第182話:航空技術者は自身の努力が別の形で活かされた事実を知る
「――どうやら久しぶりに予想通りの状況へとなったようだ」
皇歴2601年9月初旬。
朝から西条に呼び出しを受け、俺は参謀本部を訪れていた。
「ついに来ましたね」
「ああ……ようやく真の敵との本格的な戦となってきた」
渡された資料一式には見慣れた戦車の写真と歩兵、そして航空機等。
それは間違いなく侵攻してくるヤクチアの姿であった。
「撮影場所はペルシャ北部。時刻は8月25日の午前9時。よく撮れているだろう? 待ち伏せしていた地域に事前通告も無く見事に忍び込んできたものだ」
「首尾はいかほどで」
「可もなく不可もなく。事前に敵部隊の侵攻ルートの予測が立てられていたことと、敵戦力の詳細な把握が効いた。奴ら航空戦力を事前に派遣していた事に気づいていなかったらしい。今や我が国は第三帝国に全く劣らぬ機動力を得ていた事を理解していなかったようだ。少なくても初動においてはこちらが完封した状態であると言える」
「戦力は自分の知る未来と同じだったのですか?」
「いいや、遥かに多かった。だが、それを予想して対策を講じなければ将たる者として恥ずべきことだ。敵が投入した戦力は9個師団。航空戦力200機。戦車250両。想定の範囲内だ。これが13個師団に戦車600両ともなればどうなっていたかわからんものだが……そこまでの余裕は無かったらしい。こちら側は我が軍が2個師団と航空戦力90機、新鋭ヘリコプター15機、戦車180両。ここに王立国家が2個師団、戦車120両と航空戦力70機、供与ヘリコプター5機、オスマニアが3個師団、ペルシャ軍が9個師団に航空戦力90機。我が国貸与のヘリコプター3機体制で挑んでいるものの、戦車戦以外での不満は殆ど聞こえてない」
西条の報告からして戦力的にはそこまで大差は付いていない。
それでいて完封というのは、現状においてヤクチアの足並みは未だに揃っていないことを意味する。
冷静に考えれば本来の未来においても第三帝国と開戦した直後のヤクチアはそうだった。
無理して戦力を投入したとて、現状では練度が低いといわれるペルシャ軍でも十分対抗できてしまいそうな気がする。
ただ……
「戦車戦に不満ありということは、こちらの戦車は……」
「正直、歩兵よりも戦車の被害の方が大きい。九七式ではもうダメだ」
「やはりT-34は生半可な相手ではありませんね」
資料の中には、チハが攻撃を受けて中破以上の状態になっている写真が相応にある。
投入した戦力において完全に戦闘力が戦場の状況に追いついていなかったことは間違いなかった。
皇国の主戦力は現状、M4であり、チハはやや後方からバックアップする形で戦闘に参加していたはずだが……T-34に遠方から撃ち抜かれたか、あるいは流れ弾を食らう形でダメージを負っていたのである。
写真を見る限りチハには増加装甲が施されていた様子だが、それでもT-34の火力には敵わなかったと見られる。
恐らくやられたのはF-34 76mm砲装備のT-34の攻撃を受けてだ。
あれは装甲100mm未満だと500m以内なら十分な貫通力を持つ。
現状でT-34の攻撃を防ぐには相当な重装甲が必要だが……チハに満足に装備できたとは思えない。
エンジン出力が足りない。
だとすると……
「突撃砲の簡易生産型たる自走砲は砂漠地帯に派遣したということは、こちらには一両も向かってないんですよね? そうなってくると今後の戦況は厳しくなってくるかもしれませんね……」
「ああ、重突は全て砂漠地帯への派遣が決まっている。ゆえに我が国の"国産戦闘車両"はチハと主力戦車を除いてペルシャ方面に向かうことはない」
「そうですか……」
主力戦車はようやく形になったばかりで、量産している最中。
一応車体はすでに完成し、12cm砲装備を待つばかりの状態。
現在は8.8cm砲を装備した訓練車両が各地で訓練に励んでいる。
換装は今月から。
