表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

279/337

第183話:航空技術者は農機革命の手助けをする

「――それでだな、実は意見を貰いたい案件があるんだが時間は大丈夫か?」

「問題ありません。なんでしょう」

「戦とはやや異なる部分。国政についてだ。といっても、技術方面について知見を分けてもらいたいのだが、信濃、お前は農機については把握しているか?」

「記憶の中に眠る未来においては、冷遇されていた頃は自動車整備などをやっていましたので多少は。ただ、いわゆる脱穀機などの設置物ではなく、耕運機、トラクター、コンバイン等、移動して使うものに限定されますが修理整備などはやっていましたよ」

「ならば話が速い。実は農林省より本年に入ってから何度か要望を受けていてな。ガソリン式の発動機による農機開発や汎用発動機の発掘等を行うための承認申請及び、予算申請が来ている。従来までディーゼル方式を強く推奨してきたが、これでは農業機械化は現状では程遠く、ガソリン方式で試させてくれないかとの事だ。どう思う?」

「……来ましたか。そろそろだとは思っていました――」


 内心は「来たか!」――と思っていた自分がいた。

 本当はもっと早く話を回してほしかった所はあるが、昨年の秋以降は忙しかったし、その頃に提案されても対応は出来なかったかもしれない。


 しかし現状なら多少は余裕がある。

 そして俺としても試してみたいことがあったので、NUPへの渡航の折、いくつか思案してきていた。


 現状の遅れを挽回したかったからだ。


 農業機械……そして機械化農業。


 この2つについて皇国は決して出遅れてはいなかった。


 ただし、それは意識及び挑戦という意味合いであって、残念ながら"技術力"という部分において大きな穴が生じていた結果、完全機械化への踏み込みが出来なくなっており、足踏みしているのが現状なのだが……


 そこには皇国の地形や土地柄などの諸事情や……陸軍も関与しているのである。


 いわゆる畑仕事に使う農業機械の導入への挑戦というのは、すでに20年以上前から始まっている。

 始まりは揚水ポンプ。


 それまで、用水路が完備されておらず地下水等を用いなければならない水田への揚水作業というのは水車を用いたり足踏み式のポンプを使うことで行っていた。


 しかしこれを人力でやるという事は、その間、1名ないし2名の人員を揚水作業に割り当てなければならなくなる。


 とんでもなく非効率だ。


 これを長年「どうにかしたい」――と考えた人間が岡山県におり、NUPから汎用の石油式発動機を取り寄せて揚水ポンプとして使用したのが2577年の頃。


 そして「この汎用性なら、脱穀にも使えるのでは?」――と考え、改良を施して脱穀用アタッチメントを装着して使い始めたのが翌年~その2年後あたりであったとされる。


 そしてこの挑戦は周辺の集落に多大な影響を与え、3年後には地域内にわずか1台しか存在しなかった発動機が約70台も導入されており、これが当時皇国随一の数字であった。(全国での使用は100台程度だったとされる)


 当時の発動機は価格としては1台あたり200円~300円前後。

 これは当時の一般就業者の平均月給が50円~60円程度だったため、約半年分の給与に相当する。


 信じられないほど高額ではなかったが、決して安くもない。

 それでも最初に購入した人間を中心に盛んに導入されていった理由は、揚水作業を自動化する事でその間にできる作業に人員を割り当てられ、農作業が大変効率化したことに他ならない。


 それこそ、揚水作業だけを担当するような日雇労働者を雇ったりするような所は労働者確保のための労力を排除することができる上、長期的視野で見たら決して安くない人件費の削減も行えるようになる。


 だからこそ無理してまで導入する農家が続出したのである。


 こういった流れから、機械化されていた地域を中心にすぐさま「畑仕事において最も重労働な、耕耘も機械化して効率化しよう」――となるまでにそう時間はかからず……


 揚水作業用発動機を輸入した9年後、皇国は国外の技術も参考に国産の耕運機を開発して販売を行うようになる。


 実はこの時点で国外よりシュビーツ製などの耕運機が持ち込まれていたりしていたのだが……サイズが合わなかったり整備性が劣悪だったりで根付かなかったのだ。


 そもそも皇国の田畑と国外の田畑は規模が全く違うし、棚田などの東亜独特の地形を利用した水田などがある。


 こういった所での作業で国外の耕運機は使い物にならなかった。(地盤が硬すぎて土に食い込まず、いざ食い込ませると出力不足もあって作動停止してしまったといわれる)


