第181話:航空技術者は最後まで人と向き合う乗り物に改良する(後編)
この電気シフター。
ただ搭載するだけではまともに動作できない。
宗一郎が「なぜなのか」――と問うのも当然。
他にも2つの要素を入れ込まなければ完全な動作は保証出来ない。
故にドリームC1には、それをも組み込んだ。
それこそがスリッパークラッチ(バックトルクリミッター)と、クイックシフターである。
(スリッパークラッチの説明については、第157話:航空技術者はシャフトを追加することを否定し、ギアを追加しようと目指す(後編)を参照)
そもそも、電気シフターは、二輪に搭載するにあたっては2635年に登場したスリッパークラッチとクイックシフターの装着をほぼ前提としていた。
ゆえに多くのビルダーの間ではクラッチを自作する事はほぼ当たり前。
そのままアフターパーツの製造メーカーとして成立してしまった所すらある。
このスリッパークラッチというのは、プレッシャープレートとクラッチカムの構造を調節し、加速時は大きく食い込むようにしつつ、減速時等においては双方が回転数に応じてズレてトルクを逃がす機構である。
正直な話、加速時においては通常通りのため、当初の電気シフターでは一般的なクラッチでも問題無いとされ、加速のシフトアップだけ使用可能としていたのだが……
実際は加速時に双方のカムが食い込むようにしてガッチリ固定される事から従来まで双方を押し付けて挟み込む仕事を果たしていたクラッチスプリングを弱められ、よりスムーズなギアチェンジが可能なことから、必須であるという認識に改められていった。
一般的にスリッパークラッチを搭載した場合、スプリングレートは通常から3割ほど減らせる。
これが大きいのである。
このスリッパークラッチ、アルミダイカストで作られていることが多いが……それは別にスリッパークラッチではない時点でも同じ。
ZDB125にも百式機動二輪車においても、一連のクラッチ部品はアルミダイカストだった。
ゆえに、新たにスリッパークラッチとして新造の上で、ドリームC1に既に搭載済みだ。
だが、電気シフターにはこれだけでは足りない。
スリッパークラッチを搭載しただけでは、従来のようにクラッチ操作自体は必要だ。
一応言うとバイクは常時噛合式ミッションなため、エンジンの回転数と、そのギアの時に必要となるエンジンの回転数が合うならば、やりようによってはクラッチレスでシフトチェンジ出来るのだが……クラッチプレート自体の摩耗を考えると強引な手法では寿命を大きく削る。
主として加速時においてはクラッチを離した時にエンジン回転数が上がるため、噛み合いにくくなってしまうが、エンジン回転数の急上昇を避けて上手く駆動力をカットすればごく自然にシフトアップできるし、そもそも通常時においてもスロットルを切った瞬間にシフトアップするものだ。
他方、シフトダウンにおいてはバックトルクが強すぎて無理をすればギアチェンジ時においてタイヤがロックしかねない。
この時、任意で駆動力をカットできるようにすればどうだろうか。
その発想を実現させたものこそがクイックシフターなのである。
クイックシフター。
常時噛合式ミッションの特長を最大に活用し、クラッチレスシフトチェンジを実現するためのシステム。
方法は簡単。
エンジンの回転数の急上昇が問題なら、エンジンの回転数が上がらないようにしてしまえばいい。
この時のエネルギー損失時の反動すら利用してしまおうと、ある事をやる。
エンジンの点火を切るか、燃料の噴射を止めるか、あるいはその双方を切断するか。
主としてクイックシフターでは、エンジンの点火を切るというのがよく用いられる方法だ。
最も安価なタイプではこれをやる。
この方式ならキャブレター式でもやろうと思えば普通に出来るし、駆動力も止まる。
だが、燃料噴射を止める場合は仕組み上、インジェクター式でないと出来ない。
そしてノッキングリスクを考えると燃料噴射も止めておきたい。
なので今回、長島に頼んでエンジンをインジェクター化してもらった。
より確実な動作を行えるようにしたかったからだ。
本当はECUとか搭載して電子スロットルとかにしてエンジン回転数を完全に合わせるオートブリピング機能とかあればいいのだが、そんなの可能になるのは何十年後なんだって話。
そういうのが無い中で最も信頼性のおける機構は、点火カットと噴射カット。
自分も参加したドラッグレースで散々試してわかっているスタンダードな手法に頼る。
構造はこうだ。
技術者が「シリンダーが2本追加されている」と述べるように、クイックシフターはシリンダー状となっている。