既に換装作業が始まった車両もあるとの事だ。
どう考えても間に合わない。
8.8cm砲を装備した状態で派遣するといってもな……
主力戦車は新鋭技術が満載されていて簡単に奪われるわけにはいかないので、中途半端な状態では持っていけないんだ。
総力戦研究所も数を揃えて十分な管理体制を整えてからでないと非常に危険であると警告している。
西条も通常運用可能と判断してから戦地に派遣すると主張しており、反対意見も殆どなかった。
主力戦車は攻撃力だけでなく、何しろ装甲の厚さが尋常ではないので、奪われた場合のリスクが大きすぎる。
奪わせないだけの運用が出来ないなら、むしろ戦局を左右しかねないほどの甚大な被害を生みかねない存在を安易に使うのはリスクしかない。
「――もちろん、何も手を打っていないわけではない。我々だって何の手筈も打たずに日々過ごしてきたわけではないからな。これを見ろ」
「これは!?」
西条より手渡された写真を見た瞬間、全身に衝撃が走る。
そこには見慣れたような、見慣れないような戦車の姿があった。
全体の外観は間違いなくM4をベースとした戦車である様子だが……
新型戦車といって差し支えながない程、外観に変化が生じている。
そもそも砲塔形状が完全に新規のものへと変貌していた。
その姿は……どことなく主力戦車を彷彿とさせる外観であると同時に……その砲身は明らかに"太く"なっていた。
「主力戦車開発の傍ら、以前より技術本部等からそこまで過剰な戦車の必要性は感じず、もっと現実的で生産性の高い車両を作るべきだという声は挙がっていた。しかし、一から新鋭戦車を作るような余裕など我々にはない。だからこそ、かつてはクルップに所属していたユダヤ人技術者などの協力も仰ぎながら、主力戦車開発で培った技術の全てを投入して新たに仕上げたものがこれだ」
「装甲が全部入れ替わっているように見受けられます」
「当然だ。M4戦車は現状、未だに完成状態で我が国に持ち込まれた事がない。装甲取り付けが間に合わないので車体部だけの状態で持ち込まれ、我が国で鋳造された装甲を取り付けて組立作業を行っている。だから、その鋳造装甲を改めて溶接方式とした上で、現時点で可能な限り主力戦車と部材の共有が行える状態としつつ、大幅に装甲を増加させた。砲塔も重突用の8.8cm砲が装備できることがわかったので、こちらも変更させた。M4戦車の冗長性の高さがあってこそだとは思うが、性能は別物となっている。諸元を見てみるといい」
「砲塔前部総計180mm厚……均質圧延装甲ですか」
「もちろん。主力戦車製造で発生する端材などを最大限再利用している」
車体の一部が横にせり出し、砲塔も大きく車体上部を覆うかの如く巨大化した理由。
それは後に三式主力戦車と呼ばれる存在を開発するにあたって、皇国が手にした中空装甲を採用していたからであった。
車体重量は装備重量で38.7tと大幅に増大したもの、正面装甲は総じて100mm以上。
砲塔前部に至っては傾斜付きでありながら総計180mm厚、220mm相当程度の状態にまで至っている。
これは本来の未来にて存在する"シャーマン・ジャンボ"等と呼称されたM4A3E2戦車の重戦車版と同じかそれ以上であり……
つまり、短期間でT-34に対抗するために俺が知らぬ所でM4戦車が皇国版ジャンボと化していたことを意味する。
いや……どうやらこの車両、俺も開発に関与していたようだ。
砲塔部位のマズルブレーキが三式主力戦車の主砲と同じく多孔型となっている。
そういえば結構前に8.8cm砲にも同じように施してくれと上層部から頼まれ、俺はこれを重突の命中率向上や主力戦車をベースとした訓練車両用のものと勝手に考えて詳細設計の上で図面を手渡していた……
実際にはそちらの目的もあったのかもしれないが、主目的はこちらであろう。
装甲増加により重量配分が前よりになって命中率低下の可能性があることを想定し、反動軽減策を講じようとしたのだ。