 いや、正直言えば皇国国産の耕運機も水田での使用まで想定されているかというとそうでもなく……


 2601年現在、全国で約9000台前後の耕運機が稼働中だが、それらに関して農林省も"性能不足"と結論づけるなど、まだまだ発展途上であったのだ。


 何しろこれらの耕運機の出力は1馬力程度。

 硬い地盤を耕すには出力不足すぎた。


 しかしながら大出力を求めようとすると大重量巨大化と、耕運機としては扱えないようなものになる。


 ゆえに皇国では"小型高出力汎用型エンジン"の開発に精を注いだ。

 しかしここである組織が一連の開発に影響を及ぼす事になる。

 他でもない皇国陸軍である。


 当時、すでに陸軍は将来の戦争を見据え、さらに将来の戦闘車両のあり方を見据え、ガソリン機関ではなくディーゼル機関を中心に物事を考えていた。


 それこそトラクターから発展した戦車についても、国産するにあたってディーゼル機関に強く拘っていたほどだ。


 理由は簡単。

 当時の皇国の工業体制において戦車等を開発するにあたり、当初よりガソリンの危険性を熟知していた陸軍ではディーゼルを採用したかったが……戦車専用発動機としたくなかったからである。


 これは将来に渡る問題と言える。

 戦闘車両を開発する場合も含め、兵器の開発にあたっては構成部品が汎用品であればあるほど優れているのは間違いない。


 一番重要なコストと運用面において恩恵が大きいからだ。

 だから、俺がやり直す頃においては一部の国において、とあるジレンマが生じていた。


 戦車に搭載されたディーゼルエンジンにおいては、基本的に船舶あるいは工業用などと共有する汎用性を有していることが多かった。


 時に鉄道との共用すらあるようなものも存在するほど。

 この時、自国の主力戦車に採用するにあたって2ストロークを選択した国があったのである。


 2ストロークの場合、燃費こそ優位性は無いが部品点数が少なくなり整備性も高く、頑丈で何よりも小型軽量だったことがメリットであった。


 ところが環境問題への配慮等から、すでにやり直す直前においては各国において4ストローク化が推奨され、2ストロークディーゼルエンジン等というものはほとんどが生産終了。


 ゆえにそういった国々では新型戦闘車両を開発する上で、4ストローク化されたものを改めて採用しなければならなくなったのだが……


 そうなると確実にエンジンは大型、大重量化する事になる。


 ただでさえ主力戦車などはより厚い装甲が求められてそっちで重量をどんどん奪われていくのに、エンジンの巨大化と重量増大など中々に許容できるものではなく……


 パワーを落として妥協したり、ギアボックスやクラッチ類の改良で以前と同じ程度のスペースで済むようにしたりと、技術者が泣きながら対応に追われているような状況にあった。


 決して2ストロークディーゼルエンジンが悪いわけではないが、兵器開発方針の戦略を見誤るとどうなるかを表す貴重なエピソードである。


 それだけ、汎用エンジンというのを採用できないのは多くにおいて支障をきたすわけだ。

 だからこそ、皇国陸軍は俺がやり直す直後の頃とは真逆の政策をとったのである。


 すなわち、農機などを含めた工業製品においてディーゼル機関を推奨し、汎用エンジンをディーゼル仕様とするよう各分野に圧力をかけたのだ。


 「ディーゼルの汎用エンジンが無いなら、汎用エンジンにしてしまえばいいじゃない!」――という、逆転の発想である。


 この発想を基に、実際に汎用型エンジンの量産を目的に実際に計画として打ち出されて最終的に実行にすら移されたのが、俗に言う"統制型発動機"というやつである。


 八九式からチハにおける開発及び配備に至るまでに判明してきた問題点より、エンジン量産に難を抱えている事に気づいた陸軍は2597年の頃からエンジンの汎用統一を図り、この計画を立案して同型エンジンを他の多数の企業でも生産できるような体制を整えようとした。(なお、この統制型エンジンというのはチハ以前の戦闘車両には採用されていない)