これは機械式の感度センサーとなっており、一定以上の負圧がかかると絶縁回路が作動するようになっており、一瞬ながら点火と燃料噴射をカットする。
これにより、駆動力は0.05秒~0.07秒ほど完全停止し、その時の反作用でギアとエンジン回転数が噛み合うのでクラッチレスな状態でシフトアップが可能。
なおこの点火カットはシフトアップのみの動作。
シフトダウンでは作動しない。
当然理由もある。
シフトダウンにおいては点火なんて逆に切ったらタイヤの回転数とギア比に対するエンジンの回転数が合わず、急減速によってタイヤがロックしかねないからだ。
そもそもシフトダウンで必要なのはアクセルオン。
つまりブリッピングと呼ばれるエンジン回転数の上昇。
多くのクイックシフターにはそのような機能は付いていない。
だから本来の未来において、クイックシフターは多くの場合においてシフトダウンには対応してこなかった。
理由はこのブリッピング制御というのがかなり難しく、高精度なコンピューター制御を要求されたためだ。
オートブリッパーと呼ばれる、ブリッピングをしてくれるいわゆるシフトダウンだけ対応したクイックシフターの逆バージョンのようなものもあったのだが……これもECU制御は必須である。
ゆえにドリームC1も"クイックシフター"自体はシフトアップのみ。
オートブリッパーも搭載されていない。
ではシフトダウンはオートではないのか?
なんてことはない。
ブリッピングすればいいだけだ。
高精度に出来なくとも、ブリッピングは案外どうにかなる。
なので、シフトダウン時のシフトペダルの動作に連動してクラッチワイヤーを引っ張る機構を新たに設けた。
こうすることで、シフトダウン時にアクセルオンの状態を一定程度維持しておけば勝手にブリッピングと同じ状態となる。
いわばアクセルオンは必須だが、擬似的なブリッピングをやれるようにすることでシフトダウンを可能としたわけである。
アクセルオンなんて操作に慣れればなんて事がない動作。
そのままボタンを押すだけ。
こういう引っ張る機構というのは、1つの動作に対してのみなら簡単なリンク機構などの構造体を設けることで連動させる事が可能。
ゆえにシフトアップとシフトダウンの双方でクラッチワイヤーを連動させる事は極めて難しいし危ないが、シフトダウンのみなら出来る。
なので、軽くスロットルを入れたままシフトダウンボタンを押せば……エンジン回転数一定範囲内ならば至って普通にシフトダウン出来るのである。
宗一郎はレースにも出場する人間なので特に問題なくブリッピングも理解していたが、スリッパークラッチによってバックトルクを逃がす機構と、シフトダウン時において半クラッチ状にクラッチワイヤーを引っ張る機構。
これらが電気シフターと合わさる事により、セミオートマ化を達成した。
思えばシフトペダルを踏み込むことで半クラッチに出来るというのは遠心式クラッチを持つカブと似ているな……あれも同じことが出来るんだ。
正直、遠心式クラッチを現時点で実用化できればセミオートマ化はもっと楽になるんだが、流石に現状では無理だろう。
シフトダウン時のみ疑似遠心クラッチのような動作を行い、シフトアップ時は点火と燃料噴射カットでもってクラッチレスセミオートシフトチェンジが出来る、これが現時点での皇国の技術力と未来知識で出来る限界。
それによって生まれ変わったドリームC1こそ、今彼らの目の前にある車両だ。
なお、外観は他にも変わった点が1つある。
ハンドルをプレス成型鋼板による、いわゆるプレスハンドルに改めた。
これによって生産性が向上、メーター類などがハンドルに埋め込まれて外観はスッキリした。
さらに各種スイッチ類などもハンドルに全て埋め込むことで、生産性を向上させつつ流麗な姿としている。
以前からハンドルにはウィンカースイッチやフロントライト点灯用スイッチ、ホーンなどがあったが、ここにさらに電気シフター用のスイッチ等を追加した所、ゴテゴテして外観が美しくなくなったための措置。
なお電気シフター用のスイッチはハンドルに対して前後に設けられている。
シフトアップはフロントライト側に設けられており、引くことでボタンを押す状態のトリガー方式。
シフトダウン時は目の前のボタンを押すことでシフトダウンする。
これは双方のボタンを一緒の位置に置くと勘違いして間違って押す可能性があるため。
特に低速時や減速時における誤操作による無理やりなシフトアップが転倒を誘発させかねず、とても怖いので間違いにくいよう人間工学に即した配置とした。
他方でハンドル側には様々な構造を組み込む余裕を設けている。