結果、上手く行ったので装備させたのだと思われる。
生産性が落ちてしまっても新型マズルブレーキを装備したのは、それだけの効果があったからに違いない。
よく見るとジャンボと同じく履帯にも改良が施されている。
かなり本格的な改良具合だ。
最高速度は恐らく平地30km台となってしまった事だろうが、それでも必要にして十分な戦闘力。
正直、ティーガーⅠが相手ならコレでも十分だ。
相手側は相当に接近しない限り正面から装甲を貫通させることが出来ない。
なんてこった……重突より優秀な戦闘車両じゃないのか。
技術本部あたりは「これだけの性能に仕上がるならば、無理して自国開発する必要性があったのか疑う」――などと述べていそうだが。
「懸念されていた火薬庫の問題への処置、ターンテーブル方式への変更……主力戦車不要論が出てきそうな車両に仕上がっていますね」
「無理を押してでも40トン近くもの重量がある対戦車戦を想定した重戦闘車両の開発と運用を目指したからこそ、そしてそこから主力戦車への展望を開けたからこそ、本車の配備と運用ができる。本車がここまで高性能化したのは元の車両の優秀さもそうだが、偏に努力が無駄にならないことの証明に他ならん。ましてや、本車両……運用部隊ではハチ・ハチと呼称しているが、こいつの機動性はそう高くなく、歩兵戦車としては相当に不満がある。いわばただの重戦車でしか無い。確かに本機の影響で重突撃砲の存在意義は幾分揺らいだが、我々でもこうも簡単に重戦車を量産できるとあっては、相手側はどう出てくるかは不明……となると、お前が渡してくれた未来における敵の技術情報から逆算しても主力戦車は此度の戦に絶対必要不可欠。その通り道として重突撃砲があるに過ぎん。重突撃砲は傑作では無かったのかもしれないが、我が軍にとって大きな転換点となり、その先にあるモノは正真正銘、戦局を左右する陸戦の切り札だ。技術本部を含め、今や誰も主力戦車を否定する者などおらんぞ」
「心強いお言葉です。技術者冥利に尽きます」
「今月予定されている木更津の試験稼働の時にはお前も見に来い。今、我が軍の中にどういう空気が流れているのかわかるはずだ。信濃、お前の不安を払拭するだけの力を主力戦車は示しているぞ」
「是非とも参加させていただければと思います――」
本当に軍の考えが変わったのかどうかは木更津での状況を見極めてから判断することにしよう。
散々あーだこうだと言われた身としては、西条の言葉と言えども素直に信じることが出来ない。
それにしても……北部戦線が芳しくないからとはいえ、まさか本来の未来と同じ日にペルシャに侵攻してくるとは。
あいつらは燃料関連で困ることは殆どないはずなのに随分と性急な。
ペルシャにおける希少金属などが目的だろうか。
本来の未来においてヤクチアは、第三帝国との戦争の折、補給路等への利点からペルシャへの侵攻を行う。
この時、ペルシャは表向きは中立姿勢だったものの有識者に親第三帝国な者が多いことから皇国を含めた三国同盟にやや傾倒気味であり……
その結果、王立国家とヤクチア双方の連合軍の軍勢に侵攻を受ける事となる。
ペルシャ側はこの時、NUPに助けを求めたりなどしたのだが……NUP側は世界情勢を見据えて味方する事はなかった。
結果、大戦中のペルシャは石油を含めた軍需物資を大量供与しなくてはならない立場となり……さらに戦後はヤクチアが一時居座るなど混迷を極めた。
だが、現在の状況は全く違う。
地中海協定設立が提唱された会議の際、彼らはその会議に参加していた。
それだけではなく、あの即位式の場にもいた。
ペルシャの王は情勢を読んでいたのだ。
反共主義者が極めて多いペルシャにおいて、アペニンや皇国を含めた同盟関係が強固であった頃、ペルシャはまだ第三帝国との関係を切り離すような事はしなかった。
しかし、情勢が変わり、チェンバレンとムッソリーニによって生み出された時代の流れに彼らは乗っかっていたのである。