 環境問題だの資源枯渇だのがなければ、正直の所、この考え方は特に間違ってない。(本当に各分野に使用できるほどの汎用性もあって、きちんとした性能も保証されているという前提の話だが)


 それこそ農林省やメーカーの技術者達は国家総動員法を盾に統制型エンジンまで繋がる軍による一連の圧力に屈する事なく努力し、結果皇国は2593年に世界初の小型実用化ディーゼルエンジンの開発すら成功させてみせた。


 そしてその開発メーカーに追随するように次々と小型実用型ディーゼルエンジンが開発、発表されて工業分野などでは既に納入されてすらいるほどだ。


 こう述べると疑問に思う者がいるかもしれない。


「ならなぜ、チハなどは馬力比率に対して大型なエンジンだったりしたのか、そして海軍が船舶で採用した汎用ディーゼルエンジンを搭載した小型船舶等も、当時としては諸外国のものとしてそこまでエンジンは小型の部類ではなかった。ましてや耕運機では殆ど採用例がなく、わずか国内には9000台しかないのはどうしてなのか」――と。


 ここにディーゼルエンジン由来の大きな落とし穴がある。

 それこそ農林省が白旗を挙げて「ガソリンで行かせてくれ」――と西条に頼み込むほどの落とし穴が。


 さて、俺の頭の中にはあるデータが眠っている。

 それは本来の未来におけるデータであり、そして今の時代においても遜色ないものとなっているであろう、農林省の評価試験データだ。


 2599年、そして2601年春、農林省は機械化農業のための農機革命を起こすべく、汎用エンジンの選定を行っていた。


 これは自身が選択したエンジンを農機関連メーカーに汎用エンジンとしてOEM生産させて一本化させ、生産性の向上を果たすための壮大な計画であり、農林省がいかに機械化農業に本腰を入れていたかを容易に想起させる。


 ここで注目したいのが、2度行われたという事実。

 つまり、1度目は「合格せし発動機無し」という結果に終わったのである。


 2593年から始まった小型ディーゼルエンジン開発の加速化に伴ったこの計画は……1度目は見事に失敗し……そして本来の未来では2度目も「合格無し」――と、結論づけられる事になる。


 そうなったからこそ、「ガソリンでやらせてほしい」――と頼んだのだ。


 では何が問題だったのか。

 当時の記録を見てみよう。


 燃費については世界初の小型ディーゼルエンジンであるHBが一番悪く、後続の他のメーカーのものの方が優れていた。


 重量とサイズ、それに対する出力比率についてはほぼ横ばい。

 そして「平時における運用については問題無し」――とされている。


 だが、これらは全て不合格。

 その理由は「始動試験」にある。


 当時の小型軽量型のディーゼルエンジン。

 なんとこいつらは気温24.5度未満の環境下ではまともに始動しなかったのだ。

 24.5度未満というと、2601年時点で殆どの皇国の諸地域が耕運機等の農機を必要とする時期の気温である。


 必要な時期に最適な性能を発揮出来ないと言えるわけだ。

 通年で使うことがない農機においては、特定環境下での性能が著しく低下するのは許容できない重大な欠点と言える。


 ましてやその環境が使用標準環境なら尚更の事。


 これが農林省が「全て不合格」とした最大の理由であり……ディーゼルエンジン最大の欠点であった。


 ディーゼルエンジンというのはそもそも、シリンダー内部で強烈に混合気を圧縮し、その圧力によって生じた熱量を用いて自然着火させることで始動及び作動する。


 これは例えば真冬の環境下でも一度始動してしまえば、相応に作動時間を経過すればアイドリングし続けるぐらいは可能なぐらいの熱量及び圧縮比となっている。


 だが、それは作動によってエンジン全体が温められた結果の事であり……始動は春先を過ぎて梅雨の時期の平均気温でもないとまともに始動しなかったのだ。


 ついでに言うと、作動してもエンジンが暖まらなければ(正確にはシリンダー内の温度が燃焼に必要な一定程度にならなければ)失火して停止してしまうため、何も策を講じなければ冬場は何度も再始動を強いられる事になる。(逆を言えば、策を講じた結果、小型軽量化の利点を失ったものが兵器の心臓部として採用されているという事だ)