これはハンディを抱えた人間向けの措置。
クラッチペダルを右に持ってきて、ブレーキもクラッチレバーも右側に集約する事も、その逆も可能。
電気シフタースイッチも文字通りスイッチングできるような構造としている。
スロットルすら例外じゃない。
例えば左腕が無い人は、完全な停車時においてクラッチ操作をする時に右腕だけに頼らねばならない。
その場合はクラッチレバーとブレーキを同時に握り込むことで適切に停止する。
まあ、クラッチロック機構があるのでそれを動作させつつ停止させてもいいんだが、万が一を考えたら必要なので講じた。
またブレーキペダルを前後連動のコンビブレーキとする事も可能なよう、ブレーキワイヤー側の構造も一部変更した。
シフトペダルもロッドを延長して右側にも設置可能なように出来る余地をも残している。
これらを全て小規模な改造でもって達成。
長島の協力により、大規模な改修をすることなく達成した。
全て設計図や技術理論をまとめた資料も作成済み。
後は量産するだけ。
「――そこまで考えて二輪を作る人が、皇国にもおったなんて」
「まあ自分も、二輪に魅せられた一人なのでね」
「でもこれじゃ、四輪のほうが器量の小さい乗り物になっちまいますよ?」
「いいんですよ。だって二輪は自分の力だけじゃ自立できませんから。一人立できる四輪と違って最後まで人と付き合わざるを得ない。ずっとずっと、人と向き合い続ける。いつか……100年後か200年後か、航空機のごとく自動操縦なんてものが可能となったとして、四輪は人を捨てるかもしれないが……二輪は最後まで我々人を見捨てる事なんてしない。滅びる時は人がいなくなった時か、人間が乗り物という存在を捨てた時だけ」
「それはつまり、最後まで作り手である人も見捨てるわけにはいかんっちゅーわけですな」
「そういうことです」
四輪だってやろうと思えばオートマチック化はできなくもない。
すでに今年に入って本格的なオートマチック車はNUPで出てきている。
だが、ペダル式のアクセルなどを完全排除した車を簡単に作れたりはしないんだ。
ゆえに、現時点ではドリームC1の方が、"全ての人間と向き合っている状態"。
単なる夢じゃない。
みんなの夢になってくれれば……それだけだ。
「――あ、そうだ宗一郎さん。こいつのデザインなんですけどね」
「ああ、以前お借りしたZDB125でもって奈良の街などを巡っていて思いついたんですよ、そいつは」
「軍用車両として量産する時はデザインを変えてもらえれば」
「……なぜ?」
やや不満顔となる宗一郎だが、俺はもっともな理由を素直に伝えようとする。
「寺社仏閣を想起させる皇国伝統のイメージは、血と血で争う戦場に似合わない。戦が終わった後、国外から皇国に訪れた者は後ろ向きなイメージを抱くことになります。そういうのは市販品で出すべきだ。市民が乗るオートバイにこそ、このデザインは相応しい」
「ははははは。あっはははは! 違いない。もっともだ! おっしゃる通り。いやしかし……あんた本当に軍人か?」
宗一郎はまいったとばかりに笑う。
周囲の者もつられて笑っていた。
恐らく宗一郎からすれば「皇国の文化を体現した素晴らしい意匠である! このまま量産し、戦地にて八百万神を体現するのだ!」――等と言うものと思っていたのだろう。
だが違う。
俺は――
「軍人である前に、自分は皇国人ですから」
「わかりました。カウル類の形状をもっと流線型にして調整しましょう。市販についての許可も取っていただけるので?」
「ええ。自分が上に許諾を取りにいって参ります。すぐに出ることになるでしょう。今の仕様で付属品の販売も同時に行っていただければ十分です」
「そうなると本格的に経営を管理できる者が必要となってきそうですな――」
誰が彼に、そして恩田に相応しいのか俺は知っている。
だが、あえて伝えない。
きっと自然に出会う気がするから。
だから一言"何かお困りの事があったらお気軽に相談いただければ"――とだけ言っておいた。
本当に困ったら"あの人"を紹介しよう。
参考:電動シフター動作動画
単体
https://www.youtube.com/watch?v=5JeZKI6W0DY
クイックシフター付
https://www.youtube.com/watch?v=AwU99TqxDn4
ファームバイクの参考
https://www.youtube.com/watch?v=ZnArenk2ses
なおこちらのバイクはキックスターターです
動画内では両サイドのサイドスタンドやクラッチロック機構などがわかりやすく解説されています