即位式の際、彼らは自ら参加を申し出て、王自ら参加していた。
その後の会議についても参加し……そして彼らは中立姿勢をやめたのだった。
彼らが参加した理由は周辺国の中で比較的友好的な関係を結び、同じく反共主義者が多いオスマンが中立姿勢ではなく明確な立場を示したことだとされる。
あえて中立姿勢を示すことでヤクチアなどの脅威から逃れるほうが今後の世界情勢を鑑みた時に有利ではないかという疑念が渦巻く中、中立ではなくユーグ側についたオスマン。
そして、皇国などを含めた同じく自らの独立性を示すためにユーグ側と意思統一を図った国々。
その様子を見て、国の数こそ多いなれど戦力的には拮抗するかあるいは不利と言えた立場に立つことを厭わず、確固たる意思を表明したのである。
おかげで皇国はペルシャなどからも石油の自由な輸入が可能となり、ガソリン等の燃料資源の問題は当面の間不安が無くなった他、鉱物資源の輸入も行えたことで原材料不足の点も相当に解消できることとなった。
それだけじゃない。
ヤクチアへの進攻を考えた場合、ペルシャ湾方面から戦力を伸ばしていけるというのは相当な利点だ。
無理してシベリアを横断する必要性がなくなる。
ペルシャ湾側から本来の未来ではヤクチアが活用した鉄道等を駆使して進攻することができるということだ。
様々な利点があるからこそ、ペルシャの参加は心強かった。
その代わりとして彼らが求めたことこそ、戦力の提供である。
だから皇国は可能な限りの協力を行い、完成したばかりの新型ヘリコプターすら貸与してみせた。
これも偏に今後においてペルシャとの関係は友好的なものでありたいという願いもあってのこと。
ペルシャ軍には襲撃機を中心として百式シリーズからなる航空戦力を別途供与しており、戦闘力は決して低くない。
しかもペルシャは本来の未来と異なり、地中海協定連合に加盟したことからレンドリース法が適用される状況下にもある。
彼らが何をレンドリースしたかは不明だが、M4戦車等をレンドリースしていれば自衛力も相応にあるはず。
そこに王立国家、オスマン、皇国の戦力が集結したことで……ヤクチアを抑え込めたと。
そして皇国の戦力の中にはハチ・ハチと呼ばれる皇国版シャーマン・ジャンボもいたというわけだ。
資料には100両を展開とあるから……戦力の半数以上が重戦車だったと。
これはつまり……ハチ・ハチの防御力が強靭すぎてチハが集中的に狙われたんじゃなかろうか。
そうでもなければチハの被害状況を伝える写真しか無いことに説明がつかない。
……やはり、戦車開発の出遅れのしわ寄せが来ているな。
俺も、もっと早くこいつの可能性に気づいておくべきだったかもしれない。
といっても、主力戦車を開発する直前になって初めて中空装甲等の技術を得たし、結局は運用の問題等もあり、さらに鈍足な戦車を嫌う派閥もいたことを考えると……西条が述べたことが全てなのだろうな。
NUPが形式上の分類分けとしてM4A1J1またはM4A3J1と名付けることとなる皇国板シャーマン・ジャンボは、後に第三帝国との戦いにも参戦する事となり、「シャーマン・アハト」等と呼称されて脅威とみなされるようになる。
そして重戦車渦巻く戦場において最終的に参戦することとなったNUPはシャーマンの装甲不足によって甚大な被害を被ったことから……皇国から逆供与を受ける形で重戦車への対抗手段としつつ……別途シャーマン・ジャンボを開発して戦線に投入し、さらにHCR2と呼ばれる複合装甲を検討して開発に注力することになるのだった。
補足:参考にした車両はシャーマンHCR2仕様
https://thedeaddistrict.blogspot.com/2020/12/m4-sherman-with-composite-plastic-armor.html
砲塔はもっと現代的になっているものの、他はほぼ同じ形状だと思っていただければ。