 そもそもディーゼルエンジンというのはそういうものだ。


 だから将来において発展するにあたっては、真冬等での使用も加味して始動を助けるための様々な補助機構が組み込まれている。


 例えば副室式燃焼室なんかがその一例だ。


 これは小さな燃焼室を別途設け、ここで着火した高熱高圧のガスを主室であるシリンダー内に押し込む事により、主室と呼ばれるエンジンシリンダー内での発火が行えるように手助けする。


 この時、着火はプラグ自体の熱由来によるものとなっており、グロープラグという専用のプラグを使用する。


 このグロープラグというのは電熱方式でプラグが赤熱化し、ここに直接燃料を吹き付けるなどして着火させるもの。


 ちなみに着火するかどうかはグロープラグの温度と大気温度次第のため、グロープラグの性能が低い頃は熱量上昇までに時間がかかって始動までに1分近くかかることもあった。(それでも始動しないなんて事はなかった)


 だが俺がやり直す頃においては即応性が高く瞬間的に最大温度になるようにまで進化しており、冬場でも即始動なんてことは当たり前にまでの領域に到達している。


 また、副室を持たず、主室側にグロープラグを用意して着火するエンジンもあった他、副室自体が大幅に巨大化して一次燃焼室とも言える状態となり、圧縮比を下げて稼働するようにしたエンジンすらある。


 そしてそれをガソリンエンジンに適用して環境性能を大幅に向上させたのが、かの有名な恩田のCVCCであり、様々な影響を与えたものもであるわけだが……


 俺がやり直す直前頃においては直噴方式が主流となりつつあり、こちらではその仕組上グロープラグが使えない事から(グロープラグというのはグロープラグに燃料を噴射して着火するためのものであり、そうであれば直噴とは呼ばない)、吸気のインテーク側にヒーターを設けて"夏場と同じ状態"にするようにした他、そればかりか排気ガスをリサイクルして混合させてエンジンの熱量を一定に保つような構造すら登場。(この機構はエコカーなどと呼ばれるガソリン車にも採用されていた)


 このように、外的な機構でもって弱点を補完することで始動性の問題も作動安定性についてもクリアしたからこそ、手軽に使えるエンジンにまで昇華されるのが未来のディーゼルエンジンだ。


 それらが一切無い状態の今はどうするかというと……着火紙あるいは予熱紙というものを用いてエンジンそのものを温めて予熱の上で通常通り作動させているのである。


 当然、これには相当に慣れが必要で風の強い日や雨天などでは満足に始動出来ないのが当たり前。

 無理して屋内で始動してから畑まで移動しようとして自宅を全焼させてしまったなんて事故も報告されていた。


 おまけに始動作業を何度も繰り返したりするためエンジン内が燃料やら何やらでドロドロになってしまい、冬場に一度始動するとオーバーホール等が必要となることなどザラで、整備に必要な時間を考えると「普通にやったほうが手間がかからん!」――などと言われてしまうほど。


