも言っている。
工業地帯だけを目的に百済を求めるなら持て余すが、蒋懐石に押し付けて和平政策が成功するならそれでもいい。
現地の約10万人の移民者は帰還させるか集に移動を促す。
今いる50万人の集の移民者に合流してもらう。
その上で新東亜秩序の発表だ。
2598年なら百済を手放してもなんてことはない。
あそこの開発は2597年の末から始まって道半ば。
しかも実は皇暦2600年以降にならないと開発が加速せずに一時的に頓挫しかけている。
今なら引き返せる。
選択と集中。
これが出来れば皇国の明日が開けるはずなんだ。
「――首相。百済を譲るというなら話は別だ。ようは西条殿、貴方はこう言いたいのだな?百済の工業地帯などの一連の地域を手放す代わりに、華僑全域に渡って治安維持のための軍基地を複数設け、都市部に諸外国が参入するための経済特区も設けると」
「そうだ。経済特区には我が国の国営企業や我が国に出資しているNUP企業も参画する。そこは集となんら変わらん。すでに話は付けてある。都市部にはかならず陸軍を駐留させる基地を配置しろ。南京、北京、その他全てだ。共産党は共同で追い出してやる。飲むのか?」
立ち上がった蒋懐石は拱手でもって応える。
周囲にいた王兆銘らは胸を撫で下ろして安堵のため息を吐き。
保垣は人目を気にすることなく泣いていた。
その後も会談は続き、詰めの調整へ。
戦時賠償などにおいては皇国がかなりの譲歩をすることとなったが、最終的に蒋懐石は和平条約を承認した。
集まった者達からは皆明るい未来を語る言葉が飛び交うようになる。
馬鹿だな……まだ始まったばかりだ。
華僑の事変はこれで終わったことにはならない。
良く周囲を見渡してみればわかるだろう。
仲介人である第三帝国の皇国駐留大使はなぜか不満げな表情を隠していないぞ。
お前達の考えぐらい読めている。
だが……お前達は、この動きに従わざるを得ない。
現状では。
ここからだ……ここから俺達の戦いが始まるんだ……