 だから農林省は結論を下したのだ。

 「――こんな不完全なもの農機に使えるか! 俺はガソリンエンジンを選ぶぞ!」――と。


 当然、本来の未来では"却下"の一言で話は終わっている。


 ガソリンがとにかく貴重で、市民から全てのガソリンを奪い取ってまで戦争に使いたい軍がそんなこと認めるわけがない。


 一応、軍は農機そのものまで否定はしていない。

 当時の皇国においては農機関連メーカーは予算が潤沢に用意され、開発関係も自由。

 それどころか農機開発技術者が戦地に向かうことになったのは末期も末期の事。


 食というのがいかに重要で、その部分での効率化を果たせば人的余裕が出来て他に回す余力も生むというのがよくわかる話だ。


 だから軍も開発自体を阻害した事は無い。

 やったのはディーゼルエンジン一辺倒で採用しろと圧力をかけたことだ。

 それが大失策だったのである。


 ディーゼルエンジンが農機への主機関として活用されはじめるのは20年近く後の事だからな。

 少なくても後15年近くの期間を要する。


 現時点では技術者の中で未解明な問題すら多くあるんだ。


 例えば未来に目を向けてみれば、ディーゼルエンジンには現時点ではまだ解明されていない事実として、排気量の下限値ともいうべきものが存在してすらいる。


 この下限数値とは、具体的に言うと今から40年ほどの間は1シリンダーあたり500cc、それから先の時代を見ても300cc前後とされ、一連の領域が効率的な限界数値と言われる。


 なお、実際にはHBを開発したメーカーによって300cc未満のエンジンも実用化されているため、この数値は絶対ではなく、効率と実用性を見て出力比を考えた場合の下限数値であり、技術発展に伴い下限値は下がる傾向にあるものの、俺がやり直す直後ですら100cc未満という話が全く無いように小排気量化というのは容易ではない。


 ガソリン式エンジンが2ccとか3ccとかあって、ラジコンなどに使われる状況とは全く異なっている。


 これは排気量が低いと着火のための温度確保のため、より高い圧力が求められて圧縮率を高めなければならず、すなわちエンジン強度がより必要になるのでエンジンが出力に対して異様に重くなったり、そもそも安定的可動のための強度を保たせられないからというのが原因の1つだが……


 それ以外にも大きな原因としては、圧縮率を高めつつ排気量を低くすればするほど熱効率は低下し、外的要因を受けやすくなるからというのも原因の1つ。


 これは圧縮比を高めた結果、排気量に対しての燃焼室の空間が大きくなる事によって生ずるものであり、業界では"冷却損失"と呼ぶ現象などによって引き起こされる。


 基本的にはシリンダー壁面に燃料がへばりついた時に生じていて、圧力を高めるためにより強くなる傾向のある吸気ガスの強い流動が気化熱を生じさせたり……(直噴エンジンの場合は噴射時においてシリンダー内大気が撹拌される事でも生ずる)


 あるいは、燃焼後の高熱かつ高圧ガスが壁面に押し付けられて摩擦するなどして壁面を伝い、シリンダー壁面と燃焼ガスとの極めて乖離した温度差によって生じる熱伝達による温度交換にによって熱が吸われて外に放出されてしまったりするのだが、これも典型的な冷却損失だ。(ピストンを動かす力を熱として外部に吐き出されてしまう)


 他にも冷却損失とは別に着火が遅れてシリンダー膨張時においても燃焼が生ずる"後燃え"という現象も存在し、これは燃焼によるガスの膨張が可動するシリンダーへ与える運動エネルギーへの変換に殆ど寄与していない事から、無駄な燃焼活動となってしまい全体で見れば燃焼効率の悪化と言え……


 一連の現象は排気量が小さければ小さいほど制御が困難となり、強度確保の観点と相まってディーゼルエンジンの開発におけるジレンマとして常に技術者に襲いかかってくる。


 すなわち、小排気量だからこそ実現可能性が高まる小型軽量化にあたっては、その作動信頼性を確保するには相当な困難を要するというわけだ。


 ようは現状における小型ディーゼルエンジンとは、そこを無視して「とりあえず特定環境下においては作動しますよ」――と、やっている事自体はそれそのものだけでも圧縮比などの関係から相当に凄いものの、重要な観点から目を背けて現実逃避している感は否めないわけである。


 だとするならば、それこそ未来の技術知識を駆使して流体力学の活用が必要不可欠となる副室式燃焼室を設けたりなどして、さらに未来で判明している作動安定性を阻害する一連の現象への解決策を(流体力学及び熱力学の観点より)講じ、ああだこうだと既存のものをベースに新型の汎用エンジンを作り上げるっていう話もあるんじゃないかと思うかもしれないが……


 メーカー側がそれを再現できなきゃ話にならない。

 しかもそれにかかる期間が年単位で5年も6年も……あるいは10年もって話になったら本末転倒だ。


 一連の諸問題は将来に渡って少しずつ解決していくもの。

 今日明日で関係する技術者が理解を示して実行に移して実現できるようなものではないんだ。


 よって現時点ではあまりにも不安があり、選択できない。


 現状では新型戦車もディーゼルエンジンは採用しないからな……


 無理してディーゼルエンジンを採用する理由ももはや無く、これ以上、軍が悪い意味で関与する悪循環はここらで断ち切りたい。


 だから答えは決まっている。


「――首相。私にいくつか案があります。その上でガソリン機関をお認めいただけませんか」

「案……だと!?」

「ええ、NUPへの旅路の最中、暇だったので航空機関係の設計と併行して作業を行ってました。ただ、そのためにはディーゼルを一旦諦める必要性があります。もちろん開発はやめずにです」

「そんなに優秀な小型軽量な発動機など皇国にあったか?」

「あるじゃないですか。排気量に対して出力比の高い発動機が。しかも首相も太鼓判を押して馬の代わりに大量生産を行おうとしているものが」

「――そうか! 二輪車か! そういえばあれの出力は最大8馬力ほどあったものな!」

「4ストロークでない事がいさかか残念ではありますが、現状において必要十分な性能です。なにしろ空冷で手間がかからず、農林省が問題視する始動性においてもガソリンがゆえにそこまで大きな問題とならない。本機一本化の上で農機の関係企業が一部の部品と言えども生産できるようになれば……」

「二輪車の増産にも利点があるわけか。よし、ならば任せる。いいか、農機の大前提は汎用型の発動機であることだ。とにかく部品は二輪車を共用できるようにしろ。その上で徹底的に安価で高性能に仕上げるんだぞ。農機関係の事業者を単なるディーゼル発動機製造会社として眠らせておくわけにはいかん」

「農機としては3タイプを提案します。あとは関係企業がいかにそれを再現できるかです――」


 俺は西条に向けて現状のディーゼルエンジンの問題点や、なぜ農林省が採用を見送っているかについて今一度詳細について説明しつつ、ガソリン機関の利点やその他について一通り解説を行った上で、改めて許可を得た。


 少しずつだが未来を切り開いていることが大きく影響しているのかもしれない。

 現状では配給制であるもののガソリンの入手は容易。


 あくまで配給制をやめないのは緻密な管理体制の下、運用を行いたいがゆえである。

 一方で現在の皇国はとにかく人手不足。


 だからありとあらゆる部分で効率化を果たしたいし、そのために何ができるかを冷静に見極めている状況。


 農家の負担を減らし、必要となる人材の削減を行っても尚効率的に農業が行える状態なら……

 その分は工業など、多くの所に回ってきて良い循環が生じるはずだ。


 そのためには……今一度浜松の天才と呼ばれる男の力も借りることにしよう。

信濃忠清が150ccと化した新型の二輪車と出会うのは……農林省のチームと合流して具体的にどうするかを話し合い、開発方針を固めた直後の事であった。

後に農機ビッグバンあるいは農機大革命、もしくは機械化農業ビッグバンなどと呼称される農業分野における機械作業標準化への大爆発は、この瞬間より着火が始まったのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  既にご存知とは思いますが――  昭和の一時期、万能動力源としてディーゼル発動機の単品ってのが有りました。  単気筒、ラジエター無しの開放型水冷、物凄く重い弾み車。  手動で弾み車を回し始…
[一言] 「田舎あるある」の発生源になりますね。 まずバイク屋が町村の既存の自転車屋に営業をかけます。 「単車どうですか?」と。 次にバイク屋の農機担当がそのお店に営業をかけます。 「耕運機もどうで…
[一言] MAZDAのディーゼルエンジンを再現するのかと思ったw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